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2006年2月27日 (月)

荒川静香選手の金メダルを日本の誇りと思えるか?

テレビのニュース番組で,外国(おそらくアメリカだったと思う)において,トリノオリンピック女子フィギュアスケートでの荒川静香選手金メダル獲得に関する街頭インタビューを行っているのを見た。
結果を知らなかった初老の女性は,日本選手が金メダルを獲ったと聞いた瞬間に日本人インタビュアーに”おめでとう”と言った。自分が表情から読み取る限りは,社交辞令的に発したのではなく,自然な感情から反射的に出たように思えた。これがとても印象に残った。

日本人に,街頭でアメリカ人ジャーナリストにアメリカ人が金メダルを獲ったと聞かされて,反射的に「おめでとう」と言う人がどれほどいるだろうか。しばし何を答えるか思いを巡らした後に思いつく人は多いだろうが,自然な感情の流れで瞬時に口から出る人は少ないのではないだろうか。
会話の相手の母国の朗報を祝う感情が自然とあふれ出るかどうかは,自身の母国に対する愛着心のようなもの(これを「愛国心」と単純に呼んでよいかどうかはよくわからないが)がきちんとあるかにかかっているように思える。

違った場面でも,多くの外国人と日本人との違いを感じる。外国人は自分の国のことを良く言われると素直に喜ぶのに対し,日本人は否定的な反応をすることが多いように思われる。
これは,日本人らしい謙遜もあるかも知れないが,やはり,母国に対する愛着や誇りを持つ度合いの違いではないだろうか。さらに日本人の多くには,愛着のなさを通り越して母国を卑下するような感情もあるように思われる。このことは,自分自身が若いころに自分と外国人を対照して気づいたことである。それ以来,自分は外国人から日本を褒められるたときには,素直に喜ぶか,ポジティブにその背景を解説したりするようにしている。完全に誤解だと思える場合は別であるが。

教育基本法改正における「愛国心」の扱いが問題になっている。
今の日本の教育に,「愛国心」を養うことがどの程度,またどのような形で必要なのかはわからないが,少なくとも,母国を卑下する気持ちを持たせるような教育はするべきではないと思うのだが,どうだろうか。

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2006年2月26日 (日)

納税者は公務員の「お客様」か?(その2)

木村剛氏はどうしても公務員に感謝してほしいようである。

> 民間企業であれば、お金をいただいているお客さまに感謝するのは当たり前です。

> だって、給料の原資は、お客さまからの収入なのですから。

> そうであれば、タックスイーターである限り、タックスペイヤーである納税者に対して、常に感謝すべきです。

民間企業の論理を単純に当てはめるのはどうだろうか。前にも書いたが,税金を納めるのは社会システムにおける「手続き」である。
また,これも前に書いたが,モノやサービスの提供と対価の支払いも,本来は対等の行為である。「お客様に感謝する」のは,企業がそういう姿勢を示すことで他社との競争に勝つためである。企業の従業員は利益を最大にすることが役目であるから,そのために「お客様に感謝する」必要があろう。公務員は与えられた役目を過不足なく果たすことが役目であるから,「納税者に感謝する」必要はないと自分は考える。

> まかり間違っても、「俺たちが面倒見てやっているんだから、お前らが税金を払うのは当たり前だ」という考え方をすべきではないと思います。

「公務員が納税者に感謝する必要はない」という論理は上のような考え方とはまったく異なる。自らの役目を果たそうとする公務員が,「俺たちが面倒見てやっている」,「お前ら」などという考えを持っていると見るのは,まったく歪んだ見方だと考える。

企業にとって,自社に興味を示した者が客であり,その客に感謝することはたやすい。しかし,公務員にとって,納税者は全国民である。全国民に感謝する,そのような卑屈ともいえる姿勢をなぜ全公務員に求めるのか。公務員を単なる不満のはけ口にしようとしているとしか思えない。
課税のシステムについて,不満をぶつけるべき相手は政治である。そして政治家を選ぶのは選挙民,つまり自分自身である。
「タックスイーター」と呼ばれるべきは政治家や一部の上級公務員など,意思決定を行う者たちであり,末端公務員は単なる労働者で,「税を食っている」わけではなく,「労働の対価を受け取っている」のである。

