格差社会批判は負け組の言い訳か?
格差社会を批判する意見に対し,努力を怠った者,甘えた者の言い訳や負け惜しみと捉える論調がある。
果たしてそうだろうか?
確かに,一部にはそれに該当する意見もあるかも知れない。
しかし,多くの意見は,私利のためではなく公の利益のために,社会のあるべき姿に照らして表明されているのではないだろうか。
自分も格差社会には批判的である。自分の生活は,中流かもう少し上くらいだろうと思う。そして,労働時間は比較的長い方だろう。
自分は負け組(この言葉は嫌いだが)だとは思っていないし,また,仕事に対して, 労働時間は長くなっても努力は怠らないようにしようと思っている。つまり,平均的な人よりは多く働いて,それにより平均より多めの収入をキープしているということになろう。
しかし,平均的な労働者は,8時間労働でプライベートな時間も十分に確保した上で,それなりにゆとりの持てる収入を得られる社会であるべきだと思っている。
自分の収入を増やしたいというのが動機ではない。自分の労働時間を減らしたいというのも動機ではない。
ただ,社会全体として,庶民がゆとりを持てるべきだと思っている。
つまり,直接的な自分の利益のためではなく,国民すべてが住みよい社会であるために,格差社会は好ましくないと考えている。
格差社会批判を,言い訳,甘えと批判する人たちは,すべての人が我が利益を第一に考えて行動するとしか思っておらず,社会の利益を考えて行動するということが理解できないのではないだろうか。
自分が社会の利益を考えて行動するのは,自分の親族,子孫,友人などのすべてに幸福を感じてもらいたいということと,低所得者層や失業者が増えるのは,労働力を社会に有効に役立てるという観点から非効率的であり,さらに治安も悪くなり,暮らしにくい社会になるのは好ましくないと思うためであり,社会の利益のためだと思っているが,広い意味では我が利益のためと言われても否定はできない。
しかし,直接的な利益,すなわち,自分の収入を増やしたい,もっと楽な生活をしたいといったことが動機ではない。
このような考え方は,人はすべて我が利益のために行動すると考えている人たちには,どうしても理解が難しく,自身の甘えや努力不足を他人のせいにしていると捉えられ,話がかみ合わないことが多くなるのではないかと思うのだが,どうだろうか。
格差社会批判を批判する人たちには,そのあたりのことをよく考えてみて頂きたいと思う。
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コメント
こんにちは、初めまして。
レッツらさんのブログにもよくお邪魔していた者です。
>このような考え方は,人はすべて我が利益のために
>行動すると考えている人たちには,
>どうしても理解が難しく,自身の甘えや努力不足を
>他人のせいにしていると捉えられ,
>話がかみ合わないことが多くなるのではないかと
>思うのだが,どうだろうか。
正しいと思います。
また、私がいつも思っているのは、
勝ち組と呼ばれる方々は、努力をすれば
(言い過ぎかもしれませんが)なんでも出来てしまう、
だから、出来ないということは努力が足りないとしか
考えられないのではないかということです。
それと格差社会を批判する人は、小泉を批判する人と
かなり近いと思うのですが、
実際、負け組と呼ばれる人たちが小泉不支持かといえば
そうでもないことからも、
必ずしも格差社会批判が負け惜しみなどでは無いと
言えるのではないかと思います。
長々とすみません。
投稿: hikasu | 2006年4月29日 (土) 14時42分
hikasu さん,よくお見かけしていましたので初めてという気がしませんが,コメントありがとうございます。
「努力すれば何でもできる」というのは,「信条」とするには良いことだと思いますが,決して「真理」ではないですよね。ですから,自分や他人を叱咤激励する台詞としては良いかも知れませんが,より良い社会システムを議論する場ではナンセンスだと思います。
また,格差社会の下層の人たちに小泉首相を支持する人がいるなら,下層にいても夢を持てるということで,それはそれで小泉改革にも社会にプラスになる面があるのかも知れないとも思います。しかし,自殺者が多いということは夢を持てない人も多いと言うことでしょうし,夢だけを持っている,または夢を探して見つけられずにいるニートが増えるようでは,やはり良い社会ではないのだと思いますね。
投稿: WontBeLong | 2006年4月29日 (土) 23時54分