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2007年4月25日 (水)

集団的自衛権の行使など言語道断であると国民は再認識するべきではないか?

安倍首相が「集団的自衛権」を行使できるようにしようと躍起になっているが,「集団的自衛権」は今の憲法とは全く相容れないものではないだろうか。

「集団的自衛権」は,「持っているが行使できない」というのが政府の立場であり,「持っている」の根拠は国連憲章第51条に「集団的自衛権」は国の「固有の権利」と定められていることらしいが,全くの詭弁だと考える。

国連憲章には,「戦争をしてはいけない」とは書いていない。しかも,国連による軍事行動まで規定されている。つまり,紛争の解決手段としての戦争は,極力避けるべきとはしているが,行う権利を国連はどの国に対しても否定していない。
しかし,国際紛争を解決する手段としての軍事行動を行う権利は,憲法で明確に放棄している。

先日,元防衛庁長官の石破茂氏が,「北朝鮮からグァムの米軍基地へ向けてミサイルが発射され,偶然,日本のイージス艦がそれを撃墜できる位置にいたとして,日本が何もしないでミサイルを見過ごして米軍基地に命中し,多数の死者が出たら,その瞬間に日米安保条約は破綻する」という意味のことを述べるのを聞いた。
その場合,いったい何が起きるというのだろうか。米軍が,日本から全基地を撤収するのだろうか。それとも,日本を占領でもするのだろうか。

米国に対する攻撃に対して反撃するというのは,明らかに米国対第三国の軍事紛争への介入であり,すなわち「参戦」である。今の憲法下ではできないことは明らかである。
安倍首相などは,「集団的自衛権」に関して繰り返し言及して国民の感覚を麻痺させようとしているが,日本国民は,「集団的自衛権の保持・行使」など議論するにも値しないということを再認識する必要があるのではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成後にTBさせて頂いたブログ]
日本がアブナイ! お仲間会議で集団的自衛権の解釈改憲&憲法の記念式典でも改憲祝辞・・・こんな首相はいらない!
評論家・森田敬一郎の発言 安倍氏はアメリカが嫌い?―アメリカ人が草稿書いたって、いい憲法ならいいじゃないか。

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2007年4月21日 (土)

お年寄りが無理に運転しなくてもよい地方社会にするべきではないか?

今日,一方通行の道路を車で走っていたら,どう見ても70を優に過ぎた老夫婦(ご主人が運転)の軽トラックが向こうから走ってきた。これを罵るのは簡単だが,やはり地方の公共交通の貧弱さを思わずにはいられない。

地方ではあるが,ほとんど通行のないような過疎地ではない。一方通行を逆走すると,かなり事故の確率は高くなるだろう。逆走しないまでも,運動能力の衰えたお年寄りが運転するには,多すぎるだけの通行量はある。

しかし,路線バスを走らせれば赤字は間違いない程度の人口密度でもある。

公共交通が貧弱だからと言って,現代のお年寄りに,家の近所だけで生活しろというのは酷であろう。また,農作業にも車は必需品であり,田んぼと畑ばかりだったところに宅地などが入り込んだために通行量が増えて,邪魔者扱いされるのも迷惑だろう。

「狭い日本そんなに急いでどこに行く」という標語は,かつては頻繁に目や耳にしたが,最近はめっきり聞かなくなった。急ぐのが当たり前になってしまったのではないか。

都市と地方を結ぶ交通を充実させ,地方の経済を活性化して,地方の人口を増やし,さらに「そんなに急いで」移動しなくともよいだけのゆとりを多くの人が持てるようにするなど,様々な方策を同時並行的に行わなければ,若者から老人までが安心して暮らせるような地方社会は実現できないだろう。

大都市偏重の,または自動車産業の繁栄ではなく,地方の繁栄のために,国民みんなで知恵を絞るべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年4月18日 (水)

国民は早く憲法が自分たちのものであることに目覚めるべきではないか?