> ご理解いただけない方は、是非、一度起業していただきたい。そうすれば、嫌でも分かりますから。

「起業」する人は一部の才能ある人たちである。そういう才能を持つ人は,その才能に誇りを持って頂きたい。間違っても,一般労働者に対して,「この苦労を理解しろ」などという野卑な台詞は発して頂きたくない。

「お客様に感謝する」という民間企業における思想が,「自分は客だから感謝されるべき」という傲慢な論理になり,さらに「税金を納めているのだから公務員から感謝されるべき」という社会全体の論理にすり替わっているのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年2月25日 (土)

徹底ジェンダーフリー論者は荒川静香選手の金メダルをどう見たか?

トリノオリンピック女子フィギュアスケートでの荒川静香選手の金メダル獲得,とても喜ばしいことである。

昨今,何から何まで男女同じでなければならず「男らしさ」や「女らしさ」という概念を否定するような,行き過ぎたジェンダーフリー論を聞くことがあり,子供の教育システムに実際に取り入れられることもあるようである。
そのような論者の目には,荒川静香選手の金メダルはどう映ったのであろうか。

フィギュアスケートの得点要素には,「演技力」「振り付け」「音楽の表現」という芸術的な面を評価する要素があるそうである。これらの評価をするにあたり,男女の区別がなされていないとは思えない。つまり,「男らしさ」,「女らしさ」という観点が含まれていると思われる。
荒川静香選手に送られたスタンディングオベイションは,女性としての美しさ,華やかさがあってこそのものではないだろうか。

男性と女性,それぞれに役割を分担するべき場面が,社会においては多数存在し,子供の教育においてもそのことを適切に学ばせる必要があると思うのだが,どうだろうか。

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2006年2月23日 (木)

堀江氏送金メール問題,国民が知るべきことは何か?

昨日の記事と同じ話題であるが,ライブドア堀江氏の武部氏次男への送金指示メール騒動,マスコミが「自民対民主」の構図であれこれ論評している。

国民に知らされるべきは,送金があったかどうかである。

他人事のように政争を眺めていても,国民は損をするばかりである。
永田氏,武部氏,前原氏,小泉首相,世が世なら切腹をかけた攻防である。なぜ多くの国民は,安い給料の公務員には文句をいいながら,莫大な税金を費やして活動している政治家の行動を他人事のように見るのか。
民主党の攻め方は,素人が傍目に見る限りはかなり稚拙に感じられる部分はある。しかし,政治はスポーツではない。国民にとって,攻め方,守り方や,見かけの勝ち負けはどうでもよく,問題なのはその向こうにある真実である。

マスコミは,曖昧な根拠で国政調査権のような国家権力が個人の情報に手を突っ込むことにアレルギーがあるのかも知れない。

やはり,国民が真実を求める姿勢を持ち続けることが必要ではないかと思うのだが,どうだろうか。

1月22日の記事で政党や政治家への意見提出先リストを示しているので参考にされたい。

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2006年2月22日 (水)

党首討論で前原氏は負けたのか?

今日の前原氏と小泉首相の党首討論でのライブドア堀江氏の武部氏次男への送金指示メールに関するやり取りで,「前原氏の負け」とする論調が多いが,果たしてそうだろうか。

(本記事の内容にレッツらさんのブログにコメントした内容とダブる部分があるが容赦されたい。)

とりあえず,自分自身は,メールの信憑性は高いと思っている。
堀江氏がクルマの中にいてVTRが回っていないほんのわずかの時間とメール送信時刻が一致しているのは,その時刻まで把握した上での捏造でなければ,偶然にしては可能性が低すぎる。
堀江氏が普段使っている,ライブドアのサイトのURLなどの多くの情報を含めたシグネチャがついていないことを偽物の理由にする説もあるが,選挙カーの中に持ち込んで緊急避難的に使っていたマシンから送信したのであれば,普段使っているシグネチャがついていない方が自然である。
From 欄まで塗りつぶしてあるということは,他人のマシンを使ったからその持ち主のアドレスになっているのであろう。捏造なら,From 欄に堀江氏のアドレスを入れるはずで,それならば塗りつぶす必要はない。
From 欄,To 欄のアドレスの持ち主は中間に介在する者で,情報漏洩者につながる者でもあり,本人達は滅多なことでは公表に応じないだろう。

