2009年3月 4日 (水)

小沢一郎氏の公設秘書逮捕には何らかの外力が作用しているとみるべきではないか?

小沢一郎民主党代表の公設第一秘書が,西松建設から違法献金を受けたとして,東京地検に逮捕された。

献金は,2006年までの4年間に行われたとのことである。
検察は,確実な裏付けがなければ動かない。
これまで5年以上,膨大な数のパズルのピースをひとつひとつ埋めてきたはずである。
そして,ひとつのピースを埋めるためには,数多くの条件がそろわなければならなかったはずである。

それらのピースのひとつひとつが埋まる確率を掛け合わせたものが,パズルが完成する確率であり,それだけでもかなり小さいはずである。さらに,自民党を破って次の首相になるかも知れない人物を対象としたパズルの最後のピースが埋まったのが,今,この時期に当たる確率を掛けると,1%にも程遠い確率だと推測される。

科学では,このような低い確率のことが発生するのは,偶然ではなく何らかの特別な原因があったと考える。
今回の場合,タイミングを見計らって最後のピースを埋めるというのは困難であろうから,すでにパズルは完成していて,公表する機会を窺っていたか,実は完成していないのに完成したと見せかけているかのどちらかであると考えるのが自然である。

自民党は,「自民党と言えども検察庁を動かす力はない」と言っている。そうかも知れない。

しかし,今回の逮捕には,何らかの特別な外力が働いていると見るのが合理的ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2009年2月 6日 (金)

麻生首相は『郵政民営化反対だった』発言を子供や若者にどう説明するのか?

衆院予算委員会での麻生首相による「郵政民営化には反対だった」との発言が物議を醸している。

子供や若者が,属するグループの流れに抗しきれず,例えば何かの悪事を働いたとして,後になって「自分は行為に反対だったけど,みんながやるといったからやった」と言ったとする。
首相があのような発言をする国において,大人はそのような子供や若者にどう言い聞かせればよいのか。
「総理大臣だって同じことを言ってるじゃないか」と言われれば,言い返す言葉がない。
「政治家なんて悪人ばかりだ」とでも言えば良いのか。そのような夢のないことを子供や若者には言いたくないと,自分は思う。

麻生首相は,特定の組織のリーダーには成り得ても,全国民の指導者になる資質は持っていないのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2009年1月21日 (水)

オバマ新大統領が就任演説で説いたのは人としての基本ではないか?

米国でオバマ新大統領が誕生した。

就任演説は,演説上手と評されるオバマ氏にしては,特にエキサイティングなものではなかったと思う。
彼の説いた内容は,覇権国たる自負と戦争や経済などの現在の米国の状況を反映した部分を除けば,いたずらに熱狂を煽るものではなく,近代市民の基本姿勢を淡々と説いたものであったように思う。

複雑な「オトナ」の力学で動く現代社会において,学校で子供に教えるような,原則に忠実な人間たれと,自国民に訴え,自らもそうあることを誓っていたように感じる。
「基本」がまったく蔑ろにされているような日本に暮らす自分としては,世界のリーダーである米国大統領があのような演説を行ったことは,非常に心強く感じた。

もし,オバマ氏が現在期待されている通りの人物なのであれば,何年も遅れて米国の真似事ばかりしているような日本の政治家や官僚は,遅れずに基本に忠実にオバマ氏と歩調を合わせていくべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2009年1月13日 (火)

麻生首相は国民を『たかり屋』扱いしているのか?

