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2006年9月27日 (水)

安倍首相の給与カットは「痛み」と言えるのか?

安倍晋三新首相が,自らの給与を3割カットするとのことである。

安倍氏はアブナイ人物ではあると思うが,小泉氏と違って「品」はあると自分は思っていた。
首相就任直後に,このような下卑たパフォーマンスをするとは意外である。
周囲で入れ知恵するメンバーが変わっていないということだろうか。

総務省によると,今年度の本来の内閣総理大臣の月給は2,071,000円,ボーナスは年間で3.35ヶ月分とのことである。
年額にすると,31,789,850円である。

月給を3割カットすると,1,449,700円となり,副大臣や宮内庁長官とほぼ同じとなる。ボーナスも同率でカットとすると年額で22,252,895円である。

大臣に関しては1割カットとのことなので,月額で,1,512,000円が1,360,800円となるだけである。

これがどれほどの「痛み」なのだろうか。

資産もなく日々汗して働く一般のサラリーマンや,年金で細々と暮らす老人にどんどん積み重なる負担や,生活保護を受けざるを得ないような人からも容赦なく取られる消費税の増率などの「痛み」に比べ,これを「痛み」と言えるのだろうか。

安倍氏の姿勢は好きではないが,それなりに真面目な人物ではあろうと思っていたが,本人の意志であるかどうかは不明であるにしても極めて残念である。

このような低レベルなパフォーマンスに,国民は惑わされないようにするべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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プロ野球の高校生ドラフトは誰のための制度か?

プロ野球の高校生ドラフトで,様々なドラマがあったようである。

自分は野球はあまり詳しくないので,ドラフト制度の歴史などもほとんど知らない。
しかし,毎年,ドラフトのニュースを聞いて違和感を感じている。

自分は,行き過ぎた格差社会は好ましくないと考えるし,ルールの少なすぎる自由競争も却って不公平なものとなると考える。
ドラフト制度は,チーム間格差の行き過ぎを防止するためのルールであるということなのかも知れない。
しかし,世の風潮に合わせるべきと考えるわけでもないのに,ドラフト制度には何か違和感を覚える。

野球はスポーツである。また,プロ野球はエンタテイメントでもある。
スポーツには,それなりに公平なルールがあり,すべてのプレイヤーはそれに平等に従う限りは,また一定のスポーツマンシップに則る限りは全力を尽くしてプレイするものだと思う。また,無心に全力でプレイする姿を観客も楽しむものだと思う。

ドラフトで指名されるようなプレイヤーは,少年の頃から,平等なルールの下で夢を追いかけ鍛錬を積み,同世代のプレイヤーの中でほんの一握りのトップレベルに登って来た青年達である。
プロ野球の試合も熱心に観ながら,憧れる選手や球団もあり,その場に立つ自分のことをいろいろとイメージしてきたであろう。
彼らは,さらに夢を追い続けることを誰にも勝手な都合で邪魔されたくはないだろうし,観る者も,彼らと共に夢を追いたいのではないだろうか。

また,彼らは,高校を卒業する,社会人の入り口に立った者達である。昔とは彼らを取り巻く状況も変わり,それなりの判断力は持っていると思われ,子供扱いするような対象とは違うのではないだろうか。

ドラフト制度は,スポーツの本来のあるべき姿を守るためのものではなく,企業の中では一流であるオーナー企業が自分たちの利益を姑息に守るためのもののように思える。
プレイヤー本人の意志に反してまでチーム間の戦力均衡を図っても,長い目で見れば観客離れや野球少年の減少につながり,プロ野球界のためにはならないのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年9月26日 (火)

「飲酒文化」と「飲酒運転撲滅」を両立できるのか?