捏造するなら,普段使われているシグネチャを付けて,夜中にでも送信した形にするのが普通の思考回路ではないだろうか。

党首討論で,前原氏は,国政調査権発動を約束するなら出すが,約束無しで出して調査されなければ民主党の「カード」がなくなるので出せないと言った。
これはその通りだと思う。
口座番号を出したところで,名義人が否定して,民主党が新たな決定的な証拠を出せなければ政府は調査を拒むだろう。

小泉首相は,メールが本物であることを示せば良い,そうすれば調査の必要もない,と言ったが,これは詭弁である。証明されない自信があるはずだし,万が一,メールが本物であることが示されても,今度は入金の事実はないと言い出すはずである。メールが本物であることを証明することは,送信者本人が認めない限りほぼ不可能である。メールサーバやプロバイダのサーバや通信記録のデータを入手して,送信に用いた電話や送信時刻を特定して,その電話を使用できる者が他にいなかったことでも証明しない限り不可能である。

メールの真偽は問題ではない。金の授受が証明されなければ意味は無い。それを証明するのは送金事実の調査である。

「口座番号まで握っている」,これだけで十分だろう。
これで国政調査権による調査が行われて「シロ」だった場合,民主党のダメージは甚大である。もし政府側に「シロ」の自信があるなら,武部氏の次男の了解を取っておいて,「待ってました」とばかりに調査すればよいはずである。そうすれば徹底的に叩ける。
前原氏が,「自分のクビを賭ける」とでも言えば少しは空気も変わるかも知れないが,それで政府が徹底的に情報操作すれば民主党は致命的なので,その可能性が少しでもある限り前原氏はそうは言えないだろう。

民主党にできることはこの辺りが限界だろう。政府を動かすには,民主党独力では無理で,世論が後押しするしか手はないと思うのだが,どうだろうか。

ちなみに,全く第三者の首相が「ガセ」と断言しているのに,平松社長は「メールも見ていないので確かなことは言えない」と,本物である可能性を100%否定はしていない。これは,本物であることを知っているか,本物である可能性があると考えていて,それが明らかになっても最終的に会社は守ろうとしているとも見える。

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2006年2月21日 (火)

「士農工商」は前近代的な概念か?

「士農工商」という概念,儒学の考え方のようだが,具体的に江戸時代の社会制度にどのように反映されていたか自分は浅学で知らない。
漠然と,支配階級で人の範となる武士,生産の基本である農業を担う者,形ある製品を作り出す者,そして,モノやサービスを右から左へ動かして利益を得る賤しい者,のように理解している。
単純に言って,「士農工商」,左から順に名誉が高く,右から順に収入が高いというものだと思っている。
自分はこの考え方は安定した社会をつくる上でとても有用だと思っている。

完全に自由競争社会であれば格差が広がり荒廃する(レッツらさんのブログでも懸念されているような格差社会),完全平等社会であれば活力がなくなりやはり荒廃する,そのバランスをとるために,名誉をモチベーションとして生きる人と,収入をモチベーションとして生きる人がバランスよく存在すれば社会は安定するのではないだろうか。

現在の日本では,「商」がもてはやされ一部は莫大な富を得て,「士」は尊敬の対象にならず一部は不当に儲け,工業生産や農業生産は多くを海外に頼るようになっている。人生のモチベーションがどんどん収入に偏って行っている。

「商士工農」といったところだろうか。

職業に貴賎はない」というのが現代の教育であろうが,貴賤がないなら序列は収入でしか付けられない。儲かる職業が人気が出て,儲ける努力が報われるように市民は要求するようになり,つまり格差を是認,助長する風潮になるのは自然の成り行きと思われる。

ついでに言えば,皇族でさえも「職業の一種」と捉え,さらに「貴賤はない」と捉えてしまうと「タダの人」になってしまう。

教育の場で「商売人は賤しい」と教えることは難しいであろう。しかし,何らかの形で「士農工商」の考え方を教育するとともに,社会システムに取り入れることが必要ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年2月19日 (日)

「公務員批判」に対する批判は「公務員擁護」か?

