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2006年4月29日 (土)

格差社会批判は負け組の言い訳か?

格差社会を批判する意見に対し,努力を怠った者,甘えた者の言い訳や負け惜しみと捉える論調がある。
果たしてそうだろうか?

確かに,一部にはそれに該当する意見もあるかも知れない。

しかし,多くの意見は,私利のためではなく公の利益のために,社会のあるべき姿に照らして表明されているのではないだろうか。

自分も格差社会には批判的である。自分の生活は,中流かもう少し上くらいだろうと思う。そして,労働時間は比較的長い方だろう。
自分は負け組(この言葉は嫌いだが)だとは思っていないし,また,仕事に対して, 労働時間は長くなっても努力は怠らないようにしようと思っている。つまり,平均的な人よりは多く働いて,それにより平均より多めの収入をキープしているということになろう。

しかし,平均的な労働者は,8時間労働でプライベートな時間も十分に確保した上で,それなりにゆとりの持てる収入を得られる社会であるべきだと思っている。

自分の収入を増やしたいというのが動機ではない。自分の労働時間を減らしたいというのも動機ではない。
ただ,社会全体として,庶民がゆとりを持てるべきだと思っている。

つまり,直接的な自分の利益のためではなく,国民すべてが住みよい社会であるために,格差社会は好ましくないと考えている。

格差社会批判を,言い訳,甘えと批判する人たちは,すべての人が我が利益を第一に考えて行動するとしか思っておらず,社会の利益を考えて行動するということが理解できないのではないだろうか。

自分が社会の利益を考えて行動するのは,自分の親族,子孫,友人などのすべてに幸福を感じてもらいたいということと,低所得者層や失業者が増えるのは,労働力を社会に有効に役立てるという観点から非効率的であり,さらに治安も悪くなり,暮らしにくい社会になるのは好ましくないと思うためであり,社会の利益のためだと思っているが,広い意味では我が利益のためと言われても否定はできない。
しかし,直接的な利益,すなわち,自分の収入を増やしたい,もっと楽な生活をしたいといったことが動機ではない。

このような考え方は,人はすべて我が利益のために行動すると考えている人たちには,どうしても理解が難しく,自身の甘えや努力不足を他人のせいにしていると捉えられ,話がかみ合わないことが多くなるのではないかと思うのだが,どうだろうか。

格差社会批判を批判する人たちには,そのあたりのことをよく考えてみて頂きたいと思う。

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2006年4月18日 (火)

耐震強度偽装問題,巨悪は暴かれずに終わるのか?

ヒューザー社の小嶋進社長が捜査本部から事情聴取を受けている。

小嶋社長は自らの行為をすべて適法だとしているようである。当然であろう。
裁判が視野に入ってくれば,違法性の認識が焦点になるので,あくまで適法との認識の姿勢を崩すわけにはいかないだろう。そして適法だと言うならば,政治家等を道連れにすることはできない。誰かに口添えを頼んだことを認めることは,自らの行為の違法性の認識につなげられてしまう。

政界に関する世間の目は,ホリエモンメール問題から民主党新代表問題,そして千葉7区選挙問題などへ向けられており,その間に小嶋社長の詐欺罪立証の目処が立ってしまったようである。
民主党の「耐震強度偽装問題徹底究明サイト」のブログも3月28日で更新が止まってしまっている。何が「徹底究明」か。

世論や野党が,この問題で与党を追及できるのは小嶋社長が逮捕されるまでの間である。
このまま,詐欺罪で検挙となり,政界とのつながりは永遠に闇へ葬られてしまう可能性が大きいのではないかと思うのだが,どうだろうか。

[このブログでの過去の関連記事]
野党は手を緩めず設計偽装事件を追及しきれるか?
マンション設計偽装問題の責任は一般国民が取らされるのか?
野党は手を緩めず設計偽装事件を追及しきれるか?(その2)
野党は手を緩めず設計偽装事件を追及しきれるか?(その3)
野党は手を緩めず設計偽装事件を追及しきれるか?(その4)

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2006年4月17日 (月)

法人税を上げると企業は海外へ逃げるか?

