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2007年8月30日 (木)

新安倍内閣で地方活性化は行えるのか?

今日の読売新聞の特集記事で,安倍首相が増田寛也氏への総務相就任要請の経緯が記されていた。
電話で入閣を打診した際に,
「選挙の結果,地方の問題が大事だとわかったので,あなたの経験を生かしてもらえないか」と熱っぽく口説いていた。
とのことである。

これが事実かどうかはわからないが,事実であれば,選挙で負けるまで地方に溜まった不満に気付いていなかったのであろうか。
また,「地方の問題が大事」とは,よりよい国にするために大事なのだろうか,それとも選挙で票を集めるために大事なのであろうか。これまでさんざん都市と地方の格差を拡げておきながら,今さらこんなことを言うのは,票集めのためのように聞こえる。

いずれにしても,これまで,それなりの確たる方針に則って「地方いじめ」をしてきたはずである。選挙に負けたからと,急に対策を講じようとしても付け焼き刃で実効性の乏しいものとなるのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年8月22日 (水)

栽培員制度は必要なのか?

裁判員制度の導入準備が進められている。
「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」という法律が平成16年(2004年)に公布され,5年以内,すなわち平成21年(2009年)までに施行されることとなっている。

自分は,どういう経緯で裁判員制度が導入されることになったのか,よく知らない。

1995年の地下鉄サリン事件や,1997年の神戸連続児童殺傷事件(いわゆる酒鬼薔薇事件)のころからだろうか,犯罪の被害者に同情が集まり,併せて犯人に対する非難が高まり,それに伴って判決の確定が遅かったり,量刑が軽いという批判の声がよく聞かれるようになったように思う。
その後,1998年の和歌山毒物カレー事件では,ほぼ物証がないままに死刑判決が出されたり,2001年に起きた,大阪池田小事件では,犯人の死刑が確定した後,1年足らずという異例の早さで執行されるなど,厳罰傾向が高まる一方,世論の司法に対する批判が強くなっているように感ずる。

裁判員制度は,このような世論に対して,一般人を裁判に参加させることで判決に対する世論の批判をかわそうとするために導入されることになったのだろうか。

法務省の説明では,
裁判員制度の導入により,法律の専門家ではない国民の皆さんが裁判に参加し,国民の皆さんの感覚が裁判の内容に反映されるようになります。そして,それによって,国民の皆さんの司法に対する理解と支持が深まることが期待されているのです。
とされている。

しかし,自民党のWebサイト上の情報でも,「国民の参加意欲は必ずしも高くない」としており,世論調査などでも制度に対する疑問や参加に消極的な国民が多いようである。

自分も裁判員制度には反対である。
裁判員制度に限らず,現在のような複雑化した社会では,さまざまなプロフェッショナルがそれぞれの役割を果たす,分業化を進める必要があると思っている。
また,強制的に国のために働かせるのは憲法違反ではないだろうか。

なぜ,世論が積極的に賛同する状態とは全く言えないのに,3年前に法律で決めたからと無理に進める必要があるのだろうか。

裁判員制度については,今一度,世論に是非を問うて,中止も視野に入れて見直す必要があるのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年8月20日 (月)

民主党の政策を「バラ撒き」というが国民はもう待てないのではないか?

民主党が参院選で掲げたマニフェストの「3つの約束」の2つは,

安心して子育てできる社会。1人月額2万6000円の「子ども手当」を支給します。
農業の元気で、地域を再生。農業の「戸別所得補償制度」を創設します。

である。
これを「バラ撒き」と批判する論調がある。
確かに,言葉の選びようによっては「バラ撒き」と言えるかも知れない。しかし,これまでの政策は,利権を持つ一部の者たちにだけ税金を撒くものであり,それよりは遥かに良い政策ではないだろうか。

教育と農業,これらの状況の改善は「待ったなし」のところまで来ている。
農業は,団塊の世代を上限とする,第二,三次産業の働き手の親の世代が,どんどん働ける年齢を過ぎて行くので,後継者を確保しなければならない。
教育は,安倍首相がいくら理念を声高に叫んでも,生活が苦しければ聞くヒマはないし,もともと聞く気のない親も多い。人材は,何よりも大切にしなければならない国の宝である。人材の育成は常に「待ったなし」である。

