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2008年1月 5日 (土)

死刑廃止は是か非か?

自分は「死刑」というものに強い関心を持っているのだが,振り返ってみると一度しか関係する記事を書いたことがない。
他人様のブログ(「お玉おばさんでもわかる 政治のお話」のコチラの記事)にコメントをたくさん書き殴ってしまったので,とりあえずひとつ記事を書こうと思う。
また続きも書くつもりで,タイトルはシンプルにした。

自分は,前にも書いたが今のところ,ゆるやかな死刑廃止論者である。
すぐにとは言わないが,徐々に死刑は廃止に向かうべきだと思っている。

理由は,すでにいろいろなところで議論が尽くされていて,
るか さんのブログ,言ノ葉工房 の 死刑考
KEN さんのブログ,灰色のベンチから の メリークリスマスとデスペナルティー 【後半
などをご覧頂ければ,死刑廃止論の根拠は大体わかるだろう。

これらの根拠は,「理屈」としては反論の難しいものであろう。
「死刑存置論者」の反論は,「被害者遺族のほとんどは犯人の死を望むはずであり,それを叶えるべき」の一点に尽きている。

「理と情の対立に行き着く」とコメントされた方がいた。

果たしてそうだろうか,と始めは思った。

ところで,自分は「復讐心」というものを覚えている限りでは持ったことがない。

自分は他人から害を受けたとき,被害の回復や加害者の反省は望むが,復讐は望まない。怪我をさせられたら,その治療のための協力は望むが,加害者も痛い目に合わせようとは思わない。

加害者が自分に必要な相手であれば,家族であれ,総理大臣であれ,再発防止のための努力は望む。
特に必要のない相手であれば,他の人が同じ目に合わないためにも一応反省は求めるが,ある程度求めて実現しなければ,それ以上の努力をしようとは思わない。「そういう人なんだな」で終わりである。

上で「被害の回復」と書いたが,この「被害」とは具体的な「被害」である。
しかし,世の中には,具体的な被害に伴って生じた精神的な被害を,復讐によって回復することを望む人も多くいるのだということが,おぼろげながら理解できてきた。

自分は,精神的にクール過ぎるのかも知れない。「クール」といえば少し聞こえが良いが,別の言い方をすれば「冷淡」か。

そうだとすると,やはり死刑存廃論は,廃止論の「理」と,「復讐」を当然とする多くの人達の「情」との対立に行き着き,接点は持てなくなってしまうのではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成時または作成後にTBさせて頂いたブログ]
お玉おばさんでもわかる 政治のお話 : 死刑廃止論カテゴリー
言ノ葉工房 : 死刑考
村野瀬玲奈の秘書課広報室 : 死刑FAQ

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コメント

前回は消化不良気味のまま一方的に打ち切りをくらった感じだったのですが、また議論の場を設けてくださったみたいなので感謝するとともに書き込んでみます。よろしくお願いします。

>これらの根拠は,「理屈」としては反論の難しいものであろう。
>「死刑存置論者」の反論は,「被害者遺族のほとんどは犯人の死を望むはずであり,それを叶えるべき」の一点に尽きている。
>廃止論の「理」と,「復讐」を当然とする多くの人達の「情」との対立
(死刑廃止論者である)お玉おばさんや、るかさんのブログに寄せられた意見を集約すれば、そういう結論にもなるかもしれないですが、死刑存廃論争の全体を語っているのかどうかと考えると非常に怪しいです。単にそういう論客ばかりが集まっているだけのような・・・

せっかくなので、「理屈」から反論を試みてみようと思います。論点としては、るかさんの記事がうまくまとまっているので、引用させていただきます。

○えん罪の可能性
前回も書いたとおり、死刑だろうと懲役だろうと取り返しはつかないと思います。冤罪を減らしていくために不断の努力をしていくべきだと思いますが、死刑を廃止するかどうかは別次元の問題ではないでしょうか。

○国家に人を殺める権限があるのか
○執行される側の人権
日本国憲法31条に「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」とあります。刑法に死刑の規定がある限り、該当する者の生命を奪う権限が国家にあることは自明です。
また日本国憲法12・13条には「公共の福祉」による人権の制限が定められています。生存権もその例外ではないと言うのが通説のようです。他人の人権を侵害した場合、その者の人権が制限されるのは不自然なことではありません。

○犯罪の抑止にならない
「殺害する際に死刑になることを考えた者はほとんどなく」とあるのですが、あくまで「犯罪を犯した人」にしか聞いていないわけで、一般人に対し予防効果があるかどうかはこれだけでは判断できません。

○更正の可能性がある。
○反省する機会の喪失
反省・更正したとしても許される罪と許されない罪があると思います。一律で語るべきでは無いのではないでしょうか?

・・・とりあえずこのぐらいで。

投稿: KEI | 2008年1月 9日 (水) 23時50分

KEI さん,コメントありがとうございます。

> 前回は消化不良気味のまま一方的に打ち切りをくらった

申し訳ありません。平行線の幅が縮まる要因がなさそうでしたので。一旦,止めさせていただきました。

> お玉おばさんや、るかさんのブログに寄せられた意見を集約すれば、そういう結論にもなるかもしれないですが、

他の場所でも,だいたい同じ議論が繰り返されているように思います。

> ○えん罪の可能性
> 死刑を廃止するかどうかは別次元の問題ではないでしょうか。

これは,「死刑」という刑は他の刑と一線を画すものと理解しています。

> ○国家に人を殺める権限があるのか
> ○執行される側の人権
> 日本国憲法31条に「何人も、法律の定める手続によらなければ、
>刑法に死刑の規定がある限り、該当する者の生命を奪う権限が国家にあることは自明です。
> 生存権もその例外ではないと言うのが通説

この辺りは,「まず死刑ありき」のレベルであり,「法律の定める手続き」そのものが憲法の精神に反するかどうかを,改めて検討することに矛盾はないと思います。

> ○犯罪の抑止にならない
> 一般人に対し予防効果があるかどうかはこれだけでは判断できません。

件数が減っているというデータは,「誰に対して」を限定するものではありません。

> 反省・更正したとしても許される罪と許されない罪があると思います。

これはもう,許す・許さないの主観の問題だと思います。ですから,客観的に線を引くのは不可能だと思います。また,死刑に値するとされる罪を,「許されない罪」と特別扱いするのも,死刑存置論と矛盾するものと思います。

不勉強なのに,今,何も参照せずに書いてしまいましたので,特に憲法の辺りは少し自信がありませんが。
私では頼りないですが,きちんと知識のある人と議論すれば,客観的な理屈の議論では,死刑存置論者は分が悪いのは明らかだと思います。
また,そうでないとこれだけ先進国で死刑廃止は進まないと思います。

投稿: WontBeLong | 2008年1月10日 (木) 01時58分

>平行線の幅が縮まる要因がなさそうでしたので。一旦,止めさせていただきました。
若干記事の趣旨とずれた論争でしたしね。今度はストレートな記事なので、もう少し長い打ち合いができたらと思います。

>他の場所でも,だいたい同じ議論が繰り返されているように思います。
この「他の場所」とは「WontBeLongさんの思想傾向に沿うブログを巡回した結果」と言うことでしょう?だから論客の傾向にも偏りがあり、全体を示せないのでは?と疑問を呈しているのです。
例えば、死刑賛成派の開設するブログや掲示板での死刑存廃論争をどのくらいご覧になったことがありますか?ほとんど無いのではないかと想像しているのですが。

>この辺りは,「まず死刑ありき」のレベルであり,「法律の定める手続き」そのものが憲法の精神に反するかどうかを,改めて検討することに矛盾はないと思います。
「まず死刑廃止ありき」の無茶な反論としか思えませんが。31条に「生命を奪はれ」る場合があることを明記してある以上、憲法の精神に反するとするには無理があります。どうしてもというなら改憲を考えるべきではないですか?

