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2006年1月29日 (日)

杉村太蔵議員は議員たるべく勉強をしているのか?

杉村太蔵議員のブログのこの記事を読んで,少し感じたことがあるので書かせていただく。

> 700兆だか800兆だか知りませんけどね、これ返すのは僕たちの世代ですよ。

> 一度でいいですから、頂いた収入の枠だけで予算案をつくっていただきたいものです。
> 47兆円しかないと思わず、47兆円もあるんだ、という発想をですね、ぜひ財務省だか何だか知りませんけど、お持ちいただいて、少なくても借金するときに、
> 「これ返すのは俺達の子どもの世代だよな」っていう感謝と哀悼の意を捧げてから借金していただきたいものです。

「哀悼」はご愛敬にしても,「国の借金」とは何か,「47兆の予算を組んだらどうなるか」ということを,具体的に理解しておられるのだろうか。
自分は未だに「国の借金」の実像を掴みきれないでいる。しかし,この杉村議員の文章を見る限り,自分の方がまだ少しは理解が深いのではと感じてしまう。
杉村議員は,「国の借金」を外国かどこか,日本と関係ないところからカネを借りているようなイメージを持たれているのではないだろうか。「借金」と一言でいうが,実態は個人や企業が銀行などからカネを借りるようなことに比べてはるかに複雑なことである。
また,突然47兆で予算を組んだら,世の中に一体どんなことが起きるか,想像しておられるのだろうか。

杉村議員は「議員」である。「そんなに借金を減らしたいならあなたの歳費を返却して下さい」とまでは言わないが,議員にふさわしい,歳費にふさわしい知識を身につけるべく勉強していただきたい。人格や才覚は一朝一夕に身に付くものではないが,知識はひとつ覚えればひとつ身に付く。議員なのだから,指導者も資料も周囲にふんだんに存在するはずである。若いのだからアタマは柔らかいはずである。
その柔らかいアタマで十分に勉強されているようには感じられないのだが,どうだろうか。

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小泉首相は壊れてしまったのか?

これまでも,小泉首相の言動はワケのわからないものが多かった。
有名なもののひとつとして,「大きな目的のためには小さな公約を破っても問題ない」といった発言があった。ムチャクチャである。しかし,理屈として一理あると言えなくもない。だから,こういった台詞を開き直って堂々と言われてしまったら,論理的に反論するのが難しくなって野党なども困ってしまうのである。
このように,これまではムチャクチャとはいえ「屁理屈」発言が多かったように思う。

しかし,最近の発言,特に以下の3つ,
(牛肉問題)「想定外の事態には輸入を停止するという安全委員会の報告のとおりにやっている。責められるべきはアメリカで日本ではない」
(ライブドア問題)「これまで持ち上げて,掌を返したように批判するのはどうか」
(皇室典範問題)「男系維持派は,女系維持だと愛子様が天皇になって男の子が生まれても天皇になれないことをわかっているのか」
これらは,「屁理屈」にすらなっていないのではないか。

牛肉問題では,安全委員会は諮問に答えることが役割であって,決定責任は政府にある。首相の言い方は委員会の方が政府より権限があって,その指示に従っているのだから問題ないという言い方である。また,たとえ責任の第一は米国にあるとしても,それは国際的な責任問題の話であって,国内的には,政府の決定の延長で問題が生じた以上,国民に対する責任は政府にある。しかも,アメリカの検査態勢を疑問視する声が極めて多いのを押し切って再開したのに,「想定外」とは言えるはずがない。どう考えても「想定内」である。

ライブドア問題では,マスコミのそのような姿勢を批判するのであれば,自民党としては堀江氏の考え方の支持を貫くべきである。「遵法の一線を越えたのは良くないが,超えない限りは堀江氏と同様の考え方,手法を自民党は支持する」と言わなければおかしい。つまり,選挙段階で支持していた部分に関しては現在も支持すると言わなければ,マスコミを批判するのは矛盾する。