自分は大都市に生まれ育ち,仕事の都合による地方での生活も長い。ある程度,両方の状況を知っているつもりである。
現在の地域格差は極めて大きい。
比較的大きな地方都市でも駅前の商店街はいわゆる「シャッター通り」のところが多いし,農家は低収入で後継者のあてもなく,惰性で続けているような人も多い。
東京都民などは,地方住民は生活コストが低いと思っているようだが,実感としては感じない。
公共交通がないからマイカーは必須で一家に複数必要な場合も多い。このコストは膨大である。最近は自動車保険の保険料も地域差があって,地方は比較的高い。運転できない高齢者はタクシーを使わざるを得ない。
市場が小さいから,家電品など高額な生活用品が割高である。
サービス業なども質が低いので,相対的に割高に感じる。
今はインターネットが発達して,モノやサービスの購入に関しては比較的改善されているが,使いこなすのはまだまだごく一部の人たちである。しかも,それで儲かるのは結局のところ大都市が主であって,地元の経済の足しにはならない。

前回の参院選では,従来保守的であった地方で与党候補が次々と負けた。四国全県で民主党候補が勝ったことなど象徴的ではないだろうか。

国民,特に地方の農家や低迷する経済にあえぐ人たち,また,地方に限らず全国の子育てをする人たちは,とにかくもう待てない状況であり,「改革の痛み」と言われても全く先が見えず,即効性のある政策を求めているのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年8月19日 (日)

インド洋に派遣されている自衛隊艦船の燃料調達先はどこか?

読売新聞によれば,

テロ対策特別措置法に基づいて2001年12月から海上自衛隊がインド洋で米英軍などの艦船に行っている給油、給水の費用が今年7月6日までで計約216億6043万円に上った

とのことである。
この財源は当然税金であるが,自分が気になるのは,給油するための燃料をどうやって調達しているかである。

防衛省の情報を見ると,一回の派遣は約4~6ヶ月に及んでいる。補給艦の積載可能量や米国の艦船の燃料使用量などは知らないが,国内で調達して,無くなったら帰ってくるという形なのであろうか。
そうであれば,一応,税金は国内企業に還元されているので,まだマシと言える。
しかし,アラビア海沿岸国で調達しているのならば,国内には全く還元されず,さらに何らかの形で米国企業にカネがまわるような仕組みになっているとしたら,単なる「無料ガススタンド」以上に米国に貢献していることになる。

メディアでは,自衛隊は「インド洋」に派遣されていることになっているが,実際に活動しているのはインド洋といってもアラビア海の沿岸であり,わざわざ海上で給油する必要性はないという話も聞いた(首藤信彦氏)。
その通りであれば,本来,自衛隊が派遣される必要はまったくなく,海外に自衛隊を派遣したい政府と,コスト削減と他国の理解を得ているという実績作りをしたい米国の意図のためだけに派遣されているわけである。

政府は,単に「民間企業と契約を締結して調達している」とだけ明らかにしているが,財源を負担している国民には,もう少し詳しく知る権利があるのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年8月18日 (土)

「ゆとり教育は悪」なのか?(その3)

以前にこのブログで,
「ゆとり教育は悪」なのか?
「ゆとり教育は悪」なのか?(その2)
という2つの記事を書いた。

読売新聞によると,

今年度中に改定が予定される小中高校の学習指導要領について、中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)は16日、基本方針を「ゆとり教育」から「確かな学力の向上」に転換した上で、自分の考えを文章や言葉で表現する「言語力」を全教科で育成していく方針を固めた。

とのことである。

「自分の考えを文章や言葉で表現する」力の育成は,まさに「ゆとり教育」の狙いのひとつであったのではないだろうか。
「詰め込み教育」によって,問題の正解を見つける力だけが優先され,自由に的確に自分を表現する力が養われないことが,「ゆとり教育」へ向かわせた反省点ではなかっただろうか。

自分は今でも,「ゆとり教育」の理念は正しいと思っている。ただ,実践する人達にその理念が正しく伝えられなかったのが反省点だと考える。

読売新聞も,紙媒体では冒頭の記事を一面トップに載せる一方,別の面で,

「ゆとり教育」について,文科省には「授業時間の短縮ばかりが強調され,『自分で考え,表現する力を身につけさせる』という肝心な理念が学校現場に伝わらなかった」という苦い反省がある。国際学習到達度調査で思考力や表現力の低下が顕著となる中,省内には「知識の詰め込み教育に戻してはいけない」という声が強い。今回打ち出された「言語力」は,表現力や思考力の重要性を改めて学校現場に浸透させるのが狙いだ。