法人税を上げるなどして企業から取る税を多くすると,海外へ逃げる企業が増えて増税の意味がなくなるとよく言われる。
果たして本当だろうか。

自分は経済に関して「ド素人」である。このようなことを判断する専門知識はまったくない。

しかし素人なりに考えるに,まず,きちんと国のことを考える経営者の企業は心配ないだろう。また,海外へ拠点を移すには,それなりにコストがかかるのではないか。当然,日本で経営するのとは異なるノウハウも必要になるだろう。
そのようなことを実行できる企業は,数が限られるのではないだろうか。

「企業に課す税を増やすと海外へ出る企業が増える」というのは,政財界がグルになっての詭弁か,財界の政界に対する脅し文句ではないかと思うのだが,どうだろうか。

過去の実例など何か根拠があるのなら,どなたか示して頂けないだろうか。

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2006年4月12日 (水)

日本人は,もっと「数の力」を信じるべきではないか?

OTSUさんのブログ「公務員のためいき」の「フランス政府が若者雇用策撤回」の中に,「怒るべき時に怒らない、もしくは怒ることができない国民にならないよう心がける必要性を感じています」とあった。

まったくその通りだと思う。

フランス政府が労働組合や学生団体の徹底的な反対を受けて初期雇用契約(CPE,企業は2年間の試用期間中に26歳未満の従業員を理由を説明せずに解雇できる)の導入を撤回した。

やはり,近代社会においては「数の力」は強力である。

日本人は,つい自身の意見を抑えて周りに合わせてしまいがちな人が多い。それならば簡単に多数が団結しそうなものだが,声の大きい者に合わせてしまいがちであるから,そうはならない。声が大きい者は,権力を持ちたがる者である場合が多い。

自分が『「国家の品格」は「負け組」への鎮魂歌か?』でも触れた藤原正彦氏の,「国民は永遠に成熟しない」という言葉が正しければ,国民すべてが自身の意見を強く持つことは望めないのかも知れない。
しかし,一部の人たちは,「どうせ無駄だろう」という諦めの気持ちを捨てて少し勇気を持ちさえすれば,「権力を持ちたがる者」に対抗できる大きな声を出せるのではないだろうか。
このブログに興味を持って下さる方たちにも,そのような人たちが多いのではないだろうか。

日本は,アメリカに歩調を合わせ,大きく進路変更しようとしている。
フランスの例を見て,声を出すべきときには諦めずに声を出せば,まだ今なら一部の強者に抗うことができるのだと希望を持つべきだと思うのだが,どうだろうか。

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2006年4月 9日 (日)

小沢一郎氏が民主党代表となった狙いは何か?

小沢一郎氏が民主党党首となった。

自分は小沢氏は嫌いではない。しかし,小沢氏は表に出るべき人ではないし,本人もそのつもりだと思っていた。ところが,今回党首となった。これは何を意味するのか。
自分は,菅直人氏は好きではない。しかし,民主党が政権を取る日が近々来るとすれば,首相となるのは菅氏なのだろうと思っている。

2大政党制待望論が高まり,賛同者も多いが批判する人も多い小泉首相の任期が切れた後が政権交代の大きなチャンスではないかと思う。小沢氏は,バラバラ,ガタガタの現在の民主党を一気に立て直し,その後に菅氏に党首を譲って政権を取るという勝負に出たのではないかと感じるのだが,どうだろうか。

なお,これは自分の単なる推測であって,これを望むと言うわけではない。

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2006年4月 8日 (土)

政府の諮問機関はどれも政府の言いなりなのか?

BSE問題に関する内閣府の諮問機関である食品安全委員会プリオン専門調査会のメンバーの半数6人が辞任したとの報道があった。

「安全対策の管理側(厚生労働省、農林水産省)は、彼らが求める答えを引き出す諮問しかせず、あり方自体がおかしい」

「我々はあり得ない条件で机上の空論を重ね、政府は私たちの答えの一部を示し『科学的根拠』を発表したのです」

「政府は輸入にストップがかかると『先生方が安全と言った』と責任をなすりつけた」

などの声が辞任した元メンバーから出たそうである。

ちゃんと言うことを聞いてくれるメンバーを選ぶことに失敗したということだろうか。
それでも,背骨がついた肉が輸入されるというような,あまりにもお粗末な問題が起きなければ,このような大量辞任の事態にも至らなかったかも知れない。

都合の良いメンバーを集め,都合の良い前提条件で議論させ,都合の良い結論の部分だけを利用し,「専門家の客観的な結論」であり従うべきものとして,実は既定路線の政策を推し進め,後で問題が起きても「専門家が言ったから」と責任逃れまでしようとする政府のやり口が,「アメリカがきちんとルールを守れば」という前提条件が崩れる事態の発生で委員の責任がかなり薄くなって,委員が問題を表立って言いやすくなり,やっと露呈した形である。

皇室典範問題や公務員制度などに関していろいろな諮問機関があるが,どれも同じようなものと見るのが普通の考え方ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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「愛国心教育」か「忠国心教育」か?

