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2007年1月29日 (月)

Windows Vista発売の意義をマスコミは理解しているのか?

Windows Vistaが明日0:00に発売されるそうである。

テレビが,Windows 95発売の時の騒ぎを期待して報道している。

自分も,95発売の時は電気屋に並んだ。
しかし,95の発売はMS-DOSと決別する極めて大きな革新であった。
マイクロソフトはVista発売はそれに匹敵すると言っているようだが,ユーザは皆分かっていて冷静である。

一部のマニアが秋葉原の店で行列を作ったりしているようだが,95発売の時とは意味合いが全く違う。
テレビ局などにはそれを理解できる者が番組制作現場にいないようである。

「あるある大事典」の騒ぎなどを通して,想定した映像を作り出すためにマスコミがあれこれと画策していることに,社会はそろそろ気付いているということをマスコミは理解するべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年1月28日 (日)

「ゆとり教育は悪」なのか?(その2)

安倍首相が1月26日の施政方針演説で「ゆとり教育」見直しに言及した。

「ゆとり教育」に対する社会の評価は,授業内容の減少ばかりが強調され,学力低下の原因とされている。
「ゆとり教育」とは,詰め込み教育に対して,ただのんびりと教育することのように捉えられているように見える。これは,「ゆとり教育」の本来の理念を誤解している。

「ゆとり教育」を推進した,元文部省官僚の寺脇研氏は,「中学まではだれもが百点をとれる」教育を目指すべきとしていたそうである。
これは,ただ授業内容を簡単にするということではない。知識をただ覚えるのではなく,物事の本質を理解し,応用できる知力をつけるために十分に時間を割くべきだということと理解する。
基礎知識を人よりも早く身につけた生徒は塾などでさらに知識を高めれば良い。大切なのは,できるだけ多くの国民が生活またはその後の高度な学習において応用できる知力を身につけることではないだろうか。理解していなければ応用はできない。

「円周率はおよそ3」と教えることが「ゆとり教育」の象徴のひとつのように言われ,批判する論調が多い。
しかし,自分はこれにも賛成である。
いったいどれだけの人が,円周率を「3」とすることと「3.14」とすることの実質的な違いを理解しているのだろうか。こんなことが批判されることこそが,詰め込み教育の弊害を表していると考える。

「(3.14-3)/3.14=0.0445...」,わずか4.5%の誤差である。
「ゆとり教育」世代でないのに上の一文を見てスムーズに理解できなかった人は,詰め込み教育の被害者であろう。

実社会において,4.5%の誤差が問題になることは少ない。
生活に有用な学習は,「コンマ14」を覚えることではなく,円周率の意味と利用法を身につけることであろう。実生活では,円周は直径の3倍と考えて問題はないし,高等数学ではπという文字で扱う。「コンマ14」や「コンマ141592...」などを記憶していることはほとんど必要ない。せいぜい「コンマ1」で十分である。直径10cmの円を見て,円周が約30cmであることを瞬間的に理解できることが実生活では重要であろう。

「ゆとり教育」の失敗は,本質的な理解をさせる授業を教師が行えず,従来のうわべだけの学習のままで単に量を減らしたことが原因だと考える。

質の高い教育の実現のためには,付け焼き刃の改革を繰り返すのではなく,議論を尽くして教育システムを作ることが必要であり,「ゆとり教育」の検証を十分に行わず世論に流されて過去に回帰するのでは,ただ同じ歴史を繰り返すのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年1月20日 (土)

安倍首相の周辺で不協和音がしていないか?