皇室典範問題に関しては,もう,我が耳を疑う。女性・女系容認であれば,愛子様のお子様が男の子かどうかは全く関係ないはずである。首相の言葉は,「とりあえず愛子様に天皇に即位して貰って,男の子が生まれればまた男性天皇に戻せるのに,その可能性を消していいのか」という意味である。これは,「男系維持」の考え方を全く理解しておらず,皇位継承を一般人の「家督相続」と全く同列視した上で,「本当は男性が良いけれど仕方ないからとりあえずピンチヒッターを愛子様に務めてもらおう」という単純な女性蔑視の考え方である。「男系維持」は男性であることに意味はなく「これまで男系だったから男系」というだけで決して女性蔑視ではないのに対し,単に「家督相続は男子優先」の考え方は女性蔑視である。「男系維持は現実的に無理である」というならまだ分かるが,首相のような意見を持つ人は,日本中の女系容認論者の中にも皆無ではないだろうか。また,男系維持論者を見下した言い方であるが,現皇族や元皇族の方に男系維持支持を表明しておられる方がいるのに,たかが一時の首相である小泉さんが皇室問題に関してこれらの方々を見下せる資格があるというのだろうか。

このように,何万歩譲っても屁理屈とも言えない暴論を口にするのは,小泉首相が何かに追い込まれて焦っているのか,それとも,全く思考力を失ってしまっているのかくらいの理由しか考えられないと思うのだが,どうだろうか。

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2006年1月23日 (月)

堀江氏逮捕がそれほど大きな問題か?

ホリエモンこと堀江社長が逮捕とのことでマスコミが騒いでいるが,それほど大きな問題なのだろうか。
少なくとも自分はあまり興味がない。
自分の生活の中で,ライブドアとの関わりはほとんどない。
デイトレーディングと称して,カネを右から左,左から右へと動かして儲けようとするような人たちが損をしようと,同情の念は浮かばない。
経済に悪影響があるようだが,それもマスコミが騒ぎ立てる影響が大きいのではと思う。
マスコミも,持ち上げたり踏みつけたり,勝手なものだと思う。

この件で,強いて気になることを挙げれば,ルールを破らなければ,また,破っても見つからなければよいから要領よく立ち回る方が有能とされる風潮が気になる。(ただし,堀江氏が違法行為をしたかどうかは,当然ながら自分は知らない。)
このブログでも書いたが,サッカーで「マリーシア」なるものが賛美されるように,「タテマエ」が軽視される風潮が強いと感じている。

これを機に,国民がもっと地に足のついた行動を取るようになれば喜ばしいことではと思うが,どうだろうか。

追加:わずか10分ほど前に上の記事を書いたところだが,「きっこのブログ」のこの記事を読んで少し興味が湧いたので,成り行きを見ていようと思う。

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2006年1月22日 (日)

[番外]政党・政治家への意見提出先リスト

国会での皇室典範改正論議に関して,少しでも声が届けばと思い,いろいろな政党や政治家へメールで意見を送りました。

みなさんの参考に,これらの送信先のリストをお示ししたいと思います。

自民党:http://meyasu.jimin.or.jp/cgi-bin/jimin/meyasu-entry.cgi
公明党:http://www.komei.or.jp/announcement.html
民主党:http://www.dpj.or.jp/mail/0310.html
社民党:http://www5.sdp.or.jp/central/12mail.html
共産党:http://www.jcp.or.jp/service/mail.html
新党日本:http://www.love-nippon.com/goiken.htm

安倍晋三:http://newleader.s-abe.or.jp/modules/contact/
前原誠司:http://www.maehara21.com/

たとえ届く可能性が極めて低くとも,声を上げることは大事だと思います。

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「ホネ付き肉」が来たのは輸出側だけの責任か?

米国から脊柱の混じった牛肉が輸入された件について,政府は一貫して「輸出側の責任」,「輸入再開の判断は正しかった」としているが,下に書くようにパブリックコメントを無視した結果であるのに,果たしてそうだろうか。

luxemburg さんmiyau さんレッツら さんmewrun7 さんみやっち さんなど,多くの人がブログで書かれているように,いくらなんでもひどすぎる事態に唖然とするとともに,拙速に輸入再開を決めた政府にも責任があると考える。

政府の責任をさらに重くする事として,パブリックコメントの件について触れたい。

政府は,昨年11月に内閣府食品安全委員会の審議結果についてパブリックコメント募集を行った。
その結果が,第123回食品安全委員会の議事に上げられている。議事録によれば,8846の意見があり,4割強が賛成,5割強が反対であったとのことである。
議事録を見る限り,審議結果がわかりにくかったことの反省や,米国の輸出体制に頼る事を問題視する意見については「別組織の管轄でありそちらに伝える」というようなことで済ませる議論を行い,反対意見が多いことを特に取り上げず,当初の審議結果を変更する必要はないと結論づけている。
これでは,なんのためのパブリックコメント募集なのか。9000近い意見が来て,反対が多数であるのに特に考慮しない,これでは単なる通過儀礼である。