前回の記事に まるる さんからいただいたコメントをきっかけに,「公務員批判」に関して少し書いてみたい。
前回の他にもこのブログにおいて,以下のような世間の公務員批判に対して批判の意を表するような記事を書いた。
公務員制度は改善されているのか?
日田市民は怒るべきではないか?

また,他の方が運営するいくつかのブログでも,そのようなコメントを書かせて頂いた。例えば, 公務員のためいきお金持ちになりたいひとへPSB public servant blogなどである。

自分の意見に対し何度か反論を頂いたが,自分が公務員を擁護しているかのように捉えた反論も多かった。公務員批判を批判するからといって,現在の公務員を全面的に擁護しているわけではない。批判の内容を批判しているのである。

公務員批判の多くは概ね以下のようなものである。
1.給料が高すぎる。
2.税金で雇われているのだから市民にもっと献身的に奉仕するべき。
3.数が多すぎるので人件費削減のためにも減らすべき。
4.税金を大量にムダ遣いしており,そのために国の借金が膨らんでいる。
5.公務員は甘えがあり熱心に働いていない。

1に関して。
民間会社の給料が平均的に大都市は高くて地方は低いことに合わせて,国家公務員の給料も大都市と地方でこれまで以上に差をつけられようとしている。霞ヶ関勤務者は地方勤務者より2割ほど高い給料をもらえるような仕組みである。
これを地方の国民が歓迎するということは,自分たちの給料に大都市と格差があることを是認するということである。また,中央官僚に何ら痛みを強いるものではない。
民間の人間は,公務員の給料を下げることを要求するよりも,自分の給料を上げる要求をした方が得策であろう。「不景気だから」,「世の中厳しいから」などとあきらめてしまっているのではないか。これは「正しい現状認識に基づく適切な対応」のように見えるが,「厳しい厳しいというばかりで現状打破の努力をしない甘えまたは逃げ」ともいえるのではないだろうか。

2に関して。
末端公務員は単なる労働者である。民間勤務者と異なるのは「全体の奉仕者」であることである。「全体の奉仕者」とは,「市民のいいなりになる下僕」という意味ではない。「相手によって分け隔て無くサービスをする者」という意味である。民間であれば,自社の利益を最大にするために客を選ぶ必要や権利がある。例えば,客になりそうな人にDMを送ったりする。頑固なソバ屋のオヤジが「お代はいらねぇから帰れ,二度とくるんじゃねぇ。」ということもできる。公務員はそのようなことはできない。
ただし,どんなわがままも聞かなくてはいけないかというとそうではない。ひとりのわがままの相手をすることにより,他の市民に迷惑が掛かる場合は毅然と拒否しなければならない。わがままをいう人を優遇することになるので,「分け隔て」していることになるからである。したがって,公務員はルールに厳格であって然るべきである。よく,「ちょっと受付時間を過ぎたからといって対応しないのはおかしい」という類の意見を聞くが,急いでいてもルールを守って時間を過ぎたら役所にいかない真面目な人が損をすることになるので,「全体の奉仕者」としては正しい対応である。民間であれば,目の前のひとりの客を逃すのはもったいないと対応するのは勝手である。

3に関して。
人員削減は末端公務員を中心に行われる。しかし,一般市民に直接対応したり,業務の最前線で実務をこなしているのは末端公務員である。その数を減らすとサービスの低下や末端公務員の激務化が懸念される。末端公務員を減らすより,給料は高いがめくら判を押すだけのような管理職などの給料を減らしたりポストを減らす方が必要ではないか。

