秋葉原の無差別殺人事件に関してやはり社会背景を考えるべきではないか?
秋葉原で6月8日に起きた無差別殺傷事件の犯人の青年は,やや変わった性格ではあったようである。
しかし,教育に厳しい家庭で中学まで優等生として育ちながら進学校でよい成績を取れないなど,よくある話であるし,あのような,自己愛が強く優越感と劣等感の間を極端に行き来するような性格の人物も,自分の周囲にもいて,事件の特殊性に比べてそれほど特殊な性格とも思えない。
もちろん,本人は責められるべきであるし,特に被害者やその関係者は直接的な憎しみを持つのも当然である。
しかし,我々のような第三者は,やはり再発防止のためにも客観的に事を見なければならないだろう。
高校までは,それなりに普通に成長してきた青年が,中の下くらいの成績とはいえ名門校に通いながら,どういういきさつか知らないが,自動車整備士等を養成する専門学校的要素の強い短大を出て,派遣社員として自動車工場で働いていたのは,10年か15年くらい以前であれば,かなり特殊な進路だったのではないか。
「夢を持て」と言われ続けながら夢を奪われる現在の若者達を見ていると,その中からあのような特異な行動を取る人物が出るのも,ある程度必然であり,再発防止のみならず,この国の若者やその将来の幸福のために,やはり社会構造に目を向けるべきではないかと思うのだが,どうだろうか。
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コメント
加藤氏に関しては、ちと厳しい見解ですが、余りにも自分に関するハードルを高く持ち過ぎた(周りが持たせ過ぎた)のが、根源的な要因かと思います。
どうも、彼の成育環境を報道などで聞く限りにおいては、彼女ができないはともかく、彼自身に自覚はないでしょうが、友達を作る事を自ら拒否していたように、思えてなりません。せめて高校進学時に、もう少しランクの低い所を選んでいれば、ここまで孤立感を深めるような事にならなかったのではと、考えてしまいます。
しかし、勝ち組なんかぶっ殺してやると言った事を書き込んではいましたが、宅間守のように、いわゆる勝ち組の子弟を狙い打ちにしたのと違い、無差別殺人と言う形で自分と同じ境遇かもしれない方に刃を向けていったのが、なんともやるせません。
上記は、他所での話しを振られた時に書いたものですが、少し時間を置いて考えてみると、加藤氏は自分でも知らない内に、自分を追い込んだ身内への復讐だけは果たしていたのかも知れません。
身内の誰かが、高校時代にでも「生き急がずに、適当に生きて良いんだって」諭してくれてれば、ここまで孤立感を深める事も、なかっただろうにと考えます。
投稿: 仮)山田二郎 | 2008年6月12日 (木) 21時30分
仮)山田二郎 さん,こんばんは。
そうですね。彼が信頼する人がそのように諭せば,事件は起きなかったかも知れません。ただ,彼のような性格の人が,家族に信頼を置いているかどうかが疑問ではありますが。
一部の人が諭すよりも,やはり世の中全体がそのような構造になっていないと難しいかなと思います。
投稿: WontBeLong | 2008年6月13日 (金) 23時50分