飲酒運転問題がいろいろと話題になっている。

世界的に人間社会では,飲酒は重要な文化としての一面を持っているようである。
そう考える根拠は,映画やテレビなどで得た知識がほとんどであるが,まず間違いないだろう。
様々な儀式には酒が付きものであることが多いようであるし,人と人とが親交を深める手段として共に酒を飲むことも多いようである。

我が国でも,地方では杯を交わすのが礼儀とされていることが多いし,交わさないまでも「注ぎつ注がれつ」は常識である。
学生の「イッキ飲み」は無くならないようであるし,神事には必ず杯を受ける場面がある。

「酒とタバコ」はしばしば一緒に扱われるが,タバコは「百害あって一利無し」と言われ,酒は「百薬の長」と言われる。
酒瓶のラベルに「飲み過ぎると健康を害する恐れがありますので,,」などと書かれる日は当分来ないだろう。

飲酒運転に対する罰を強化することも必要だとは思うが限界があろう。まさか酒気帯び運転で死刑にするわけにも行くまい。
また,厳罰化しても「自分には関係ない」と考える人がかなり多いのではないかと思う。
「振り込め詐欺」がこれほど報道されても被害が無くならないのは,テレビなどで見てもそれは「他人事」であり,自身の身に降りかかるとは思ってもいない人が多いせいもあると聞いた。
酒を飲んでも,事故は起こさないと過信したり,検問も見たこともないというような状況では,やはり「他人事」と考える人も多いのではないだろうか。しかも,判断力が鈍っていては尚更である。

「飲んだら乗らない,飲むなら乗らない」は当たり前であるが,理想論を言っている間に起きる事故の被害者に罪はないし,誰もが今日にも被害者になる可能性がある。事故被害も「他人事」ではないのである。

自分は,酒に酔った人間によるトラブルが多いことから,社会はもっと飲酒に対して抑制的になるべきだと考えてはいるが,現実には難しいだろう。
「まあ,どうぞ」,「いえ,クルマですので」,「そうですか」という社会になることは望みが薄いであろう。

厳罰化や啓蒙活動も必要ではあるが,公共交通の整備や,「指名ドライバー」の普及,あるいは代行運転の低料金化などの環境整備も効果としては大きいと考える。
また,今の社会は経済も生活も自動車に依存しすぎていると考える。資源保護,環境保全のためにも,自動車依存社会から,ある程度脱却するべき時期に来ているのではないだろうか。

飲酒が「文化」としてかなり確かな地位を占めている以上,「飲酒運転をしない努力」の負担を軽くすることが極めて重要ではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成後にTBさせて頂いたブログ]
公務員のためいき  飲酒運転の撲滅へ Part3
「指名ドライバー」普及への途  厳罰化で飲酒運転はなくなる?

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2006年9月23日 (土)

国旗・国歌強制違憲判決を区切りに教育をもっと子供中心とするべきではないか?

学校の式典で,国旗に向かっての起立や国歌斉唱を義務付けた東京都教育委員会の通達は違憲とする東京地裁の判決が出たとのことである。

この問題に関する自分の率直な感想は,「どっちもどっち」である。子供のケンカのように見える。

自身の生まれた国に誇りを持つことを教えるべき立場の教師が,意地になって自らの思想を主張したり,それを力ずくで押さえつけようとして従わなければ処分したりという状況には,教育の場で子供が置き去りにされている感を覚える。

判決そのものは妥当なものだと自分は思う。
裁判長は,「通達は不当な強制に当たり、憲法が認める思想・良心の自由を侵し、教育基本法にも違反する」と指摘したとのことである。
客観的な判断としては,そのようなものになるべきであろう。
「国旗・国歌に敬意や誇りを持てないのはおかしい」というのは感情論,思想の問題である。「強制して良いか?」との問いには,「否」という他はないだろう。

しかし自分は原告の教師達の行いを肯定するものではない。
教師は生徒に,平和のために周囲の人々ひいては世界の人々を愛することを教えるべきであり,自らの思想を貫くための争いに生徒を巻き込んではならないと思う。

教育委員会側も,「力」対「力」の争いを生徒の前で演じるべきではなく,あくまで対話による解決に努めるべきであろう。
天皇陛下も「強制はよくない」と仰った。このようなご発言の裏にはよほどの御意志があるはずである。現在の日本の良識に従えば,強制が否定されるのは絶対的に明白であるということであろう。

