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2014年4月22日 (火)

「集団的自衛権」は言葉のごまかし、完全な「参戦」

「集団的自衛権」という言葉にごまかされては行けないと思います。
これは「自衛」ではなく明らかに「参戦」です。

攻撃する側の立場で考えればわかります。
直接攻撃していないのに反撃、いや、攻撃していないのだからそれは反撃ではなく「攻撃」であり、一度攻撃してきた以上、それ以降は「敵」であり、継続的に攻撃対象になります。

ケンカで考えてみましょう。
友達に殴りかかってきた者がいて喧嘩になっています。
そこで仲裁に入るのではなく、友達と一緒になって相手に一方的に殴りかかるわけです。
喧嘩の原因を問わずです。昨日、友達の方から殴りかかったことに対する仕返しであってもです。

また、参戦しないとわかっているから、そこにいても手を出してこないのです。
人道援助の看板を掲げていても、邪魔に入る可能性があれば、最初から攻撃対象になってしまいます。

「集団的自衛権」は、あくまですでに参戦している状態を前提に、個々の武力行使に関する正当性を主張する権利です。

「個別的自衛権」とは根本的に異なるのではないでしょうか。

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コメント

お久しぶりです。このネタで以前やりあったのは2012年だそうで。「まるで成長していない…」とか思いました。まあそこはお互い様か(笑)

>そこで仲裁に入るのではなく、
国際社会を例えて言っている以上、「仲裁」なんぞ既に散々やられたあとです。それでも殴り掛かってきた、ってのが大前提でしょう。

>友達と一緒になって相手に一方的に殴りかかるわけです。
1.そうしなかったことにより友達が殴り殺されてしまったら、あなたはどう思いますか?
2.その後、「次はお前の番だ!」と殴りかかってきたら、あなたはどうしますか?

前の時も書きましたが、国防は国の命運を分けるもので、集団的自衛権はそのための「一蓮托生」です。
それをケンカだのいじめだのとチャチい言葉にして矮小化するのが、一番の「ごまかし」だと思います。

投稿: KEI | 2014年4月30日 (水) 22時24分

KEIさん,久しぶりのコメントありがとうございます。

私自身,以前に同じようなことを書いたこと,忘れていました。読み返したら,ほんと,同じこと書いてますね。

さて,国の命運を分けるような戦闘に発展してしまっていたら,もうそれは完全に戦争状態で,万が一,そのような状態になり,その時にアメリカが味方として戦っていたならば,もう,個々の戦闘に対して集団的自衛権がどうとか議論する状況にはないでしょう。

米国民も日本国民も,その多くを占める一般庶民は,それ以下のレベルでの「一蓮托生」などゴメンだと考えるのではと思います。

投稿: WontBeLong | 2014年5月 1日 (木) 00時00分

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