特に,米国の輸出体制を疑問視する多くの声を無視して輸入再開したのに,政府に責任がないなどとどうして言えるのか。

米国の日本を馬鹿にした姿勢にも呆れるものがあるが,日本政府が国民を馬鹿にする姿勢も同様である。
パブリックコメント募集という制度を作りながら,また,その結果としての多くの反対意見を無視して輸入再開した政府の責任は重いのではないかと思うが,どうだろうか。

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2006年1月21日 (土)

女系天皇論議は,そもそも議論すべき問題なのか?

通常国会も始まり,いよいよ待ったなしという局面に来て,皇室典範改正問題について,あちらこちらの政党などの意見募集窓口へ意見を出そうと思い,そのための頭の整理のためにも再度この問題について書いてみたい。

まず,自分が現在の状態になぜ違和感を感じるかを考えてみると,それは,この問題が「心の問題」だからだと思う。
「民主主義」というが,自分は普段の生活の中で自分の仕事や子供の教育など,社会的に重い責任を負わされていること以外はあまり責任を持ちたくない,というより,責任は持つが,安心して任せられる人たちに任せたい。「餅は餅屋」,立法や行政も,素人があれこれ口出しするよりは専門家に任せた方が基本的にはうまくいくと思っている。しかしそれは,「何をどうするか」,つまり方法の問題に関してである。
目指すものが同じなら,方法は専門家に任せた方がいいと思う。

しかし,皇室典範問題は「どう思うか」,つまり「心の問題」である。
男系維持か女系容認か,これは理屈ではない。皇室を精神的にどう捉えるかの問題である。
全国民の「心の問題」に触れるのに,一部の政治家,ましてや「有識者会議」などというわけのわからない集団の議論で結論をだすべきではない。国民全員に意見を聞いても足りないくらいのことである。
人の心の問題を議論する,これは基本的にナンセンスではないだろうか。

それでも問題は存在する。それは確かであり,誰も何もしないというわけにはいかない。しかし,そんなに結論を急ぐ必要は見当たらない。かけられるだけの時間をかけて国民みんなで考えなければならないと思う。

別の見方をすれば,もし,議論するならば,皇族をきちっと人として捉えなければならないだろう。自分はこの考え方には賛同できないが,このような見方をしても現在の議論の状態は矛盾している。
議論して結論を出そうとするからには,皇族を理屈抜きに特別な存在としてはおかしい。それならば,皇室の問題を決めるにあたり,当事者の意見を全く聞かないのはおかしいだろう。しかし,社会の仕組みはそれを許すものではない。つまり,この問題を論理的に議論することはそもそも不可能である。

論理を超えた心の問題である。もっともっともっと,時間をかけて考えていくべき問題だと思うのだが,どうだろうか。

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2006年1月20日 (金)

「有識者」は首相よりも偉いのか?

しばらく設計強度偽装問題ばかりを書いてきたが,もうひとつの極めて重要な問題,皇室典範改正問題について少し書きたい。
ちなみに,このブログでは過去にも,女性天皇論議をなぜそんなに急ぐのか?や,「皇室典範に関する有識者会議」のメンバーは本当に「有識者」なのか?などの記事を書いてきた。

小泉首相が,次の通常国会で女系天皇容認への皇室典範改正法案を成立させたいと言っている。

また,三笠宮寛仁親王殿下が勇気あるご発言をされている。

小泉首相は,「有識者会議の結論に沿って」と言っているが,有識者会議に盲目的に従うのであれば,一体政治家は,政府は何のために存在しているというのか。
有識者会議では,単に,現行制度での男系維持可能性を議論しただけで,哲学的な議論はしていないと明言している。男系維持が「可能か?」の前に「必要か?」を議論しなければならないはずである。

我々の遠い先祖たちから,千年以上,もしかしたら二千年以上の永きにわたって日本を日本たらしめてきた国の形に関わる議論を,なぜこんなに拙速に結論付けなければならないのか。

ご自分の立場をきちんとわきまえておられる皇族の方がここまで発言しなければいけない事態になっていることを,政府は,国民はきちんと受け止めているのか。皇族の方々の本心は,女系容認などであるはずもない。一般人の「某家の血統」などとは問題が全く違う。それでも,国民が考え抜いた末の結論であれば異論は唱えないとおっしゃっている。これを聞いて胸が痛まない人がいるのだろうか。

「有識者」に託けて,小泉首相の「やると決めたらやる」という,個人的な信念だけで事が運ばれているようにしか見えないのだが,どうだろうか?