教師も,教育委員会や政府なども,今回の判決でさらに争いを激化させるようなことなく,ひとつの区切りは付いたものとして,家族を愛し,友人を愛し,郷土を愛し,国を愛し,世界を愛する気持ちを自然に子供達が持てるような,子供達のための教育を実現していくことに力を注ぐべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成後にTBさせて頂いたブログ]
華氏451度  祝・「国旗・国歌」学校強制に違憲判決
さぁ みんなで語り合おう  呆れた判決、国旗・国歌に関して
お玉おばさんでもわかる政治のお話  国歌は自由に歌いたい、国旗は自由に掲げたい
日本がアブナイ! 安倍氏らが目指す教育再生、国旗・国歌も全国に?! +ハルウララと地方競馬に見る日本の現状(1)

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2006年9月21日 (木)

安倍晋三新首相の誕生で日本は改憲へ大きく舵を切ってしまうのか?

安倍晋三氏が自民党総裁に選出され,実質的な新首相の誕生である。
そして安倍氏は,憲法改正に意欲的な姿勢を示している。

安倍氏の祖父の岸信介氏は,太平洋戦争当時の指導者の一人でありながら,アメリカによる防共のための後押しを得て総理大臣となり,新安保条約を結ぶという,「アメリカだけには頭の上がらない国粋主義者」のような人物と思える。
安倍晋三氏は,そのDNAを極めて濃く受け継いでいるように見える。
日本を「強い国」,「頼れる国」とすべきと言いながら日米関係だけは絶対的に保全しようとしている。
安倍氏の考える憲法改正の方向は,銃を持って中心に立つ米国の隣りで,やはり銃を持って威勢を張ろうとするようなものではないだろうか。

自分の考える「うつくしい日本」は,貴重な九条を含む平和憲法を戴き,被爆を含む悲惨な敗戦経験を知るが故に,どの国よりも平和を強く希求し,あくまで平和的な手段のみで国際的にも貢献していく,「戦争をしない先進国」のモデルケースであるような国だと思う。

安倍氏は,日本人が久しく押し殺してきた愛国心をくすぐり,国際的な場で軍事力を行使できるようにするための憲法改正を世論が是認するような方向へ,巧みに導こうとするのだろうと思う。

「コイズミ的」手法にある程度慣れてしまった国民は,「どうせ政府の意向には逆らえない」というような諦めの思いを持ち勝ちではないかと思う。

しかし,本当に重要な問題については一人ででも声を上げる覚悟が必要であり,そして良識ある国民がみな声を上げれば,それらはきっと同じ方向を向いているものである,日本は今でもそのような「うつくしい国」ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年9月19日 (火)

日本はかつて本当に「一億総中流社会」であったか?

先刻,TBSテレビの「ニュース23」で自民党総裁選候補の討論会が行われており,テレビ局側からの質問として,「一部の金持ちが貧乏人を支える社会と,一億総中流社会と,どちらが好ましいか」というものがあった。各候補者の答えはみな,総中流が理想とも言えるが現実にはそうはいかないだろうといったものであった。そのときのやり取りで,誰かが「かつてのような総中流には戻れない」と言ったように聞こえた。

1970年頃から日本は「一億総中流社会」と呼ばれたが,果たして本当に,日本人は皆「中流」だったのだろうか。

戦後の混乱期から復興し,高度成長を成し遂げ,世界を見ればまだまだ発展途上の国が数多く存在しており,「より下の世界」を知っているから,自身は「下流」ではないと意識を持っていたということではないだろうか。
その日の食べるものに困るような状況でなければ下流とはいえない,または,ある程度生活が苦しくてもそれを下流と呼ぶのは贅沢だというような意識があったのではないだろうか。