定額給付金を含む第2次補正予算案を与党が強行採決で衆院を通過させた。

支持率も落ち込んでいるのに,反対意見の極めて多い給付金をなぜここまでして実行しようとするのだろうか。
単なる意地で強行するほど,麻生首相に余裕はないはずである。結果的に党利に適うという計算があるはずである。

麻生氏の本心は,給付金をもらうのは矜持,つまりプライドを捨てた人間のすることである。
それでも麻生氏は,結局,カネをつかませれば国民は喜ぶと思っているのではないだろうか。今はマスコミも何だかんだ言っていても,給付後は,街角のインタビューで「まあ,嬉しいことは嬉しいですね」などと国民が答える状況を想像しているのではないだろうか。

やはり,庶民とかけ離れた世界しか知らない麻生氏は,「所詮,カネをバラ撒けば貧乏人は喜ぶ」と,まるで国民をたかり屋のようにしか思っていないのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2009年1月 1日 (木)

[番外]新年のご挨拶

新年明けましておめでとうございます。

といっても,この不景気な世の中,おめでたい人は多くないとは思いますが。

長い間,更新しておりませんでした。いつの間にか約3ヶ月も経ちました。
何となく,政治や経済から興味が薄れ,ニュースもあまり見ない生活をしていました。
いろいろあって,仕事にもあまり身が入らない日々でした。

新年を機に,心機一転,様々な意味で気合いを入れていきたいと思います。
このブログも更新していこうと思いますので,よろしくお願いいたします。

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2008年9月21日 (日)

[番外]遅すぎた“事故米”ならぬ“毒入り米”への農水省の対応

日本農業新聞によると,

農薬やかび毒に汚染された「事故米」が食用に不正転売されていた問題で、農水省は12日、ミニマムアクセス(最低輸入機会=MA)米から汚染米が見つかった場合は、輸出国に返品する方向で検討に入った。

とのことです。

遅すぎますね。
大体,「事故米」という呼び方がおかしいでしょう。いかにもアクシデンタルに発生したもののように聞こえてしまいますが,売りつけられた「毒入り米」です。「事故米」の大部分は農薬残留です。
突き返すのが当然です。

これまでやってこなかったのは,農水省の怠慢としか言いようがありません。

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2008年9月14日 (日)

最低賃金の地域間格差は地方住民いじめではないか?

毎日新聞によると,

厚生労働省は12日、08年度の地域別最低賃金の引き上げなどの答申状況をまとめた。全国平均の引き上げ額(時給)は昨年を2円上回る16円となり、平均額は703円と初めて700円台に乗った。

まとめによると、引き上げ額は7円(徳島県)から30円(神奈川県)の幅があった。賃金額(時給)では東京、神奈川が最も高い766円で、大阪748円、愛知731円が続いた。低いのは宮崎、鹿児島、沖縄県が627円だった。最も高い地区と低い地区の差は昨年の121円から139円に広がった。

とのことである。

引き上げとなることは良いことであるが,地域間格差の拡大は問題ではないだろうか。
東京に比べれば,沖縄は約18%低い。
本当に,地域によりこれほど生活費に差があるのだろうか。

自分は現在地方に住んでおり,今回の答申での額ではかなり下の方にあたる地域である。。
以前に東京にも住んだことがあるが,答申の額のような生活費の差は感じない。

東京では公共の交通が便利なので,クルマを持たなくても生活に不便はない。家電品など,比較的高額の生活必需品は,競争が激しくて価格が安い。

それに比べ,地方はクルマが必需品で,昨今のガソリン高騰を考慮しなくても,購入,維持費等はかなりの金額になる。通販が発達しているので,上手に買い物をすれば安くできるが,普通に近所の店で買えば家電製品などは大都市より割高である。

少なくとも,同じ生活水準で暮らすならば,地域によって18%もの生活費の差はないのではないだろうか。

このような地域間格差の設定は,財界の機嫌を取る政府与党による地域住民いじめであり,東京一極集中を促し,わが国の健全な発展の妨げとなるのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2008年9月10日 (水)

“事故米”の受け入れは役人の怠慢ではないのか?

