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2006年5月 9日 (火)

日本人は経済格差を動機としなければモラールを維持できなくなってしまったのか?

「モラール(morale)」は,士気,勤労意欲のことである。
「武士は喰わねど高楊枝」という言葉が,武士など存在しない社会となっても存在する。
日本は,名誉や,更には良心だけでも動機としてモラールを高めることを,一般庶民が行うことのできる希少な国だと思う。いや,「国であった」と言うべきだろうか。
流行りの言葉で言えば,「品格ある国」であった。

格差社会を肯定する考え方が聞かれるのは,社会の下層にいる国民が,もっと大きな格差を付けられなければモラールを維持できなくなってしまったということなのだろうか。
または,社会の上層にいる者たちが,やはりもっと大きな格差を付けなければモラールを維持できなくなっているのだろうか。

貧乏でも,地味な仕事でも,社会を運営する一員として誇りを持って働くというような考え方は,また,高い能力や人一倍の努力を以て社会に貢献できることを,暮らしに困らない程度の収入でも,誇りに思い喜びを感じるというような考え方は,過去のものになってしまったのだろうか。

現在の日本における「格差」は,世界的に見れば大きなものではないだろう。
ゴールデンウィークの観光地は人であふれ,パチンコは30兆円産業である。自殺者が年間に3万人余りいるとはいえ,グローバルスタンダードでいう「下層階級」は日本にはまだまだ少ないだろう。

日本は,そのように格差がなくとも国民が高いモラールを維持している希有な国であった。「エコノミックアニマル」と揶揄されることもあったが,それは個人に対してではなく国に対してであり,大富豪が少ないのに国民が総体として「エコノミックアニマル」になれることは,誇るべきことであろう。

自分は,日本人は良くも悪くも「流れに逆らわない」国民性を持っていると感じている。
今,社会の「流れ」は格差がなければモラールが維持できないような方向へ向かっており,その「流れ」に乗ろうとしている国民が多いということなのかも知れない。
しかし,我々の子々孫々が幸福に暮らしてゆくためには,格差がなくともモラールを維持できる,国際的にはユニークな(これを「異常」と言えば聞こえは悪いが本質的に同義だろう)社会に戻す努力をすることが必要ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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コメント

日本の貧困率は高く、OECD27カ国中5位だそうです。(「日本の貧困率」で検索されれば、直ぐに出てきます。)
これは、そのまま格差のバロメーターでもありますから、お話にある…

『現在の日本における「格差」は,世界的に見れば大きなものではないだろう。』

…は、当っていない気が致します。

投稿: Tourisugari | 2006年5月21日 (日) 15時49分

Tourisugari さん,コメントありがとうございます。
恥ずかしながら,不勉強でご指摘の事実は知りませんでした。結構,話題にされていることのようですね。
「貧困率」は定義が「年収が全国民の年収の中央値の半分に満たない国民の割合」とシンプルなので,この数字から読み取れることはやや少ないかとは思いますが,客観的な数字であり,何よりも日本において増大していっているとのことなので,「世界的に見て格差は大きい方」に分類してよいようですね。
まあ,小泉首相はアメリカより低ければ,高いとは認めないのかも知れませんが。

投稿: WontBeLong | 2006年5月21日 (日) 22時18分

>「貧困率」は定義が「年収が全国民の年収の中央値の半分に満たない国民の割合」とシンプルなので,この数字から読み取れることはやや少ないかとは思いますが,客観的な数字であり,何よりも日本において増大していっているとのことなので,「世界的に見て格差は大きい方」に分類してよいようですね。<

貧困率よりもジニ係数の方が情報量は多い。
とは言えジニ係数でも日本は先進国の中で中程度です。

今の格差社会論は以前の「一億総中流」に対比して感じるわけですが、下記によると、それ自体が幻想であったと言っております。

参照
図録▽所得格差の長期推移及び先進国間国際比較
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/4660.html

国民の不平等感は、かつて存在していた「平等神話」の崩壊から生まれてきている側面も無視できない。

 日本の「平等神話」のひとつの根拠になっていたのは1976年にOECDが発表した所得分配の比較データ(M.Sawyer(1976)によるもの)であった。1970年前後の状況を示したこのデータでは日本はスウェーデンなどと同じく最も平等性の高いグループに属するとされていたが、実は、日本については農家や単身者を含まない家計調査を原資料としており、全世帯対象の国民生活実態調査(国民生活基礎調査の前身)を使用するとジニ係数は0.312から0.355に上昇し先進国の中では元から中位の国だったことが明らかにされている(勇上(2003))。

投稿: う~さん | 2006年6月 6日 (火) 05時45分

う~さん さん,コメントありがとうございます。
私は経済は「ド素人」なので,いろいろな情報をうまく整理できませんが,科学的に分析するといろいろな数字が出てくるようですね。
今も昔も,格差は有るようでもあり無いようでもあり,それでも格差が広がっていると感じる人が多く存在するということは,マクロな数字に大きな差が出るほどではない変化が徐々に進行しているということなのかなとも思います。
また,マクロな数字をほんのわずか変化させる要因でも,それに関わる一人一人の人間にとってはとても大きな変化でしょうから,そのような,ミクロなことではあるけれど話題性のあることが大きくマスコミなどで取り上げられることで,マクロな数字と一般の人々の感覚とにズレが生じるのかも知れないとも思います。

投稿: WontBeLong | 2006年6月 6日 (火) 22時34分

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