近所の小学校で入学式があった。
配られた教科書が入れられていた紙袋に、以下のような文章が印刷されていた。

保護者の皆様へ
お子様の御入学おめでとうございます。
この教科書は、義務教育の児童・生徒に対し、、国が無償で配布しているものです。
この教科書の無償供与制度は、憲法に掲げる義務教育無償の精神をより広く実現するものとして次代をになう子供たちに対し、我が国の繁栄と福祉に貢献してほしいという国民全体の願いをこめて、その負担によって実施されております。
一年生として初めて教科書を手にする機会に、この制度にこめられた意義と願いをお子さまにお伝えになり、教科書を大切に使うようご指導いただければ幸いです。
文部科学省

書いてある内容そのものについては、自分は大いに賛同できる。
しかし、文章全体が醸し出す印象が、「愛国」というよりも「忠国」に近いようにも思える。
では、例えば自分でこの文章を書き直すとして、どのように書けばよいかわからない。しかし、「何となく」としか言いようのない理由で、上のような印象を受ける。
「愛国心教育」に警戒感を持つ人たちは、このような「印象」に警戒感を持つのかも知れないと感じた。

自分は愛国心教育は必要だと思う。しかし、このような文章を読むと、政府が現在取り入れようとしている愛国心教育がどのようなものなのか、やや疑問を感じてしまう。

国民がもっと真面目で優しくなるために、愛国心は必要だと考えるが、全体主義的な方向へ向かうのは極めて危険だと考える。

政府は、また国民はどの方向へ向かおうとしているのだろうか。

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2006年4月 2日 (日)

民主党執行部総退陣,その裏で一体何があったのか?

ホリエモンメール問題で,民主党執行部が総退陣,永田議員も辞職,メール提供者の証人喚問も中止とのことである。

自分は証人喚問を楽しみにしていた。何らかの新事実が出るのではと期待していた。証人喚問は自民党にとって不利に働くと思っていたので,自民がこれに反対する方向で動かないのを不思議に思っていた。
しかし結局,民主総崩れ,証人喚問も取りやめと,自民完勝で決着しそうである。

これは一体どういうことだろうか。
証人喚問直前での,突然の前原氏と永田氏の敗北宣言は,非常に不可解である。

見えないところで何らかのせめぎ合いがあり,証人喚問が民主に有利に働く望みがなくなったか,民主側が何かしらの交換条件を呑むなどして,前原氏側が身を引くことにし,永田氏が説き伏せられたのではと感じるのだが,どうだろうか。

いずれにしても,姉歯氏の夫人の自殺によって耐震強度偽装問題に再び世間の視線が向けられるかも知れなかったのに,民主党新党首問題などに向いてしまいそうなのが非常に残念である。

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2006年4月 1日 (土)

「国家の品格」は「負け組」への鎮魂歌か?(その2)

前回の記事は,いつにも増して急いで書いたせいか,言葉がまったく足りず自分で読んでも話の流れがわからないので補足したい。

テレビで聞いた「自由競争を否定するような内容が,『負け組』に受けているのではないか」というような論調は,あるコメンテーターのコメントであるが,その後に「しかし,現実には益々競争社会になって行くので,それに対応しなければならない」といった内容の言葉が続く。

藤原氏は,競争そのものを否定しているのではなく,「品格ある」競争をするべきだと主張していると考える。

コメンテーターの言葉は,「品格のない」競争を肯定しているように聞こえた。自分は,それは藤原氏が「国家の品格」で主張していることと真っ向から相反することであると思った。
現在の社会に「勝ち組」と「負け組」がいるとして(自分はこの考え方は嫌いだが),「勝ち組」が品格のない卑怯な勝ち方をしているというのもこの本の主張のひとつであり,確かに,「負け組」が「品格ある競争をすれば負けはしない」と考える根拠となると言え,その意味では「負け組」が自身を慰める言い訳にできるといえる。

しかし,藤原氏は国民を「真のエリート」と「未成熟な国民」に分けており,この考え方を受け入れることは「負け組」にとっては屈辱的なことではないだろうか。
そのため,「負け組」がこの本を単に自身への慰めとすることはないと考える。

「勝ち組と負け組」という考え方や,件のコメンテーターのコメントは,品格のない弱肉強食化した現在の社会の枠組みを前提としたものであり,藤原氏はこの枠組みを否定しており,それが日本人に染み付いた「品格」をくすぐってこの本が売れているのではと考え,前回の記事を書いたところである。

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