4月16日の参議院本会議で,民主党の簗瀬進議員の質問に答えて,自民党憲法調査会の会長である保岡興治が,国民投票法案で最低投票率を定めない理由について,「専門的・技術的な国民の関心の薄い憲法改正が難しくなる可能性がある」と述べた。(参議院インターネット審議中継のこのライブラリの27分頃の発言)

全く国民を馬鹿にした発言である。しかも,予め準備した答弁書を棒読みしている。つまり,「うっかり口にした」のではなく確信犯である。真面目に考えた末に,国民に受け入れられる内容だと思っているのである。

「専門的・技術的」であって,多くの「馬鹿な」国民には理解できないような内容の憲法改正の場合は,理解できる一部の「賢い」国民で決めてしまおう,ということである。

憲法は主権者たる国民のものであり,権力から国民を守るものである。一部の権力者の思惑で変えるべきものではない。

国民が主権者たる自覚になかなか目覚めないから,このような者たちにいつまでも馬鹿にされるのではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成後にTBさせて頂いたブログ]
日本がアブナイ! 国民投票法案の慎重審議を!(1) ~参院は波乱の幕開けに。安倍暴挙を許すな!~
華氏451度 「憲法問題は関心が低いから最低投票率を設けられない」!?

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2007年4月15日 (日)

いつまで名前を連呼する選挙が続くのか?

統一地方選の後半戦が始まった。

町じゅうを,多くの選挙カーが走り回り,騒音を撒き散らしている。

「○○○○(候補者の名前),○○○○をよろしくお願いします。」
「ご声援ありがとうございます。」

などと,意味のない言葉を大音量で流しながら走り回っている。あまりにも馬鹿馬鹿しい。
病人が休んでいる家や,赤ん坊が昼寝している家にとっては迷惑極まりないだろう。

こんなことで,得票数が変わるのだろうか。変わるとすれば,投票する人達の良識を疑う。

市議会議員などが,関係者の利益代表でしかない限り,このような状態は変わらないのであろう。
昨今の世論は,公務員に「全体の奉仕者」たることを徹底するよう強く要求している。
ならば,同じ公務員である市議会議員などにも,「市全体の奉仕者」であることを要求すべきであろう。

地方自治体の住民がもっと自立して,議員などを自治体全体に関する政策によって選ぶように成長しなければ,自治体が国に依存せずに自立できる日は来ないのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年4月11日 (水)

海上自衛隊のCMに釣られる若者に国が守れるのか?

海上自衛隊がこんなCMを作っている。
「街頭ビジョンCM」というものが,どこで流されているのか知らないが,多くの人が見ることができる場所なのだろう。

こんなCMに釣られて入隊する若者に,命を懸けて国を守る覚悟があるのだろうか。
不景気で働き口の少ないのをいいことに,札びらで頬を叩いて引きずり込もうとするようなもので,全く国民をバカにした話ではないだろうか。

一昨日の本ブログ記事で批判した石原慎太郎氏だが,ひとつ共感できることを述べている。(公式Webサイトで紹介されている。)

「死の予感に晒され苛まれることのない男とは,つまり,自らの愛するもののために,場合によっては生命を賭した闘うべき義務責任を負わぬ男でしかない。」

自分は護憲派であり,戦争は嫌悪する。しかし,いくら平和な社会でも,例えばある日突然暴漢あるいは災害などにより家族の身の危険が生じるなど,突発的な事態が起きる可能性は常にある。やはり男たるもの,場合によって命がけで闘う覚悟は必要だと思う。

人一倍,そのような使命感の強い若者をこそ惹きつけるようなCMを,自衛隊は作るべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成後にTBさせて頂いたブログ]
お玉おばさんでもわかる政治のお話 海上自衛隊のCM、やばい

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2007年4月 9日 (月)

石原慎太郎都政による東京一極集中は日本のためになるか?