と解説している。

すなわち,今回の基本方針変更は,あくまで「脱ゆとり教育」ではなく,「ゆとり教育を真に実現する」ためのものと捉えるべきであろう。

しかし,冒頭に挙げたような文面では,「脱ゆとり教育」と取られかねず,「詰め込み教育」への逆戻りを招きかねないと思う。
また,権力者の一部,もしかしたら大部分は,国民ひとりひとりが「考える力」を身につけることは好ましくないと考え,意図的にその妨害を謀ろうとするかも知れない。現在の「ゆとり教育」の失敗も,もしかしたらそのせいかも知れないと思うのは穿った見方に過ぎるだろうか。

今後,行政や教育に携わる人達,さらには子供を持つ持たないにかかわらず一般国民もすべて,文科省のねらいを的確に理解し,その実現のために努力して,これまでの「ゆとり教育」の失敗の轍を踏まないようにする必要があるのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年8月17日 (金)

[番外]自民と民主の大連立などあってはならない

自民党と民主党の大連立を望む声が一部にあるようですが,それはとんでもない話だと思います。

民主党が勢いを得た今,わが国,いいえ,日本国民の幸福を願う人達にとって,霞ヶ関と自民党が一体化している「戦後レジーム」から脱却する大きなチャンスでしょう。
安倍首相の目指す「戦後レジームからの脱却」は,霞ヶ関と自民党が一体化したままで,これまで霞ヶ関が優位であった状態を逆転させるという意味だと思います。
防衛次官のゴタゴタを見ても,自民党は自分たちに恭順な官僚を揃えようとしているのでしょう。
自民と民主の大連立など,その狙いを助けることにしかなりません。

政府と官僚が,真に国民のために働けるようにするためには,その癒着を断ち切って,政治家は国民の意思を正しく代弁するための,官僚は常に公正であるための緊張感を持つ状態にしなければならないと思います。
現在の体制で彼らが持っている緊張感は,自分の立場を守るためのものでしょう。個々人を見ればそうではない人も多いだろうとは思いますが,体制としてはそうなっていると思います。

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2007年8月15日 (水)

戦争を無くすことは可能か?

今日は62回目の終戦記念日,戦争に関連して亡くなられたすべての人々に心より哀悼の意を表したい。

終戦に当たり,永遠の戦争放棄を誓ったわが国であるが,地球上では常に戦火が絶えない。
戦争は国際政治の手段のひとつであり,国際的に全面的に禁じられてもいない。
言論で自らを主張する機会を与えられない人々は,武力に訴えるしかないということもある。

過去の戦争は,結局,歴史的必然であり,今からとやかく言っても仕方のない面がある。
しかし,将来に関してはどうだろうか。いつの日か,地球上から組織的な武力衝突が無くなる日は来るのだろうか。

個人的な動機により殺人を犯す人間は未来永劫,絶滅できないかも知れない。
異常な気質や突発的な感情の爆発による偶発的な殺人も完全に防ぐことは不可能であろう。

しかし,戦争は単なる暴力ではない。
正当な政治手段である戦争や,言論の限界を超えるための武力衝突の発生までには,多数の人間の理性が関与することができる。

強権的に一部の言論を封じ込めようとする権力者,武力を使ってでも自らの野望を達成せんとする者や,ましてや,金儲けに利用するために戦争の発生を望むような者を撲滅することは,僅かながらも可能性はあるのではないだろうか。

それを実現するためには,それを望む人々,および戦争が発生したときに利用されるだけの立場であることをまだ自覚していない人々が自覚し,適切な行動を取って行くことが必要ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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[番外]小池防衛相の「私は酔っぱらってない」

小池百合子防衛相が,守屋武昌事務次官と会談した後に報道陣に取り囲まれて,人事の話をしたのかと問われて,「私達は日本国の防衛をしているのであって,自己防衛をしているのではない」と話していました。
質問者はそこまでの言い方はしていないのに,自ら本心を語ってしまったようですね。

よく酔っぱらいが,聞いてもいないのに「オレは酔っぱらってないぞ!」などと言いますが,同じようなものですね。

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2007年8月14日 (火)

日本が「戦争のできる国」となるのは非現実的か?

