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2006年5月 7日 (日)

教育にはもっと公金をつぎ込むべきはないか?

我が家の近所の小学校では,冷房どころかストーブもないと聞いて驚いた。
校舎も見るからに古びている。
親戚の子供の授業参観に,その子の親と一緒に行ったことがあるが,必ずしも良い授業とは思えなかった。
自分はゆとり教育の考え方には賛成だが,その真価を発揮させるためには,教師の側に学問の理解と創造性の面でかなりハイレベルな能力が求められると思う。これに対応できる教師はほとんどいないのではないだろうか。
ゆとり教育に限らず,単純に小学生や中学生に勉強を教えるに当たっても,自分が学生時代に家庭教師をしたときの経験や,現在,我が子に勉強を教えるときのことを考えると,それぞれの教科についてかなり深い理解がないと上手には教えられないと思う。
例えば,ものの長さの測り方ひとつをとっても,十進法,単位や整数と実数などの概念,長さから拡張して距離の測り方まで含めると,負の数の概念なども十分に理解していないと,子供にわかりやすく説明したり,つまずいた子供が何につまずいているかを見極めたりするのは難しい。

また,昨今問題になっている身勝手な理由で給食費を払わない親を擁護する気はないが,給食費や副教材費などが,家計にとって実際に大きな負担となっている家庭も多いだろう。

自分は,ニーズや緊急性が実際はあまり高くない公共事業などを景気や雇用の対策のために行うことに,必ずしも反対ではない。

しかし,その資金のほんの一部でも教育施設・環境の改善や,教員の数・質の向上に回せば,子供の教育環境は遥かに向上するのではないだろうか。
所管省庁が異なるから,そう簡単な話ではないことはわかるが,政府がその気になれば不可能ではないだろう。

所詮,社会は人間が作るものである。基本構成要素は人間である。
その人間を育成するための教育システムには,現状よりも,もっともっと資金をつぎ込むべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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