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2008年7月 9日 (水)

”世界のナベアツ”の『アホになる』芸は障害者差別か?

「世界のナベアツ」こと渡辺鐘(わたなべあつむ)氏の「3の倍数と3の付く数字の時にアホになる」芸について取り沙汰されている。

BPOに対して視聴者から「この芸は障害者や顔面神経麻痺の人の気持ちを考えれば不適切である」という意見が寄せられたことが発端となっているようである。

自分は,今日偶然このことを知ったが,「同じことを考える人が他にもいたのか」と思った。
この意見は言葉の選び方が難しいので,自分はこれまで妻以外の人に話したことはなかった。

ネット上の論調をパラパラと見たが,概ね,視聴者の意見に対して批判的である。
批判の論旨は,「障害者を差別する意図はない」,「芸として面白い,高度である」,「テレビで変な顔をしてはいけないのか」などであった。

彼自身に,障害者を差別する気持ちはないだろうから,それを問題にするのは無意味である。あくまで結果を問題にするべきである。
また,「3の倍数と3の付く数字に即座に反応する」こと自体は,面白みもあるし,真似をすることが頭の体操になることも確かであるが,そのことと「障害者差別につながるかどうか」とは無関係である。

問題は,「アホ」と,あの表情,仕草を同一視することである。
あの芸は,他の数字をカウントするときの気取った顔,仕草と,3関係の数字をカウントするときの対極的な顔,仕草が芸の本質である。
面白い顔,面白い仕草の表現方法は無限にある。彼自身,他のバージョンも持ちネタにしている。
なぜ,「アホ」であり,あの顔,仕草なのか。

坂田利夫氏が「アホの坂田」を芸にしているが,坂田氏の場合,リアリティーのない「アホさ」を表現している。現実の世界にあのような人物はまずいない。
しかし,「ナベツネ」氏の表現はリアルすぎる。現実社会でも,同様の顔,仕草をする人を頻繁に目にする。

本人に悪気はないのであろうが,「アホ」の表現方法としてあのような選択をした浅はかさを責められるのは仕方のないことではないかと思うのだが,どうだろうか。

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コメント

無責任なマスコミお得意の言葉狩り全般にもいえるのですが、仮にあの芸がなかったとして、その身障者達への差別は無くなるのでしょうか?
また、今まで「差別用語だ」「傷つく者がいるから」と言って、言い換えてきた結果、何か変わりましたか?

極端な話し、差別だと思う人間がいれば、何でも差別になってしまいます。
個別の人を対象にして論じる場合には、配慮も必要でしょうが、そうでない場合にまで配慮しすぎると、何も言えなくなってしまいますし、その鬱屈した思いが反動化してしまいます。(今の右傾化などは、典型的でもある)
少なくとも、意図的にやっている場合を除いては、差別だと騒ぎ立てるのは、慎むべき事だと思いますよ。

投稿: 仮)山田二郎 | 2008年7月 9日 (水) 01時30分

仮)山田二郎 さん,こんばんは。
前段は,論点が違うように思います。「差別を無くすために何をすべきか」という論点では,私は書いていません。

私は,何かにつけ「ホンネ」と「タテマエ」のけじめは重要だと思っています。
深夜番組くらいで周囲を気にせず無邪気に笑って見るにはいいかと思いますが,ゴールデンタイムなどに放送するには,「タテマエ」を通すために社会への十分な配慮が必要だと思います。
私も,深夜番組ではあの芸を笑って見ていました。キワどい芸だから深夜ならではだなと思いながら。しかし,いつの間にかメジャーになったのを知って驚きました。

なお,「意図的」かどうかは問題ではないと思います。自分の子供にも,「わざとではなくても悪いことをしてしまったら謝れ」と躾けています。

投稿: WontBeLong | 2008年7月 9日 (水) 22時24分

>批判の論旨は,「障害者を差別する意図はない」,「芸として面白い,高度である」,「テレビで変な顔をしてはいけないのか」などであった。
もう1種類重要な批判的見解があったと思いますけど↓
「常日頃障害者を差別的に見ているからこそ、そんな発想になるのでは?」
…こういった見解は初見ですか?

>私は,何かにつけ「ホンネ」と「タテマエ」のけじめは重要だと思っています。
だとすれば「アホ」は「タテマエ」として通るのではないかと思うのですけどね。
そしてまずいのは「差別」という「ホンネ」を口に出した「視聴者」の方では?

投稿: KEI | 2008年7月10日 (木) 20時50分

KEI さん,こんばんは。
はは。さすが KEI さん,見逃しませんでしたね。しっかり突っ込んでいただいて,ある意味嬉しいです。
件のコメントは,私も「まずい書き方だな」と思いましたが,コメントでもあるし,まあいいかと思って「送信」を押してしまいました。

ご指摘の批判見解の存在は承知してます。これを挙げなかったことに意図はありません。
しかし,件のコメントの文面が,同じ批判を受けそうなものであることは認識してました。

「差別意識があるから」という意見は詭弁だと思います。意図的ではないと思いますが。

私は,障害者の方などを,ある程度「特別視」しています。しかし「蔑視」はしていません。「差」を認識することはお互いを尊重するために重要なことだと思います。
件の意見を言う人は,障害者の方などを「特別視」しないと言うのでしょう。
ではそのような人たちは,突然目の前に「アホのときのナベアツ」そっくりの人が現れて,それが「アホになった人」なのか「元々そういう顔・仕草の人」なのかわからないとき,どう反応するのでしょう。
どちらかわからなければ笑わないのではないでしょうか。

同じ顔・仕草なのに「アホ」なら笑う,「本当の顔・仕草」なら笑わない,これは「特別視」ではないでしょうか。
(まさか,「本当の顔」でも笑う,それが特別視しないということだ,とは言わないでしょう)

「アホ」だから笑うのは「タテマエ」で,差別意識がないから「本当」なら笑わないのが「ホンネ」,というのは無理があるでしょう。
「子供は残酷」とよく言われます。状況をわきまえず,可笑しいと思ったら笑ったりからかったりします。
成長するにつれ,笑って良い場合と悪い場合を学習していきます。
「ホンネ」しかない子供が,「タテマエ」を覚えていくのではないでしょうか。

「芸として見て笑うのであって,元々そういう顔・仕草の人を笑うことに結びつけるのはおかしい」というのは「詭弁」であって,ああいう顔・仕草を見て単純に可笑しいと思う「ホンネ」と,状況によって笑って良いかどうかを判断する「タテマエ」があるのが一般的だと思うのは,こういうわけです。
そして,「ナベアツ」の芸は「タテマエ」の否定につながりかねないキワどいもので,大人が深夜にこっそり見て笑うのがギリギリだと思うのです。

そういう意味では,本人に罪はなく,メジャーな場に引っ張り出した者が悪いとも言えるのですが,彼は若手新人などではなくベテランであり,放送作家という「作り手」でもあるのですから,自らの意思で判断して出る場所は選ぶべきだと思います。