>件数が減っているというデータは,「誰に対して」を限定するものではありません。
多数の外的要因があるのせいで、死刑廃止とデータを結びつけるのが難しい段階かと。るかさんも「死刑執行に掛かる予算を防犯へ回したこともあり、犯罪率は低下している。」としていて死刑廃止の効果を声高には主張できないようですし。
(もう少し言えば、死刑予算のマイナス分と防犯予算のプラス分のバランスがどうなっているのかが言及されていないため、さらに怪しい、などと言ってしまうことも可能です。)

>これは,「死刑」という刑は他の刑と一線を画すものと理解しています。
逆に「死刑廃止は冤罪の撲滅への覚悟を鈍らせる」と言ってしまうことも可能です。だから「冤罪の可能性」と「死刑の是非」は別次元の問題だと主張しているのです。

>これはもう,許す・許さないの主観の問題だと思います。ですから,客観的に線を引くのは不可能だと思います。また,死刑に値するとされる罪を,「許されない罪」と特別扱いするのも,死刑存置論と矛盾するものと思います。
反論の趣旨が理解できませんでしたので1点だけ。「更正しても許されないほどの罪を犯した者は更正施設である刑務所に入れる必要が無い」と言うことのどこが死刑存置論と矛盾すると言うのでしょうか?

>私では頼りないですが,きちんと知識のある人と議論すれば,客観的な理屈の議論では,死刑存置論者は分が悪いのは明らかだと思います。
へー。
じゃあその人の受け売りでもいいから客観的な理屈とやらを展開してもらえないでしょうか?

>また,そうでないとこれだけ先進国で死刑廃止は進まないと思います。
宗教も文化も国民性も違うのに、「先進国-後進国」の括りで語るのはずいぶん乱暴ではないですか?
あと、日本を欧州に対して低く見すぎかと。国際儀礼上日本の天皇陛下がローマ法王と並んでトップタイの扱いである事は有名な話です。

P.S.
「死刑賛成派の開設するブログや掲示板での死刑存廃論争」を一つ紹介しておきます。
http://amaochi.sakura.ne.jp/cgi/news2/test/read.cgi/news2/1099509516/
「バーチャルネット思想アイドル やえ十四歳」さんの「死刑(廃止論/存続論)」スレッドです。
http://www.amaochi.com/yae_log039.html#040216
管理人さんのスタンスはこんな感じです。

投稿: KEI | 2008年1月11日 (金) 00時11分

KEI さん,こんばんは。

> >平行線の幅が縮まる要因がなさそうでしたので。一旦,止めさせていただきました。

掲示板ではなく,ブログのコメント欄ですので,あまり長い議論は適切ではないと思います。この議論も,あまり長くなるようでしたら,あらためて記事を書くようにしたいと思います。

> 例えば、死刑賛成派の開設するブログや掲示板での死刑存廃論争をどのくらいご覧になったことがありますか?

「賛成派のブログ」というのは見た記憶がありませんが,掲示板での論争は時折見かけます。
そういう中立な場では,賛成派の数が多いことが違いますが,議論の中身はあまり変わらないように思います。

> 31条に「生命を奪はれ」る場合があることを明記してある以上、憲法の精神に反するとするには無理があります。どうしてもというなら改憲を考えるべきではないですか?

前文に「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」とあり,第11条に「基本的人権は、侵すことのできない永久の権利」とあります。
第31条や第13条は,死刑制度の存在と妥協するための後付けの補足であり,憲法の,より原則的な精神は,より広い概念を述べている前文や第11条に表されているとしなければならないでしょう。「まず死刑ありき」のレベル,というのはそういう意味です。議論のレベルを指しているのではありません。
もし,死刑を廃止するという国家の意思を明確に示すために必要であれば,13条や31条の改正は大賛成です。

> 多数の外的要因があるのせいで、死刑廃止とデータを結びつけるのが難しい段階かと。

科学的な解析というのは,多くの結果を以て普遍的な事実を推定するしかありません。100%確実な理論はあり得ません。ある理論に反論するには,その理論を裏付けるデータを上回るデータを示す必要があります。確かに,犯罪が減ったというデータはまだ説得力に乏しいです。しかし,死刑廃止によって,犯罪が増加したというデータはありません。

> >これは,「死刑」という刑は他の刑と一線を画すものと理解しています。
> 逆に「死刑廃止は冤罪の撲滅への覚悟を鈍らせる」と言ってしまうことも可能です。

「逆」の意味がわかりかねますが,「冤罪の存在」が問題であって,量の多少を問題にはしていません。そういう意味で,「冤罪」と「死刑存廃論」は直結しています。
もしあなたが冤罪で死刑を言い渡されたとき,「せめて死刑制度がなかったら」と思いませんか。

> >これはもう,許す・許さないの主観の問題だと思います。ですから,客観的に線を引くのは不可能だと思います。また,死刑に値するとされる罪を,「許されない罪」と特別扱いするのも,死刑存置論と矛盾するものと思います。
> 反論の趣旨が理解できませんでしたので1点だけ。「更正しても許されないほどの罪を犯した者は更正施設である刑務所に入れる必要が無い」と言うことのどこが死刑存置論と矛盾すると言うのでしょうか?

まず,「更正しても許されない」かどうかの判断が主観の問題であるということです。
そして,「感情的でない理論的な死刑存置論」は,あくまで「刑の量」を最大限に高めたものが死刑であるとしていますので,「許される/許されない」と,量ではなくて質で区別することが矛盾します。あくまで量で計るなら,罪の重さに応じて,懲役を100年にでも1000年にでもすることで,理論的に整合します。

> じゃあその人の受け売りでもいいから客観的な理屈とやらを展開してもらえないでしょうか?

上で私が述べたことは,「もしあなたが冤罪で...」の件以外は,全く主観を入れていないつもりです。憲法の件は,法律論の知識がないので,正確ではないかも知れませんが。法律論や,具体的なデータに詳しい人なら,もっと的確に述べてくれるでしょう。すみませんが,それを探す手間は省かせていただきました。

> >また,そうでないとこれだけ先進国で死刑廃止は進まないと思います。
> 宗教も文化も国民性も違うのに、「先進国-後進国」の括りで語るのはずいぶん乱暴ではないですか?

先進国の方が,宗教や文化や国民性の非論理的な部分をなるべく抑えて,より論理的に国家が運営されているのは確かではないでしょうか。
また,「先進国」という概念を除いても,「多くの国で廃止され,さらに増える傾向である」ことは事実です。

ご紹介いただいた掲示板(こちらは少ししか見ていませんが)やブログでも,議論の内容は特に違うものとは思えません。

投稿: WontBeLong | 2008年1月12日 (土) 01時53分

>この議論も,あまり長くなるようでしたら,あらためて記事を書くようにしたいと思います。
運営方針について異論を挟む気など毛頭ありません。ただ、新記事を口実にして旧記事内での未解決の論点を黙殺されては困りますので、その辺だけはご配慮をお願いします。

>そういう中立な場では,賛成派の数が多いことが違いますが,議論の中身はあまり変わらないように思います。
そうですか・・・「賛成派=感情的、反対派=理性的」などという単純な図式にはならないことぐらいは認識してもらえるかと思ったのですが、残念です。

>前文に「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」とあり,第11条に「基本的人権は、侵すことのできない永久の権利」とあります。
12条の条文はご存知ですか?
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」
この権利濫用の禁止は憲法内の全ての「権利」にかかっています。従って、仮に
>より原則的な精神は,より広い概念を述べている前文や第11条に表されている
とするのが正しいとしても、権利については12条の方がその上に来るのです。
何せそうでないと「殺人の権利」や「強盗の権利」も認めてしまうことになってしまいますから。

>もしあなたが冤罪で死刑を言い渡されたとき,「せめて死刑制度がなかったら」と思いませんか。
思いませんね。真犯人にはその罰を負ってもらわないといけませんから。そしてそのために最後の最後まであがき続けます。
僕からも質問しましょう。あなたは冤罪で有罪にされたとき、「死刑で無いから」と言う理由で諦められるのですか?
「冤罪の問題と死刑存廃問題とは別次元」とはこういう事なのです。