女系賛成論者の人たちも,ただ自分の思い通りになればいいという利己的な考え方ではなく,何が国のためになるかという考え方をするならば,このような結論の出し方には反対するべきであろう。

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2006年1月19日 (木)

野党は手を緩めず設計偽装事件を追及しきれるか?(その4)

このブログで,マンション耐震強度偽装問題については,以下のような記事を書いてきた。

野党は手を緩めず設計偽装事件を追及しきれるか?
マンション設計偽装問題の責任は一般国民が取らされるのか?
野党は手を緩めず設計偽装事件を追及しきれるか?(その2)
野党は手を緩めず設計偽装事件を追及しきれるか?(その3)

この問題について,できるだけ多くの人が注目し続けることに少しでも助けになればと思い,この問題に関連して拝見したブログの記事のいくつかを紹介させて頂く。それとともに,これらのブログの中でトラックバックを受け付けている場合は送らせて頂いた。
ブログにこの問題に関する記事を書いた方々は,これからもこの問題に注目し続けて頂きたいと思う。

耐震強度偽装問題徹底究明サイト(民主党)
きっこのブログ
Lawとバット
日本を変えよう ~絶対に負けられない戦いが、そこにはある~
みやっちBlog
zaraの当方見聞録
公務員のためいき
七五白書 (しらけないために)
ジュンの我流日記
D.D.のたわごと
kakokakokakokakokakoのつぶやきどすえ~♪
taki-log@たきもと事務所

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2006年1月18日 (水)

野党は手を緩めず設計偽装事件を追及しきれるか?(その3)

今日の読売新聞の記事に,「ヒューザー社長喚問 伊藤氏へ同情論薄れる 自民 安部氏波及には懸念」という見出しがあった。これ以上伊藤氏を庇うのは得策ではないという空気が自民党内に広がっているといった内容である。
その記事の中に,森派の若手議員が,「首相を狙う安部氏は何としても守る。だが,今後の野党側の追及によっては,伊藤氏の処遇が取引材料になっても仕方ない。伊藤氏が衆院政治倫理審査会に出席し,弁明する手もある。」と語ったという記述があった。
全く国民不在の世界の考え方である。

今のところ,野党は徹底追及の構えのようにも見えるが,あのような,ふざけたとしか言いようのない証人喚問が行われても,いまひとつ野党の怒り方が穏やかな印象を受けるので,裏で手打ちする準備が進められているように思えてしまうのだが,どうだろうか。

いずれにせよ,国民はこの問題に注目し続けるべきだと考える。マスコミでは大きく取り上げられているが,ライブドアが捜索を受けようと,普通の生活を送る人たちには大して関係のない話である。そんなことより,我々の未来に大きく関わるマンション問題からは目を離すべきではないと思う。

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2006年1月15日 (日)

野党は手を緩めず設計偽装事件を追及しきれるか?(その2)

このブログで,野党は手を緩めず設計偽装事件を追及しきれるか?,それに関連して,マンション設計偽装問題の責任は一般国民が取らされるのか?という記事を書いた。

最近,民主党が,「耐震強度偽装問題徹底究明サイト」なるものを開設した。
冒頭で,「一層の真相解明に、なぜか消極的なこうした与党の姿勢を、民主党は許すわけにはいきません。」と書いてある。

民主党が本気であることを期待したい。

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2006年1月14日 (土)

靖国神社は戦争を賛美しているのか?

