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2007年2月28日 (水)

タミフル副作用で騒ぐマスコミは何が狙いなのか?

インフルエンザの治療薬タミフルと異常行動による死亡などとの関連について,話題となっている。

2/27に仙台市で,タミフルを服用後に中2男子がマンションから転落死して,過去にも類似の例があったことから,タミフルとの関連が取り沙汰されている。

厚労省が,「因果関係は明らかではない」などと発表し,これを非難する論調が見られる。

報道されているのは,「タミフル服用後の異常行動による死亡例が複数あること」,「タミフルの添付文書に副作用として異常行動などが挙げられているのに処方時に説明がなされていないこと」,「厚労省が対策を取ろうとしないこと」などである。

厚労省の調査結果として,「全国12都県の小児科医師に対して調査を行った結果,約2500の調査例において,タミフル未使用での異常言動の発現頻度は10.6%であったのに対し,タミフル使用では11.9%と有意差を認めなかった。」というものが公表されているが,このような情報は一部の報道で見かけたのみである。

このような具体的な数字もあるのに,これを報じずに,タミフルと異常行動の関連を疑うような情報のみ報じるのは公平とは言えないと考える。

メディアがやたらと取り上げるのは,厚労省や何かと話題の柳澤厚労相を批判すれば世論に受けると思っているのか,薬害エイズのようなセンセーショナルな展開を期待して乗り遅れまいとしているのか,所詮そのあたりの理由ではないかと思う。

一般国民は,報道の内容をあくまで情報の一部と捉え,自身が得ている情報の量と質はどの程度のレベルであるかを十分に考える必要があると考える。

医薬品の添付文書には,ほとんどの薬に極めて多くの副作用が記されている。タミフルには,「精神・神経症状(意識障害、異常行動、譫妄、幻覚、妄想、痙攣等)」などが挙げられているが「頻度不明」とされている。一般的な薬では,バファリンでは「めまい,興奮」,ガスターでも「可逆性の錯乱状態、うつ状態、痙攣、意識障害」などが記されている。これらは極めて頻度の小さい副作用であり,通常,処方時にいちいち説明はされていない。

これらの情報を見る限り,タミフルと異常行動が関連している可能性は極めて低いと見るのが科学的に公平であり,処方時に説明がなされていないのも特に責められるべきこととは言えないのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年2月27日 (火)

日本国民は『民主主義』を理解しているか?

自分は,戦後の教育で「民主主義」を教え込まれてきたと思っていた。そして,それなりに理解しているつもりでいたが,最近になって,あまりわかっていなかったような気がしてきた。
他の多くの国民も,ヒラのサラリーマン,重役,経営者,末端公務員,高級官僚,政治家など,どんな社会に生きているかにかかわらず同じなのではないかという気もしている。(フリーの専門家や芸術家などにはわかっている人が多いのかも知れないとも思う。)

日本的な文化である人を敬うことを忘れぬ心懸けと,人間関係に上下を付けて整理しようとすることを混同しているという面もあるのではないだろうか。
また,役所に限らず大小多くの組織が官僚制的に運営されることが,民主主義の理解への妨げになっているのではないだろうか。

思いつくままに例を挙げると,「水戸黄門」は長寿人気番組だが葵の御紋の印籠に皆がひれ伏すのを見ても,完全に別世界のものとは感じない感覚が日本人にはあるのではないかと思うし,以前にテレビの報道番組の一場面で,大きな自動車メーカーの地方工場に社長が出向いたとき,会議室のような部屋に入ってくる社長を全員が起立,礼をして迎えたのを見て苦笑いしたこともある。また,学校の卒業式などで,型どおりの動作で証書などを受け取るのも軍隊的に過ぎるように思う。

このような国民全体の気質のせいもあり,力のある人々も民主主義からは離れた感覚を持つことが多いのではないだろうか。
新教育基本法,経団連会長(前の奥田氏,今の御手洗氏を含め)などの言動など,特に深く考えずに受け取れば,一理あるとも言えよう。
しかし,自ら「権力の頂点にいる」と言う安倍晋三首相を見ると,「この人達は民主主義をわかっていない」と思うと同時に,そのとき感じた違和感を瞬時には整理できず,自分自身もあまりよくわかっていなかったことに気付かされた思いがした。

広辞苑によると,「民主主義」の英語「democracy」の語源はギリシャ語の「demokratia」で,「demos(人民)」と「kratia(権力)」とを組み合わせたものとのことである。
つまり民主主義とは人民が権力を持つことである。権力を持つ者はそれなりの責任を自覚し義務を果たす必要がある。