安倍首相が「戦争のできる国」にしようとしている,と言う論調がある。
また,これを現実離れした物言いとする論調もある。
確かに,例え憲法九条がどのように変えられたとしても,わが国が単独で他国を侵略するようなことは当分の間はあり得ないだろう。
「戦争」というと先の大戦,太平洋戦争のイメージを浮かべる人が多いのだろう。あのような戦争は,今後まず起こりえない。

しかし,イラクに自衛隊が派遣されたことを考えるとき,日本からの派遣部隊が他国の部隊に協力して「集団的自衛」の名の下に戦闘を行うことは,現状と紙一重ではないだろうか。

それは確かに「戦争をしている」状態である。
そして,自衛隊の若い隊員の生命が失われる確率は非常に高くなるし,日本本土が爆弾攻撃などの標的になる可能性も高くなる。

例えば,先進国の複数が賛同せず,米国自身も反省の色が見られるような戦争のために,わが国の若者の生命がほぼ確実に複数失われるような事態を,日本国民は許してよいのだろうか。

自衛隊員が他国で一発でも銃弾を発すれば,それがすなわち「戦争」であって,それを許容するかどうかが,戦争の「できる国」か「できない国」の分かれ目ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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ヒゲの隊長は何様のつもりなのか?

やや旧聞であるが,8月7日に先日の参院選で当選した議員の方々が初登院した。
その中に,自民党比例区で当選した,元陸上自衛隊イラク先遣隊長,佐藤正久氏がいた。

佐藤氏は,集団的自衛権に関する政府の有識者会合が「駆けつけ警護」(味方である他国の軍隊が攻撃されたときに駆けつけて応戦するもの)を認めるべきという意見で一致したとの話を聞いて,

イラク派遣当時,もしオランダ軍が攻撃を受ければ,情報収集の名目で駆けつけ,あえて巻き込まれて,正当防衛・緊急避難の状況を作り出して,憲法に反しない形で実質的な駆けつけ警護を行うつもりだったと語った。
さらに,そのために「日本の法律で裁かれるのであれば裁かれてやろう」というつもりだったとも語った

これは極めて重大な発言である。
一自衛官が,明示的に認められてはいない活動を,法に触れる可能性を明らかに自覚していながら,自身の判断で部隊に行わせるつもりだったというのである。
もし,そのような戦闘が行われていたら,その場で自衛隊員に犠牲者が出たかも知れないし,敵対勢力側の自衛隊への認識が変化してその後も継続的に被害が出たかも知れない。自衛隊員がイラクの民間人を巻き込んで殺傷してしまっていたかも知れない。

もし,そのような事態になっていたら,「裁かれてやろう」などという程度の覚悟で,どのように責任を取っていたのだろうか。
自らの生命を以て償うほどの覚悟があったのであればまだしも,「裁かれてやろう」などと発言するくらいであるから,それほどの覚悟はなかったのは明らかである。

政治的な信念のために確信犯を行うというのでは,日本赤軍や連合赤軍などと変わりはない。否,自殺した幹部がいる分,彼らの方がマシとも言えるかも知れない。

このような発言のバックには,安倍首相の世論操作の意図があるのかも知れない。
いずれにせよ,確信犯を行う意向を,しかも国家全体の意志として判断するべき事項を一個人で勝手に判断する思い上がった意向を公然と口にするような人物を国会議員として認めるわけにはいかないのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年8月 7日 (火)

自民党こそが「親方日の丸体質」ではないか?

テレビカメラも入った自民党の会合で,大物議員からの安倍首相続投批判が続出したとのことである。

読売新聞によると,

自民党で7日に開かれた地域ブロック別の国会議員懇談会や代議士会で、安倍首相の参院選惨敗の責任を指摘する意見が相次いだ。一部の派閥幹部からは退陣を促す声も出ており、首相批判はなお広がる可能性がある。

とのことである。

公然と党首を厳しく批判するとは,政党としてあって良いことなのであろうか。
自民党は,「様々な意見を受け入れている」と,一見民主的な運営を装っているが,郵政民営化問題に象徴されるように,大きな問題では党の決定に反することは許さないし,ほとんどの議員はそれに従う。

これは,本来,政治姿勢の大きく異なる者達の集まりでありながら,自民党の看板に頼っているだけ,そして,その看板を支えているのは結局官僚であって,すなわち,自民党議員こそが「親方日の丸体質」なのではないだろうか。

また,世論調査の結果を信用すれば,安倍内閣の支持率の低さの割りに,辞任要望が少ないようである。
これは,安倍氏が首相に相応しいと積極的に考える人が多いわけではなく,単に他に相応しい人物が思いつかないという理由からではないだろうか。