正月に靖国神社に参拝してきた。
靖国参拝は初めてである。一命を賭して今の平和な日本の礎を築いた方々の英霊に感謝するとともに,今後のご加護をお願いした。

全体を十分に見る時間はなかったが遊就館も見学してきた。
遊就館の展示が戦争を賛美しているとよく言われる。
確かに,戦闘機,大砲や回天などを展示し,明治以降の日本軍の活躍を賛美し,さらに遠い過去に至るまで,一貫して「戦争」をテーマにしている。

これは果たして,「戦争」そのものを賛美しているのだろうか。

最近自分が見聞きしたことの中で,「戦争」のキーワードを持つものとして記憶に残るものには,大河ドラマの「義経」,正月にNHKで放映された,大河ドラマ「新撰組」の番外編のような「土方歳三 最期の一日」,書籍ではこのブログでも取り上げたが年末に読んだ「日本のいちばん長い日」などである。
これらの登場人物中で,記憶に残っている戦争の指導的立場にあった人たちは,「義経」では義経,頼朝,清盛,「土方...」では土方歳三,榎本武揚,「日本の...」では徹底抗戦派だった陸相阿南惟幾,反乱活動を起こした青年将校達,さらには最高責任者としての昭和天皇などである。

自分は知識が浅いので,これらの人々に関して,これらのテレビ番組や書籍で描かれていること以外はあまり知らない。したがって,これらの中での描かれ方が,どれほど真実を忠実に再現しているのかは分からない。
しかし,少なくとも,これらの中で描かれたこれらの人々は,私利私欲のためや,単なる覇権主義のために,兵卒や庶民の生命を軽んじてはいるわけではない。
皆,平和で豊かで誇り高い国を目指して,戦争はそのための避け得ない通過点として捉えていると,自分は読み取った。

現代の日本人の感覚では矛盾しているように見えると思うが,「平和のための戦争」を避けることが難しい時代だったのだろうと思う。現在でも,地球上全体を見渡せば,まだそういう状態の所は多い。
現在の日本,さらにはアメリカでさえも国民に理解されにくいようだが,石原知事が「アメリカと中国が戦争をしたら,一兵士の命を大事にするアメリカが負ける」と言ったように,戦争では前線の一人一人の兵士の命に配慮するのは不可能であろう。将棋ですべての駒を失わずに勝てというようなものである。

そのような時代の中で,多くの人たちが戦争で命を落としてきた。遊就館は,そのような人たちが,どのような状況で,どのような信念で,どのような覚悟で,どのような気持ちで戦ったか,それを知ることで,今の人たちが英霊に畏敬の念を持ち,感謝し,彼らの築いてくれた現在を平和で豊かに保ち,さらに良いものにするべく努力することを期待していると感じた。

戦争を否定することは過去に戦争で戦った人たちを否定するものではなく,彼らを讃えることは戦争そのものを讃えるものではないと思うのだが,どうだろうか。

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2006年1月 8日 (日)

自民党の新憲法草案は障害者差別を助長するものではないか?

自民党の新憲法草案第二次案については,九条が議論の中心になっているが,他にも気になるところがある。
そのひとつが,第二十五条である。

(障害者及び犯罪被害者の権利)
第二十五条の二 心身の障害がある者は、差別されることな
 く、その尊厳にふさわしい処遇を受ける権利を有する。

「心身に障害がある」かどうかは医学が決めることである。心身の障害とは,広い意味で,単なる病気,怪我と何ら変わらないものである。そして,医学的に異常かどうかは,相対的に決まるものであって,絶対的に決まるものではない。つまり,極めて曖昧なものである。
そのように,画一的な定義ができず,単なる病気,怪我と本質的に差のない概念である「心身の障害がある者」という文句を憲法に謳う,つまり,通常の国民と区別することは,不用意なレッテル張りを助長することになるのではないだろうか。
わざわざこのような条文を新設することは,深い配慮に基づいているとは到底思えない。単なる世論迎合,人気取りとしか思えない。

同じ草案の第十四条に,
(法の下の平等)
第十四条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信
 条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又
 は社会的関係において、差別されない。

とある。
「すべての国民は平等」,これだけで十分であるのに,これに加えて,ことさらに心身障害者の差別禁止を謳うのは,人種や性別と並ぶほど他の国民と区別するべき存在だと認めることであり,また,これを作った人たちが「自分とは違う存在」と考えていることを示すものであり,これこそが現在の社会制度の中で「障害者」と位置付けられている人たちの尊厳を損なうことだと思うのであるが,どうだろうか。

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2006年1月 7日 (土)

自衛隊の海外派遣は憲法を変えても不可能ではないか?