今振り返れば,自分は子供の頃,中流だったようには思えない。友人の家ではいろいろなおもちゃなどを見てうらやましく思ったし,インベーダーゲームなども流行っていたが,とてもそんなものに使える金はなく,数回しか遊んだ記憶はない。
それでも,自分よりも家庭が貧しいと思われる友人もいた。

かつての日本は,「適度な格差社会」であったのではないだろうか。だからこそ,「成功した共産主義社会」と呼ばれるのではないだろうか。
かつての日本を,「悪平等」を言外に含めて「総中流」と呼ぶのは現在のような,さらには将来に拡大する格差社会を肯定しようとする者たちの詭弁ではないかとも思えるのだが,どうだろうか。

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2006年9月17日 (日)

飲酒運転撲滅のために真に国民のための対策が必要ではないか?

最近,飲酒運転の問題に強い関心が集まっている。また,高齢者の運転する車の事故の多さも問題になっている。
一方,地方の公共交通は,赤字のものが次々と廃止されて不便になるばかりである。

自分も地方に住んでいる。大都市に住んでいたこともあるので,公共交通が少ないことによる不便は非常に強く感じる。
自分は飲酒運転はしないが,周囲ではよく見聞きする。飲酒運転は意識の問題と言われるが,周囲を見る限り,意識を変えるのはほぼ不可能と思われる。
「意識」で飲酒運転が撲滅できるなら,故意に犯される犯罪はすべて防止できることになってしまう。飲酒運転よりも,犯すのに強い意志が必要な犯罪がなくならないことからしても,意識改革に頼るのは極めて実効性の低い方法であろう。大体,酔っぱらい相手に「意識」を求めるのも無理というものである。

飲酒運転による事故の被害者には何の罪もないのに日々被害者は増加し,明日はあなたや家族が被害者になるかも知れないのである。理想論よりも,実効性を最優先した方法論を考えるべきであろう。

公共交通の整備を進めることによるメリットは極めて多いと思う。
飲酒運転や高齢者の運転も減るだろうし,渋滞も減るし,資源保全や環境保全にもなる。
デメリットは,コストの他には自家用車の販売が減ることだろうか。

コストに関しては,具体的な数字がわからず現実的にどの程度問題があるかはわからないので,必ずしも断言はできないが,自動車産業に頼る日本において,自家用車販売の減少につながることが公共交通整備の抵抗となっているのではないだろうか。

飲酒運転に限らず,交通事故が極めて多い社会において,自動車業界に配慮したその場しのぎの対策だけではなく,もっと実効性のある解決策を国民は要求していくべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事を書いた後にTBさせて頂いたブログ]
みやっちBlog 飲酒運転は根っこから絶たなきゃね
公務員のためいき 飲酒運転の撲滅へ
「指名ドライバー」普及への途 「指名ドライバー」とは

2007/06/30 追記 なぜかこの記事だけ異様にスパムコメントが多いので,当分の間,本記事へのコメントは受け付けないこととさせていただきます。

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2006年9月15日 (金)

貸金業者との癒着で腐敗した自民党政権は交代すべきか?

自民党は貸金業制度に関する検討で,現在のグレーゾーン金利を3年間もそのままにして,少額・短期融資の場合に利息制限法の上限を上回る25.5%の金利をさらに2年間認める案で合意したとのことである。

何をか言わんやである。

「グレー」と言っても本来は違法であった金利に,実質的に3年間もお墨付きを与え,さらに2年は「グレー」でもなく「シロ」つまり完全に合法とする案である。

一部の議員が業者よりの態度を頑強に取ったとのことであるが,その議員達の氏名を明らかにするべきと考えるし,一部の議員が反対したからといってそれに譲歩するのは,自民党全体がそこに党益を見いだしているからである。

自分は民主党は好きではないし,民主党政権が良いものになるとも思えないが,自民党政権がここまで腐ってきたのを見ると,政権交代も必要ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年9月14日 (木)

「お客様」は「神様」か?(その2)

