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2005年11月27日 (日)

国民年金の保険料は「掛け金」ではないことをなぜ誰も言わないのか?

国民年金の問題がよく取り沙汰される。
その中で,「払ったお金が返ってくる」といった考え方を基本に議論されることが多い。
国民年金の「保険料」を「掛け金」と考えている人が多いようだ。

社会保険庁の年金説明サイトなどを見ても分かるが,国民年金は,基本的に自分の将来のために保険料を払うのではない。現在の高齢者のために保険料を払い,その貢献度合いが将来自分が若年層の払った保険料を受け取る際に考慮されるものである。国民年金基金とは異なる。

すべての国民がこの視点を持たないと,議論がかみ合わないのは当然である。
国民年金の問題が取り上げられるようになった当初,およそ15年ほど前だったように思うが,その頃は上の内容は広報されていた。しかし,すぐにそのような広報はあまりされなくなったと思う。

「払った金が戻ってくるのではない」という説明では国民が納得しそうになく,未納者も益々増加しそうであるから上の内容はあまり表立って広報されないのではないか。しかし,それでは詐欺に近い。
国民年金の保険料は高齢者を援助する若年層の義務として支払うものである。自分が後から返してもらうために支払うのではない。その説明をきちんと行わないせいで未納者が増えるのであれば,真面目に納めている国民には甚だ迷惑である。
国は,説明すべきことは明確に説明した上で,日本独立共和党さんの「全員加入を前提とする国民年金を廃止する」というような意見も踏まえて真摯に議論を行うべきだと思うのだが,どうだろうか。

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2005年11月26日 (土)

「お客様」は「神様」か?

テレビCMなどで,「お客様のために」などというセリフをよく聞く。
日本では,「お客様」は製品やサービスを提供する側に対して上位の立場にあるという考え方が一般的である。
いわゆる,「お客様は神様」的な考え方である。

「客」は対価と製品やサービスを提供側と交換する者である。両者に上下はなく,対等のはずである。ただ,客は製品やサービスが対価に見合わないと感じればクレームを付けたり他の提供者を選択する可能性があるので,ある程度強い立場にあるとはいえる。
しかし,客が人として上位にあるわけではないので,全ての客の要求を満たす必要はないはずである。ある客の要求を満たすことが他の客に損害を与えることも多い。サービス業においては特に多いと思われる。
日本人は海外において,客に対して提供側が横柄に感じる事が多いだろう。
自分の経験からすると,それは同じ対価を払った客は公平に扱うべきという考え方によるものと思われる場合も多い。
日本では,無理な要求をする客に対して丁寧に応対するために,他の客が待たされるというようなことが多いのではないか。

「客は神」という考えは改め,客と提供側は基本的に対等に接するべきだと思うのだが,どうだろうか。

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2005年11月25日 (金)

皇室の側室制度は不可能か?

皇室典範に関する有識者会議は,側室制度は現在では不可能としている。
確かに,側室となる女性を皇族として扱うのは無理があり,宮内庁で終身雇用するのも男女平等の観点から異論があろう。また,出産後に一般人として生活するのも難しいだろう。

天皇の側室は,性的欲求を満たすためではなく,世継ぎの卵子を提供するのが役割である。
ならば,現代の情勢に適した側室制度として,皇后や皇太子妃以外の女性の協力を得て人口受精を行うというのは突飛すぎる案だろうか。
協力女性は,血縁のない皇族であれば問題も少ないであろう。

天皇のお一人お一人ではなく,万世一系の皇統に最も重要な存在意義を認め,可能性の少なくない皇位継承者ゼロの事態を防止するためであれば,一つの選択肢となりうると思うのだが,どうだろうか?

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2005年11月23日 (水)

「交通戦争」は激化していないか?