前々回の記事および前回の記事に続いて,憲法九条絡みでもうひとつ書いてみる。

憲法には,
「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
とある。

また,広辞苑には,「武力」とは,
「武勇の力。また,軍隊の力。兵力。」
とある。

自衛隊が平和維持活動で海外に派遣される場合,武器を帯びて派遣された隊員は,実際の活動内容が給水やインフラ整備などであっても,これは「兵力」であり,すなわち「武力」である。
そして,相手国政府から国内治安維持を目的とした要請がなければ,目的が平和維持であっても,これは「国際紛争」であろう。さらに,現在日本で国内の治安維持にあたっているのは警察を始めとする公安組織であり,治安維持のための派遣であれば,公安組織が対応するべきであろう。
「強い武力を持った相手への対応は,自衛隊の方が慣れている」というのであれば,必要な法律を整備して,形式的にでも自衛隊の人員と装備を一時的に警察などに編入した上で派遣すればよい。そうすれば,派遣されるのは「警察官」である。
平成16年の小泉首相の年頭の記者会見でも,小泉首相は,
アメリカ、イギリス始め国際社会も国連も、早くイラク人のイラク政府をつくろうと努力している。そういうことで、国連も国連の加盟国に対して、できるだけの支援をイラクにしてほしいと要請をしております。日本はその要請に応えて、自衛隊を派遣する場合にも武力行使はしないと、戦闘行為には参加しないという法律にのっとって、イラクの復興支援活動にどう当たるかということを検討した結果派遣を決めて、今、先遣隊が準備を進めております。
と述べており,イラク政府の要請でないことを認めている。つまりイラクの治安が不安定な状態は,自然災害でもなくアメリカが攻撃したためであり,国際紛争状態である。

こういった形での自衛隊の派遣は,明らかに違憲であろう。

自民党の新憲法草案でも,
「国際紛争を解決する手段としては、戦争その他の武力の行使又は武力による威嚇を永久に行わないこととする。」
と記されている。
すなわち,現在のイラクへの自衛隊派遣は,自民党の新憲法草案に照らしても違憲であろう。

自衛隊であろうと自衛軍であろうと,「武力」である限り,「平和憲法」を掲げる日本では,国際紛争に起因する平和維持活動への参加のための海外派遣は不可能であると考えるのだが,どうだろうか。

また,この意味でも,自衛隊は前回の記事に書いたように「公安組織」として位置付けるべきだと考える。
「公安組織」であって,正式に相手国政府の要請による派遣であれば,国家間の戦闘には手出しできないが,個人に対する暴力行為に対し,個人を守る活動は可能となる。被害者が軍人であっても,加害者が国家でなければ,それは背景に国際紛争があったとしても,現場においては単なる犯罪行為である。
そうすれば,「目の前でアメリカ兵が殺されるのを黙ってみているわけにはいかない。」,だから「集団的自衛権」が必要であるという考え方に対しても,「集団的自衛権」を認めなくても「公安活動」の一環として最小限の活動は可能であるといえるのではないだろうか。

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自衛隊は公安組織と位置付けられないのか?

前記事に引き続き,憲法九条絡みで常々考えていることを書いてみる。

それは,「自衛隊を公安組織として位置付ければ良いのではないか」ということである。

憲法九条は,
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を
 解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
 国の交戦権は、これを認めない。

となっている。
この中の,
「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」
「国の交戦権は、これを認めない。」
これらはつまり,
「国と国との争いには武力を使わない」
「軍隊は持たない」
「国として他国と交戦はしない」(基本的に1つめと同じ)
ということであろう。

それでは,
「軍隊は持たず,国内の治安を暴力で脅かす者に対して武力を行使する」
ということは可能であろう。領土内の治安維持のためであれば,「国際紛争」ではないといえる。
相手が外国人であろうが,犯罪者に警察官が武力を行使するのが許されるのと同じことである。(警察官の武力行使は,日本では制約が強いので,自衛隊に関しては現在の警察よりも少し制約を緩和する必要はあるだろうが。)

それならば,自衛隊を限りなく軍隊に近い存在のままにするのではなく,まして「自衛軍」などにするのではなく,「公安組織」として位置付ければ,現行憲法と整合性がとれると考えるのだが,どうだろうか。

(2006/01/17 10:00 加筆)

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自民党は新憲法草案で「戦争放棄」の放棄を謳うのか?