再春館製薬所という企業のテレビCMが,以前から気になっている。

「コミュニケーター」と呼ばれる,客から電話で注文を受けるなどする担当の社員が体験談を語るようなCMである。
その内容は,客の声に元気がないので尋ねると病気で落ち込んでいるとのことだったので,昼休みに調べ物をして肌に良い食事とリラックス法をその客に伝えたところ,とても喜ばれたというものである。
「お客様満足の追及に,教科書はありません」とそのCMは締めくくっている。

自分から見れば,社員に昼休みを犠牲にしてでも客を喜ばせろと命ずる企業と受け止められ,そのような「人間を大切にしない」企業が本当に客を大切にできるとは思えない。

随分以前にここで『「お客様」は「神様」か?』という記事を書いた。

その中で書いたが,客と,商品やサービスを提供する側は対等のはずである。
また,企業と社員も本来対等のはずである。
それを前提にすれば,企業は社員を大切にしながら客も大切にする道を求めるべきではないだろうか。

「社員が客のために調べ物をしたいと言ったので,本務をしばらく離れることを許可した」,あるいは本務を離れることはサービス低下になるのであれば「他の社員か上司が代わりに調べ物をした」というのが,あるべき姿ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年9月13日 (水)

小沢一郎氏の地方分権構想は実現できるか?

民主党代表の小沢一郎氏が,自らの基本理念として発表した政策構想の中に,「地方分権国家を樹立」というものがあった。
国から地方への個別の補助金を廃止して,使途を地方に任せる財源を一括交付するというのがその方法とのことである。

なかなか良い考えだと思う。
地方が国の補助金をもらって何かをするときに,国からの補助の要件を満たすために,無駄な内容が付け加えられることが多いようである。
地方は,財源さえあれば違うことがやりたいのに,条件を満たさなければ補助金がもらえないので不本意なことまでやらざるを得ないということがあるようだ。
地方が本当にやりたいことに絞ってカネを使うなら,国からの交付金の総額は現状よりも少なくても問題ないと,地方の首長ら自身が言っているとのことである。

ただ,すべての地方自治体が,与えられた財源を適切に使う能力があるかどうかは疑問である。
この考え方には,諸刃の剣のような面があると思う。

しかし,成熟した国家を目指すためには,ある程度の当初の混乱は覚悟してでもトライする価値はあるのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年9月12日 (火)

行動を共にする米軍が攻撃されたら我々はみな戦わねばならないのか?

日本記者クラブ主催の自民党総裁選討論会で,日米の艦船が公海上でシーレーン(海上輸送路)のパトロールに当たる状況を例として,「米艦船が攻撃されても、日本は全く手出しが出来ない」と指摘したとのことである(9/12読売新聞社説)

これも巧妙なレトリックを用いた詭弁であると思う。

自衛隊は,自国防衛のためにのみ武装しているのである。憲法第九条の下で存在し得るギリギリの組織であって,他国の軍隊とは一線を画すものである。
自衛官が勤務していないときに武器を持っていないのと同じく,武器を使用して良い状況以外では,非武装と同じ状態である。
したがって,イラクでの人道復興支援活動なども,治安維持活動ではないのだから非武装で行うべきだと考えている。それで危険があるのなら,そこには行かせてはならないのだと思う。

自衛隊員は,自国防衛のために戦闘状態になったとき以外は「非戦闘員」である。
行動をともにしていた米軍が攻撃を受けたからといって,普通の民間人が危険を冒して攻撃者に立ち向かう必要がないのは明らかだろう。
自衛隊も,そのような場では普通の民間人と同じ立場のはずである。

しかし,安倍氏はシーレーン防衛という,日本の防衛のための活動でありながら公海上で行われるという,特殊な状況を持ち出して説得力を持たせようとしている。
もし,そのような状況で攻撃を受けるとしたら,相手は米軍も自衛隊も区別しないはずである。米軍艦船のみが攻撃を受けているとしたら,それは米国への攻撃であり,我が国とは関係ない。自衛隊は,上で述べたような状況の普通の民間人と同じ立場である。自衛隊艦船が攻撃を受けたら,当然反撃は可能である。

人道復興支援活動を米軍の護衛の下で行っているときに米軍が攻撃を受けたら,その場合も単なる民間人と同じで,手元に武器があるからといってそれを使う道理はない。

小泉政権は人道復興支援と称しながら,武装した自衛隊員を海外派遣し,あたかも他国の軍隊に守られる情けない軍隊のような絵図を作り出し,集団的自衛権の行使に賛同を得ようとしているのであり,それに惑わされてはいけないのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年9月11日 (月)

企業からの多額の政治献金に庶民はなぜ怒らないのか?