うーん,まだ言葉が足りない気がしますが,とりあえず「送信」します。

投稿: WontBeLong | 2008年7月10日 (木) 23時13分

こんばんは、お久しぶりです。
パソコンの調子が悪かったので、なかなかログインできませんでした。
さて、小生自身も障害者手帳を持ち、障害者施設に遊びに行くことがあります。
知能障害の作業所では、ナベアツの芸のモノマネが流行しています。
小生もやってみましたが、なかなか難しいですね。三に関係する数の時に声色を変えることは、健常者でも難しい。
結構、頭の体操になります。
・・・と言うことで、そんなに問題にするものではないと思いました。
それよりも、裸芸人の方が問題だと思います。それから女性二人のヌーブラをつけた芸人。あれは、ひと昔前では‘犯罪’でした。

投稿: あらま | 2008年7月11日 (金) 21時25分

>「差別意識があるから」という意見は詭弁だと思います。意図的ではないと思いますが。
まあ、僕が良く見る2ch系掲示板は「ゲスな勘繰り」が横行する場ではありますからね。
ただ、「この視聴者氏は『かわいそうな障害者の気持ちに立って考えられる私はなんて素晴らしい人間なんだろう』的思考でBPOにタレこんでるんじゃね?」という「勘繰り」を、僕には否定しきれないんですよねぇ…

>同じ顔・仕草なのに「アホ」なら笑う,「本当の顔・仕草」なら笑わない,これは「特別視」ではないでしょうか。
>(まさか,「本当の顔」でも笑う,それが特別視しないということだ,とは言わないでしょう)
と言うか、世間においては「どんな顔であっても」「人を指差して笑ってはいけない」のではないですか?
そして逆に演芸の場では、何に起因するものであれ面白いものであれば笑っていいのではないかと思うのですが。

…実は僕も考えがうまくまとまりません。ただ、何かが引っかかるのでもう少し噛み付いてみました。

投稿: KEI | 2008年7月11日 (金) 21時39分

あらま さん,こんばんは。

私の親類にもポリオの後遺症を持つ者がいます。
しかし,他の子供よりもやや早く「タテマエ」を覚えたかも知れませんが,決して当事者の気持ちがわかるものではありませんね。
健常者の我々がとやかく言う問題ではないのかも知れません。

と思うと同時に,私は「健常者」という言葉も好きではありません。
指紋どころか,血管や内臓の配置,骨の数なども人によって異なるのですから,何が正常で何が異常かなど,医学の世界で人為的に線引きをしたに過ぎません。
「健常者」,「障害者」と分けること自体,医学的,行政的にはともかく,人道的には不適切なのではないかと思います。

また,相手が気にしなければ何をしても良いということはないのと同様,あらま さんのお知り合いの知的障害者の方や,おそらくもっと多くの障害者の方達が気にしていないからといって,問題ではないと言っていいものではないと思います。

私の言うことにもあちらこちらに矛盾があると思います。
とても難しい問題で,簡単に答えが出るものではないのではないでしょうか。

私も本文に書いたことを完全に確信しているわけではないので,ほとんど「政治・経済」と関係がないにも関わらす,迷った末「番外」にはしませんでした。

ただ,仰るとおり,「芸」でありながら「頭の体操」にもなる,なかなか良い「ネタ」だと思いますので,万人が心おきなく笑える「3」であれば良かったのにと,少々残念に思います。

> それよりも、裸芸人の方が問題だと思います。それから女性二人のヌーブラをつけた芸人。あれは、ひと昔前では‘犯罪’でした。

すみません,私は昨今の行き過ぎた「お笑いブーム」が好きではなく,ゴールデンタイムなどに放映されるお笑い番組は見ないので,どんな芸かわかりません。笑)
「お笑い番組」で私が見るのは「あらびき団」だけです。
そんなもの見て笑ってるやつがエラソーに言うな,と言う声が聞こえて来そうです。笑)

投稿: WontBeLong | 2008年7月11日 (金) 22時54分

小生は、こうしたことを問題化することは、言葉狩りをしている部落解放同盟に同調するものだと思います。
「健常者」にしても「障害者」にしても、これは差別ではなく区別だと思いますよ。
それを差別だと感ずる人は差別になるのでしょう。
さらに、差別されたとして補償を要求する理由にするのが部落解放同盟のやり方です。
性差別にしても、女性を意識しただけで「差別」だなんてやりかたは、もはや理屈ではなくて卑怯なやり方だと思っています。

おっと、「障害者」だけではなく「障がい者」ですってね。
ひらがなにすることで、障害がなくなるなんて、洒落にもなりませんね。

投稿: あらま | 2008年7月11日 (金) 23時15分

KEI さん,こんばんは。

>「この視聴者氏は『かわいそうな障害者の気持ちに立って考えられる私はなんて素晴らしい人間なんだろう』的思考でBPOにタレこんでるんじゃね?」という「勘繰り」を、僕には否定しきれないんですよねぇ…

「視聴者氏」の評価が目的ではないのですから,「視聴者氏」がどういう意図を持っているかは別問題でいいんじゃないでしょうか。

> そして逆に演芸の場では、何に起因するものであれ面白いものであれば笑っていいのではないかと思うのですが。

「場」によって許容範囲が違うと思います。ゴールデンタイム,深夜番組,アングラな劇団,学生のコンパ。
やはり,臨機応変に「ホンネ」と「タテマエ」の使い分けが必要ではないでしょうか。

> …実は僕も考えがうまくまとまりません。ただ、何かが引っかかるのでもう少し噛み付いてみました。

上のコメントに書いたように,私もまとまっていません。そのせいもあって,本文に書いたように,他人に話したことはありませんでした。
上のコメントに,KEIさんにもお話ししたいことをかなり書いてあります。できればお読み下さい。

いずれにしても,いろんな意味で難しい問題だと思います。

投稿: WontBeLong | 2008年7月11日 (金) 23時30分

あらま さん,
私も,部落問題に触れようかと思ったのですが,話が広がりすぎるかと思ってやめたところです。

私は中学校で同和教育を受けました。そのとき,こんなことわざわざ教えなければ知らずにすむものを,と思いました。それを教師に伝えると,差別があるということを知ることは必要だと諭されましたが,理解できませんでした。
その後,ある程度成長して,アングラではまだまだ部落差別があることを知り,同和教育はやはり必要だと思いました。
さらに成長し,部落問題は複雑であることを知り,解同のやり方は確かに問題ですが,部落問題全体に対する自分の考えはまとまっていません。

ただ,ひとつ言えることは,部落と違って障害者はおそらく永久にゼロにはならないということです。
何らかの形で,永遠に取り組まなくてはならない問題であることは間違いありません。

また私も,「区別」は必要であり,「差別」との「識別」も重要だと思います。

投稿: WontBeLong | 2008年7月12日 (土) 00時10分

昨今の行き過ぎた「お笑いブーム」で、問題視されているのは、素人いじりや芸人同士でのいじり合いによる安易な手法であって、一発芸的なものであっても、芸として成立しているものに対して、不快だからと言って見せるなと言うのは問題がありますよ。

投稿: 仮)山田二郎 | 2008年7月12日 (土) 00時12分

セクハラ問題でもそうですが、こういった問題は、不快に受け取る人間が居れば発生は避けられません。

その時、「意図してないから」と言うのは言い訳にはなりません。抗議や批判に対しては、真摯な態度で臨むしかないわけです。

「言葉狩り」と言われる問題だってそうです。

不快に思った人間が、言論の枠内で抗議や批判をするのは、極めて正当な行為です。

それを国家による検閲等と同一視して、「言葉狩り」自体を封じ込める「「言葉狩り」狩り」の方がよほど問題のある態度です。


この社会には、様々な価値観をもった人間が存在します。

当然、自分とは違った価値観を有する人間は、自分とは違った不快さを感じることがある訳ですから、社会の中でコミュニケーションをする限り、思わぬ抗議や批判を受けることは避けられません。