自民党は新憲法草案第二次案で,第九条を現行の140文字程度から620文字程度に増やす案を提示している。

現行は極めてシンプルである。

第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は 武力の行使は、国際紛争を
 解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
 国の交戦権は、これを認めない。

明快である。「戦争を放棄する」,「軍隊を持たない」,「交戦はしない」。

それに対し,自民党案から抜粋すると,

第二章 安全保障
(安全保障と平和主義)
第九条 日本国民は、(101文字省略)この理念を将来にわたり堅持する。
2 前項の理念を踏まえ、国際紛争を解決する手段としては、戦争その他の
 武力の行使又は武力による威嚇を永久に行わないこととする。
3 (74文字省略)
(自衛軍)
第九条の二 侵略から我が国を防衛し、(25文字省略)自衛軍を保持する。
2 自衛軍は、自衛のために必要な限度での活動のほか、法律の定めるところにより、
 国際社会の平和及び安全の確保のために国際的に協調して行われる活動並びに
 我が国の基本的な公共の秩序の維持のための活動を行うことができる。
3 自衛軍による活動は、我が国の法令並びに国際法規及び国際慣例を遵守して
 行わなければならない。
4 自衛軍の組織及び運営に関する事項は、法律で定める。
(自衛軍の統制)
第九条の三 自衛軍は、内閣総理大臣の指揮監督に服する。
2 前条第二項に定める自衛軍の活動については、事前に、時宜によっては事後に、
 法律の定めるところにより、国会の承認を受けなければならない。
3 前二項に定めるもののほか、自衛軍の統制に関し必要な事項は、法律で定める。

衣の下の鎧が丸見えではないか。

まず,条文ではないが章題が「戦争の放棄」から「安全保障」へと変わっている。
条文の中で「戦争を行わない」と書いてはいるものの,「安全保障」のためには限りなく戦争に近い行為,いや戦争と呼ぶ方がふさわしい行為を許容しようとしているとしか思えない。
広辞苑によれば,「武力」とは,「武勇の力。また,軍隊の力。兵力。」とある。
「武力の行使又は武力による威嚇を永久に行わない」と言いながら,「軍」を持つというのは明らかに矛盾である。

また,「国際社会の平和及び安全の確保のために国際的に協調して行われる活動」を「法律の定めるところにより」行うとしている。自民党案では,この「法律の定めるところにより」という文句が多用されている。これは別途に法律で定めれば,多様な事項に関し「憲法違反」とされずに定めることができることを意味している。
第九条の二の3項と4項,第九条の三の2項と3項においても,法令や法律に基づき軍の活動や運営を定めるとしており,これはすなわち,法令を作ってしまえば,「合憲」のもとに軍のかなり広範囲な活動が許容されてしまうということである。

しかも,軍の活動について,「事後」に国会承認することさえ許容している。これは完全になし崩しである。「事後」に国会が承認しないということは,余程のことが無い限りあり得ないであろうし,相手のあることなので,国会で承認しようがしまいが,やってしまったことは国際的には事実として残ってしまう。
これは,実質的に軍に対する憲法の規制を事実上「有名無実」化するものである。

要するに,「武力行使は行わない」と言った後に,素知らぬ顔をして矛盾する「軍の保持」を謳い,軍の有り様は法律で如何様にも決められるとしている。

武力行使に縛りをかける文言は,唯一「国際紛争を解決する手段としては」だけである。
つまり,アメリカが「国と国の戦争ではなくテロリストから人民を守る治安維持の活動である」と言いながら,実質的に戦争を続けていても,これに協力することを憲法では規制できなくなってしまう。

「軍」である以上,治安維持が目的であっても,武器を使用すれば「交戦」である。だから「交戦権」に関する記述を削除した上で,「戦争」ではなく「治安維持」だと言ってしまえば,法律さえ作ってしまえば外国においてでも何をやっても良い状態にしようとするものである。