最近,安倍政権とその周辺に何となく不協和音が聞こえる気がしている。
それを強く感じさせる出来事が,またあった。

ホワイトカラーエグゼンプション制度の法案提出が見送られた。
それは良いことだと思う。

経済同友会の幹事のひとりから,「高度専門職年俸制」と呼んだ方が良いという意見などが出ている。

確かに,マスコミが「残業代ゼロ法案」と呼んだことは世論を法案反対に傾かせるように働いたと思う。
自分が不可解に思うのは,政府の言いなりのようなマスコミが,なぜこのような呼び方をしたのかということである。
「ホワイトカラーエグゼンプション」がわかりにくいという世論に対して,他の呼び方を考えるなら,「勤務時間撤廃」なり「完全裁量労働」なり,あまりネガティブなイメージを持たない呼び方はいくらでもあるだろう。

理由はわからないが,小泉政権のころに比べ,現在は政財界こぞって安倍首相を担ぎ上げるという雰囲気が薄いのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年1月15日 (月)

「ゆとり教育は悪」なのか?

ゆとり教育は失敗だったとの反省から,公立校の授業時間を1割増加させることが,教育再生会議で検討されているそうである。

自分はゆとり教育賛成派である。

若い頃,家庭教師のアルバイトを何軒もやっていた。そのころ,学校の教育が生徒に対して,なぜそれを勉強するのか,何の役に立つのか,さらには知ることの喜びなどを全く教えず,問題を解くテクニックだけを教えているのが極めて不満だった。
自分が教えた子どもが,「数学が少し面白くなった」と言ってくれて非常に嬉しく思ったことは忘れられない。

確かに,丁寧に教えなくとも教科書の内容をすぐにマスターする子どもはいるだろう。そのような子どもは学校以外でさらに勉強すれば良い。それに対する経済負担を軽くするような政策を別途に行えば良い。

東大生の親の平均収入が約1千万円であることが,親の経済力により学力差が付く証拠であるような報道がなされている。
教育に金をかければ学力が上がるのであれば,ほとんどの子どもが塾通いをする現在は,そうではなかった30年ほど前に比べて学力が高いはずである。
ちょっとやそっとの金をかけたくらいで東大に入れるものだろうか。
高収入の家庭の子どもが東大に行けるのは,知能の遺伝によるところが大きいのではないだろうか。

小,中学校では,何よりも,全ての子どもが人生に必要な基礎学力をきちんと消化して身につけることが大切だと考える。

近所の小学校の建物を見ると非常に古ぼけたものであり,教師は雑用に忙しいと聞く。

公教育にはもっと金をかけるべきだろう。例えば,いまだに黒板にチョークで授業内容を書くなど,時間の無駄以外の何物でもないと思う。全教室にプロジェクタを導入すれば,板書の時間は節約できて,内容もどんどん改良を加えることができて,授業は格段に効率的になるだろう。

金をかけて,質の高い教師を採用して,教師も子どももゆとりを持って楽しく勉強する環境を整えることが必要ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年1月14日 (日)

自衛隊の武器先制使用など絶対に容認してはならないのではないか?

読売新聞に以下のような記事があった。

「自衛隊PKO、武器の先制使用を検討…対象は非正規軍」

内容の抜粋を末尾に掲げておく。

教育基本法改正にしても,憲法改正にしても,改正推進勢力の言い分の中で,一応理屈の通っている部分だけを見て,「それは然り」と賛成に回る人々がかなりいるように見受けられる。

反対する人々は,じわじわときな臭い方向へ導かれようとしている気配を感じ取る。

このニュースなどについても,「撃たれるまで待てとは言えない」と改正推進派は言うだろう。それは確かに一面的には通る理屈である。

しかし,「強盗団」が自衛隊を襲うことなどを第一に想定している時点で違和感を感じるのは自分だけだろうか。
テロリストやゲリラは今のところグレーゾーンとしているが,「撃たれるまで待てとは言えない」という理屈ならばいずれ対象とされるだろう。
アメリカが今もイラクで毎日戦闘を繰り返している相手は「正規軍」ではない。