民主党に政権担当能力はないという論調も多い。
しかし,自民党が政権を担っていられるのは,自民党の看板のおかげであり,優れた資質や明確に共通した政治姿勢を持った政治家が集っているわけではないのではないだろうか。
そうであれば,一旦,民主党が政権についても国政運営ができる体制が整ってしまえば,民主党でも十分に政権を担当することは可能ではないだろうか。

それならば結局どちらがやっても同じという意見もあるだろう。
自民党は,官僚支配からの脱却を謳っているが,それならば,官僚との連携ができあがってしまっていない民主党に,一旦政権を委ねてしまうのが近道ではないだろうか。

二大政党制がベストとは思われないが,それでもとにかく複数の政党が緊張感を持って政権奪取を競い合うことは,国民にとってよりよい社会をもたらす可能性が十分にあるのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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「戦争」を実際に行うのは誰か?

最近,映画「父親たちの星条旗」,「硫黄島からの手紙」,「ラスト・サムライ」,「ヒトラー ~最期の12日間~」を見た。
昨日,NHKスペシャルの再放送「硫黄島・玉砕戦」を見た。

美化している面もあろうが,昔の日本軍や侍は,戦争の責任を,かなり地位の高い者や最高責任者が命を以て購うことがよくあったようである。日本では,太平洋戦争の敗戦を受けて自害した大臣もいる。美化する気はないが,ヒトラーでさえ自害した。

今の時代では,わが国でさえ,そのような覚悟を持った指導者はほとんどいないであろう。
(ただ,自衛隊の幹部の方には,そのような覚悟を持った方はおられるだろうと思う。そのような方々には心より敬意を表したい。)

対イラク連合軍の犠牲者の情報のサイトに,犠牲者の氏名や階級,年齢などの情報がある。

犠牲者は,10代や20代の若者がほとんどで,もっと年配の人でも,階級は高くない場合がほとんどである。
一体彼らに,本当にイラクで命を落とすだけの責任や義務や,ましてや罪などあるのだろうか。
死に見合う報償があるのだろうか。
もし命を落とさずに済んでいたとしても,それだけの働きをした見返りがあったのだろうか。

戦争で殺されるのは,古今東西,一般の若者が真っ先である。
さらには,巻き込まれた一般民も多く犠牲となる。
そのような人達に,戦争に対して命を懸けるだけの責任があるのだろうか。

今日(実際はすでに昨日だが)は原爆の日である。
世界の大きな流れの中でも普通に暮らしていただけの,おびただしい数の人を殺戮し,子孫まで害をもたらした原爆を思い,今もイラクで危険な任務に就いている自衛隊員の方々を思い,安倍首相やブッシュ大統領が好む戦争というものを実際に現場で行うのは誰かということを考えるべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年8月 5日 (日)

ジュゴンの絶滅危惧種指定は何を意味しているのか?

メディアはあまり大きく取り上げないが,毎日新聞の記事,「絶滅危惧種:環境省がリスト改訂 ジュゴン、危機度最高に」によると,米軍の普天間飛行場が移転されようとしているキャンプ・シュワブ沿岸(名護市辺野古沖)に生息しているジュゴンが新たに「絶滅危惧1A類」に指定されたそうである。

小池百合子前環境相は,「地球温暖化によりジュゴンの生息北限は上がってきている」などと発言して,極めて強く移転工事を推進する姿勢だった。

大臣が交替し,参院選で自民党が惨敗したこのタイミングで,ジュゴンの絶滅危惧種指定が実現したのは何を意味するのだろうか。

現在の環境相の若林正俊氏が,どういう政治姿勢の人物かはわからないが,内閣改造前に実現しておきたかったのだろうか。それとも,安倍首相・自民党がせめてもの得点稼ぎに利用したのだろうか。
メディアが大きく取り上げないところを見ると,後者はないようにも思えるが,この問題自体に国民の目が集まることを嫌ったとも言えるかも知れない。

いずれにしても,普天間基地移設問題は,地元の人々や環境にとって極めて重要な問題であり,全国民が注視し続けていくべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年8月 2日 (木)

赤城徳彦農相は本当に「更迭」されたのか?