日本海新聞の特集で石破茂議員を含む鳥取県選出の国会議員が行った憲法改正談義に関する記事がある。
その中で,石破議員が,「九条に関しては現行憲法の解釈で対応可能ではないか」との問いに,「解釈によってどうにでも変わる方がよほど危険。読んでも分からないようではいけない。『国権の発動たる戦争』とは何かわからない。解釈は変えられる。」などと答えているが,では,草案の「戦争」とは何か,誰でも明快に理解できるのだろうか。「国権の発動たる」を取ったことで,「これは戦争ではなく平和維持活動だ」と言ってしまえば何でもできることになってしまう。「国権の発動たる」を付けることで,例え他国の侵略行為に対して限定的な戦闘状態が発生しても,それが該当部隊の正当防衛のための戦闘行為であれば,例えそれを「戦争」と解釈しても「国権の発動」ではないので合憲とできるのに対し,草案では「国権の発動たる」を削除して定義があいまいな「戦争」だけを行わないとすることで,国の正式決定に基づいた戦闘行為でも,「これは戦争でない」と言ってしまえば合憲とできてしまう。

石破議員の言う,「難解なものは平易に」という考えは,厳密な記述を曖昧にすることになってしまう。
厳密に記述をすれば,一見難解になるのは当然で,平易な表現にすることは「解釈で変えられないようにする」こととは反対のことである。
石破議員の発言は,一見もっともらしいが,解釈や法律で様々なことを合憲とするための詭弁としか思えない。

以上,レッツら さんの記事と基本的には同じ事を言っているだけのようになってしまったが,ともかくも,上で書いた,「章題が『戦争の放棄』から『安全保障』へと変わっている」ことがすべてを物語っているように思うのだが,どうだろうか。

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2006年1月 4日 (水)

マンション設計偽装問題の責任は一般国民が取らされるのか?

自分は週刊ポストという雑誌が気に入っており時々買っているが,買っていないバックナンバーを外出先で見て,気になる記事があったので感じたことを少し書いてみる。
同誌昨年12/23号の「公的資金投入は政治家・官僚たちのマンション業界への”口止め料”か!」という記事である。
「公共工事が減って建設業界は景気が悪いが,政府の住宅取得促進政策でマンション業界が景気が良く,政治家の資金源になっている。また,ヒューザーなどから森派へ多くの献金がされている。政府が早々と公金による援助を決めたのは,資金源の業界を守り,政治との癒着を暴かれないよう,早く幕引きしたいからではないか。」といった主旨であった。
このブログで,野党は手を緩めず設計偽装事件を追及しきれるか?という記事を書いた。最近,マスコミもあまり取り上げず徹底追及の姿勢は見られず,ヒューザー社長の証人喚問も,詳細な時系列は不明だが,産経新聞のマンション問題のニュース幼女連続誘拐殺人事件の最高裁判決のニュースの時刻を見る限り,「これ幸い」とばかりに陰に隠れるよう日程を決めた可能性が非常に高い。中国の領事館職員自殺問題や,西村議員の逮捕も,こういうときのための持ち駒だったような感もある。

当事者達の責任の所在は今のところ哀れな「元」建築士にできるだけ被せる他は曖昧なままである。
通常の設計のマンションと同等の価格で販売して何者かが差益を取っていたわけではなく,モノに見合った価格で販売された物件の質が悪いからと公金で援助することにも疑問がある。
献金も返却されたそうだが,その財源は本来別の目的に使われるべきものだったはずであろう。

結局,「元」建築士と,自殺した設計事務所代表の他は,当事者はさしたる責任を今のところ取っていない。
このまま,責任の所在が曖昧なまま公金が投入されれば,責任を取らされるのは一般国民ということになると思うのだが,どうだろうか。

マスコミにはあまり期待できないが,みやっち さんの記事にもあるように野党がどこまで頑張れるか,また世論も是非17日の証人喚問に注目するよう期待したい。

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2006年1月 3日 (火)

[番外]あけましておめでとうございます。

遅くなりましたが,皆様,あけましておめでとうございます。
本年が皆様にとって良い年となりますよう,お祈り申し上げます。

さっそく,書きたいことはいくつかあるのですが,ちょっと今は時間がありません。
ひとまず,この年末年始の自分の行動の中で,このブログに関係あることを挙げます。
靖国神社に参りました。年末に行ったら遊就館が休館だったので,急遽予定を変更して初詣にお参りして遊就館にも行きました。
・「1リットルの涙」の原作を読みました。文庫本の方です。
・見出しに釣られて雑誌「WEDGE」を買いました。興味ある見出しの記事をまだ全部は読んでませんが,とりあえずいくつか面白い記事がありました。

そのうち新しい記事を書きますので,ご意見,ご指導をお願いいたします。

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