以前に当ブログで『「国家の品格」は「負け組」への鎮魂歌か?』という記事を書き,その中で『藤原氏は,「国民は永遠に成熟しない」と述べている。また,それへの対応として「真のエリート」が必要と述べている。』と紹介した。これは一部の者にその他多くの者がコントロールされるべきとの民主主義とはやや異なる考えのようにも見える。しかし,「真のエリート」が民主主義を理解する限り,これは必ずしも民主主義と相反するものではないと考える。

自分も「民主主義」をどれほど理解しているのかわからないが,多くの日本国民は,「民主主義」という概念をもっと正確に理解するべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年2月20日 (火)

[番外]安倍首相が来ると飛び上がるように起立する閣僚に大笑い

先ほど,News23で見たのですが,今日の閣議前に安倍首相が入室すると,全閣僚が飛び上がるように起立していました。大笑いです。
中学生くらいになれば,少しは意地やプライドが出てきてあんなに素直に言うことは聞かないでしょう。小学生並ですね。

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国民は「美しい国」よりも「品格ある国」を望んでいるのではないか?

藤原正彦著「国家の品格」が200万部を越え今なお売れ続けているそうである。

「美しい国」を提唱する安倍首相は,支持率をどんどん下げている。
公表される支持率には,いろいろとプラス側にバイアスをかける力が働いているのではないかと思うが,それでも40%を切り,不支持率が上回るまでに下げている。

これは,国民が「美しい国」よりも「品格ある国家」を志向していることの現れではないだろうか。

字面だけを見れば,「美しい国」も「品格ある国家」に通ずる部分が多いように見える。
しかし,現実に安倍政権が行っていることは,力のあるものがその力を失わんがために,力を以て体制を固めていくという,下品極まりないことのように見える。

民主党に「品格」があるとも思えないところが残念ではあるし二大政党制が良いかどうかはわからないが,とりあえず,フロック的ではない政権交代が,品格ある国家でありたいと願う国民の意思表示あるいは決意表明のために必要ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年2月13日 (火)

柳澤厚労相は少子化問題などほとんど眼中に無いのではないか?

「きっこのブログ」で取り上げられて知ったのだが,柳澤厚労相が衆議院予算委員会で,またも少子化問題の責任者としての自覚を感じられない発言を行った。

民主党の枝野幸男議員の質問の中で,「2004年度の厚労省の調査では医師の数が減少しているのは産婦人科医と外科医だけであるが,この理由を理解しているか」との問いに対して,「産婦人科医に関しては出生数の減少に伴う医療ニーズの低減が反映されている」と答えた。
衆議院TVの平成19年2月7日予算委員会のページの枝野氏の質問の23分40秒あたりがこの部分)

一般市民でも,また出産に関心のある人なら尚更,多くの人が産婦人科医減少の問題を知っているであろう。様々なメディアで取り上げられている。
googleで「産婦人科医 減少」と検索すると373,000件ヒットする。そして,キーワードに「少子化」を加えると94,100件に激減する。つまり,産婦人科医の減少と少子化は直接に関連づける人はほとんどいないことがわかる。

検索でヒットするページのひとつ,【「産婦人科医・小児科医不足を考える」公開シンポジウム】をざっと読んでみるまでもなく,激務と負わされる責任の重さのために希望者が減っていることは今や常識と言っても過言ではないかも知れない。

それなのに,「ニーズの減少」と捉えるとは,いかにもドライに数字の上でだけものを考える人の物言いである。

やはり,柳澤伯夫氏は,財界のための労働行政をするために任命された大臣であって,厚生行政,中でも少子化問題などは片手間にやっているのではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成後にTBさせて頂いたブログ]
みやっちBlog 柳沢発言の真意追求を言葉狩りに貶める安倍内閣
お玉おばさんでもわかる政治のお話 産む機械、健全な希望、言葉尻だけでとらえずとも・・・おかしいよ
日本がアブナイ! やはり柳沢氏は厚労大臣には適格ではない!<結婚&子供複数は健全発言を受けて>
さぁ みんなで語り合おう だめだこりゃ
ぽじとろんの落書き帖Ⅱ どうして、それが女性の尊厳を否定したことになるんだ?

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2007年2月10日 (土)

静岡空港建設は税金のムダ遣いか?