4に関して。
「ムダ遣い」というが,私的に着服したりドブに捨てているわけではない。あくまで所得の再分配を行っているのである。その方法を適切にする必要はあるが,単に再分配量を減らしてしまうと中低所得者層にまわるカネが減ってしまうことがわかっているのだろうか。以前,テレビコマーシャルで,ある男性が自分が依頼した電気製品か何かの修理が遅いとメーカーにクレームを付けていると,その男性の携帯へ取引先から納品の催促の電話があり,結局その男性の会社の納品の遅れが修理の遅れの原因であったというようなものがあった。このように,カネの流れはつながっているのである。
公共事業に過度に依存する構造は改善する必要はあろう。しかし,拙速に公共事業を減らすのではなく,景気に過度に悪影響が出ないように慎重に行う必要があると考える。
また,基本的に公務員は政策を実行に移すのが仕事である。そして,政策を決めているのは一般市民が選挙で選んだ政治家である。選挙で一票を投じるときに,自分自身の目先の利益や単なる付き合いなどではなく,その一票が政策決定につながることをしっかり認識して投票し,選ばれた政治家の決定した政策に対して,自分自身にも責任があることを自覚する必要があろう。

5に関して。
これは自分自身も感じることは多く,批判的な意識は持っており,擁護する気はない。しかし,行き過ぎない範囲の労働組合活動や,認められた休暇を取ることや,サービス残業をしないことなどは,当然認めるべき権利であり,勤務時間中の勤務態度とは別問題である。

自分も公務員に対する批判意識は持っている。その最大のものは縦割り行政である。そのような大きな運営方針を決定しているのは高級官僚であり,彼らが省益最優先の考え方より国益優先の考え方を取ることが必要であろう。末端公務員に,縦割りの壁を破る権限はないはずである。
ただ,高級官僚が考え方を変えるといっても,ある程度はシステムの枠があるので限界があろう。
そして,システムを決定するのは政治である。政治家が,国会答弁まで官僚任せにするようなことなく,自身の責任で適切なシステムを作る必要がある。

自分は,公務員に対し不満を持つことがおかしいと言っているわけではない。末端公務員ばかりを批判し,自分たちを引き上げるのではなく公務員を引き下げるような要求をするのはおかしいと思っているのである。
一般市民が,末端公務員のバッシングをして,それに呼応した政策を歓迎していると,真に責任ある者達を利することになり,一般市民にも害が及ぶのではないだろうか。

つまり,末端公務員にも批判されるべき点はあるが,一般市民がそればかりに目を取られることなく最も厳しく批判するべき者は,適切なシステムを作ることのできない政治家であり,それをいいことに保身に走る一部の高級官僚や社会を食い物にする一部の有力者であり,政治家を選ぶ選挙民であると思うのだが,どうだろうか。

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2006年2月18日 (土)

納税者は公務員の「お客様」か?

木村剛氏のブログに以下の内容を含む記事があった。

> 税務当局にとって納税者は、本来「お客さま」であって、納税義務の履行を検分して断罪する被疑者として扱うべき対象ではない。「お前はなぜ税金を払わないんだ」と叱責する前に、「毎回払ってくれて、本当にありがとう」という素直な感謝の気持ちを示すことがベースとなるべきだ。
> 一度、起業してみたら、その想いは痛切に分かるはず。倒産のリスクと戦いながら、ようやく黒字を達成する。そしたら、自動的に半分が税金として取られていく。そのときの経営者の気持ちに思いを馳せてみてほしい。人生を失うリスクを背負いながら、決死の思いで利益を出したら、何のリスクも背負っていない人たちがその半分をかっさらっていくのだ。

これに対し,seironken さんが賛同を表明されており,

> 税務課が「いらっしゃいませ」と言ってくれたら画期的なことかもしれない。それにしても、公務員が国民に感謝を促されるとは、情けない!?