・・・まあ実際の話、冤罪で死刑にされる確率など、事件に巻き込まれて殺されたり、事故で死んだりする確率などよりはるかに小さいものでしょう。そんなものを考えて生きてはいけませんよ。
しかし、仮定の話とは言え「身近な人が殺されたら」には理性的な反応なのに、「自分が冤罪で死刑になったら」には感情的な反応を示すとは、ずいぶんな「クールさ」ですねえ。

>「感情的でない理論的な死刑存置論」は,あくまで「刑の量」を最大限に高めたものが死刑であるとしていますので
ひとの言論を勝手に限定されてもなあ・・・
>あくまで量で計るなら,罪の重さに応じて,懲役を100年にでも1000年にでもすることで,理論的に整合します。
そこまで来ると別の「量」も視野に入れる必要があると考えます。「脱獄のリスク」とか、「犯罪者の存在自体が生み出すコスト」とかを。死刑はこれらの「量」を執行後ゼロに出来る現在唯一の刑罰です。

>上で私が述べたことは,「もしあなたが冤罪で...」の件以外は,全く主観を入れていないつもりです。
一行目に僕が「へー。」とだけ書いた(と言うかあまりの事にそうとしか書けなかった)意味をご理解頂けなかったみたいなので、ストレートに書きましょう。
>私では頼りないですが,きちんと知識のある人と議論すれば,客観的な理屈の議論では,死刑存置論者は分が悪いのは明らかだと思います。
「分が悪いのは明らか」とまで仰るのなら、分が悪くなるような「きちんと知識のある人」とやらをご存知なのでしょうな?
と。
・・・正直僕もこういう言論に自信があるわけではありません。しかし、他力本願で一方的に勝利宣言するほど恥知らずではないのです。

>また,「先進国」という概念を除いても,「多くの国で廃止され,さらに増える傾向である」ことは事実です。
あんまり数の論理を持ち出さないほうが良いのでは?「憲法9条みたいな条項を持っている国はほとんどないから廃止すべき」と言われたらどう反論するつもりなのですか?

投稿: KEI | 2008年1月14日 (月) 14時57分

KEI さん,こんにちは。

> 運営方針について異論を挟む気など毛頭ありません。ただ、新記事を口実にして旧記事内での未解決の論点を黙殺されては困りますので、その辺だけはご配慮をお願いします。

ここは企業が運営する,社会的に責任の大きな言論媒体ではなく,私的なブログですので,できるだけ配慮は致しますが,最後は私の個人的な判断によることはご理解下さい。

> 「賛成派=感情的、反対派=理性的」などという単純な図式にはならない

そういう図式とは捉えていません。双方が理性的になったとき,議論の内容はほぼ同じことの繰り返しになり,論理的には反対派に分があると,私なりの客観的な判断では考えられます。

> 国民は、これを濫用してはならないのであつて、

死刑廃止は,「国民の権利」として国民が生存権を濫用するものではありません。
憲法が定める国民の権利を守ることを国家が実行することと,廃止論では捉えています。
存廃論は,死刑が「国家が国民の権利を守ること」であるか否かの議論です。


> 思いませんね。真犯人にはその罰を負ってもらわないといけませんから。そしてそのために最後の最後まであがき続けます。

そしてそれが報われず,首に縄が巻かれたとき,死刑存続論を唱えるご自身の信念に安らかに殉ずることができるのなら,尊敬いたします。
しかし,万人にそれを求めることは無理であることは確実と思います。

> 僕からも質問しましょう。あなたは冤罪で有罪にされたとき、「死刑で無いから」と言う理由で諦められるのですか?

どうしても冤罪が認められなかったとき,「まあ死刑になるわけではないから,運命を受け入れて,この状況なりに良い人生を送る努力をしよう」と思います。

> そんなものを考えて生きてはいけませんよ。

それは現実に冤罪を被らされた人を無視する考え方です。
「感情的に」冤罪と死刑を切り離す考え方だと思います。
逆に言えば,「感情的に」ならなければ,切り離せない問題と言えます。

> 「自分が冤罪で死刑になったら」には感情的な反応を示すとは、ずいぶんな「クールさ」ですねえ。

ここは主観を入れたと断りましたし,「自分が」とは言っていません。「あなたが」と言っています。

> >「感情的でない理論的な死刑存置論」は,あくまで「刑の量」を最大限に高めたものが死刑であるとしていますので
> ひとの言論を勝手に限定されてもなあ・・・

多くの死刑存置論者はそういう考え方だと思っていました。
あなたは違うと言われるなら,「論理的かつ客観的に」どういう罪には懲役ではなく死刑が必要か論じてみてください。

> そこまで来ると別の「量」も視野に入れる必要があると考えます。

その通りです。ですから,

> 死刑はこれらの「量」を執行後ゼロに出来る現在唯一の刑罰です。

と,「特別な死刑」を同列に並べるなら,それなりの理由が必要だと思います。

> 「分が悪いのは明らか」とまで仰るのなら、分が悪くなるような「きちんと知識のある人」とやらをご存知なのでしょうな?

他の場所での議論を見れば,私などよりよほどきちんとした知識に基づいた議論をされている方が大勢います。

> 他力本願で一方的に勝利宣言するほど恥知らずではないのです。

他の方の論説をきちんと整理することを省いて,「他力本願」な言い方をしたことは反省します。しかし,残念ながら,そこまで割ける時間がありません。

> 「憲法9条みたいな条項を持っている国はほとんどないから廃止すべき」と言われたらどう反論するつもりなのですか?

私は,他の国が死刑を廃止しているからそれに倣うべきとは言っていません。
理性的に議論すれば結論は死刑廃止に向かうはずで,世界的な傾向はその証拠であるということです。
あくまで,廃止論を側面から補強する材料です。
ちなみに,
http://www.article-9.org/jp/news/conf2.html
にあるように,これはまあ,左系の団体の集まりっぽいですが,9条を評価する外国人の声は時折聞かれるものです。
9条を疎ましく思っているのは,現在のアメリカくらいでしょう。

投稿: WontBeLong | 2008年1月14日 (月) 16時11分

KEI さん,前のコメントの補足です。
貴殿の先のコメントの内容は,憲法に関する件以外は,議論になっていないと思います。論点が変わったり,感情論だったりします。
もし再度コメントを頂くなら,そしてそれが理性的な議論を続けるためのものなら,内容に考慮をお願いいたします。

投稿: WontBeLong | 2008年1月15日 (火) 01時24分

>最後は私の個人的な判断によることはご理解下さい。
実は「黙殺されて看過できない話題は蒸し返します」と宣言しているだけですので、あまりお気になさらなくても良いですよ。

>論理的には反対派に分があると,私なりの客観的な判断では考えられます。
>他の方の論説をきちんと整理することを省いて,「他力本願」な言い方をしたことは反省します。
僕の言いたいことがまだお分かりにならないようですね。「根拠もなく勝利宣言をすること」に呆れているのですよ。
「客観的に考えて分がある」と考えるからには、死刑存置派である僕のような論客を納得させられるような素晴らしい言論が現在存在するのでしょう?それ(つまり勝利宣言する根拠)を拝見させてもらえませんか?と言っているのですよ。
正直な話、それが見られるのなら僕は明日にでも意見を変えると思います。僕がしつこく論争を吹っかけるのも、ある意味でそういうものを求めているからです。
論争を価値有る物にするためには、お互いが「勝利」を目指して努力する必要があると思います。「一方的な勝利宣言」は思考停止・努力放棄にしか見えず、非常に不愉快です。

>存廃論は,死刑が「国家が国民の権利を守ること」であるか否かの議論です。
「国家が国民の権利を守る」ために、他者の権利を侵害したものに対し制裁を加える「刑法」を制定することは憲法上当然の帰結です。その制裁が侵害者の生命にまで及ぶことがあったとしても、それだけの必要性があるからだと考えるのが自然であり、
「まず死刑ありき」の後付け的補足に過ぎない(従って国家に死刑を行う権限は無い)などとまで言ってしまうのは無理があると思います。

