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2006年4月 1日 (土)

「国家の品格」は「負け組」への鎮魂歌か?(その2)

前回の記事は,いつにも増して急いで書いたせいか,言葉がまったく足りず自分で読んでも話の流れがわからないので補足したい。

テレビで聞いた「自由競争を否定するような内容が,『負け組』に受けているのではないか」というような論調は,あるコメンテーターのコメントであるが,その後に「しかし,現実には益々競争社会になって行くので,それに対応しなければならない」といった内容の言葉が続く。

藤原氏は,競争そのものを否定しているのではなく,「品格ある」競争をするべきだと主張していると考える。

コメンテーターの言葉は,「品格のない」競争を肯定しているように聞こえた。自分は,それは藤原氏が「国家の品格」で主張していることと真っ向から相反することであると思った。
現在の社会に「勝ち組」と「負け組」がいるとして(自分はこの考え方は嫌いだが),「勝ち組」が品格のない卑怯な勝ち方をしているというのもこの本の主張のひとつであり,確かに,「負け組」が「品格ある競争をすれば負けはしない」と考える根拠となると言え,その意味では「負け組」が自身を慰める言い訳にできるといえる。

しかし,藤原氏は国民を「真のエリート」と「未成熟な国民」に分けており,この考え方を受け入れることは「負け組」にとっては屈辱的なことではないだろうか。
そのため,「負け組」がこの本を単に自身への慰めとすることはないと考える。

「勝ち組と負け組」という考え方や,件のコメンテーターのコメントは,品格のない弱肉強食化した現在の社会の枠組みを前提としたものであり,藤原氏はこの枠組みを否定しており,それが日本人に染み付いた「品格」をくすぐってこの本が売れているのではと考え,前回の記事を書いたところである。

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