と述べられており,さらにそれに対してtownsakae2005 さんが賛同を表明されている。

木村剛氏の記事は,全体を見ると政府の政策に対する批判であるので,「税務当局」が何を指すのか判然としない。後の内容からは「公務員」を指しているようであるが,全体の流れとしてはそうではない方が自然だと思われる。

しかし,seironken さんはこの「税務当局」の一言を捉え,公務員に対する批判と取り,賛同されているように読み取れる。おそらく,「公務員バッシング志向」がそのような見方へ導いたのではないだろうか。

政府に対してではなく,公務員に対してこのような考え方をするのは問題があろう。
納税は「手続き」であって,公務員の公務員自身の発意によるサービスの提供への対価の支払いではない。一般市民が選挙によって選んだ政治家が定めた社会システムにおける手続きの一部である。
行政システムを企業経営になぞらえるのは,効率的な運営を検討する上で有用だからであろう。そのために参考にするべきことはあると思うが,本質的には違うものである。
「ものの例え」として「例えば納税者を客と考えれば,効率向上につながることもあろう」というような話ならともかく,本心から感謝するべきというような,行政を完全に企業経営と同種のものとする考え方は行き過ぎではないか。
企業経営と同じであれば,効率の良い「客」だけを相手にした方が良いし,警察官が犯罪人に,また,消防士が火元の人に「ありがとうございました」と言うようなことになる。

今の社会に意見したい人たちや,自分より立場の弱い者を探したい人たちは,このような考え方に乗せられて公務員バッシングをしていても,世の中は良くならないと気づくべきだと思うのだが,どうだろうか。

また,完全弱肉強食になっても本当に生き残れるごく一部の人たちではなく,そのような社会になっても「生き残れる」と錯覚している一部の人たちも,弱肉強食化が進んでいくといずれ自分も淘汰あるいは支配されることに気づくべきだと思うのだが,これもどうだろうか。

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2006年2月15日 (水)

[番外]がんばれニッポン,メダルは取れなくとも。

トリノオリンピックで,「想定外」のメダルゼロで,マスコミ等があれこれ言っています。
陳腐な意見ではありますが,そんなに「メダル,メダル」と騒がなくてもいいじゃないですか。
3位以内に入ればメダル,というだけです。選手達のメダルにかける意気込みを否定するわけではまったくありません。メダルに期待もしています。取ってくれればもちろんとても嬉しいです。でも,メダルには,それは素晴らしい価値がありますが,何よりも類い希な才能と努力と運とが結晶した宝石のような選手達を見ているだけで,感動し,元気づけられるではないですか。

私もそんなに多くの競技を見たわけではありませんが,上村愛子選手のコークスクリューなんて鳥肌ものでした。まさに,「キターーーー!!」という感じです。(笑

厳しいトレーニングに耐えて,晴れの舞台で会心のパフォーマンスができた,またはいろいろな要因で力が発揮できなかった,その結果,いろいろな順位がつく,これらのことに関して,私たちの見えるところで様々なドラマがあり,また,見えないところではもっと多くのドラマがあるはずだということも,レベルは全然違いますが私もスポーツをやっていましたので,ある程度想像がつきます。

第三者である私は,彼らに声援を送りつつ,楽しませてもらおうとおもいます。

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2006年2月11日 (土)

日田市民は怒るべきではないか?

ゆうき さんレッツら さんが取り上げられている大分県日田市が共働き職員の給料を2年間それぞれ2割削減する条例を提案するというニュースについて書きたい。

市長がこのような案を考えるからには,それなりに市民の賛同が得られると考えているのだろう。しかし,いくら世論に公務員イジメの風潮が強いからと言って,ここまで極端な考え方が通るものなのだろうか。

この考え方の非合理性については誰が見ても明らかであろう。市民が判断するべき問題は,このような非合理なことを市職員に押しつけることを適切と考えるかどうかである。

こんな,「気にくわないヤツにみんなで石を投げつけてスカッとする」ような考え方の条例案で人気が取れると考えた市長に,無見識だとバカにされたと市民は怒るべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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なぜ日本人は自らこの良い国を変えようとするのか?