>そしてそれが報われず,首に縄が巻かれたとき,死刑存続論を唱えるご自身の信念に安らかに殉ずることができるのなら,尊敬いたします。
僕はそこまで人間が出来ていないので「安らかに」は無理ですね。真犯人を、真犯人に騙され僕を罪人にした間抜けな司法関係者を呪い、崇り殺そうと思うでしょうから。でも死刑が悪いわけではない、そう思っているだけですよ。
むしろ
>どうしても冤罪が認められなかったとき,「まあ死刑になるわけではないから,運命を受け入れて,この状況なりに良い人生を送る努力をしよう」と思います。
と、のうのうと幸せを謳歌する真犯人を許せるあなたを尊敬いたします。あなたの奥さんはあなたに三行半を突きつけるか、「犯罪者の妻」として後ろ指を差され続ける惨めな人生を送るかの2択を迫られ、子供(いればですが)は「犯罪者の子」の烙印を押され、あなたを見限らなかった家族は民事訴訟により億単位の賠償を請求され、あなたは塀の中でいつ終わるとも知れない労働を重ね、運よく釈放されれば出待ちしていた恨み骨髄の被害者家族に刺される・・・こんな人生を良く送れるなどと本気で思っているのなら。
(ここまで書けば、現在死刑相当の犯罪を押し付けられることの絶望を少しはご想像いただけるかと思うのですが、正直懲役でも死刑でも大して変わらないとは思いませんか?)

>ここは主観を入れたと断りましたし,「自分が」とは言っていません。「あなたが」と言っています。
いやいやいや、それは通りませんて。「もしあなたが冤罪で死刑を~」の質問をしたとき、少なからず僕にダメージを与えられると考えたのでしょう?それはあなたが「自分が冤罪で死刑になったら」ダメージを受けるからに他なりません。つまりあなたは「自分が冤罪で死刑になったら」感情的な反応を示す、そう推定したのです。
違うのなら反論をどうぞ。推論のどこがどう違うのか具体的に指摘して頂けると助かります。

>多くの死刑存置論者はそういう考え方だと思っていました。
>あなたは違うと言われるなら,「論理的かつ客観的に」どういう罪には懲役ではなく死刑が必要か論じてみてください。
ずいぶん論点がずれる質問をくれたものです。「~なら」とそれ以降が全く関係ないじゃないですか。「どう違うと考えるのか」なら答えられますので、それでご容赦願います。
「多くの死刑存置論者の考え方」ですが、こういうときはWikipediaに頼るのが僕の悪い癖です。客観性を目指しているため、通説・有力説を載せる傾向がありますから。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91
死刑の目的として主張されている事柄が2つ挙げられています。
1.(一般予防説)死刑は、犯罪者の生を奪うことにより、犯罪を予定する者に対して威嚇をなし、犯罪を予定する者に犯行を思い止まらせるようにするために存在する。
2.(特別予防説)死刑は、矯正不能な犯罪者を一般社会に復して再び害悪が生じることがないようにするために、犯罪者の排除を行う。
この2つの帰結として
3.死刑対象が主に殺人以上の罪を犯した者の場合、死刑は他人の生命を奪った(他人の人権・生きる権利を剥奪した)罪に対して等しい責任(刑事責任)を取らせることということになる。
としています。
>「刑の量」を最大限に高めたものが死刑
というのは3の一形態に過ぎず、「死刑存置論者の考え方」をこれに限定するのは違うと考えるわけです。
・・・まあ、こうやってケチを付けながらも、次の行では普通に「刑の量」の観点から主張を繰り出したりするから議論が混乱するのですが・・・

>と,「特別な死刑」を同列に並べるなら,それなりの理由が必要だと思います。
特別じゃないんですよ。ゼロは同じものさしに乗っている「量」なのですから。
また、刑の拘束時間も共通のものさしになります。死刑は寿命までの全時間を拘束するとみなせます。懲役刑は刑期が拘束時間になりますが、これも寿命を超えたら頭打ちになります。
(懲役1000年が懲役100年の10倍の重さの刑だと思える人は1000年以上生きられる人だけです。)
さらに、懲役や死刑における身体的苦痛や肉体的苦痛、釈放する/しないことの社会的便益/費用、etc...と、全ての効果を計量・数値化し、刑の量として無理矢理算出することも不可能ではありません。
同様に罪の重さも適用法や諸事情、悪質さなどを計算し数値化が可能でしょう。
これらには計算者である検察や裁判官の主観が混ざりますが、判例と言う相場も存在します。
罪の値が刑の量として死刑相当値以上になっていると判断された状態が「死刑」です。

>9条を評価する外国人の声は時折聞かれるものです。
「日本が9条を保持すること」を評価する外国人は多いでしょうね。何たって他人事ですから。特に中・朝・韓・露は諸手を挙げて評価するでしょう。将来敵対する可能性が高い国家が勝手に弱体化するのを喜ばないバカはいません。
さて、「『9条世界会議』への呼びかけ」読ませていただきました。もっともらしい団体名がいくつか出てきましたが、結局構成員各自の所属する本国では泡沫勢力であり、民主主義国家として「9条」的条項が成立する気配などさらさら無いのでしょう?
やっぱり、
「理性的に議論すれば結論は9条廃止に向かうはずで,世界的な傾向はその証拠であるということです。」
と書かれても文句は言えない情勢のような。

投稿: KEI | 2008年1月16日 (水) 00時48分

KEI さん,こんばんは。
前にも書きましたが,貴殿のコメントの内容は,あまり議論になっていないと思います。論点が変わったり,感情論だったりします。
また,私は「勝利」など目指してはおりません。ディベートのお相手は致しかねます。
ひとつひとつお答えを返しても,議論が噛み合いそうにありませんので,ひとつだけお尋ねします。

>>「刑の量」を最大限に高めたものが死刑
> というのは3の一形態に過ぎず、「死刑存置論者の考え方」をこれに限定するのは違うと考えるわけです。

と,合わせて,

> 特別じゃないんですよ。

と書かれていますが,死刑を「単なる最高刑」と「特別な罪に対する特別な刑」のどちらとお考えでしょうか。

> 罪の値が刑の量として死刑相当値以上になっていると判断された状態が「死刑」です。

は,客観的な論理ではありません。「判断する主体」が必要です。

客観的な論理では,「量で計るなら,懲役などの年数で計る」,「質で分けるなら客観的な判断は不可能」のどちらかになると思います。

>ゼロは同じものさしに乗っている「量」なのですから。

ちなみに,少々「言いがかり」をつけさせて頂ければ,「ゼロ」は極めて特殊な量です。ものさしには乗っていません。乗った時点でゼロではなくなります。
http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN4-00-400013-0
など,「ゼロの発見」をテーマに一冊の本が書けるくらいです。
ゼロが特殊性を失うのは,量を負の数まで含めて相対的に捉えるときだけです。

以下は余談ですので反論は無しにしてください。
哲学的な考え方をすると,
「人間の存在を,極めて特殊な数,ゼロにする死刑はまた,極めて特殊な刑である」
と言えましょう。

投稿: WontBeLong | 2008年1月16日 (水) 02時09分

KEI さん,主観的な議論のお相手をひとつだけさせて頂きます。

> ここまで書けば、現在死刑相当の犯罪を押し付けられることの絶望を少しはご想像いただけるかと思うのですが、正直懲役でも死刑でも大して変わらないとは思いませんか?