経団連が,2005年に会員企業・団体が行った自民党への政治献金が24億2千万円であったと発表した。
正式に公表した金額がこれであり,カウントされていない金もかなりあると常識的には推測される。

これで果たして公平な政治が行われるのだろうか。

政治にはカネが必要と当然のように言われる。しかし,経団連から民主党への献金は6千万円だったと同時に発表された。民主党には労組などの支持団体があるとはいえ,経団連なみの献金を行えるとは到底思えない。つまり,野党第一党の民主党でさえ,自民党の一割以下の献金でそれなりに活動できるのである。

貸金業規制法改正の検討で,頑強に業者よりの主張をする自民党議員がいるようで,調整が難航している。
貸金業者の儲けぶりからして,かなりのカネが流れているのは確実と考えられる。

近年は,世論が弱肉強食是認へと傾いて反発は少ないと読んだのか,経団連は堂々と会員に献金を呼びかけている。全く,庶民をバカにした振る舞いだと自分は思う。

このカネの流れを断たない限り,弱者にも公平な政治は到底望めないのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年9月 7日 (木)

小泉首相はなぜ簡単に皇室典範改正を見送ったのか?

秋篠宮家に親王殿下ご誕生とのこと,おめでたい限りである。

以下の内容は,紀子様ご懐妊の直後に書こうとしたのだが,小泉首相のこと,国会が終わるまではどんな動きをするかわからないと思い,その後に書こうと思っていたものである。

小泉首相は前国会で当初意欲的だった皇室典範改正を,紀子様ご懐妊の報せを受けて,いとも簡単に見送った。
自分はこれを意外に思った。意のままの「有識者」を集めて改正すべしとの結論を出させるなど,「断固改正」の姿勢と見えていたからである。しかし,ソースがわからなくなってしまったのだが,ある情報を見て納得した。

それは,皇室典範改正には米国またはブッシュ大統領が反対しており,小泉首相は紀子様ご懐妊で矛を収める口実ができてほっとしているというものであった。

女系天皇の容認は,皇室の権威衰退につながる。それは左翼勢力を勢いづかせるものであり,避けるべきだと米国は考えているとの理由だった。太平洋戦争に関する昭和天皇の責任を米国が問わなかったことからも,納得できる考え方である。

国会で質問を受けている最中にご懐妊を耳打ちされた小泉首相のVTRがテレビで何度も流れたが,小泉首相は内容を聞き取ると,微笑んで「よかった」とつぶやいたと見える。自分はそれを見て,なぜ「よかった」のかわからなかったが,上のような考え方を知り,これも納得した。

小泉首相は終戦の日の靖国参拝の後,「ブッシュ大統領が行くなと言っても行った」と話し,自ら,ブッシュ大統領の意見は小泉首相に対してかなり強制力があることを示した。

それこれの状況から,米国またはブッシュ大統領が小泉首相に圧力をかけたとの見方は正しいのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年9月 5日 (火)

[番外]「美しい国へ」

多くの人達が類似のことを述べておられるので,わざわざ書くこともないのですが,どうしても気になったので番外としてひと言だけ書いておきます。

中国語ではアメリカを「美国」と書きます。
安倍晋三氏の著書「美しい国へ」の出版に関わった人達の誰もこれを知らないとは思えません。
私なら同じタイトルでも「うつくしい国へ」と平仮名で書きますね。
あえて漢字で書いたのは,意図的にメッセージを込めているとしか思えません。
中国に対して,「世界の覇者はアメリカであり,我々はアメリカに付く」と。

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安倍晋三氏がこだわる集団的自衛権容認は誰を利するのか?