BBCによる33カ国4万人を対象にした世論調査で,「日本が世界に良い影響を主に与えている」とした人が「悪い影響を主に与えている」,「どちらともいえない」などの選択肢を選んだ人に比べ最も多かった国は31カ国であり,評価対象国(ヨーロッパ全体,日本,フランス,イギリス,インド,中国,ロシア,アメリカ,イラン)のうち,ヨーロッパを除くと最も評価が良かったそうである。
調査対象国は,カナダ,アメリカ,メキシコ,ブラジル,アルゼンチン,ロシア,トルコ,中国,韓国,フィリピン,インドネシア,オーストラリア,スリランカ,インド,アフガニスタン,イギリス,フランス,ドイツ,スペイン,イタリア,ポーランド,フィンランド,イラン,イラク,サウジアラビア,セネガル,ガーナ,ナイジェリア,コンゴ,ケニア,タンザニア,ジンバブエ,南アフリカである。
産経新聞の記事
調査を委託された会社による詳細データ

なお,残り2カ国は中国と韓国であり,「悪影響」が最も多かった。

上のリンク先の調査会社のページに調査結果の要約が示されているが,日本の評価結果に関する24行の記述のうち,4行ものスペースを使って,「インドネシア,フィリピンという,かつて日本に支配されたアジアの国で評価が極めて高いことが興味深い」という内容を記している。この4行以外のほとんどは単に結果の数字を並べただけであり,調査会社がもっとも興味を惹かれたのがこの点だということがわかる。ちなみに,インドネシアで85%,フィリピンで79%の人が「好影響」と答えている。

日本という国は,こんなにも世界の人々に評価されているのである。

かつて占領したインドネシア,フィリピンから非常に高い評価を受け,ロシア,イラク,ヨーロッパ諸国やアフリカ諸国まで高く評価してくれるこの国を,「改革,改革!」と叫び,憲法や皇室典範まで変えて,「国の形」を変えていこうとする人たちは,この調査でイランに次いで2番目に評価が悪かったのがアメリカであるということを十分に考慮するべきだと思うのだが,どうだろうか。

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2006年2月 9日 (木)

紀子さまご懐妊は男系維持派にとって安心材料か?

紀子さまのご懐妊,これはとてもおめでたいことである。
ただ,男系皇統維持派は,このご慶事を安心材料としていいのだろうか。
有識者会議の結論は,近々に男系男子が産まれなければという前提を含むものではない。
紀子さまのご懐妊は,皇族の方々の,社会の動きに対する精一杯の抗いのようにも見える。
歌会始に秋篠宮ご夫妻がそろってコウノトリを詠まれたのは,見ようによっては悲壮な願いの顕れとも思える。

敢えて「アジ」っぽい言い方をすれば,男系維持派はこの秋篠宮ご夫妻の悲壮な想いと行動を無にすることのないよう,ここで気を緩めて油断の隙を突かれていつの間にか法案が通っていたなどということのないよう注意する必要があるのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年2月 5日 (日)

政府はミャンマーとの真の共栄を目指しているのか?

ブッシュ大統領が一般教書演説で「非民主国家」のひとつとしてミャンマーを挙げた。
ミャンマーでは,軍が力で実権を握り,1990年の総選挙で民主組織が圧勝したにも関わらず,政権委譲が行われないまま現在に至っている。確かに「非民主国家」である。
このミャンマーに対して,外務省によると2003年度で約10億円の資金援助,17億円の技術援助を行っている。ただし,2003年にアウン・サン・スーチーさんが拘束されたことに鑑み,新規経済援助はストップし,人道的な援助などのみに限って援助を行っている。
最近は,旅行業界もミャンマーへの旅行客増加に力を入れているようである。

軍が非民主的に力ずくで実権を握り続けるミャンマーに対し,日本のこのような対応は適切なのだろうか。

自分は,ミャンマーに対し援助を全面ストップするなどの強硬手段を取ることは良いとは思わない。ミャンマーは日本とは関わりの深い国であり,アジアの友人であり,積極的に協力し合うべき国であると思う。