「交通戦争」という言葉が使われ始めて久しい。
昨日も小学生の列に車が突っ込むという悲惨な事故が起きた。
車の異常か,運転ミスか今のところ分からないが,どちらにしても社会構造にも問題があるのではないか。

(社)新交通管理システム協会による情報などを見ると,交通事故による死者は確かに減っているが,事故数は増加しており,免許保有者100人当たりの事故数を計算してみると,1995年からの10年間で,1.1から1.2へ増加している。
死者が減ったのは,エアバッグやボディ構造,ABSなど,自動車の安全技術向上によるところがほとんどだと思われる。運転者の技術は向上していないのではないか。

自分は世の中がAT車ばかりになることに反対である。
AT専用免許も,やむを得ない事情のある人向け以外は反対である。

自分は,原付→二輪→四輪と段階的に運転経験を積んだが,それでも四輪初心者のころは,運転操作と状況判断に一生懸命で緊張したものである。
いきなり四輪のMT車免許を取った人のほとんどは,少なくとも免許取得前の練習中はかなり緊張したはずである。自動車を運転するということの重大さを,ある程度身をもって感じたはずである。

AT車なら運転操作に取られる意識がMT車よりも少ない分,状況判断の訓練を教習所などでは多く行うべきだと思うがそうはなっていない。

さらに,もっと重要なことは,AT車は,子供がアクセルを踏んでも,ブレーキとアクセルを踏み間違えても,また制御装置が誤動作してもフル加速することである。
拳銃を扱ったことのない人間に,「これで2,3人,殺せ。」と言われてできるものではない。しかし,運転したことのない人間がAT車で人混みへ猛スピードで突っ込むことは容易である。
「交通戦争」の戦場に,素人でも簡単に扱える上に暴発の危険さえある武器を送り込んでいるようなものである。

何よりも気になるのは,国をあげて「武器商人」を儲けさせているのではないかということだが,どうだろうか?

[記事作成後にTBさせて頂いたブログ]
シ  ク  ロ  グ。  指名ドライバー制度
「指名ドライバー」普及への途  トラックバックありがとうございます

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2005年11月20日 (日)

公務員制度は改善されているのか?

人事院勧告を見ると,全体に給料を下げた上で,地域によってなんと3~18%もの幅で手当をつけ,霞ヶ関勤務者にはさらに手当を上乗せし,さらに遠距離異動した者には3年間手当をつけるという。
要するに,キャリア組だけは高給を保障し,一時的に地方に異動しても給料が下がらないようにし,ずっと地方にいる公務員はとことん下げるとのことである。
これで,表向きは「公務員の給料を下げました。民間給与の高い都市部と低い地方の差も考慮しました。」ということにするらしい。
果たしてこれは一般国民の望む改革なのか?
レッツら さんのブログにも書かれているような場当たり的で,なおかつ特権階級は守るだけのものではないのか。

例えば,マンションの設計書類が偽造されていた事件(この事件については,mew-run7 さんのブログに興味深い記事がある)で,被害者は行政にも責任を求めることを検討しているという。高い買い物であるマンション購入に当たり,購入者自身が十分な調査をして問題を見抜くことができなかった責任はあまり問われない。このように,日本人は基本的に「お上任せ」の体質ではないだろうか。
それが悪いとは思わない。面倒なことは「お上」に任せて,国民は自分の仕事や生活に集中できる社会は,住みよい社会の一パターンだと思う。
ならば,溜まった公務員の膿を出すための改革は必要であろうが,闇雲に公務員,特に末端の公務員をいじめても社会は良くならないとおもうのだが,どうだろうか?

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「タテマエ」は悪いことか?

少年少女の犯罪が多いのは彼らが身勝手だからか?」の記事に頂いたコメントをきっかけに,その続編を書こうと思う。
件の記事は,「自暴自棄」的な少年少女について書いたのだが,確かに「自分さえ良ければ」という身勝手な動機から犯罪に及ぶ少年少女も多いと思う。
件の記事で,「自分の今後の人生を守るために法や道徳に反する行為を思いとどまる」と書いたが,昨今,法や道徳に反してもその後の人生の破壊につながらないことが多いのではないか。
昔から,悪事により金や権力を手に入れる者は多い。しかし,人は公にそれを肯定することはしなかった。それが「建て前」だった。
しかし,20年ほど前からだろうか,「ホンネ」をポジティブな,「タテマエ」をネガティブな概念として捉える風潮となっている。日本文化が建て前を尊重することの弊害だけが取り上げられた結果のようである。

罪を犯した政治家の復権,法を犯した,または紙一重の行為で財を成す者の多発,卑近なところでは若い頃の悪事を得意げに話すテレビタレント,「マリーシア」なるものを賛美するサッカー関係者など,「武士は食わねど高楊枝」とは正反対の人生観を若者に植え付けることが溢れている。

建て前を大切にしないと「正直者が損をする」社会になる。このことを軽く見てはいけないのではないか。正直に生きることは,ずる賢く生きることより簡単だと思う。だから,みんながずる賢く生きようとすると,「勝ち組」は一握りになってしまうと思うのだが,どうだろうか。

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2005年11月15日 (火)

少年少女の犯罪が多いのは彼らが身勝手だからか?