その時、真っ向から反論するか、相手の価値観を認めて謝罪するか、或いは、自分の価値観と相手の価値観の差を埋めるべく対話を行うか等々、その対応の仕方は千差万別でしょう。

しかし、抗議や批判そのものを否定すると言う態度は、コミュニケーション自体の拒否であり、対応の仕方としては最低な部類に属すると思います。

投稿: TTT | 2008年7月12日 (土) 00時47分

仮)山田二郎 さん,こんばんは。

「お笑いブーム」の話はあくまで余談であって,本文とは関係ありません。
また,一発芸がすべて悪いと思っているのではなく,いろんな理由があります。

さらに言えば,「芸として成立」しているかどうかは,見る人ひとりひとりが勝手に判断することではないかと思います。

投稿: WontBeLong | 2008年7月12日 (土) 00時55分

TTT さん,コメントありがとうございます。

全く仰るとおりだと思います。
ただ,抗議や批判に他意がある場合があるので,難しい場合がありますね。

抗議や批判を「する側」の場合,他意がないのに疑われる場合がありますし,「される側」の場合,他意があるかどうかの判断が難しい場合がありますし,明らかに他意がある場合も,なかなか対応が難しいものです。

よく整理されたご意見で大変参考になりました。ありがとうございました。

投稿: WontBeLong | 2008年7月12日 (土) 01時08分

盛り上がっていますね。

さて、この記事を読んで、かつての「欽ちゃん走り」が叩かれたことを思い出しました。
たしか、部落解放同盟の人が、障がい者を侮辱している・・・と言っていました。
しかし、今年、宮崎県の東国原知事が、マラソン大会のときに欽ちゃんと一緒に「欽ちゃん走り」をやっても、誰も文句は言いませんでしたね。

このように、「問題」とは、「問題化」することによって「問題」になる部分があると思います。
日中関係だって、中国側が「日本の教科書」や「靖国神社」を問題化することによって、謝罪と補償を要求しています。
こんなことは、単なる内政干渉で、日本が一蹴すればよいことでした。
部落解放同盟も、「差別」をわざわざ問題化して、謝罪と補償を要求している部分か確かにあります。

そんなわけで、ナベアツの芸を、「問題化」までにして「問題」にするほどものではないような気がします。

何をするにも、何をしゃべるにも、社会人として、一定の配慮は必要だと思いますが。

投稿: あらま | 2008年7月12日 (土) 09時46分

>WontBeLongさん

「他意」は、はっきりするまでは無いものとして扱うという対処をするしかないことだと思います。主張が正論であるかぎり、受ける側も正論で返すしかありません。

言論外の圧力をかけてくるようなものは勿論別です。ただ、その場合、「他意」が問題の中心ではなく、圧力の方が問題でしょう。

>あらまさん

人種差別、民族差別、男女差別、職業差別等々も、パワハラやセクハラも、誰も「問題化」しなければ、「問題」にはならなかったでしょう。

しかし、「問題」にならなかったほうが良いかどうかは、個々人の価値観によって違う訳です。

「問題化」というのは、誰も表立っては触れてこなかった「問題」を顕在化するプロセスに過ぎず、それを云々するのはナンセンスではないでしょうか?

まったく何も無い所からは、「問題化」できない訳ですから。

主観的な抗議や批判自体を無くすことは、自由主義社会ではできません。そう言った面倒くささも自由主義社会の維持には必要なコストです。

投稿: TTT | 2008年7月12日 (土) 19時21分

実際に言葉狩りを行う者やその同調者は、言論・議論ではなく直接的な暴力なども含む圧力をかけてくるのですが、その事を問題視されないのは、片手落ちというものです。
今回のナベアツ氏の件に関しても、以前なら何の擁護意見も無いまま一方的に謝罪させられたあげく、あの芸は封印させられていたでしょうね。

投稿: 仮)山田二郎 | 2008年7月12日 (土) 20時16分

TTTさま、はじめまして。
この場をお借りして、ちょっと TTTさま宛にご意見を書かせていただくことをお許しくださいね。

小生は、「問題」を抹殺しようという意図で、問題化することをやめようと述べているのではありません。

障害者か問題にしていないことを、健常者が「これは障害者に対しては問題だ」とすることについて述べているのです。

ナベアツの芸を見て不快に思う障害者がいますか ?
少なくても、小生の周りにいる知的障害者は、ナベアツの芸の真似までして楽しんでいます。
それを、健常者が障害者に対して、「これは障害者に対して侮辱した芸ですよ」などと吹き込めば、その次から、知的障害者はナベアの芸が嫌いになるでしょう。
そうでなくても、ナベアツの芸を問題に思う自体が不要だと思います。

それとは別に、仮に、障害者を侮蔑する目的で演じられているものがあれば、これは「問題化」すべきでしょう。そして、その芸人を叩くべきです。

しかし、そうではなくて、皆を楽しませようとする芸に対して、わざわざ問題化する必要はないと言うことを言いたいのです。

そうは言っても、何気ない言動でも傷つく場合があります。そうした配慮は必要でしょう。
しかし、全てに配慮したら、大衆の前でする芸なんてないでしょう。

それから、もう一つ、「被害者意識」と「加害者意識」とでは違うということがあると思います。
たとえば同じ追突事故でも、加害者側では小さな事故でも、被害者側では大事故と捉えてしまうものです。
それが人間の心理ではないでしょうか。
さらに、「逃げた魚は大きい」という心理も働いて、同じことでも立場によって印象が違うこがあるのではないでしょうか。
ですから、両方の立場で考える必要があると思います。

そうした意味でも、当事者が問題にしないことをわざわざ問題にすることは、いかがなものでしょうか ?

投稿: あらま | 2008年7月12日 (土) 20時46分

あらま さん,TTT さん,仮)山田二郎 さん,こんばんは。
個別にではなく,皆様のコメントから考えたことをまとめてコメントさせて頂くことをご容赦下さい。

まず,今回の私の記事は,BPOに意見した「視聴者氏」が,「問題化」すること自体を目的としているかどうかは論点としていません。「ナベアツ」の芸が不適切かどうかということを問題としています。
したがって,解同や中国との対比は,理解はしますが,また別問題(少なくとも私にとっては)です。
「当事者が問題にしている」という点でも質が異なります。

したがって,「正論には正論で返すしかない」という範囲に抑えたいと思います。
この場合の「正論」とは,それなりに道理の通った主張という意味で,同じ問題に対して相容れない複数の「正論」があり得るものとします。
ただし,「正論には正論で返すしかない」というのも,相手が他意を持って巧みに仕掛けてきた場合に思う壺になりますので,難しいところだとは思います。しかしこれも「別問題」と思います。

要するに,ナベアツの芸は「なぜ問題か」,「なぜ問題ではないか」に絞りたいと思います。

私は,前にも書いたように,「ナベアツ」の芸を見た障害者の方などの気持ちは知るよしもありません。また,多くの方達が気にしている,または気にしていないという確かな情報も持っていません。

