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2006年6月24日 (土)

日本の牛肉輸入に関するアメリカの強硬姿勢は何ゆえか?

日本の牛肉輸入に関し,アメリカでは,上院で拘束力はないが8月中に再開しない場合の経済制裁を容認する案が可決されたり,ジョハンズ農務長官が,輸出に関する取り決めに違反する施設が出た場合の輸出停止などの判断は自分が決めると発言したなどの報道があった。

全く,何をか言わんやである。

ただ,これらの動きの裏には,日本の財界の後押しがあるように思えてならない。

日米ともに,商売の得意な者は,何が自分を利するのか的確に判断しているのだろうと思う。
アメリカからの牛肉輸入停止により打撃を受ける企業は多い。国をあげて米国産牛肉に過度に頼らないように構造改革をすれば良いのだろうが,そんな悠長なことをするよりも,とにかく再開して世論の熱の冷めるのを待つ方が得策だろう。
あまりにも世論の反発が強いので,これ以上早く再開しようとしたら世論全体を敵に回しかねなかったかも知れないが,そろそろ,押し切っても大丈夫と判断しているのではないだろうか。

そのような,日米双方の財界の思惑をバックに,政治が動いているのではないだろうか。

結局,政治を動かすのは国民ひとりひとりの意志であり,牛肉輸入問題に関しても,一般庶民が意識を高く持つことが重要ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年6月21日 (水)

連合国が貼ったレッテル「戦犯」からまず視線を外すべきではないか?

日本遺族会会長を務める古賀誠氏が靖国神社の宗教法人格見直しに加え,A級戦犯の分祀も検討するべきとの考えを示したとの報道があった。

「戦犯」とはもちろん「戦争犯罪人」である。「犯罪」には「被害者」がおり,それは交戦相手の国に属するものである。日本人ではない。
日本で「戦犯」と呼ばれる人たちは,連合国による軍事裁判で「犯罪人」とされたのであり,日本人が自らの意志で「犯罪」を認めたわけではない。

こんな,当たり前すぎるほど当たり前の事実があるのに,何故日本人が「戦犯」とされた日本人を「犯罪人」扱いしようとするのか,まったく理解できない。
それにより何らかの利益を得ようとする者たちの力が働いている以外に,そのような現象が起きる理由は考えられない。

「戦犯」とされた人の一部に対し,悪感情を持つ国民も確かにいるのかも知れない。
しかしそれならば,日本人の意志により,何人かの特定の人物について,太平洋戦争に関連して国民に対する何らかの罪を犯したと合意した上で議論すべきであろう。
その上で,それらの人物についての靖国への合祀なりの問題を議論するのならば,まだ筋は通っているといえるかも知れない。

しかし,連合国が勝手に貼った「A級戦犯」というレッテルを以て日本人が日本人を区別するのは,やめるべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年6月18日 (日)

マスコミはもう少し良心的に行動するべきではないか?

最近,マスコミの発する情報の偏りが顕わになる出来事が相次いでいる。

日本テレビが盗撮で逮捕された自局アナウンサーの実名報道を避けたり(これは「きっこのブログ」に詳細がある。また,同ブログではここのところ日本テレビのヤラセについて多くの情報が発せられている),秋田の小学生殺害事件では,内容にほとんど進展がないのに,それまでに撮りためた容疑者の映像を連日垂れ流し続けたり,安部晋三官房長官が統一教会の合同結婚式に祝電を打ったという,本来ならマスコミにとって「おいしい」はずのニュースを全く取り上げなかったり(これについてはブログ「お玉おばさんでもわかる政治のお話」などで大きく取り上げられている),などである。

自分は,マスコミは高い公共性を有しているとはいえ,私企業であるし,多数の同業企業があるのだから,皆が同じような情報を発するのでなく,それぞれの企業の考え方を反映した個性的なものであって然るべきだと考えているし,ある程度,自社に有利なように情報発信するのは問題ないと思っている。

しかし,罪を犯した社員を多少贔屓目に報道する程度ならまだしも実名すら報道しなかったり,価値のない情報を以てことさらに犯罪容疑者を貶めるだけの行為を繰り返したり,ましてや,あからさまに権力に屈するようなことは,あってはならないことではないかと考えている。

マスコミは,その強大な力の,もう少し多くの部分を良心的に行使するべきではないかと思うのだが,どうだろか。

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2006年6月15日 (木)

労働環境だけ「日本的」が良いとするのか?