しかし,だからこそ,日本はミャンマーの民主化に積極的に尽力するべきではないだろうか。多額のODAを行う日本は,軍事政権に対して極めて強い立場にあるはずである。推測ではあるが,中国や北朝鮮などと違って,弱みを握られているようなこともないだろうと思う。
そのような強い立場を利用してミャンマーの軍事政権に対して民主化を進めるように強く圧力をかけることは可能であろうと考える。また,ミャンマーは非常に親日的であるので誠意を持って接すれば感情的な反発を受けることもないだろう。

関係省庁の予算取りや仕事の確保などの身勝手な動機ではなく,アジアの共栄のためにアジアのリーダー的役割を誇りを持って果たそうとするならば,日本はミャンマーに対して,その異常な状態を見て見ぬふりをするのではなく,民主化を進めさせる働きかけをもっと積極的に行うべきではないだろうか。
深く友好的な関わりを持ち,多額のODAを行っている日本であるからこそ,アメリカなぞが首を突っ込んでくる前にアジアの仲間で問題を解決するために,果たすことができる,また果たすべき役割があるのではと思うのだが,どうだろうか。

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「皇室典範に関する有識者会議」のメンバーはやはり「有識者」だったのか?

女系天皇問題についてあれこれ書いてきたのに恥ずかしながら川村けんと さんのブログの記事で初めて知ったのだが,「皇室典範に関する有識者会議」の座長である吉川弘之氏は,このような著作(「学術会議叢書3・男女共同参画社会-キーワードはジェンダー」の「はじめに」を執筆)を行っていた。ロボット工学が専門の産業技術総合研究所理事長ということで,全くの門外漢だと思っていたのだが,どうやらジェンダーフリー論者のようである。
「女性を差別してはいけない」という考えに関する「有識者」だったようだ。

これでは,男系維持か女系容認かを検討する会議の座長として公平に議論できる立場ではないのではと思うのだが,どうだろうか。

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「学者」竹中氏の政策は「机上の空論」か?

自分は,政治家としての竹中平蔵氏には胡散臭さを感じている。氏が「学者」だからである

経済学や政治学は,社会の発展にどれほど寄与してきたのだろうか。

自然科学の研究成果による科学の進歩はめざましい。例えば,ライト兄弟が初めて飛行機を飛ばしてから100年余りの現在,毎日無数の人たちが迷うことなく飛行機に身を委ねるばかりか,スペースシャトルが宇宙とも行き来するようになった。また,パソコンを日常的に使う今の若い人たちは,20年ほど前はハードディスク内蔵のパソコンは珍しく,外付けの10MB(GBではない)のものが10万円以上したことなど信じられるだろうか。

それに引き替え経済は,バブルに沸いたかと思えば十数年後には不景気だ,デフレスパイラルだなどと人々が嘆く状態になる。人が経済をコントロールする技術は大して進歩しているとは思えない。政治も然りで,IT技術並みに政治の技術が進歩していれば,今はもう地球上はパラダイスなのではないか。

だから経済学者や政治学者が怠けていたとか無能であるとは言わない。自分は理系人間であるので,そちらは知らない世界であるし,人間の行動を対象にするのは自然科学に比べれば大変な困難を伴うことは想像できる。しかし,経済学や政治学の学術的な成果を実社会に活用することは困難であることは上に述べたようなことから明らかであろう。

報道によると,郵政民営化法が成立し,竹中大臣が民間物流業者が郵便事業へ参入しやすくする規制緩和のための研究会を設置しても,当の民間物流業者は意欲を示さないそうである。
郵政を民営化しても一社独占なら民営化の意味はない。あれだけ擦った揉んだして,そのために極めて多くの議員や公務員の人件費を費やして,それで民営化の効果がなければ納税者は多大な損害を被ったことになる。竹中氏の「理論」のとおりには事が運ばなかったことになる。

「学者」である竹中氏に政治判断を任せるのは危険が大きいように思うのだが,どうだろうか。

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2006年2月 1日 (水)

杉村太蔵議員は議員たるべく勉強をしているのか?(その2)

杉村太蔵議員のこの記事の中の,

> 医者でもないのにドクター課程を卒業されて、

という部分は「ネタ」なのだろうか。
そうだとしたらあまり面白くないと思うのだが,どうだろうか。

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