これでも,政府がこの調子で少しずつ自衛隊の海外での活動内容を拡張していこうとしているというのは考えすぎだと,賛成派の人々は言うのだろうか。

今回の件は,この国の権力者たちがもっともらしい理屈を付けて少しずつこの国を右旋回させていることを明らかに示しているのではないだろうか。

国民は,やはり政府などの言い分を素直に鵜呑みにせず,もっと警戒心を持つべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

読売新聞の記事の抜粋]
 政府は13日、国連平和維持活動(PKO)協力法に基づき海外で活動する自衛隊員らの武器使用について、従来の憲法解釈を変更し、自らの身に危険がない場合でも、任務遂行への妨害を排除する場合は使用を容認する方向で検討に入った。

 自衛隊が停戦監視などの国連平和維持隊(PKF)本体業務に参加するのに必要と判断した。ただ、武器使用の対象は、犯罪集団など国の正規軍でないことが明確なケースに限定。国連施設を守ったり、逮捕者の逃亡を防いだりする時、相手から撃たれなくても先に武器を使うことを可能とする。政府は年内に解釈変更を表明し、PKO協力法など関連法の改正作業に入りたい考えだ。

 内閣法制局は憲法が禁止する「武力行使」を「国際的な武力紛争の一環としての戦闘行為である」と定義している。その上で、武器使用の対象が「国や国に準ずる組織」でないことが明らかな場合、自分の身を守るため以外の武器使用も憲法上容認できるとする解釈を検討している。具体的には強盗団などを想定し、テロ・ゲリラ集団などの扱いも詰める方針だ。

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2007年1月 9日 (火)

8時間労働制は世界遺産にする価値があるのではないか?

更新の間が長く空いてしまったので,いつも以上に乱文になると思うが取り急ぎ新記事を書こうと思う。

安倍首相がホワイトカラーエグゼンプションによって残業が減るというような発言をしたとの報道があった。

ネット上では非難囂々のようだが,まさになにをか言わんやである。

GTDメソッドといわれる,仕事を要領良く片付ける手法を提唱しているDavid Allen氏によると,現在は仕事の終わりがはっきりしなくなっているとのことである。
仕事の内容が複雑になり,どこまでやれば終わったことにして良いのか決めにくい場合が多いということだろう。自分自身も実感として理解できる。

ホワイトカラーエグゼンプション導入を推奨する者は,仕事が複雑だから時間を自由に使わせる方が良いと言う。果たしてそうだろうか。

仕事が複雑だからこそ,オンとオフの区切りをはっきりさせることが,労働者の精神衛生上必要ではないだろうか。

スポーツを職業とする者は,体調を崩すと業績が落ちるので,練習量などは自ずと抑制がかかる。昔の日本のスポーツ界で横行した「根性論」に基づいたトレーニングなどではなく,科学的に合理的なものであれば,オーバートレーニングは抑制される。
しかし,ホワイトカラーの仕事はそのようには行かないだろう。
会社が残業代を完全に払うのを前提とすれば,際限なく残業代を支払うわけにもいかないであろうからそれが抑制効果となるが,ホワイトカラーエグゼンプションが導入されれば,それもなくなる。

仕事の終わりがはっきりしなければ,上司は「もう少し,もう少し」と仕事を完成度の高いものにさせたり発展させたりすることも多いだろう。
時間で区切らなければ,労働者側は一体どうなれば仕事を終わらせて良いのかわからなくなるのではないだろうか。
身を削って働く者が多くなるのは明らかである。

雇用が保障されているのならば,まだ良いだろう。労働者は,自身が望む報酬に見合うだけの仕事をしておけば良い。
しかし,他の者よりも成果が少なければ,雇用も危うくなることもあるだろう。

「8時間を労働に,8時間を睡眠に,そして8時間を自分の時間に」を求めて5月1日に立ち上がり勝ち取ったのは他ならぬアメリカの労働者である。

太田光総理風に言うならば,「8時間労働制を世界遺産に」しても良いくらいではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成後にTBさせて頂いたブログ]
公務員のためいき ホワイトカラーエグゼンプション

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