しかし,これも前の方のコメントでも少し書きましたが,私は,障害者の方などが気にされるかどうかは「ナベアツ」の芸の評価に必ずしも必要とは思いません。

この問題に関して,ここ数日いろいろ考えましたが,その中で,私が「善悪」の評価基準として「子供への影響」をかなり重く見ていることに自分で気がつきました。
ですから,これも前に書いたように,「ナベアツ」の芸も深夜放送でならギリギリOKと思います。(最近の子供は深夜放送も見るかも知れませんが,これも「別問題」と考えます)

あの芸を,子供達がよく真似しています。
分別のない彼らが,障害者の人を見て指さし「アホだ」と笑った場合,大人はどう説明するべきでしょうか。
「ナベアツ」は芸だけどあの人は違うから笑っちゃだめだよ,などと言っても子供は理解できないでしょう。

さらに言えば,例えば,指さされた人が全く意に介さず,さらに「ナベアツ」の真似をして子供を喜ばせたりした場合,大人は一緒になって笑っていいのでしょうか。
指さされた本人は,大人にも笑ってもらおうと思って真似をしたかも知れません。
そうであれば,「ああ,面白かったね」と言ってもらうことを本人は喜ぶでしょう。
しかし,それで本当に良いのでしょうか。

一緒になって笑った後に,「でも本当は指さして笑ったりしてはいけないよ」などと諭して子供は理解できるでしょうか。

だからといって,子供を喜ばせようとしてくれている人を前にして,笑わないわけにもいかないでしょう。

このように考えてくると,やはりあの芸は,社会が円滑に運営されるためには基本的に許されないものではないかと思います。

私のいう「タテマエ」とは,単に見た目に善人を演ずるというようなことだけではなく,踏み込んでしまうと収集が付かなくなってしまうことに対して設けられた一定のルールを守ることも含んでいます。

ですから,やはり「ナベアツ」の芸は,少なくとも子供も見るような場では慎むべきものではないかと思います。

投稿: WontBeLong | 2008年7月13日 (日) 01時25分

悪い意味で、過保護に過ぎますね。
子供は子供なりに善悪の基準を持っているもんです。
明らかに悪意のある情報でなければ、恣意的にシャットアウトした所で逆効果にしかなりはしません。
子供が間違った行為をしたのなら、その場で叱るなり諭すなりするのが、本当の意味で子供の為でしょう。

投稿: 仮)山田二郎 | 2008年7月13日 (日) 08時29分

>あらまさん

最初に指摘しますが、仰っていることが前回のご意見とはかなり変わっていると思います。あらまさんが例示された日中問題、部落問題等々は何れも当事者が問題にしていることですよね?

また、「当事者が問題にしないこと・・・」云々と言うのも、このケースについて妥当なのかどうか判断がつきかねます。抗議した人は、本当に障害者や顔面神経麻痺の人、または、その家族や知人では無いのでしょうか?

さらに言えば、問題化する権利を当事者に限定する思想も賛同しかねます。

これは価値観の問題であり、正答は無いかもしれませんが、私にはそういう態度が好ましいとは思えません。社会正義を追求する権利(場合によっては義務)は、社会の構成員であれば、当事者でなくても有すると信じていますので。

そもそも、「問題化」されるケースでは、当事者本人に「問題化」する能力が無いことも珍しくはありません。

例えば、重度の知的障害者や認知障害では、侮辱にされても本人にはよく分からなかったり、酷く扱われてもそれを広く訴え出る能力に欠けるケースが存在します。

あらまさんの論理では、こういうケースは、第三者が発見しても放っておくべきということになってしまいます。本人だけではなく、家族や知人まで含めて「当事者」としても、それら当事者が泣き寝入りしているような場合は、放っておくべきと言うことになってしまいます。

こういった問題は、当事者の能力によるケースだけではなく、社会的な力関係で抗議をすることが出来ずに泣き寝入りするようなケースでも共通します。

>仮)山田二郎さん(のひとつ前の意見)

今回のケースでは、直接の圧力が合ったようには思われませんから、仰っているケースには該当しないと思います。

ちなみに、私は言論外の圧力を伴う場合は別と書いています。

投稿: TTT | 2008年7月13日 (日) 09時25分

コメントが長くなって申し訳ありません。
WontBeLong さまの寛大な心に甘んじて、また、少し意見を書かせていただきます。
そもそも、笑いをとるとは、どんなことでしょうか。
上質な笑いもあるでしょうし、バカなことをして笑いを取ることもあるでしょう。また、モノ真似のように、本人よりもそっくりな芸をして笑いをとることもあるでしょう。
そこで、ナベアツの芸が、障害者のモノ真似をしているとして、不謹慎だと思う人がいても、それはその人の印象ですからその人の勝手でしょう。
しかし、そう思う人が、自分の想像だけで確かめもしないで、ナベアツの芸を批判するのはどうかと思うのです。
本当に、知的障害者が、ナベアツの芸を見て、不快に思ったことを確かめて、意見を言っているのでしょうか。
さらに、ナベアツの芸を見て、不快に思わない知的障害者に、それを不快に思わせようとする言動は、道義的に許せないものです。これほど障害者をバカにしたものはありません。
その人の‘正義心’は満足するでしょうが、障害者に対しても、演じているナベアツに対しても、心にキズを負わせるものです。
そうした自己中心的な「正義」は、たいへん迷惑なものです。

次に、日中関係についてですが、中国が「抗日教育」をしていることは事実としてよく知られています。中国に行けば。街中に「抗日」の看板が掲げられています。日本は悪い国だということを、中国政府は国民に‘吹き込んでいる’ので、本当なら問題でないことまで問題になっていると思います。
たとえば、日本人が自国の祖先を祀る神社に手を合わせた姿を報道されると中国人は不快な反応します。
そこで、中国人が不快な思いをするのなら、祖先に手を合わせるのを控えようという意見が日本国内でも沸く始末です。
はたして、そこまでする必要があるのでしょうか。
過剰な「抗日教育」に問題があるのではないですか。
それが内政干渉だというのなら、互いに内政干渉をしないことです。
次に、同和教育にしても、わざわざ差別を‘吹き込む’ようにして、差別を喚起するようなことに、違和感をもつ日本人がいます。そして、日本の文化である言葉を破壊し、差別的な行動をしているとして、日本のマスコミ、出版、宗教団体などが叩かれたり潰されたりしました。
差別を意識していない人に対して、「あなたは差別されている」「あなたは差別している」として、日本人の生活全体を混乱に陥れました。
しかし、それで、差別はなくなったでしょうか ?
差別を助長しただけではないですか ?
そうした市民団体は、潜在していた差別を顕在化したとして、社会的正義を実現したと自負していますが、多くの人の心を傷つけて社会をびん乱しただけでした。
差別を声高に唱えてした市民団体は、「補償金」を獲得すると、その活動が急に小さくなってしまいました。
あの「同和運動」は何んだったでしょうか。
国民に差別を‘吹き込んだ’だけではないですか ?

このように、自国のだけ、自分の所属する党だけ、自分の心だけの正義心を、「社会的正義心」と摩り替えて、行動することはいかがなものかと思います。
まわりを取り込んで混乱を起しただけではないですか ?

今回のナベアツの芸にしても、それを理由に、まわりを取り込んで無用な混乱を起しているんじゃないですか ?