赤城徳彦農林水産大臣の辞任のタイミングを訝る声が多い。
報道では,安倍首相が辞任を指示したのであり,実質的な更迭だとされているが,自分は少し疑問を持っている。

確かに,あそこまで事務所費問題の追及が強ければ,辞めさせてしまった方が火種が消せて都合が良いとは言える。
しかし,松岡前大臣の時は本人が死を選ぶまで辞任を許さなかったし,赤城大臣も選挙前は徹底して庇っていた。
事務所費問題はとぼけ通せても,閣僚交代による任命の瑕疵の責任は形として残る。
だからこそ,選挙前には辞めさせなかったのであり,このタイミングで後任も決めないままに辞めさせるのは理解しがたい。

辞任の前日,安倍首相は次の内閣改造で赤城農相を留任させないことを明言した。
つい赤城農相を替える意志を示してしまったし,辞任の理由が事務所費ではなく敗戦の責任であれば,今辞めさせた方が得策と判断したとも考えられる。

しかし,やはり今辞めさせることは安倍首相にとってデメリットの方が大きいように思う。

安倍首相が赤城農相を替える意志を示したことを,赤城農相は辞任の日の朝まで知らなかったようである。

自分は,赤城氏は,あれほど世論の攻撃に晒されても辞めることを許さなかった安倍首相が,選挙で負けた原因が赤城氏にもあり,次は替えると言ったことに立腹して,または嫌気がさして,安倍首相の意向を会って確認した上で辞表を叩きつけたのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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メディアのネガティブキャンペーンが与党の敗因なのか?

今回の参院選の与党惨敗の原因として,メディアのネガティブキャンペーンを挙げる論調があるが,果たしてそうだろうか。

メディアに登場する人物の中には本気で与党を否定する物言いをする人も少しはいたようだが,新聞社やテレビ局などは企業全体としては,それと悟られぬように与党を擁護する世論形成を図っていたように感じる。

以下のことも,それを象徴しているのではないだろうか。

今日(8/1)の読売新聞の一面トップの見出しは
「首相続投 賛否二分」
である。
世論調査の結果として,「評価」44%,「評価せず」45%だったということである。
これを受けて記事内で
「今回の選挙結果を首相に対する不信任とみなす声もあるが,首相の続投を支持する世論と退陣を求める世論は拮抗していることが明らかになった」
としている。

しかし,世論調査の設問の文面を見ると,

安倍首相は「改革を進め,首相としての責任を果たしたい」として,引き続き政権を担当することを表明しました。安倍首相の決断を評価しますか,評価しませんか。

というものであった。
他の設問は,例えば,「あなたは,安倍内閣を支持しますか,支持しませんか」,「民主党には政権を担当する能力があると思いますか,ないと思いますか」など,シンプルなものが多い。
それに比べて,安倍首相続投に関する設問は曖昧過ぎないだろうか。
なぜ,「あなたは安倍首相の続投を望みますか,望みませんか」などというシンプルな設問にしなかったのだろうか。
このような設問では,回答者の立場として,続投そのものは望まないが,断固として信念を貫こうとする姿勢を評価するというようなものもあり得るのではないだろうか。

何より,
「安倍内閣を支持しない」が59.9%であるのに,
「決断を評価しない」が45.4%であること,

また,
「支持する」が31.7%なのに
「評価する」が44.1%

であるのはどう考えてもおかしい。

この読売新聞による世論調査は,意図的にバイアスのかかった回答を引き出して安倍首相の退陣を求める世論の圧力を実際よりも小さく見せる意図が隠されているのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年8月 1日 (水)

内閣総理大臣はそんなにエライのか?

安倍首相の続投宣言が物議を醸している。

記者会見などで,なぜか「美しい国」と言わず「新しい国」といい,それを造っていくのが自分の使命だと言って憚らない。
「社保庁職員の怠慢や閣僚の不祥事くらいで自民党以外に票を投じるようなことをしない国」を造っていくということだろうか。

幼い子供に「総理大臣って何?」と聞かれると「日本で一番エライ人」と答える人が多いだろう。
安倍首相は,幼児のようにそれを真に受けてか,自身を「権力の頂点にいる」と言う。
首相の座にいる限りは,何でも好きにやって良いと思っており,一日でも長く居座って,ひとつでも多く自分がやりたいことをやってしまいたいと考えているかのような,選挙後の言動である。

確かに,国政の実務上の最高意思決定権を持つ者ではあるが,大前提として,主権者たる国民の付託を受けていることを忘れているのではないだろうか。

現在の国民の意向に反するような新しい国を自分勝手に作れるのは独裁者であり,民主主義国家においては最高指導者であっても当然そこまで「エライ」わけではないのに,安倍首相は,確信犯なのかそれとも自暴自棄になっているのかよくわからないが,そこを勘違いしているのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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