石原慎太郎氏が都知事に再選されたが,これは当然の結末だろう。
政策の内容は別にして,あれだけの存在感,リーダーシップを持つ人物に対抗するには,他の候補者ではあまりにも力不足である。しかも東京都は都道府県の中では「勝ち組」(嫌いな言葉だが)である。保守の現職が強いのは当然であろう。

自分は石原都政をよく知らないので,あまりコメントできないが,特に肯定するものではない。
ただ,石原氏自身は嫌いではない。

東京都を独立国と考えるならば,石原氏は良いリーダーではないかと思う。だからこそ,結局大差で都知事選に勝利できるのだろう。

自分が石原氏の政策に関して最も不満を感じるのは,地方との共存に関する姿勢である。

石原氏が,日本における東京と地方のあり方についてどのように考えているのかと少しネット上を眺めたら,以下のような情報があった。
石原氏の公式Webサイトの1ページの中の,

石原は現代文明を「コンピューターエイジ」だと捉えている。コンピューターはネットワークにより、機械は分散するが、肝心の中身である情報は集中・集積によって成り立っているものだ。(中略)コンピューターエイジである現代文明において、集中・集積は歴史的、文明的に必然であり、そのメリットを最大限活用すべきだと石原は捉えているのである。

という記述である。
これは間違っていると自分は思う。
ネットワークを含む情報処理技術の進歩により,情報の蓄積と処理も分散化が進んでいると考える。「集中・集積」はふた昔以前のメインフレームが主役の時代のことではないだろうか。

石原氏が,真に「東京から日本を変える」つもりであれば,「地方と共存する東京」を目指すべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成後にTBさせて頂いたブログ]
日本がアブナイ! 統一地方選前半が終わり、石原3選するも・・・実は、ここからが本番&重要なのだ!
お玉おばさんでもわかる政治のお話 あと四年も石原都政

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2007年4月 8日 (日)

国民投票の投票権年齢を18歳以上とするのは何のためか?

与党の提出した国民投票法案では,投票権年齢を18歳に引き下げるとしているが,自分はこれは問題があると感じている。
これは民主党の主張を受け入れた形であるが,民主党がなぜこれを主張するのかも理解に苦しむ。若い人の方がリベラルで民主党に近い考え方をする人が多いと考えているのだろうか。

昨今は,若者の精神的な成熟の遅さが指摘されることが多い。高校卒業後の進学率が高いことも影響しているように思われる。
ひと昔あるいはふた昔くらいなら,社会人となる年齢の標準は18歳でも良かったかも知れないが,このごろは20~22が標準であろう。フリーター,ニートの多さを加味すれば,もっと高いかも知れない。

国民投票の投票権年齢を18歳に引き下げることにより起きるもっとも大きな変化は,創価学会員の若者に投票権が与えられることではないだろうか。
具体的なデータがないので,全くの当て推量に過ぎないが,18~19歳で国民投票などに棄権しないで投票する人数は,リベラルな若者よりも創価学会員の若者の方が多いように思われる。

与党が創価学会票に頼っている現在,国民投票などの権利を18歳以上に与えるのは,与党を利する面がかなり強いのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年4月 1日 (日)

選挙を棄権しても批判としての意味は成さないのではないか?

統一地方選の前半戦が始まっている。この選挙の重要性は極めて大きいのではないだろうか。

日本は長らく封建的な社会に馴染んでおり,戦後もまだその空気は残っていると思う。しかし,少し前までは,有力者たちにまだ「品格」があったように思われる。昨今は,戦前を知るような「品格」ある有力者たちのほとんどは草葉の陰から為す術もなく,封建的な考え方と,利己主義と履き違えたとしか思えない民主主義の考え方を併せ持つ者たちに世の中が牛耳られようとしているように感じられる。

そのような中,一頃よりは「あきらめムード」が少しずつ払拭されてきているようにも感じるが,まだまだ国民の政治への関心は薄いと言っていいのではないだろうか。

よく,投票したいと思う候補者がいないから選挙に行かないとか,投票しないことが批判の意を表す手段だとかいう声を聞く。

しかしそれは,国民を欺いたり利用したりしようとする政治家にとっては完全に思う壺であり,そのような者たちに,選挙に行かない国民はバカにされていると思ってよいと考える。

このようなブログを読まれる方で,選挙に行かない人はほとんどいないとも思われるので,こんな記事はあまり意味がないかも知れないが,このところ多忙で新しい記事を書く時間がなかなか取れない中,地方選に関してひとことだけでも触れておこうと思い,急ぎ書いてみた。

いずれにしても,選挙を棄権しても何の得もないので,批判の意思だけを表したいにしても,泡沫と思しき候補に入れるなり,最低でも白票を投じるなり,何らかのアクションを起こす必要があるのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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