単なるお笑いを、社会問題に昇華させたことに対する自己満足だけであるのならば、それは「オトナ」の行動ではないと思います。

投稿: あらま | 2008年7月13日 (日) 17時26分

仮)山田二郎 さん,こんばんは。

> 明らかに悪意のある情報でなければ、恣意的にシャットアウトした所で逆効果にしかなりはしません。

そのご意見は少数意見ではないと承知していますが,私は賛同しかねます。
ちょっと本題からずれますが,例えば性に関する情報は,ひと昔に比べて随分とオープンになりましたが,悪影響はいろいろ挙げられても,良い影響というのはほとんど見られないのではないでしょうか。

同和教育についても先のコメントで触れましたが,考えはまとまっていないとはいえ,小中学生に対する同和教育は不要ではないかと思っています。

実際に子育てをしていると,子供の善悪基準など当てにしていては,それこそ過保護な子供になってしまうと感じます。尊重したり,尊重するフリをしたり,頭ごなしに否定したり,ケースバイケースではありますが。

投稿: WontBeLong | 2008年7月13日 (日) 23時51分

TTT さん,あらま さん,こんばんは。

ちょっとお二人の議論が噛み合っていないように思います。
例えば,TTT さんが,今回の抗議をした人が当事者ではないと確認できていない,また,重度の知的障害者の方などは当事者として抗議できない場合がある,などと指摘されているのに対して,あらま さんは,本当に知的障害者がナベアツの芸を見て不快に思ったことを確かめたか,というような意見を述べられています。

あらま さんは,「問題化」しなくとも社会に不都合はなかったはずのことを,特別な意図を持って「問題化」することをかなり厳しく批判されています。
しかし,TTT さんの仰るように「問題化」することが適切な事例も数多くあります。
TTT さんは,特別な意図などがあることが明らかでない限り,問題視する意見を封殺するべきではないと仰っているのだと思います。

中国は,チベット問題,北京の大気汚染,農薬混入ギョウザなど,問題化の動きを封殺しようとすることもあります。

ケースバイケースで考えるべきであり,一概に「やたら騒ぐのは問題」とは言えないと思います。

また,「ナベアツ」の芸に関しては,「芸を問題化」したのはBPOに投書した一視聴者で,特に大きな動きをしたわけではありません。
騒ぎを大きくしたのは,この意見を見つけ出して「芸の問題化を問題化」した人たちで,「まわりを取り込んで無用な混乱を起こして」いるとしたら,それは「ナベアツ批判を批判する人」達です。
短絡的に過ぎるかも知れませんが,今回の騒ぎは「左よりの人を攻撃したい右よりの人」が意図的に起こしたものと言っても良いかと思います。

私自身は,そのような騒ぎとは関係なく「ナベアツの芸は不適切か否か」を考えたいと思います。

私としては,「ナベアツ」氏のあの顔,仕草が,障害者などの方達を全く意識したものではなく,ゼロからの彼の創造とは思えません。変な例えですが,著作権侵害の裁判のような審査をしたとして,「偶然の一致」という主張は認められないと思います。そして,それを「アホ」と呼ぶのですから,全く差別する意図はないと主張してもそれは通らないのではないかと思います。

投稿: WontBeLong | 2008年7月14日 (月) 00時44分

WontBeLong さまの「世界のナベアツ”の『アホになる』芸は障害者差別か?」という問い掛けに対して、小生は 「『NO ! 』と答える前に、それは『問題にすべきではない』」と応じているのですから、話題がかみ合わないのは当然だと思います。
それに対して、問題化の問題化の問題化・・・を繰り返しても、将棋の千日手のようで、それでは意味のない議論になってしまっているような感じですので、一連の「問題化」についてはもう止めます。
さて、少なくとも、ナベアツ本人には「アホなしぐさ = 障害者」という図式は頭の中にはないと思いますよ。
その理由は、そうした指摘があっても、なおその芸を続けていたり、またその芸を使った CM などが流れているからです。
・・・ということは、本人はもとより、放送する側も、そのような差別意識を最初からしていないと思います。
他の方の指摘があるように、ナベアツの芸を見て障害者を連想するほうに、障害者差別の意識があると思います。
障害者差別の意識がなければ、ナベアツの芸は、小生の知っている障害者のように普通に楽しめる芸だと思います。

投稿: あらま | 2008年7月14日 (月) 23時52分

あらま さん,こんばんは。

> ナベアツの芸を見て障害者を連想するほうに、障害者差別の意識があると思います。

「ナベアツ批判を批判」する意見として最も多く聞かれるものだと思います。
しかし,その意見には無理があると思います。

「ナベアツ」の存在を知らない人の目の前を「アホになったナベアツ」が通り過ぎたら,その人は「アホになった健常者」だと認識できるでしょうか。
「できる」と言う人がいるとしたら,あらま さんもそうかも知れませんが,障害者の方などを身近によく知っていて,見分ける能力がある数少ない人ではないかと思います。

ついでに言えば,「アホの坂田」の存在を知らない人の前を「アホの坂田」が通り過ぎたら,たいていの人は「ふざけている人」と認識できると思います。

あと,「ナベアツ」氏がどう思っていても,テレビ出演のオファーを断るのは難しいでしょう。
もしかしたら,「俺は本当にこれでいいのか」と毎日頭を悩ましているかも知れませんよ。笑)
まあ,何より世論の大多数は「ナベアツ批判否定派」で,「批判派」の意見はほとんど封殺されているようですし。

投稿: WontBeLong | 2008年7月15日 (火) 22時56分

先のコメントで書こうと思ってやめたのですが,あらま さんは下に書くような意図を持っていないと思いますので,あえて書きます。

> ナベアツの芸を見て障害者を連想するほうに、障害者差別の意識がある

という意見は,相手が差別を嫌うことにつけ込んで,相手の議論を封じようとする意図がある場合があるように思います。
私も,この意見にうまく反論する自身がないので,妻以外の人にはこの話をしたことはありません。匿名だからこそ,思い切って反論できるのです。
言えば言うほど,「それこそが差別意識だ」と反論されると思いますが,前にも書いたように「区別」はしている以上,「区別」といわゆる「差別」は違うということを認めてもらえない以上,議論は平行線になってしまいます。(あらま さんとは別の意味での平行線ですが)

投稿: WontBeLong | 2008年7月15日 (火) 23時08分

>>例えば性に関する情報は,ひと昔に比べて随分とオープンになりましたが,悪影響はいろいろ挙げられても,良い影響というのはほとんど見られないのではないでしょうか。

これは倫理観や立場の違いでしょうね。男性陣から見れば悪影響しか見られなくても、女性陣から見ればどうでしょうか?

>>同和教育についても先のコメントで触れましたが,考えはまとまっていないとはいえ,小中学生に対する同和教育は不要ではないかと思っています。

これには同意です。今後は、あの赤い建物を無くす事が同和差別解消の早道だと考えていますので。

>>実際に子育てをしていると,子供の善悪基準など当てにしていては,それこそ過保護な子供になってしまうと感じます。尊重したり,尊重するフリをしたり,頭ごなしに否定したり,ケースバイケースではありますが。

これ、私の考えと殆ど同じなんですけど。
補足させてもらうと、出来る限り子ども自身に判断させて見て、間違いだと思えば、その都度指導・修正すると言う事です。(ものすごく面倒やけどね)

投稿: 仮)山田二郎 | 2008年7月15日 (火) 23時59分

仮)山田二郎 さん,こんばんは。

> これは倫理観や立場の違いでしょうね。男性陣から見れば悪影響しか見られなくても、女性陣から見ればどうでしょうか?