全く思いません。死刑では人生が「ゼロ」になるからです。

くどいですが,これは主観的な考えなので,反論はご容赦願います。

投稿: WontBeLong | 2008年1月16日 (水) 02時28分

>前にも書きましたが,貴殿のコメントの内容は,あまり議論になっていないと思います。論点が変わったり,感情論だったりします。
具体的に、「どこがどう問題ある記述で、どう修正するべきか」を指摘していただかないと訂正のしようがありません。僕も「議論になっていない」状態は望みませんので、指摘の方をお願いいたします。
あと、「感情論」や「主観的な主張」と言うものはそんなに問題なのでしょうか?価値判断や評価にはすべからく「主観・感情」が絡むもので、これを排除しては言論にならないと思うのですが。
それに、僕が指摘していない(上記スタンスを取っているためその必要がないため)だけで、あなたのコメントにも感情論が多々見受けられます。(勿論、感情論を前提にした「冤罪で死刑を言い渡されたら」論争を抜きにしての話ですよ)例えば↓
>論理的には反対派に分があると,私なりの客観的な判断では考えられます。
「私なりの客観的な判断」、それを人は主観と言うのではないですか?そして、あなたが反対派に与している以上、勝敗についての主観的な価値判断は感情論に他なりません。

>また,私は「勝利」など目指してはおりません。ディベートのお相手は致しかねます。
「勝利」と言う言葉だけを捉えて、勝手に「ディベート」と結びつけるのも感情的といえます。僕の目的が「ディベート」と言う「試合」でない事ぐらいは文脈から判断できることです。

(「試合」のどこが価値ある論争だと言うのですか?)
ここでの「勝利」とは反対意見を持っている議論の相手(およびギャラリー)を納得させることを意味します。あなたも
>すぐにとは言わないが,徐々に死刑は廃止に向かうべきだと思っている。
と言うぐらいなのですから、最終的には現在8割いると言われている日本国内の死刑存置論者の3割強の部分を死刑廃止論で納得させたいわけでしょう?
そういう意味での「勝利」です。もう一度申し上げます。「勝利」を目指した議論をしてください。それが勝ちであれ負けであれ引き分けであれ、お互いにとって今後の糧となる価値ある議論になると思います。


>客観的な論理では,「量で計るなら,懲役などの年数で計る」,「質で分けるなら客観的な判断は不可能」のどちらかになると思います。
だとすると、「その量が妥当かどうか」と言う価値基準が絡むので、結局「客観的な論理で刑罰を語ることは不可能」だと言うことになります。
>死刑を「単なる最高刑」と「特別な罪に対する特別な刑」のどちらとお考えでしょうか。
そんなわけで、「客観的に」と言う縛りを勝手ながら外させていただきます。その上で回答しますと、僕は「単なる最高刑」と考えています。「判断する主体」たる裁判所が、法律と言う「基準」や、判例と言う「相場」をもとにして、求刑・弁護内容・情状酌量・世論などの「外的要因」を加味しながら罪刑を算出した結果、と言う認識です。

>全く思いません。死刑では人生が「ゼロ」になるからです。
あなたが死刑に対し確固たる信念があることは理解しました。反論するつもりはありませんが、その「信念」を確認する質問をさせていただきます。
あなたの言い分ですと、「死刑廃止のためなら冤罪もやむをえない」と主張しているように読めるのですが、あなたの中でそのことに関して整合性は取れていますか?

投稿: KEI | 2008年1月17日 (木) 20時33分

KEI さん,こんばんは。
前半部分は,議論の本題ではありませんので,お答えは控えさせていただきます。

> 「その量が妥当かどうか」と言う価値基準が絡むので、

それはもっともです。

> 結局「客観的な論理で刑罰を語ることは不可能」だと言うことになります。

何事もそうですが,100%客観的な結論はあり得ないでしょう。しかし,「量の議論」という土俵の上で,「客観的な議論」はできます。
しかし,「量」と別次元の罰を与える死刑を,「量で計って最大の刑」と客観的に位置付けるのは極めて困難だと思います。

> 「死刑廃止のためなら冤罪もやむをえない」と主張しているように読める

全く違います。
「冤罪があるから死刑はなくすべき」
イコール
「死刑がなければ冤罪があって良い」
とならないのは明らかです。
良い例えを思いつきませんが,
「凶悪な犯罪があるから死刑は存続すべき」
イコール
「死刑があれば凶悪な犯罪はあっても良い」
ではないのと似ています。

投稿: WontBeLong | 2008年1月17日 (木) 21時26分

KEI さん,補足コメントです。

どうも「客観的」という言葉が議論を噛み合わせないキーワードになっているようですね。
確かに,「我思う,故に我あり」ですから,「我」あってこそ「思う」ことができるので,100%客観的な議論はできないとも言えます。
そこで,「客観的な議論」を「意図的に主観を入れず極力主観を排する努力をしながらの議論」ということとさせて頂けますでしょうか。

投稿: WontBeLong | 2008年1月17日 (木) 22時32分

>前半部分は,議論の本題ではありませんので,お答えは控えさせていただきます。
僕としてはむしろ前半こそ答えていただきたい論点だったのですが。「結局どの点をもって感情論・論点変化があって『議論に耐えない』と考えているのか」や、「あなたは客観性を殊更に主張しているが『私なりの客観的な判断』は客観性とは程遠い存在ではないか」など、あなたの論理に根底から疑問を抱いておりますので。

>「量の議論」という土俵の上で,「客観的な議論」はできます。
無理です。あなたが「刑の量」を懲役の年数で限定している以上は。この「限定」に価値判断、つまり主観が介在しているからです(それも「死刑廃止ありき」というかなり悪質な主観です)。
>あくまで量で計るなら,罪の重さに応じて,懲役を100年にでも1000年にでもすることで,理論的に整合します。
さて質問です。懲役1000年は懲役100年の10倍の罰なのでしょうか?
また、懲役10000年と懲役1000年ではどうでしょう?
「客観的」に考えても「懲役刑には頭打ちがある」という結論が出るかと思うのですが?

>全く違います。
>「冤罪があるから死刑はなくすべき」
>イコール
>「死刑がなければ冤罪があって良い」
>とならないのは明らかです。
それは指摘されるまでもないことです。「冤罪は絶対に許してはならない」というのはWontBeLongさんと僕とで共通する認識であるとずっと思っていました。
少なくとも1月14日までは。

僕が何故 「死刑廃止のためなら冤罪もやむをえない」と主張しているように読んだのか、その根拠を説明いたします。
1.発端
>もしあなたが冤罪で死刑を言い渡されたとき,「せめて死刑制度がなかったら」と思いませんか。
この「せめて死刑制度がなかったら」には引っかかる所がありました。死刑でも懲役でも執行猶予でも冤罪には変わりがなく、許しがたいことでしたので。
この「引っかかり」の中身を確認すべく反撃を試みました。
>>あなたは冤罪で有罪にされたとき、「死刑で無いから」と言う理由で諦められるのですか?
と。
2.疑念の発生
>どうしても冤罪が認められなかったとき,「まあ死刑になるわけではないから,運命を受け入れて,この状況なりに良い人生を送る努力をしよう」と思います。
この回答には正直驚きました。「運命」つまり冤罪を(死刑廃止を譲歩条件として)受け入れようと言うのですから。
僕は「1の質問に真正面から答えた僕に対する回答だからとムキになって心にもないことを言っているのではなかろうか?」と考え、「確認」のレスをしました。
3.疑念から確信へ
長々とサスペンスドラマからかじったような予想を書きましたが、趣旨としては「冤罪を受け入れれば、例え死刑でなくとも人生は滅茶苦茶になるが、それをわかっているのか?」と言うことです。しかしあなたはこれらの例示に一切の異論を挟まず
>全く思いません。死刑では人生が「ゼロ」になるからです。
と「懲役」と「死刑」の違いのみを主張しました。
この態度から、2の回答が真意から来ていることを確信しました。

・・・以上が根拠です。根拠ある反論をお待ちします。
さて、そんなあなたからは「冤罪は絶対に許してはならない」という認識が読み取れません。
二度と冤罪をダシにして死刑廃止を語らないでいただきたいと思います。