先刻,テレビ番組「ブロードキャスター」で静岡空港建設が取り上げられていた。
総工費1900億円ということで,赤字続きの福島空港を例に取り,採算性の見込みの無さが批判されていた。

しかし,公共交通に必ずしも採算性を求める必要があるのだろうか。

現在の情報化社会では,情報はほとんど日本中どこにいても十分に手に入る。発信も可能である。
自分は,人と物の物理的な移動がもっとスムーズになれば,人口や経済がもっと全国に分散して,暮らしやすくなると常々考えている。
地方にも仕事が増えるし,自動車利用が減って環境保全の効果もあろう。
(財界としては自動車利用の減少は困るのだろうが。)

そのためには,公共交通網の密度向上と利用費低減が必要である。
独立的に採算がとれず,税金がある程度投入されるのは不適切とは言えないのではないだろうか。
政官財の癒着など闇の一面もあるだろうが,それはそれである。

自分は地方都市に住んでおり,仕事でもプライベートでも空港をよく利用する。
日本のように細長い国土では,鉄道による移動はある程度の距離を超えると時間的あるいは体力的な負担が大きい。
しかし近年,航空会社のローカル便がどんどん減り,非常に不便している。

冒頭のテレビ番組でコメンテーターのひとりが,「東京から新幹線もバスもあるのに羽田や成田から行く人はいない」と述べていた。全く東京中心の考え方である。

東京への一極集中は多くの意味で問題があると思う。
最近,これを問題視する論調をあまり聞かなくなったが,これも自由競争偏重の現れなのだろうか。

経済を地方に分散し,国全体の活力を向上するためには,飛行機から地方自治体内の路線バスなどまで含めた公共交通の充実は不可欠ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年2月 8日 (木)

柳澤厚労相の失言を責め立てるのは「揚げ足取り」か?

柳澤伯夫厚生労働大臣の発言が,また物議を醸している。

問題の発言は「若い人たちは『結婚したい、子供を2人以上持ちたい』という極めて健全な状況にいる」という内容である。

先の「女性は産む機械」発言を含め,これらを責め立てるのを「揚げ足取り」とする論調があるが,果たしてそうだろうか。

「一人頭でがんばってもらう」とか,「若い人たちが子どもを欲しいと思うのが健全な状況」という発言からは,少子化問題の責任者としての自覚を全く感じられない。
女性一人あたりの子どもの数を増やす必要がある,当たり前である。若い人が結婚して子どもを欲しいと思う,当たり前である。それが実現できない社会が問題なのであって,子どもを産まない国民に問題があるわけではない。女性にがんばって産めと言ったり,結婚しないあるいは子どもを欲しがらない若者を不健全扱いするのは,責任転嫁も甚だしい。

がんばらなくても子どもの持てる社会,欲しいと思えば不安なく持てる社会,それを創って行くのが厚労相の役割であろう。
「一人頭でがんばってもらう」ではなく「一人でたくさん産めるような社会にしなければならない」,「欲しいと思うのが健全な状況」ではなく「欲しい人が安心して産めるような健全な社会にしなければならない」と,責任者としての自覚があれば自然と口に出るのではないだろうか。
「子どもを欲しいという健全な状況だからそれにフィットした政策が必要」とは言っているが,若い人が子どもを欲しがろうがそうでなかろうが,欲しいと思わせ,それを実現できる社会にするのが役目であろう。

「揚げ足取り」と言えばそうかも知れないが,大臣に責任者としての自覚があれば,揚げるはずのない足ではないか。
評論家ならばともかく,厚生労働大臣の発言としては,少子化問題に国策として取り組む自覚に欠け,国民に責任を被せる意識の現れたものであり大臣として不適格とされて然るべきであろう。

それにもかかわらず,本人も安倍首相も頑として辞任を拒むのは,少子化対策よりも財界の意向に沿った労働行政を優先する姿勢の表れではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年2月 5日 (月)

安倍首相が柳澤厚労相を辞めさせないのは任命責任を問われたくないだけか?

柳澤伯夫厚生労働大臣の「女性は産む機械」発言が話題となっている。

与党議員をも含む辞任を求める声に対して,安倍首相は頑として擁護しようとしている。ああまでして守ろうとするのは,果たして任命責任を問われたくない等のためだけだろうか。
単純に考えれば,愛知県知事や北九州市長の選挙を見ても,さっさと辞めさせた方が得策のように思える。

柳澤大臣は,東大法学部から大蔵省(現財務省)と王道を歩み,政界入りした人物である。「日本は自分たちエリートが動かしている」という意識を持っている可能性は高いといえよう。
ホワイトカラーエグゼンプション導入法案を極めて精力的に推し進めていたし,増税論者でもある。
共産党が絵に描くブルジョアジーに属するような人物のように見える。経団連会長の御手洗氏も擁護するような発言をしている。
厚生労働省という,いわばプロレタリアートのために存在するような省庁の長にこのような人物を据えること自体に,安倍首相の政治の方向性が映されているようにも思える。

安倍首相が柳澤厚労相をどうしても辞めさせたくないのは,参院選を乗り切った暁には,与党内の反対すら押し切って,ホワイトカラーエグゼンプションなど財界や資産家に都合の良い政策をどんどん進めていきたいがためではないかと思うのだが,どうだろうか。

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