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2005年12月 7日 (水)

「1リットルの涙」は無駄になってしまうのか?

1リットルの涙」というタイトルのテレビドラマが放映中である。同名の本を原作とするものである。
自分は2回しか見ていないし,原作も読んでいないので作品の論評はしない。

このタイトルは,25歳で生涯を閉じた原作者,木藤亜也さんの,障害のある身体をご自身できちっと受け止めて生きようと思われるまでに「1リットルの涙が必要」だったという言葉に由来している。

「合理化」の名の下に,レッツらさんも懸念されているような社会の弱肉強食化がこのまま進んでいくと,木藤さんのような人は生きる価値を認められなくなるのではないか。
浅薄な「合理的」思考をすれば,周囲に負担をかけ,一般的な勤労が不可能な人間は社会にとって不要である。
しかし,人間は非常に複雑な精神構造を持っている。木藤さんの生きる姿に,人それぞれ,様々な感情を持つであろう。そのとき,その感情が心身にとってマイナス要因となる場合があるだろうか。
ご家族の気持ちは,あまりにも想像できる域を超えているので自分に論ずることはできないが,少なくとも自分のような全く無関係な人たちは,得ることは多いだろう。
広い意味での「多様性」の効能のひとつではないだろうか。
直接ご本人と関わりを持つ人たちからドラマを見るだけの自分のような人まで,木藤さんに注目することで,精神的なものだけに留まらず,科学や文化の発展につながるようなことまで,多くを得ることができる。
木藤さんを中心に,神経細胞システムのように,極めて複雑な経路・因果を辿って世界中に様々な効果が及ぼされる。
木藤さんが「1リットルの涙」を乗り越え,その後もさらに涙を流しながら懸命に生きたことで,その効果は益々強まったに違いない。
このようなことのメカニズムはそう簡単に解き明かされるものではない。
浅薄な「合理的」思考では,「わからないこと」は「考慮に値しないこと」として,その効果を期待しない。よって,その原因となることは必要とは認められない。
存在の価値を認められなければ,木藤さんのような人は決定的に「弱者」である。

このままでは,「1リットルの涙」が無駄になるのではと不安なのだが,どうだろうか。

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