投稿: KEI | 2008年1月20日 (日) 23時48分

KEI さん,こんばんは。

申し訳ありませんが,貴殿とは「議論」というものの認識が違いすぎて,これ以上の議論は無駄と思います。

> そんなあなたからは「冤罪は絶対に許してはならない」という認識が読み取れません。

とのことですが,議論の本題は,「冤罪の可能性と死刑の関係」であって,私は「冤罪はあってよい」とは一度も書いておりません。にも関わらず,貴殿は行間からの推測で様々な反論をして来られます。
これでは議論になりません。口論に近いです。

私は元記事で,死刑存廃論議は,どうしても廃止論者の「理」と存置論者の「情」との対立になってしまうのだろうかという主旨のことを書きました。それに対して,貴殿は,「理」で反論すると宣言された上で,
○えん罪の可能性
○国家に人を殺める権限があるのか
○執行される側の人権
○犯罪の抑止にならない
○更正の可能性がある。
○反省する機会の喪失
を論点とすると言われました。
しかし貴殿はこれらの論点を離れて,私が本題以外で余談的に書いた部分への感情的な反論を主にされています。

> 僕は「1の質問に真正面から答えた僕に対する回答だからとムキになって心にもないことを言っているのではなかろうか?」と考え、「確認」のレスをしました。

さすがにこのようなことを考えられているとは思わず,私は常に真剣に回答しました。失礼ながら,このようなスタンスの質問にお答えする時間はありません。

> 二度と冤罪をダシにして死刑廃止を語らないでいただきたいと思います。

というご意見を「客観的に」受け止め,貴殿に対して今後死刑廃止に関して論ずることは控えさせていただきます。

最後に,ひとつだけ残った「客観的な議論」に関して私の意見を述べます。

> さて質問です。懲役1000年は懲役100年の10倍の罰なのでしょうか?

単純な論理においては10倍です。

> 「客観的」に考えても「懲役刑には頭打ちがある」という結論が出るかと思うのですが?

これは,人間の寿命を考慮すればということかと思いますが,「寿命以上の刑を科すのは非論理的でありそのようなルールは間違っている」ということであれば,90歳の犯罪人に懲役30年を科すのも間違っているということになります。
「刑の重さは罪の重さに比例する」というシンプルな論理においては,懲役1000年を科すのも矛盾はないと思います。

私の知識や文章力が足りないせいで真意が伝わらない部分も多いと思いますので,その点はお詫びいたしますが,ここでの議論はこれまでとさせていただきます。

投稿: WontBeLong | 2008年1月21日 (月) 01時56分

KEI さん,補足コメントです。

貴殿が,感情的になる余りなのか,意図的なのか,理由は分かりませんが,理解していない,あるいは理解していないフリをしている部分を指摘しておきます。

> >どうしても冤罪が認められなかったとき,「まあ死刑になるわけではないから,運命を受け入れて,この状況なりに良い人生を送る努力をしよう」と思います。
> この回答には正直驚きました。「運命」つまり冤罪を(死刑廃止を譲歩条件として)受け入れようと言うのですから。

これは,冤罪で罰を科される場合に,長いまたは終身の懲役と,死刑と,どちらがマシか,という問題であり,「冤罪を受け入れられるか否か」とは別の問題です。ここで「冤罪」は議論の前提条件であるのに,貴殿は,その前提条件の成立を問題にした議論に変えてしまっています。
意図的かどうかは分かりかねますが,議論の基本を無視しており,正常な議論が成立しません。

投稿: WontBeLong | 2008年1月21日 (月) 02時11分

>しかし貴殿はこれらの論点を離れて,私が本題以外で余談的に書いた部分への感情的な反論を主にされています。
1つ。論争の傾向云々の話(勝利宣言の話もこれに含まれます)は「これらの論点」とは独立的に述べていたこと。
2つ。箇条書きの最後に「・・・とりあえずこのぐらいで。」と書いてあり、あくまで議論のたたき台としての例示であること。
3つ。「感情的な反論」の具体的指摘がないこと。
以上3つをもって、あなたの非難は印象操作を謀った言いがかりであると主張致します。

余談ですが、僕はあなたが最初に述べていた「情」の観点の主張は終始封印して述べております。被害者遺族の感情や復讐的処罰感情を根拠として主張しておりません。
また、僕の理屈に対してあなたが感情論で反論した例を1つ指摘いたします。
>>・・・まあ実際の話、冤罪で死刑にされる確率など、事件に巻き込まれて殺されたり、事故で死んだりする確率などよりはるかに小さいものでしょう。そんなものを考えて生きてはいけませんよ。
>それは現実に冤罪を被らされた人を無視する考え方です。
確率論は純然たる「理屈」です。(ちなみに、死刑により「事件に巻き込まれて殺される確率」が減少するのも事実です。少なくとも死刑にされた凶悪犯に殺されることはありません。)
そして、「現実に冤罪を被らされた人」に想いをめぐらすのは感情論です。
何度も書いていますが、僕は感情論を悪いこと・議論を続けられなくなる要因であるとは考えておりません。ですが、自分は感情論を使っておいて他人の感情論は非難する、と言う態度は卑怯であり、糾弾せざるを得ません。

>これは,人間の寿命を考慮すればということかと思いますが,「寿命以上の刑を科すのは非論理的でありそのようなルールは間違っている」ということであれば,90歳の犯罪人に懲役30年を科すのも間違っているということになります。
論点ずらしも甚だしいですね。「頭打ち」は論理性や正しさを問うものではありません。問うているのは、「一定値を超えたとき、効果に比例的変化があるか」と言うことです。
つまり、90歳の犯罪人に懲役を課す場合、30年でも15年でも100年でも効果は変わらない、と言うのが僕の主張です。あなたがそれに反して「変わる」と考えるのなら(「単純な論理においては10倍です。」などと言うくらいですからそう考えているのでしょうが)、その根拠を提示してもらえますか?


>これは,冤罪で罰を科される場合に,長いまたは終身の懲役と,死刑と,どちらがマシか,という問題であり,「冤罪を受け入れられるか否か」とは別の問題です。ここで「冤罪」は議論の前提条件であるのに,貴殿は,その前提条件の成立を問題にした議論に変えてしまっています。
ご冗談を。この議論の元となった質問はこれですよ?
>>あなたは冤罪で有罪にされたとき、「死刑で無いから」と言う理由で諦められるのですか?
「諦める」ことは「冤罪を受け入れられるか否か」にかかっているのです。つまり、論点を書き換えたのはあなただと言うことです。
僕は、(論点ずらしを非常に嫌う)あなたが論点を変えるなどとは思いもよらず、「冤罪を受け入れる」と回答したと解釈してしまったわけです。あなたの正気を疑った僕の心境を少しはご理解いただけたでしょうか?


P.S.
最後に、今までの議論を踏まえた「行間からの推測」をもう一つだけ書きます。
あなたが論敵の書き逃げを許すような人間だとは、とても思えません。

投稿: KEI | 2008年1月22日 (火) 22時13分

KEI さん,こんばんは。
私は貴殿を「論敵」などとは全く考えておりませんので,これ以上の議論は控えさせていただきます。

これは全くの推測ですので,違っていれば申し訳ありませんが,貴殿はおそらくお若い方だと思います。貴殿に悪気はあるとは思えず,真摯に議論されていると思いますので,ここでの議論は貴殿の「議論」に対する認識を正確に表しているのだと思います。このような「議論に対する認識」はメディアで政治家や評論家の議論をご覧になって醸成されて来たのではないかと思います。
しかし,社会で他の人と共同で創造的な議論をする必要がある場合には,また違った性質の議論をした方が良いのではと老婆心ながら思います。

ただ,ひとつお詫びしておきます。

> この議論の元となった質問はこれですよ?
> >>あなたは冤罪で有罪にされたとき、「死刑で無いから」と言う理由で諦められるのですか?

