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2006年8月22日 (火)

麻生氏の総裁選出馬は負け戦と決まっているのか?

麻生太郎外務大臣が自民党総裁選出馬の表明に伴い,テレビに相次いで出演している。

先日このブログで「神道は宗教か?」という記事を書いた。ここのところ忙しく,ニュースなどもよく見ていなかったので,麻生大臣の靖国非宗教法人化案についても見出し程度の情報しか知らず,てっきり「無宗教化」を基本とした案だと勘違いしていた。
しかし,まさに麻生大臣の案は,極端に宗教色の強くない神道形式の習慣は,我が国の文化と考えようということだと理解した。

靖国の件に限らず,麻生氏の物言いは非常にクリアなのだが独りよがりで他の意見との調整をあまり考えていないように感じていた。石原慎太郎都知事も話がクリアだと思うが,やはり考え方が若干独りよがりで,都知事はいいが首相を務めるには敵を作りすぎるのではないかと思う。しかし昨今の麻生氏は総裁選を意識してものの言い方を考えたのか,今日のテレビ放送を見る限りは,十分に国全体を見渡した上で,かつクリアに話すように感じた。

日本のことを理解しつつ,非常に聡明で自己主張も上手く,国際舞台で他国の代表と渡り合える人物ではあると感じた。

現在の日本の置かれた様々に難しい状況においては,有無を言わせずリードするカリスマ性や,水面下での調整能力などよりも,極めて情報処理能力の高い頭脳を持った指導者が必要だと思う。
その点においては,麻生氏は他の二人に比べてかなり秀でているのではないかと思うのだが,どうだろうか。
(顔つきで損をしている面が多分にあるとも思う。)

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2006年8月15日 (火)

なぜ靖国で騒ぐのか?

小泉首相の参拝もあり,靖国の話題で喧しい。

どんな事柄でも,誰かが音頭を取って賛否の議論をすれば,多様な意見が出るのは当然である。
一見,常識のようなことでも,反対意見を持つ論客を探してきてさまざまな舞台を仕立てれば,賛否の拮抗した議論にできることは多いだろう。

マスコミが元A級戦犯の合祀を騒ぎ立てなければ,政治家の参拝を騒ぎ立てなければ,それらを受けて中韓が騒がなければ,果たしてどれだけの国民が(中韓を含めて)靖国神社のことを気に掛けたであろうか。

自分は,元A級戦犯が靖国に祀られているかどうかや,首相が参拝するかなどはあまり興味はない。自分は小泉首相のやることなすこと,ほとんど気に入らないが,だからといって飯を食うな便所に行くなとは言わない。それと同じで,個人の信条によるものであれば靖国に行こうが行くまいがどうでもよい。
しかし,それを騒ぎ立てる人達については極めて不快感を覚える。

騒ぐ理由はほとんどの場合,政争の具とするためか自己の利益のため,あるいは騒ぐ他人に巻き込まれてしかあり得ないだろう。

雑音に惑わされても,一般庶民は何も得るものがないのではと思うのだが,どうだろうか。

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2006年8月13日 (日)

神道は宗教か?

靖国神社の話題と絡めて,「政教分離」のことがよく言われる。

日本人にとって,果たして神道は宗教なのだろうか。
形式的に神社は宗教法人となっているが,それは社会システムの都合上,そうなっているだけではないのか。

自分は浅学で神道のことはよく知らない。
しかし,他の宗教を排除するものであるとは聞かない。

自分は,特定の宗教を信じてはいないし,自分が死んだら仏式の葬儀になるのだろうが,どの宗派のものになるかも知らない。
しかし,初詣も行くし,子供が生まれれば初宮参りも七五三参りもする。だからといって,氏神にこだわるわけでは全くなく,そのときどきで都合のいい神社にお参りする。

人も含めて,森羅万象に神秘的な存在を感じるが,これは自分の中では信仰と言うよりも習性である。ほとんどの日本人は同じではないだろうか。そうであれば,神道は宗教と言うよりも文化に近いものではないだろうか。

「政教分離」は,政治が特定宗教と結びつくことによって,その宗教の信者以外の国民が不利益を被ることを防ぐためと,宗教を根拠にした理不尽な政策を防ぐためのものではないだろうか。
神社が国家的な追悼施設であっても,「政教分離」に照らして問題はないと考える。

(蛇足ながら,特定宗教とほとんど同化した政党が与党であることの方が余程大きな問題であろう。)

無宗教の追悼施設など作ったところで,批判勢力はどこまでも批判するのであって何の問題の解決にもならず,税金のムダ遣いでしかないのではと思うのだが,どうだろうか。

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2006年8月 9日 (水)

亀田vsランダエタ戦は格差社会に慣れさせるためのパフォーマンスか?