すみません,趣旨がまったくわかりません。むしろ女性に対しての方が悪影響が大きいように思いますが。

> これ、私の考えと殆ど同じなんですけど。

論点は子供の教育方法ではなくて,子供の善悪基準が当てになるかどうかだと思っていました。
前のコメントで書かれた,

> 子供は子供なりに善悪の基準を持っているもんです。

を,「たいていの子供はナベアツを笑って良いが障害者を笑ってはいけないことを知っているから,基本的に子供の基準に任せればよい」という意味に取りました。
そうではなくて,「まず子供の善悪基準に任せてみて,間違えたら正せばよい」という意味であれば,それは我が子のことしか考えない行為だと思います。
性に関する情報の話と絡めて言えば,少し極端な例ですが,子供(男の子)がレイプ場面のあるアダルトビデオを見てしまうのを放置しておいて,近所の女の子に乱暴した後に,「それはしてはいけないことだよ」と言うようなものかと思います。
子供が他人に危害を加えたり迷惑をかけたりすることにつながる可能性のある情報は,適宜シャットアウトする必要があると思います。

「それは極端だ」と言われるのであれば,やはり問題は「ナベアツの芸は子供の善悪基準に任せられるものか否か」であって,私は任せられないレベルだと思います。そうではないと仰るなら,これは見解の単純な相違で,1対1の議論で答えは出ないでしょう。

投稿: WontBeLong | 2008年7月16日 (水) 01時28分

>>例えば性に関する情報は,ひと昔に比べて随分とオープンになりましたが,悪影響はいろいろ挙げられても,良い影響というのはほとんど見られないのではないでしょうか。
>これは倫理観や立場の違いでしょうね。男性陣から見れば悪影響しか見られなくても、女性陣から見ればどうでしょうか?
「性のオープンさ」は男性・女性と言うよりもジェンダーフリー論者の思惑が絡んでいる気がするのですが、どうでしょう?

>また,「ナベアツ」の芸に関しては,「芸を問題化」したのはBPOに投書した一視聴者で,特に大きな動きをしたわけではありません。
>騒ぎを大きくしたのは,この意見を見つけ出して「芸の問題化を問題化」した人たちで,
えー、それは通らないと思いますよ。「問題化」自体が「大きな動き」ですもの。
・・・まあ、
>あと,「ナベアツ」氏がどう思っていても,テレビ出演のオファーを断るのは難しいでしょう。
などということをさも当然のように言ってのけてしまうぐらいですから、スタンスに偏りがあることを自覚できてないのでしょうけどね。

>性に関する情報の話と絡めて言えば,少し極端な例ですが,子供(男の子)がレイプ場面のあるアダルトビデオを見てしまうのを放置しておいて,近所の女の子に乱暴した後に,「それはしてはいけないことだよ」と言うようなものかと思います。
極端以前に反論として成立していないと思います。「放置」の時点で「間違いだと思えば、その都度指導・修正」をしていないことになるじゃないですか。
子供に対する影響を考えるなら、触れさせるコンテンツ自体よりも、それに対するレスポンスをどうするかの方が重要な気がします。

P.S.
この話題で昔やっていたCMを思い出しました。
子供が道で会ったおばあさんに向かって「バーバー」を連呼し、お母さんが「やめなさい」「失礼でしょ」「お口に出しちゃいけないの」と注意すると言うものです。
オチ以前に「お母さんの方がよっぽど失礼だ」と思ったものですが、今話題にしている「差別意識」はこれに通じるものがあるなあ・・・と漠然と思っています。

投稿: KEI | 2008年7月18日 (金) 21時48分

KEI さん,こんばんは。

ちょっとご意見が多岐にわたるので,箇条書きでコメントさせていただきます。

・ジェンダーフリー論の影響は,最近の性教育などにはあるかも知れませんが,性に関する情報のオープンさとはあまり関係ないように思います。

・ひとりでBPOに投書するくらいでは,「大きな動き」とは言えないでしょう。それに対して「批判否定派」は,至る所で意見を表明しています。

・「ナベアツ」氏とテレビ出演オファーの件は,私の表現が誤解を招いたようです。「ナベアツ」氏が不適切な芸だと思っていると「推測」しているわけではありません。「仮に不適切と思っていると仮定しても,オファーは断れないだろう」という意味で,単なる「仮定」です。

・「放置」しないのであれば,「子供の善悪基準に任せる」ことになりません。見た上で,子供自身が「これは真似してはいけない」と思うことを期待するのが「任せる」ということでしょう。

・「昔のCM」のお話しは,すみません,理解できませんでした。何が「オチ」で,なぜ「お母さんの方が失礼」なのか,そもそもCM自体の意図は何なのか,全くわかりませんでした。妻にも見せましたが,やはり「わからない」と言っていました。

投稿: WontBeLong | 2008年7月18日 (金) 23時06分

>「仮に不適切と思っていると仮定しても,オファーは断れないだろう」という意味で,単なる「仮定」です。
弁明を聞く限り、僕たぶん誤解はしてないですね。
「批判的意見があるのだから、ナベアツ氏は己の考えを見直して然るべきだ/ネタの自粛も考慮して然るべきだ」
・・・こういう考えが根底に無いと出てこない発想だと思いますので。

僕の言う「スタンスの偏り」とは、こういった「声の大きさ」を過小評価し、
>ひとりでBPOに投書するくらいでは,「大きな動き」とは言えないでしょう。
などと(意識的か無意識的かは分かりかねますが)矮小化を図ることを指しているのです。

>「放置」しないのであれば,「子供の善悪基準に任せる」ことになりません。
見てしまった時点で親はそれを「間違い」だと判断するでしょうよ。「ビデオのようなことは、してはいけないことだ」と子供の善悪基準を修正し、その上で修正された「子供の善悪基準」に任せると言うのが筋だと思うのですけれど。
第一、見てしまった「後」を前提とするなら「シャットアウト」なんて愚策もいいとこなんじゃないでしょうかね?子供、絶対探すと思いますよ?

>「昔のCM」のお話しは,すみません,理解できませんでした。
ネタ振った責任として解説しときますね。
確か学習教材か学習塾のCMだったと思います。オチは「おばあさんの後ろに床屋(バーバー)がある」ということ。つまり、覚えたての英単語を無邪気に実践しようとしたのを大人がみんな誤解したということです。
そして「お母さんの方がよっぽど失礼」と思ったのは、お母さんが「おばあさん=ババア」の認識自体は否定しない注意の仕方をしているからです。「お口に出しちゃいけないの」なんて聞こえよがしに言われたら、かなり頭にくると思うんですよねえ・・・

投稿: KEI | 2008年7月19日 (土) 23時09分

KEI さん,こんばんは。
連休遊んでたのでコメントに間が空いてしまいました。

また箇条書きですみませんが,

・もっと別の言い方をすれば,「ナベアツ」氏が本心は自発的にやめたいと思っていたとしても,という仮定です。「思うべき」かどうかとは全く別問題の単なる仮定です。

・どちらの声が大きいかは客観的に明らかだと思うのですが。そもそも,私はBPOに意見した人と考えが近いのですから,「矮小化」などする必要がありません。「大きな動き」になって欲しいと思っています。叶いそうにはありませんが。