男子高校生による女子高校生殺害や,女子高校生が母親に毒物を飲ませる事件などを始め,少年少女による理解に苦しむ事件が相次いでいる。
「彼らは身勝手で他人を思いやる気持ちが持てない」ことがこれらの事件の原因の一つとする論調が見られる。
確かに,「自分さえ良ければいい」という考えに起因すると思われる事件も多い。
しかし,少し違った背景による場合も多いのではないだろうか。特に,犯人の少年少女が,「成績優秀」や「まじめで目立たない子」などと評される場合に多いのではないかと思う。
人が,法や道徳に反する行為への欲求を思いとどまるとき,多くの場合,その理由は自分の今後の人生を守るためだろう。
そして,自分の人生を守ろうとする意識が希薄な場合,欲求が勝ってしまうことがあるのではないだろうか。

「勝ち組・負け組」という言葉をよく見聞きする。「ナンバーワンよりオンリーワン」ともよく言われる。
勝てなければ負けるしかないのか,「ほどほど」は存在し得ないのか?
何億,何十億といる人間すべてが「オンリーワン」になれるのか,one of them ではいけないのか?

特別な才能に恵まれなくても,「ほどほど」に生きていける社会でなければ,「ほどほど」の子供たちは希望を持てないのではないか。「つつがなく生きていこう」という発想が持てないのではないか。

「オンリーワン」は幻想だと思う。「オンリーワン」は当然「ナンバーワン」であるのに,言葉遊びでごまかしている。
「平凡」ではなく「オンリーワン」が人間のデフォルトだとしたら,実はほとんどがそうである「平凡」な人間は,デフォルトの機能を持てない「不良品」である。

「ほどほど」の生き方を選択肢に入れられていない子供たちは,リスクの極めて大きな「賭け」に走りがちになると思うのだが,どうだろうか。

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2005年11月13日 (日)

「皇室典範に関する有識者会議」のメンバーは本当に「有識者」なのか?

前にこのブログでも触れたが,「皇室典範に関する有識者会議」なるもので女系天皇論議がなされている。
首相官邸のWebサイトを見ると会議の情報がある。
会議のメンバーを見ると,
[座長]吉川 弘之 産業技術総合研究所理事長、元東京大学総長
[座長代理]園部 逸夫 元最高裁判所判事
岩男 壽美子 武蔵工業大学教授、慶應義塾大学名誉教授
緒方 貞子 国際協力機構理事長
奥田 碩 日本経済団体連合会会長
久保 正彰 東京大学名誉教授
佐々木 毅 前東京大学総長
笹山 晴生 東京大学名誉教授
佐藤 幸治 近畿大学法科大学院長、京都大学名誉教授
古川 貞二郎 前内閣官房副長官
となっている。

川村けんとさんレッツらさんなども審議の行方を危惧されているが,自分も非常に気にかかる。
この人たちは,果たして幾千年の天皇家の歴史に手を付ける資格を持つほどの「有識者」だろうか。
議事録を見ても,発言者は示されず,発言内容にも「~のような気がする。」などがあり,「見識を有する」人が熟慮の上に責任を持って発言しているとは到底思えない。
このような人たちが例えば「長子優先」などのルールを決めるなどというのは,傍若無人極まりないと思う。
「長子優先」など,科学的には何の正当性もない。こんなことを,手続き的には公開された正式なものによって決定してしまえば,今後,この決定に何の権威もなくなってしまう。適当に理屈を付ければ,如何様に変えてもいいことになってしまうからである。
合理的に決まるはずのないことを,無理矢理合理的に見せかけて決定しようとする最たる例ではないかと思う。

実質的に政治家に優先して意見をだせる「有識者」である。
人選にも,審議にももっと慎重には慎重を期すべきだと思うがどうだろうか。

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2005年11月12日 (土)

仕事を「合理的に」評価する方法はあるのか?