安倍晋三官房長官が記者会見で,集団的自衛権を容認できるような現行憲法の解釈を検討するべきとの見解を示した。
何としても集団的自衛権を認めたいという気持ちが表れている。いったい,何のためだろうか。

国連や外務省の依頼により,東チモールやアフガニスタンの復興援助の最前線に立ち,自らを「紛争屋」と名乗る伊勢﨑賢治氏が著書「武装解除」(講談社現代新書,2004年12月発行)で,「国際協力の世界では金を出す者が一番偉い」と述べている。また,米軍の司令官クラスは「日本の資金的貢献をしっかり評価している」とも述べ,最後は「現在の日本国憲法の前文と第九条は,一句一文たりとも変えてはならない」と締めくくっている。
このような,自衛隊の海外派兵を拡張しようとする動きに対し,伊勢﨑氏は,「民族の自尊心を,国外に対する武力行使,もしくは武力誇示で満足させよう」とする「右翼化」の政治的意図が見え隠れすると述べている。ちなみに伊勢﨑氏は,そのような動きは「愛国者として体を張ってそれを阻止したい」とも述べている。

自分は,アメリカに気に入られようとする意図もあるように思うが,果たしてアメリカはそのようなことを望んでいるのだろうか。
逆に,アメリカに頼らないようにしようとの意図もあるかも知れないが,それも果たして可能なのだろうか。

結局,アメリカを意識する勢力は,右翼化勢力の片棒を担がされるだけであまり得るものはないように思う。

いずれにしても,どの勢力も一般国民の利益のために,つまり本当の意味での愛国心から動いているとは思えない。
現行憲法下であっても,増してや憲法を改正してまで,集団的自衛権を認めることは何ら国益には適わないのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年9月 3日 (日)

安倍晋三氏と夜神月は似ているのか?

安倍晋三氏が自民党総裁選立候補を表明した。
「美しい国,日本」を目指すとのことである。

誰にも平等にチャンスを与え,努力した人が報われる社会にするべきとしている。
これは巧妙なレトリックで,あたかも「誰でも努力すれば報われる」と言っているようだが,努力そのものを評価するとは言っておらず,結果で評価されるのであり,能力がなければ評価されないということである。
女性,高齢者,一度競争に敗れた若者も含めて,有能な人材だけを無駄なく選別して行くということだと受け止めた。
これは結局,国民の多くが戦々恐々として必至に努力し,格差は広がり,ごく一部の者だけに国を動かされることになると考える。
自分は,多くの一般国民は淡々と働きながら家庭や余暇を大切にできて,使命感と正義感を持った一部の者が中心となって,しかし謙虚に国を運営する形が,最も国民が幸福を感じられる国のありようだと思っている。

映画化もされ非常に人気のあるコミック「デスノート」を読んだ。
ほとんど証拠を残さずに遠隔的に殺人を行う力を手に入れた,並はずれて有能で正義感の強い若者が,犯罪のない世界にするために犯罪者を次々と殺していくストーリーである。
主人公の名前が,タイトルに書いた「夜神月(やがみ らいと)」である。
最終的には,この主人公を捕らえようとするやはり有能な若者に敗れるのだが,主人公の考え方を完全に否定する形では終わっていない。
善悪と能力で,人を生きる価値のある者とそうでない者に分別するような考え方は,これを読む子供達へ大きな影響を与えることが懸念される。

安倍氏の考え方と「デスノート」主人公の考え方は似ていのではないかと感じたのだが,どうだろうか。

[記事作成後にTBさせて頂いたブログ]
日本がアブナイ! 「安倍氏が正式出馬。ネオコン・ソフトの政策とリーダーシップ」
雑談日記(徒然なるままに、。) 「安倍晋三にNO!AbEndキャンペーンに参加しよう。」

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