・それは,本来18才未満が見てはいけないものを見ることを例に挙げてしまった揚げ足を取っているだけのように思います。議論の本質からずれていると思います。

・「ババア」は「ガキ」などと一緒で,単にやや口汚い言葉としての性質が強く,老女全体に対する差別意識とは関係なく使われることが多いと思います。「砂かけばばあ」とか,平気で使ってますし。それこそ,そこに差別意識を見ることは,自身に老人に対して差別意識を持っている現れと言われるかも知れませんよ。

投稿: WontBeLong | 2008年7月22日 (火) 00時03分

>それこそ,そこに差別意識を見ることは,自身に老人に対して差別意識を持っている現れと言われるかも知れませんよ。
ええー、そういう読み方をしますか・・・「通じる」というのはそういう意味ではないんですが・・・
「おばあさんをババアと呼んではいけない」という「タテマエ」が支配する日常の世界で「ババアと呼びたい」という「ホンネ」をどう制御するか、と言う観点から「通じる」と書いたに過ぎません。
実際の所、こういう些細な「口汚い言葉」にしろ、「差別意識」にしろ、「反社会的なポルノ」にしろ、「タテマエとどう折り合いをつけるか」が教育の肝になるのではないかと僕は思うのです。

>「思うべき」かどうかとは全く別問題の単なる仮定です。
言い方をどう変えても「単なる仮定」では済まない話なんですよ。この局面で「ネタをやめる」という重要な結論を思いつくのは、「そうあるべき」と思っている人だけなんですから。

>どちらの声が大きいかは客観的に明らかだと思うのですが。
・・・そもそも、WontBeLongさんの言う「客観」ほど信用ならないものは無いのですが、それは置いといて、
僕の主観的な感想を述べれば、この論争を要約すると、
A「ナベアツの芸は不適切だからやめるべきだ!」
B「は?何寝言言ってんの?」
となり、どう考えてもBPOに意見した人の方が声が大きいと思うのですが。

>それは,本来18才未満が見てはいけないものを見ることを例に挙げてしまった揚げ足を取っているだけのように思います。議論の本質からずれていると思います。
そうでしょうか?僕はWontBeLongさんが、
>性に関する情報の話と絡めて言えば,少し極端な例ですが,子供(男の子)がレイプ場面のあるアダルトビデオを見てしまうのを放置しておいて,近所の女の子に乱暴した後に,「それはしてはいけないことだよ」と言うようなものかと思います。
だの、
>「放置」しないのであれば,「子供の善悪基準に任せる」ことになりません。見た上で,子供自身が「これは真似してはいけない」と思うことを期待するのが「任せる」ということでしょう。
だのと、あまりに自分に都合の良い仮定ばかりを並べて議論を誘導しようとしていることに文句を付けているだけなのですが?

投稿: KEI | 2008年7月22日 (火) 19時04分

KEI さん,こんばんは。

申し訳ありませんが,世代の差なのか性格の差なのか,議論の方法に関する感覚が違いすぎて,仰ることを理解するのがかなり困難です。KEI さんとしてもお疲れになると思うので,この話はこの辺にしたいと思います。

例えば,

> 「おばあさんをババアと呼んではいけない」という「タテマエ」が支配する日常の世界で「ババアと呼びたい」という「ホンネ」をどう制御するか、と言う観点から「通じる」と書いたに過ぎません。

「ババアと呼ぶ」ということは「ホンネ」としても不適切だと思っていました。私自身はそのような「ホンネ」は持っていませんし,子供に対してもそのような言葉は「タテマエ」としてではなく「ホンネ」として使わないよう教えています。
ですからそもそも議論が噛み合わなかったのでしょう。

> 実際の所、こういう些細な「口汚い言葉」にしろ、「差別意識」にしろ、「反社会的なポルノ」にしろ、「タテマエとどう折り合いをつけるか」が教育の肝になるのではないかと僕は思うのです。

その考え方は,「ナベアツの芸を見て笑ってはいけないと教えるべき」と私には取れてしまいます。
ナベアツの芸は問題ないからその必要はない,ということなら,CMのお話しは異質の問題だと思いますし。

このコメントを書くのにもかなり時間をかけていますし,それでもおそらく議論は噛み合っていないでしょう。

掲示板でもありませんので,とりあえずこのあたりにしたいと思います。

投稿: WontBeLong | 2008年7月22日 (火) 23時06分

>KEI さんとしてもお疲れになると思うので,この話はこの辺にしたいと思います。
僕としても頃合だとは思っているのですが、悉くツッコミどころを提供してくださるので、ついツッコミを入れたくなってしまう次第です。

>「ババアと呼ぶ」ということは「ホンネ」としても不適切だと思っていました。
「WontBeLongさんがどう思うか」は話の本質「『通じるものがある』かどうか」とは無関係なのですが。こういった揚げ足取りで、
>ですからそもそも議論が噛み合わなかったのでしょう。
などと繋げられてはたまったものではありません。

もう一つ、
>子供に対してもそのような言葉は「タテマエ」としてではなく「ホンネ」として使わないよう教えています。
これは難しいんじゃないでしょうか。「ホンネ」でも使わせない、ってのはイコール内心を支配するってことですよ?
(まぁ、「出来た気になる」までは簡単でしょうけどね。)

>その考え方は,「ナベアツの芸を見て笑ってはいけないと教えるべき」と私には取れてしまいます。
第2コメント(7/11)で書いたはずなんですけどね。「演芸の場である限り、面白いと感じるなら笑ってかまわない」と。
僕の言う「折り合い」とは、「演芸の場でない」時の取り扱いのことです。それが「世間では誰に対しても指差して笑ってはいけない」で、要するに道端では相手がナベアツでも笑っちゃダメなんですよ。

>ナベアツの芸は問題ないからその必要はない,ということなら,CMのお話しは異質の問題だと思いますし。
「ということなら」の前と後ろにどういう順接的関係があるのかがイマイチ分かりかねますが、元が「P.S.」で区切った余談である以上「異質の問題」ではあるでしょうね。

>このコメントを書くのにもかなり時間をかけていますし,それでもおそらく議論は噛み合っていないでしょう。
・・・結局僕もかなり時間を食いました(笑)
僕はまだ議論をかみ合わせることを諦めてはいませんが、なかなか難しいものですね。

投稿: KEI | 2008年7月23日 (水) 23時33分

KEI さん,こんばんは。

仕事が少し一段落したので,もう少し続けましょうか。

とはいえ,元々の話題からずれる話は避けさせて頂きます。

P.S.の内容を話題に取り入れたのは,「ナベアツ問題」について私と異なる意見を持つ人の考え方を理解するためには,「通じるものがある」と感じられる別の問題に話題の対象を変えてみるのはひとつの方法だと思ったからです。

私は,「通じるものがある」ということは,

「無邪気にバーバーという子供」=「悪気無くナベアツを見て笑う人」

「老女に失礼と子供に注意する親」=「ナベアツの芸を笑うことを障害者差別と批判する人」

「老女」=「障害者」

「表現方法だけを注意するのは老女=ババアという認識を否定しないこと」=「笑うことだけを批判するのは障害者=笑いの対象という認識を否定しないこと」

であるから,ナベアツの芸を笑うことを批判することは障害者差別の現れであるということだと仰っていると理解しました。

そして,「老女をババアと呼ぶこと」が「ホンネ」だとは思わず,汚い言葉を使うという単に不適切な行為で,いつどこででもしてはいけない行為と捉えました。
ですから,私には「通じる」とは見えず,「通じる」と見るのは,老女を差別の対象と捉えているために,本来は差別的行為でないものまで差別的と見えてしまっていることと言えると思いました。