厚生労働省が,労働政策審議会の分科会で,残業代の割増率を引き上げる一方で,一定以上の収入の人は労働時間の規制から外して残業代をなくす仕組みなどを提案したという朝日新聞の報道があった。

「一定以上の収入」について具体的な基準は示されていないが,日本経団連が昨年,年収が400万円以上の従業員を労働時間規制の対象外にするよう提案したとの内容も同時に伝えられている。これが参考にされて同様の数字が提案される可能性は高いと言えよう。

「残業代が増える」といえば聞こえはいいが,上記の通り実現すれば,「400万以上欲しければ残業は無制限」または,「残業代が欲しければ400万以上はやらない」ということになる。

「夢のため」や「人を喜ばせるため」などのような耳当たりのいい言葉を動機として「死にものぐるいで働く」というようなことが美徳とされるような風潮がある日本では,上記のような仕組みは,一面では国民のメンタリティーに合った仕組みとも言えるかも知れない。
しかし,それを上手く利用して社会格差を固定しようとする企みが透けて見える思いがする。
都合に合わせて,「グローバルスタンダード」と「ジャパニーズスタンダード」を使い分けているだけではないか。

自分は,ほとんどのことに関して「日本らしさ」は大切にするべきだと思うが,労働環境に関しては,現代のグローバルスタンダードに合わせて,もっと合理的なものにするべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年6月13日 (火)

随意契約が不適切であれば競争入札が適切なのか?

財務省は,国の各機関との結び付きが強い公益法人と企業に限り,100万円以上の随意契約を対象として調査した結果,国の機関が2005年度にこれらの公益法人や企業と結んだ随意契約のうち,8割弱が不適切だったことがわかり,今後,競争入札に切り替える必要があると指摘した,という報道があった。

6月8日の本ブログの記事「エレベーター事故での高校生の死は人命軽視社会への警鐘か?」でも取り上げたように,低価格で落札したエレベータ製造会社が,世界的にはシェアも大きく標準的と言える企業であるにも関わらず,日本の社会には馴染まないのではと思わせる事故が起きている。

先に述べた財務省の調査の結果として,不適切とされた随意契約のそれぞれについて,それでは競争入札により低価格を提示した企業と契約を結ぶことが適切だったと,果たして言えるのだろうか。
これらの適不適は,測る尺度が違うのではないだろうか。

財務省は,例えば三菱や日立などとシンドラー社を的確に比較できるだけの見識を持って,他にも適切な仕事をより低価格で実行できる企業があったと判断したのだろうか。

長い経緯の後に形成されてきた仕組みに何か問題がある場合,その原因と適切な対策方法を検討するべきであるのに,それが極めて困難であるがために,とりあえず根本的に仕組みを変えてしまおうという動きが,国政から身の回りの些細なことに至るまで,多すぎるように自分は感じている。

問題が明らかになったら,小泉首相のようにとりあえず「ぶっ壊す」というのでは,過去の教訓が十分に活かされないのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年6月11日 (日)

金儲けは悪いことか?

周知のように,村上ファンドの村上世彰氏が,「金儲けは悪いことですか?」と発言した。

自分は,他人よりも優れた能力を持つ人間は,その能力の多くの部分を社会に貢献するために使う使命を負って生まれてきていると考えている。
具体的なモノを作る技術でもいい,スポーツで人に夢を与える能力でもいい,何かしら,他人を幸福にするために高い能力は使われるべきだと考える。

日本は,一応,資本主義社会である。ルールさえ破らなければ利潤追求は当然の権利であり,義務とも言える。
しかし,日本には「道徳」という観念を行動の規範とする文化がある。現在はかなり廃れて来ているのかも知れないが。
成文化された法令に反しなくとも,「道徳」に反することは「悪いこと」だと自分は思う。

自身の高い能力を,他人を幸福にすることの報償としてではなく,単にテクニックによって自身の財を成すことに主たる目的を置いて使うことは,日本人の道徳観念から見れば「悪いこと」ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年6月 8日 (木)

エレベーター事故での高校生の死は人命軽視社会への警鐘か?

政府,官公庁の無謀な経費削減の犠牲としてエレベーター事故で亡くなった高校生,市川大輔さん,彼の死に自らの行いを反省するべき者は多いのではないだろうか。自分も無罪ではないと思う。

近年の,3万人の自殺者,7千人の交通事故者などを省みない政治,社会は,確かに合理的であるとも言えるだろう。

しかし,戦後,ひとりひとりの人間の命を大切にする社会を育んできた日本の,われわれ国民の感性とは相容れないものではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年6月 6日 (火)

天皇陛下は愛国心教育に関するお言葉にどのような意味を込められたのか?