夕刊フジblogで,「働くな!」―業績上げれば上げるほどリスク高まるという記事があった。

「成果主義」は,社員が手段を選ばず高い評価を得ることだけを考えるようになり,却って仕事の士気がそがれると,アメリカの有力経済学者達も指摘している,などという内容が含まれている。

こんなことは,評価される側の人間から見れば分かり切ったことである。それを社員が上層部に訴えても,「バスに乗り遅れるな」の理屈で,あちらこちらで「合理的・効果的な評価システム」の構築のために多大な労力が割かれ続けている。
公務員さえも成果主義を取り入れようとしている。世論もそれを押している。

アメリカですら問題視されているというのに,この日本で馴染むはずがないのではないか。
日本人には「浪花節」的な考え方が染みついている。「合理的」に人を評価することなど無理だと思うのだがどうだろうか。

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2005年11月10日 (木)

世論調査は信用できるのか?

JNN世論調査で,小泉内閣の支持率が67%だったとのこと。
実感と異なると思うのは自分だけだろうか。

詳細を見ると,
非常に支持できる 12.8%    ある程度支持できる 54.6%
あまり支持できない 24.1%   まったく支持できない 7.0%
答えない・わからない 1.5%
  (調査方法) 電話による聞き取り方式,全国20歳以上の男女,有効回答数:1214

まず,設問がおかしくはないか。
「ある程度支持できる」と「あまり支持できない」は同義ではないか?
「ある程度可」の反意は「全く不可」である。
自分も,小泉内閣について,100%不支持とは思っていない。しかし,支持者とも思っていない。

それから,調査方法はどうか。
miki_rengeさんの経験談を見ると,対象者の抽出は無作為でも,回答者の特性にバイアスがかかっていないとはいえないのではないか。
世論調査協会のページを見ると,電話による世論調査の回答率は60%程度である。
残りの40%の特性はランダムといえるのか疑問である。

調査結果の信頼性に問題があったとして,それが不作為によるものであればまだ良いが,そうでないとしたら。。。

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2005年11月 5日 (土)

若者はいつから夢を追いかけるようになったのか。

杉村太蔵議員が若者との対話集会を開くという。
「なぜ夢が持てないのか。夢をかなえるには何が必要か。」を聞きたいという。

いつから若者は「夢を持たなければならない」という強迫観念を持つようになったのか。
夢は持つに越したことはない。しかし,夢を叶えられるのはごく一部の才能とチャンスに恵まれた者だけだということを大人は教えなければならないはずである。
然るに昨今は,「夢はあきらめなければいつかは叶う」という脅迫的な励ましが若者たちを包んでいるように思える。
1億3千万人がつくる社会システムの中で,大多数の人間は平凡な役割を果たすことになるはずである。
それなのに,「平凡」を嫌い,「夢」にこだわるあまり,現実離れした世界に漂う若者が増えているように感じられるのだが,どうだろうか。

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2005年11月 1日 (火)

民意は自民を選んだわけではないと何故誰も言わないのか?

今日選ばれた新閣僚達は,「民意である改革を進める」と言っている。
野良狸さんのブログ記事のように,自民は小選挙区制というルールでの勝負に「勝った」だけであり,「民意が選んだ」わけではないことは子供でもわかるくらい明らかである。
マスコミ,評論家や民主党は,なぜもっと声を大にしてこのことを言い続けないのか。
「言ってもしかたのないこと」,「負け惜しみと取られる」などと考えて控えているのだろうか。
単に小泉首相が怖いのだろうか。
しかし,与党が数に任せて好き放題にやろうとしている今,「負け惜しみ」と言われようとも,「その通り,あなたたちは選挙に勝ち,私たちは負けただけであって民意が政治を託したわけではない。」と言い続けることは重要だと思うがどうだろうか。

国政選挙で,真に国政のことを考えて投票する人は全国的に見れば少数であり,大多数はもっと自身の生活に密着した判断基準で投票するだろう。勝ち負けは,有権者が国政に何を望むかで決まるわけではない。

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