また,「ナベアツの芸は問題ないので笑うことは構わない」,つまり,いつどこでナベアツの芸を見ても笑って構わないということを前提とするのであれば,子供がいつどこで「ババア」と言っても構わないということを前提とはしていないCMの話とは異質なものになると思ったわけです。

しかし,KEI さんが,「老女をババアと呼ぶこと」を「ホンネ」としていること,および,同じナベアツの芸でも笑っていいときといけないときがあると考えていることから,KEI さんがどういう意味で「通じる」と仰っているのか理解できた気がします。

とはいえ,「演芸の場であれば何でも笑いにしてよいが,道端では相手がナベアツでも笑ってはいけない」という考え方は,さすがに「ナベアツ批判否定派」の人たちでも賛同する人は少ないのではと思います。
考え方のベースがそういうものである以上,絶対に議論は噛み合わないと思います。

「批判否定派」は,「どんな場であれ悪意がなければ良い」という考え方が多いように思いますが,それにしても,「悪意の有無」は本人しか知らないことであり,見て判断できるものではない以上,基準は見る側で作るしかないと思います。

投稿: WontBeLong | 2008年7月25日 (金) 00時53分

>私は,「通じるものがある」ということは,
>(中略)
>しかし,KEI さんが,「老女をババアと呼ぶこと」を「ホンネ」としていること,および,同じナベアツの芸でも笑っていいときといけないときがあると考えていることから,KEI さんがどういう意味で「通じる」と仰っているのか理解できた気がします。
・・・まさか、「通じるものがある」をそこまで深く本題に結び付けて考えておられたとは・・・
僕としては単に「老女をババアと呼ぶこと」を「ホンネ」として持っていない限り、「バーバー」と「ババア」を誤解できる理由がない、というその一点において
> ナベアツの芸を見て障害者を連想するほうに、障害者差別の意識がある
と共通するのでは、と思っただけなのです。
・・・今にして思うと、「お母さんの方がよっぽど失礼」が蛇足極まりなかったですね。
(これが鍵となって僕の手に負えない方向に議論を誘導させられた気がします)
正直反省しております。

>とはいえ,「演芸の場であれば何でも笑いにしてよいが,道端では相手がナベアツでも笑ってはいけない」という考え方は,さすがに「ナベアツ批判否定派」の人たちでも賛同する人は少ないのではと思います。
そもそも「ナベアツ論争」においては「演芸の場以外での扱い」について言及されているわけではないので、賛否について判断材料が無い状態なのですが、どういう根拠でこの推定に至ったのでしょうか?
それと、「世間では誰に対しても指差して笑ってはいけない」ってマナー以上に危険回避の点で重要だと思うんですけどね。「笑われた気がした」からと小学生の列に車で突っ込んだバカが捕まったニュース、今年じゃないですか?

P.S.
今年のFNS27時間テレビは無茶苦茶笑えました。「ナベアツ論争」的に文句のつきそうなネタも多々見られたのですが、それでも面白さで押し切れるものなんだなあとつくづく思いました。
あと、「ナベアツ論争」がこんなにも拮抗する理由も分かった気がします。ひとえにナベアツが面白くないせいですな。

投稿: KEI | 2008年7月28日 (月) 01時00分

KEI さん,こんばんは。

話題を散らせるとややこしくなるので,一点だけ整理し直します(他にも話題にしたいことはないでもないのですが)。

「演芸の場であれば何でも笑いにしてよい」という考え方は,さすがに「ナベアツ批判否定派」の人たちでも賛同する人は少ないのではと思います。

投稿: WontBeLong | 2008年7月28日 (月) 23時40分

>「演芸の場であれば何でも笑いにしてよい」という考え方は,さすがに「ナベアツ批判否定派」の人たちでも賛同する人は少ないのではと思います。
では僕ももう一度言いますよ。
賛否について判断材料が無い状態なのですが、どういう根拠でこの推定に至ったのでしょうか?

だいたい、「ナベアツ批判否定派」と言っても一枚岩なわけではないですしね。僕みたいに「ナベアツは面白くないが、さすがにこの批判の仕方はない」なんて考え方で否定派に回る人もいますし。

投稿: KEI | 2008年7月30日 (水) 22時17分

KEI さん,こんばんは。

> 賛否について判断材料が無い状態なのですが、どういう根拠でこの推定に至ったのでしょうか?

「批判否定派」は「差別には当たらない」という意見が見る限り大勢を占めているからです。よって,「差別的行為でも演芸の場で面白ければよい」と言う人は少ないと推測されます。

また,仮に「批判否定派」の多数がKEIさんと同じ考えであったとすれば,なおさら「批判派」と歩み寄る余地はないでしょう。

つまり,「批判否定派」に対する私の推測が正しいか正しくないかは本題とは関係なく,KEIさんとの議論が噛み合う可能性がないことに変わりはありません。

投稿: WontBeLong | 2008年7月30日 (水) 23時37分

>「批判否定派」は「差別には当たらない」という意見が見る限り大勢を占めているからです。よって,「差別的行為でも演芸の場で面白ければよい」と言う人は少ないと推測されます。
了解しました。それでは反論を。
「差別には当たらない」は「差別的行為でも演芸の場で面白ければよい」の余事象ではありません。
「演芸の場でも差別的行為は許されないが、これは差別には当たらないので問題ない」も
「たとえ差別的行為でも演芸の場で面白ければ問題ない、そもそもこれは差別には当たらない」も、
どちらも「差別には当たらない」と言う意見として不自然ではないからです。

>つまり,「批判否定派」に対する私の推測が正しいか正しくないかは本題とは関係なく,
では何が本題と関係ある事柄なのですか?
「一点だけ整理し直します」として論点を絞っておいて、それはあんまりじゃないですか?

投稿: KEI | 2008年7月31日 (木) 21時51分

KEI さん,こんばんは。
> どちらも「差別には当たらない」と言う意見として不自然ではないからです。

ロジックとしては正しいと思いますが,状況から考えて,「差別には当たらない」の主張は「差別であれば問題であるが」という前提があると見るのが妥当でしょう。
そうでなければ,「差別かどうか」を議論すること自体をナンセンスと考えるわけですから,わざわざ回りくどい主張をせずに,KEI さんのように「面白ければいい」とストレートに主張すると考えられますから。

> 「一点だけ整理し直します」として論点を絞っておいて、それはあんまりじゃないですか?

申し訳ありません。KEI さんとは議論の余地がないということを補強する材料として,KEI さんの考え方が特異なものであるということを使おうとして絞ったのですが,「特異である」ことにさえ反論されたので,その方向をあきらめてしまいました。

私とは考え方のベースが違いすぎて,議論の余地がありませんというのが,私としての今の「本題」です。
ですから,KEI さんの考え方が「特異かどうか」は,「議論の余地があるかどうか」とは本質的には関係ないと書きました。

他の「批判否定派」の考え方がどうであれ,少なくともKEI さんとは議論の余地がないと初めからシンプルに書くべきでした。

投稿: WontBeLong | 2008年7月31日 (木) 23時02分

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