この元になった私の質問は,

> もしあなたが冤罪で死刑を言い渡されたとき,「せめて死刑制度がなかったら」と思いませんか。

でしたので,この論点でのご質問と思いこんで,「諦められるのですか?」の意味を読み誤りました。
単に文字通りのご質問であれば,「それは死刑存廃とは別次元の話であって,死刑であろうがなかろうが,いかなる状況であっても諦めて冤罪を被るつもりはない」がお答えになります。
私の誤解のために余分にお手間を取らせて申し訳ありませんでした。

投稿: WontBeLong | 2008年1月23日 (水) 00時10分

>貴殿はおそらくお若い方だと思います。
20代後半なので、当たっているとは思います(上に読み誤っていた可能性はありますが)。
しかし、この指摘の意図する所は何なのでしょうか?年下だからと軽んじることを目的としているなら看過できない所ですが。
ネット社会は「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」が問われる社会です。現実社会においてあなたが相当年上で、高い社会的地位にあったとしても、それ自体はここでは何の役にも立たないものです。この認識だけは持っておかないと、ギャップに苦しむ羽目になりますよ。

余談ですが、ネット社会では高校生の活躍が輝かしく目立っているように感じます。今あらまさんのブログの論客になっているある高校生さんの見識は凄いと思いますし、少し昔ですが、現役新聞記者を派手に叩きのめしたことで有名なカリーさんという論客も、当時は高校生でした。若さゆえのパワーってものなんでしょうかねえ・・・(まあ、僕は平凡な高校生でしたけど)

>このような「議論に対する認識」はメディアで政治家や評論家の議論をご覧になって醸成されて来たのではないかと思います。
自分としてはネット育ちだと思っていますが(そもそもマスコミを胡散臭く思ってしまう世代ですし)。あと2chとか大好きです。
余談その2。僕がWontBeLongさんのファンになった理由は、OTSUさんのブログ「公務員のため息」での若手経営者さんとのバトルに感銘を受けたからです。労働関係のロジックはとても参考にさせてもらっています。

>しかし,社会で他の人と共同で創造的な議論をする必要がある場合には,また違った性質の議論をした方が良いのではと老婆心ながら思います。
何かの冗談でしょうか?現実社会でもこんな態度を取るなどと本気で思っていらっしゃるのですか?
こんな恐ろしいことを言うあなたを本気で心配して僕からも忠告しておきます。「社会で他の人と共同で創造的な議論をする必要がある場合には」、根拠もなく持論を主張したり、具体的指摘もなく反論したりはしないほうがいいですよ。
まして、「私なりの客観的な判断では・・・」などとホザいた日には、無能の烙印を押されても文句は言えないですよ?


・・・さて、脱線はここまでです。

>単に文字通りのご質問であれば,「それは死刑存廃とは別次元の話であって,死刑であろうがなかろうが,いかなる状況であっても諦めて冤罪を被るつもりはない」がお答えになります。
そう、「死刑存廃と冤罪は別次元の話」なのです。つまり冤罪の存在は死刑廃止論の根拠にはなりません。共通認識が一つ出来たようで、嬉しく思います。

また「それは違う」と言われるなら、あなたは想像力の足りない人間か、人の文章をよく読まない/読めない)人間かのどちらかもしくは両方です。少なくとも元書き込みである1月14日の僕のレスは読まずに返答しているでしょう?

投稿: KEI | 2008年1月23日 (水) 21時27分

KEI さん,こんばんは。

> 自分としてはネット育ちだと思っていますが

コメントを書いた後に,ネットの影響の方が大きいかなとは思いましたが,

> 現実社会でもこんな態度を取るなどと本気で思っていらっしゃるのですか?

とまで仰るとは思いませんでした。ネット上にもいろいろな場があり,この場の状況はわきまえておられると思い,真摯に対応してきました。
大変残念です。

投稿: WontBeLong | 2008年1月23日 (水) 22時52分

KEI さん,うっかりしてました。

> しかし、この指摘の意図する所は何なのでしょうか?年下だからと軽んじることを目的としているなら看過できない所ですが。

これには少しお答えしておかないと失礼でしょう。
決してそういうわけではないつもりです。
ただ,若い方だと,「議論」というものを聞いたり行ったりする機会が,メディアやネットなどを通じたものが主になるのではないかと思います。
そうすると,どうしても「議論とはどうあるべきか」という認識が,その経験に影響されるところが大きいかと思いました。

しかし,

> 現実社会でもこんな態度を取るなどと本気で思っていらっしゃるのですか?

ということですので,それは見当違いだったようです。
ただ,それならば,ここでも現実社会と同質の議論をして頂きたかったです。

投稿: WontBeLong | 2008年1月23日 (水) 23時14分

>この場の状況はわきまえておられると思い,真摯に対応してきました。
この辺に僕の表現から来る誤解があるかもしれないので、弁明を述べておきます。
僕としても真面目に考えて慎重に書き込みをしているつもりです。(文才の無さから来る遅筆も手伝って1回の書き込みにつき平均で5時間近くかかり、結構疲れます。)
「現実世界での態度」が「議論に対する姿勢」を示すのなら、ネットでも変わりはありません。前回のあなたの書き込みで「真摯に議論されている」と評価して頂いたことは正直嬉しく思っております。

僕の書いた「こんな態度」とは「議論のための手段」を指してのものでした。現実社会には利害関係や上下関係など様々な「しがらみ」があり、自由に議論ができません。
また、「政治と野球の話はするな」という鉄の掟があります。コンセンサスが取れず、内心に深く関わる論題が多く、迂闊なことを言うと危険だからです。つまり現実社会では論題も限られるのです。
ネットの醍醐味はこれらの不自由を取り除いた自由な議論ができる所にあります。人によって真っ向から意見が異なる話題も気軽に議論することができ、互いにしがらみの無い忌憚無き意見のやり取りが楽しめます。
そんな「自由」なネットですから、議論の仕方も自ずと現実社会のそれと異なるものになります。正反対の意見を持っていたり、頑固な信念があったりする手ごわい相手には、硬軟織り交ぜた揺さぶりをかけでもしなければ議論の進展は望めません。

さて、この場での議題は「死刑廃止は是か非か?」という僕とあなたとで真っ向から意見が分かれるものです。従って、「他の人と共同で創造的な議論をする」状態にはありません。そんな議論で得た印象をもとに、しかもネットでなく現実の議論について忠告するなどナンセンスにも程がある、と言う趣旨で返答した次第です。
尺の都合もあって省略が多すぎたため、誤解を与えたとすればお詫びいたします。


・・・上記弁解で納得していただけたのならば、前回の僕の書き込みを再度解釈してレスを頂きたく願います。
誤解を与えたわけではないならば(つまり、「議論のための手段」について非難しているのなら)、余程書こうかと思ったけど思いとどまった反撃を用意しております。こう書くぐらいですから、そう非難されたと考えてかなりカチンと来ていると言うことはご理解ください。

投稿: KEI | 2008年1月25日 (金) 21時16分

KEI さん,こんばんは。

> 僕の書いた「こんな態度」とは「議論のための手段」を指してのものでした。

申し訳ありませんが,この「議論のための手段」の指す意味がよくわかりません。
「議論の運び方」という意味でしょうか。そうであれば,私はそれに言及しています。

> 人によって真っ向から意見が異なる話題も気軽に議論することができ、互いにしがらみの無い忌憚無き意見のやり取りが楽しめます。

そうであれば,

> 硬軟織り交ぜた揺さぶり

などが必要な意味がわかりません。余計な策を巡らさず,「忌憚無き」文章を書けば良いと思います。
相手が「揺さぶり」などに,いちいち真剣に対応したとすれば,それは相手の時間を無駄にする行為だと思います。