天皇皇后両陛下がシンガポール・タイご訪問に先立ち,記者会見を開かれた。
その場で天皇陛下が,
「愛国心を促す方向で日本の教育基本法の改正が進められているが近隣諸国では,戦前の国家主義的な教育への転換になるのではと恐れられてるが共鳴されるか?」
との問いに,
「内容について述べることは控えたい」
とされながらも,
「戦前のような状況になるのではないかということですが,戦前と今日の状況では大きく異なっている面があります。その原因については歴史家にゆだねられるべきことで,私が言うことは控えますが,事実としては,昭和5年から11年,1930年から36年の6年間に,要人に対する襲撃が相次ぎ,そのために内閣総理大臣あるいはその経験者4人が亡くなり,さらに内閣総理大臣1人がかろうじて襲撃から助かるという異常な事態が起こりました。帝国議会はその後も続きましたが,政党内閣はこの時期に終わりを告げました。そのような状況下では,議員や国民が自由に発言することは非常に難しかったと思います。 先の大戦に先立ち,このような時代のあったことを多くの日本人が心にとどめ,そのようなことが二度と起こらないよう日本の今後の道を進めていくことを信じています。」
と述べられている。

このお言葉は,「愛国心を教育することは良いことだが,民主的な政治が前提となる」という意味に自分には取れる。
これは,「品格」を失いつつある国民と,翼賛体制的な政治を志向しているように見える政府の両方への警鐘ではないかと考えるのだが,どうだろうか。

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2006年6月 5日 (月)

マスコミは報道という行為にもっと誇りを持つべきではないか?

テレビでは,秋田の小学生殺害事件に関する報道ばかりが流されている。
極めて長時間が費やされているが,目新しい情報はほとんどない。
これまで,容疑者の女性にかけていたモザイクを外せて,嬉々として映像を垂れ流しているようにしか見えない。

マスコミ各社は,自らの報道内容として,もっと誇りを持てるような,価値のある情報を視聴者に提供することに力を尽くすべきではないか。
視聴率も大事だろうが,報道するべき情報を,いかに視聴率の取れる方法で流すかが重要なのであり,視聴率を目的にして情報を選択するのは本末転倒ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年6月 4日 (日)

非正社員雇用は企業が乗るべき「バス」か?

雇用増1年で79万人 9割以上が非正社員」というニュースがあった。

経費を抑え,即戦力またはコストに見合った労力を導入することで,企業は業績を向上させているのだろう。
「バスに乗り遅れるな」という言葉がある。かつて,ドイツと心中したことに始まり,日本人は何かと「バス」に乗りたがるようである。
バブルにしても,「このバスに乗っていていいのだろうか」と頭の隅で感じながらも「みんな乗っているのだからいいだろう」という程度の考えで走り,皆で破綻した。

日本人は,「それが時代の流れだ」と言えば,他人よりもモノがわかっているフリができると思っている者が多い。自分から見れば,単に思考停止しているだけにしか見えない。もっと言えば,「みんなやってるもん」などという子どもと同じだと思う。

非正社員ばかり採用するのが定着すれば,採用する側もされる側も,「ダメなら次を当たろう」または,「そのうちダメになるかも知れない」という意識を持つはずである。
採用するときに,また応募するときに,じっくりと相手を見極め,決めたからには滅多なことではあきらめないという覚悟で臨まなければ,企業も人材もうまく成長できないのではないだろうか。

「バス」に乗る前に,そのバスが向かう先を見極め,人波に逆らって留まる勇気をもっと多くの人や企業が持つべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年6月 2日 (金)

駐車違反取り締まりの民間委託は誰のためか?

昨日(2006/6/1)から始まった違法駐車取り締まりの民間委託に関して,委託先の法人の多くが交通安全協会を含む警察OBの再就職先であるとの報道があった。

このブログの2005年11月23日の記事『「交通戦争」は激化していないか?』で書いたとおり,「交通戦争」という言葉が使われてから久しく,しかも交通事故は増加している。
先の報道によると,
警察庁は、民間委託のねらいを「警察官を交通取り締まりから犯罪捜査へ振り向けることだ」と説明する。しかし、同庁の試算によると、捜査に振り向けられる規模は「全国で500人程度」にとどまる。
とのことである。

警察庁は,積極的に交通事故を減らそうというつもりはなく,しかも「犯罪捜査へ振り向ける」との理由も実効性は疑わしいと読み取れる。

交通事故を減らすためにできること,やるべきことはいくらでもあるだろう。その中で,導入のための法整備や環境整備などが極めて煩雑な違法駐車取り締まりの民間委託を押し進めたのは,交通安全協会の加入者が減少したりする中で,警察OBの再就職先を確保することだけが目的ではないかと感じられる。

交通政策において,国民の安全は二の次,三の次で,自動車業界の利益や警察庁の都合が最優先されているのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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