YouTubeのこの動画を見て感じたことがある。

亀田選手の父親の「みんなで一生懸命ひとつのドラマを作っている」のひと言があった。
例えボクシングというスポーツであっても,いかに力のある者に取り入って仲間に入れてもらうか,そのことに最大の努力を払って成功した者が勝者となれるということだろう。
そのためには,手段を選ぶ必要はなく,ボクシングの技術を向上させることであっても,大衆受けしやすいドラマを作ることであっても,あらゆる手段を使うことが許される。
彼らは,そのような格差社会のルールの下で真面目に懸命に努力しているのであり,自分たちの行いは正しいと確信しているのだろう。ある面から見れば勝者であり,違う面から見れば敗者であり,勝者の面から見る人達と敗者の面から見る人達とでは議論がかみ合わないだろう。

平等な社会にするためには,例えエンターテイメントと割り切ったとしても,このようなドラマを受け入れてはいけないのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年8月 8日 (火)

あの戦争はやはり過ちと見なすべきか?

原爆忌や終戦記念日の時期を迎え,「過ちを二度と繰り返さないよう」との言葉が頻繁に聞かれる。

自分は,先の戦争を単純に「過ち」とすることに疑問を感じている。
あの時代にあの状況で開戦の決断をしたことを,とやかく言うだけの知識を自分は持っていない。少なくとも,国を想い,家族を想い,戦場に赴き命を落とした人達には敬意を払いたい。

しかし,北朝鮮や中東から我が国を巻き込みそうなキナ臭さが漂ってくる昨今,ややもすればヒステリックなほどに「反戦」を叫ぶ勢力も必要なのかも知れないと感じ始めた。

開戦前の我が国や,ヒトラーを支持したドイツなど,共通の対象を憎む熱が熱を呼び,冷静に考えることができないままに突き進む集団となってしまうことを防ぐには,異なる思想を持つグループの力が拮抗していることが必要であろう。一時的にはあるグループの考え方が絶対的に正しかったとしても,全国民が同じ考えを持つようになってしまったら,いつか誤った方向に進みそうになったときに抑止力が働かないだろう。

自分はこれからも,あの戦争を「過ち」とは呼ばないと思うし,そうではない人達と平行線の議論をすることになると思うが,こういう議論は,結論を出すことよりも議論することそのものに存在意義があるようにも思えるのだが,どうだろうか。

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2006年8月 7日 (月)

亀田興毅の王者決定戦になぜ騒ぐのか?

話題にするだけで関係者を利することになるのではないかと思うのだが,どうだろうか。
(自分もこうして取り上げたが,試合は見ていないし,関係報道も勝手に耳に入るもの以外は知らない。)

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2006年8月 2日 (水)

埼玉のプールでの女児の死に責を負うべきは誰か?(その2)

よくわからない。

「太陽管財」が管理を丸投げしていた「京明プランニング」も入札に参加していたとのことである。入札に負けたのになぜ下請けに入れるのか。もっと安い費用でも受注できたということではないか。
「太陽管財」は6年連続で落札しているとのことである。
「太陽管財」の社長は「京明プランニング」のことを「古くからの仲間」と呼んでいた。関係業者で談合して委託費を分け取っていたとしか考えられない。

2社間に文書による契約はなく,口約束だったとのことである。そのような業務による収入が,きちんと申告されているのか疑問である。

プールの吸水口のふたを止めるボルトの穴が合わないから針金で止めていたとのことである。また,テレビ等で見る限り,ふたを受ける部品が小さすぎて十分な強度があるように見えない。そもそも,施工に問題があるのではないか。

ふじみ野市が実態を全く把握していなかったとも考えられない。見て見ぬふりをしていたのではないか。

亡くなった女児は,その場しのぎの仕事しかしてこなかった極めて多数の大人の犠牲ではないかと思えるのだが,どうだろうか。

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2006年8月 1日 (火)

埼玉のプールでの女児の死に責を負うべきは誰か?

埼玉県の市営プールで,吸水口に吸い込まれた女児が亡くなったとのことである。

この事件で,自分が最も強く疑問に思うのは,管理を委託されていた業者に適切な能力があったか否かである。

自分の知る限り,なぜか報道では管理業者の名称が出されない(読売新聞によれば「ビルメンテナンス会社」とのことである)。市も業者に責任を被せるような発言をしない。何らかの癒着があるなど,市としては突っつかれたくないのかとも考えるが,それはここでは問題としない。

それよりも,民間委託そのものの是非に疑問が湧く。
このような業務を民間に委託する意義は,質の良いサービスを低コストで実現することのはずである。
十分なノウハウを持った業者が責任を持って管理して,初めて民間委託が有意義なものとなる。
市が,管理業務の内容まで事細かに監視,指示する責任を負うのであれば,市の仕事の削減にはならないだろう。

先に委託ありきで,安い受託費を提示した業者に,業務遂行能力の十分なチェックをしないで委託して,トラブルがあれば責任の擦り合い(今回はこれはないが)では,結局割りを喰うのは住民である。

多少のトラブルによる賠償のリスクを負っても,委託費が安ければトータルで経済的であるとの考え方もあろうが,日本人のメンタリティにはそぐわないと考える。

少女の悲報を機に,多くの人が多くのことを考えるべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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