> そんな「自由」なネットですから、議論の仕方も自ずと現実社会のそれと異なるものになります。

元々,インターネットは実名社会であり,現実社会の一部でした。
見ず知らずの人同士が文字だけを介してコミュニケートすることから,現実社会よりも気を使う面もありました。
商用利用が始まって,民間プロバイダを介してインターネットを利用する人が増え始めた頃,匿名性を利用して現実社会と乖離した振る舞いをする人達や,インターネットの特性を考慮しない振る舞いをする人達は,非難の対象でした。「自由」だからこそ「自律」が必要だと考えられていました。
しかし,あっという間に民間プロバイダを介した利用者が圧倒的多数となり,ほとんどの人にとって,インターネットは,パソコンを買ってきて nifty や yahoo などと契約してADSLモデムや光モデムなどをつないで使うものか,携帯電話で使うもの,または会社のパソコンがつながっているものになり,今や「ネチケット」など,ほとんど死語となっています。
しかし私は,だからこそなお,ネット利用には「自律」が必要だと思っています。
その「自律」には,「議論」も,ネットの特性に惑わされず現実社会と同様に行うことも含んでいます。
また,そのような「自律」を意識している人は決して少数ではないと感じます。

> 「他の人と共同で創造的な議論をする」状態にはありません。

基本的考え方が異なっていようと,特別な利害関係の下に自分の権利を守るためのような議論を除いて,議論はすべて「共同で創造する」ためのものであり,そうでない議論に時間を割きたくはないと思っています。
したがって,貴殿に「共同で創造する」意思がないのであれば,認識の違いは明らかであり,基本的には一方的にでも議論を打ち切りたいのですが,それでは何も創造されないので,つい老婆心ながら元の論点と無関係なことを書いてしまったのですが,

> ネットでなく現実の議論について忠告するなどナンセンスにも程がある

という認識が変わらないのであれば,若い方で今の状態のインターネットを見て育ったのなら仕方ないとは思いますし,お若いとはいえ大の大人の基本的なものの考え方にあまりあれこれ言うのは失礼なので,残念ながら私としてはこれ以上議論する価値を見いだせません。

投稿: WontBeLong | 2008年1月26日 (土) 01時13分

>基本的考え方が異なっていようと,特別な利害関係の下に自分の権利を守るためのような議論を除いて,議論はすべて「共同で創造する」ためのものであり,そうでない議論に時間を割きたくはないと思っています。
僕はまた誤解を与える表現をしてしまったみたいですね。僕も「共同で創造する」ことを目的として議論を行っております。ただ、真っ向から意見が対立する場合、創造するためにはまず相手の根拠を破壊しないといけない、と言うことを述べたつもりでした。
今、あなたの思考の土台には死刑廃止論があり、僕の思考の土台には死刑存続論があります。この状態で「死刑廃止」または「死刑存続」という塔を建てようとするには、どちらかの土台を一度壊すしかないのです。(そうでないと真に納得するのは難しいと思います。)
僕にとってはこの「破壊」も創造を目的とした正当な議論であると考えています。あなたがこれを正当な議論と認めず議論を拒否するのであれば、確かに認識の違いは明らかなのかもしれません。(この場合「共同で創造する意思がない」のはあなただと言うことになりますが。)

>今や「ネチケット」など,ほとんど死語となっています。
そうでしょうか?2chなどを見てもマナーを守らない輩などごく少数なのですが?(まあ正しくは建設的で有意義な議論の前にはそんな輩の煽りなど雑音にしか聞こえなくなるだけなのかもしれませんが)
議論を楽しむ上で何が得で何が損かぐらいは大抵の人は分かっているからだと思います。


・・・さて。

>「議論の運び方」という意味でしょうか。そうであれば,私はそれに言及しています。
多分あなたは僕が何にカチンと来ているのかが分かっていないのでしょうね。思いとどまっただけ無駄だったようなので「反撃」致します。あなたが今まで何を言っていたのかを考え直してみてください。

---
>ただ,それならば,ここでも現実社会と同質の議論をして頂きたかったです。
これはあなたにそのままお返しします。あなたは、今ここで取っている態度を現実社会でも取っているのですか?「客観的」と称して主観を垂れ流す、相手の意見の意味を考えず言葉尻だけを捉えて反駁する、根拠も示さず持論を正当化する、相手が自分になびかないと見るや一方的に議論を打ち切る・・・そんな態度を現実社会でも取っているというのが本当ならば、現実社会におけるあなたの評価は想像に難くありません。さすがに面と向かっては言われないでしょうが、「無能」「老害」と陰口を叩かれていることでしょう。

>>しかし、この指摘の意図する所は何なのでしょうか?年下だからと軽んじることを目的としているなら看過できない所ですが。
>決してそういうわけではないつもりです。
僕がこういう質問をしたのも1度や2度ではないのですが、何故こういう質問をされたのかについて少しは考えを巡らせたらどうですか?
あなたの言論からは、しばしば「上から目線」が感じ取れるのですよ。自分だけは正しい、自分だけは客観的、自分だけは理性的・・・そんな「独善」としか取れない物言いを数々見かけます。

大体あなたは返答が早すぎます。仮にも他人を非難しようとするのだから、少しは考えて書いたらどうですか!?
---

投稿: KEI | 2008年1月27日 (日) 14時57分

KEI さん,こんばんは。

> 大体あなたは返答が早すぎます。仮にも他人を非難しようとするのだから、少しは考えて書いたらどうですか!?

私は「非難」などしておりませんし,「現実社会」での議論において,他の人の意見に対するレスポンスにそれほど時間を与えられることはありません。
その時間で必要なことを考えるトレーニングを積んでいるつもりですが,私の能力では貴殿のお相手は出来かねるようです。
ご容赦下さい。

投稿: WontBeLong | 2008年1月27日 (日) 21時21分

>私は「非難」などしておりませんし,「現実社会」での議論において,他の人の意見に対するレスポンスにそれほど時間を与えられることはありません。
そこにしか異論を挟む気が無いと言うのなら、これ以上言うことは何もありません。
これからもその「独善」を貫いてください。僕にとって都合のいい言論に対しては賞賛いたします。
また、ツッコミ所があればツッコミを書き込もうと思いますので、言論の補強にでもお使いください。
それでは。今後ともよろしくお願いします。

P.S.
ところで、1月23日の僕の発言
>>つまり、冤罪の存在は死刑廃止論の根拠にはなりません。
には、結局異論は無いと言うことでよろしいのでしょうか?

投稿: KEI | 2008年1月30日 (水) 21時50分

KEI さん,こんばんは。

私のやり方を無理に通させて頂きましたが,「ブログ」という場なのでご容赦下さい。
こちらこそ今後ともよろしくお願いします。

P.S.部分に関しましては,

>> 二度と冤罪をダシにして死刑廃止を語らないでいただきたいと思います。

> というご意見を「客観的に」受け止め,貴殿に対して今後死刑廃止に関して論ずることは控えさせていただきます。

というやり取りを過去にさせて頂いていますし,それ以前にその点については明確に述べたつもりですので,ここで意見を述べることは控えさせて頂きます。

投稿: WontBeLong | 2008年1月30日 (水) 23時56分

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» 犯罪抑止力論ー応報刑か、教育刑かー [未来を信じ、未来に生きる。]
まず、死刑で殺人が抑止できない・・ですか? あの・・抑止って完全に無くすってことではないですよ。 年間300件あった殺人が、299件になったら抑止効果ありでしょ(笑) 逆に聞きたいのですが、 終身刑や懲役刑に、殺人の抑止効果があると思われますか? あと、死刑に殺人以外の犯罪を抑止する効果がありますか? 次に、懲役刑や禁固刑は教育刑だから、恐怖による犯罪の抑止効果は無い・・ですか? あの・・いくら教育刑と言っても、懲役を受ける人は、失業しますよね? 家族や友人とも暮らせませんよ... [続きを読む]

受信: 2008年1月 6日 (日) 07時37分

» 死刑FAQ (この記事は書きかけです...というか、死刑がこの世から消えるまで永久に書きかけになるでしょう) [村野瀬玲奈の秘書課広報室]
(記事起草日 2008年1月1日) 遅くなりましたが、2007年9月30日の記事、 「死刑廃止FAQを作ってみようかな。」 http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-... [続きを読む]

受信: 2008年1月13日 (日) 20時46分

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