コメの卸売会社が「事故米」を食用として転売していたことが明らかになり,話題となっている。

売った会社が責められるのは当然であるが,その前に,なぜ「事故米」なるものが存在するのかを疑問に感ずる。

「事故米」とは,みんなの知恵蔵によると,

ウルグアイ・ラウンド合意で日本が輸入を義務づけられた米の一部で、検査などで食用に適さないと判断された分。年間2千トン程度あり、最近は17社が購入している。工業用のりの原料のほか、灰にして建設資材に使うこともある。1トンあたり平均で6千円程度。輸入米は全体で現在、年間77万トンにのぼる。

とのことである。

輸入米全体の0.3%程度であるから,大した率ではないといえるかも知れないが,食品であることや見逃しの可能性も考えると,無視できる率ではないと考える。

このようなコメを売ってくる相手方に対して,厳しく対応していればもっと率は減らせるのではないだろうか。

役所は「ミニマムアクセス」さえクリアすれば,少々の事故米に目くじら立てて相手方とやり取りするより,手順通りに処理した方が楽だと考えているのではないだろうか。

これは憶測に過ぎず役所は十分な対応をしているのかも知れないが,もしそうではないとしたら,食品行政に携わる役人は,国民の健康を守る意識をもっと高く持って仕事にあたるべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2008年9月 8日 (月)

自民党総裁選は必要なのか?

福田首相が辞任を表明し,世の中は自民党総裁選の話題で喧(かまびす)しい。
メディアはすっかり自民党の広告塔と化している。

自民党は(民主党も同じだが)党内に多様な考えの人材の存在を許すことが「開かれた自由な政党」だという。
政治に「ド素人」の自分は,若い頃から,そのような状態が疑問であった。
「自民党」に所属しながら,かなりの差で考え方を異にする,それは卑怯だと感じる。「自民党」の威光を笠に着たいだけの者の集団ではないのか。
「政党」ならば同じ政策を持つ者が集まるべきではないのか。もちろん,党としての方針を決めるまでに,様々な議論があるのは良いと思うし,それでこそ優れた政策が作られるのであろう。
しかし,外部からその議論の過程があからさまに見えるのはいかがだろうか。
ましてや,議論して調整して党としての考えをまとめるのではなく,選挙で,しかも外から見える形で行って,党としての政策を決定するのは,すでにひとつの政党としての体を成していないのではないだろうか。

現在進行中であるアメリカ大統領選挙では,民主党のオバマ氏とヒラリー・クリントン氏の熾烈な争いが後を引いて,共和党に利用されるような事態になっている。
候補選まで打々発止の議論を行って,候補が決まった途端に,割れていた支持者に一丸となれというのは無理があろう。

自民党総裁選も,一般に見える形で各候補が異なる政策を主張し,総裁選が終わった途端に,「自民党としては(つまりは日本としては)この政策で行きます」と言われても,国民がついて行けるはずもないのではないだろうか。
ひとつの政党として,党内で議論を尽くし,党としての政策方針を定め,それに相応しい人物を党全体で総裁に担ぐのが適切ではないかと自分は考える。そのようなやり方を「密室政治」と批判する人もいるようだが,自分には
理解できない。

総裁選の間も,国は適切に運営される必要があり,自民党議員にも多額の税金が支払われ,マスコミが報ずるべきことは他にいくらでもあり,特に今の日本にどこの場所にも「空白」をつくる余裕はないのではないだろうか。

出来レースであってもなくても,自民党総裁選など,自民党の一党支配に慣れきって党内に複数の派閥があることさえおかしいと思わない国民に対して,税金や公共メディアを使って自民党の宣伝を行うものでしかないのではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成時または作成後にTBさせて頂いたブログ]
村野瀬玲奈の秘書課広報室 自民総裁選、マスメディアで自画自賛上演中。閉口している一般市民には何ができる?
お玉おばさんでもわかる 政治のお話 総裁選挙は福田首相の思うつぼかも知れない・・

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2008年9月 2日 (火)

[番外]福田首相の”あなたとは違う”発言について

あまりにも長い間,記事を書かなかったので,「死んだか」と思っておられる方もいるかと思い,ネタはないのですが,この大事に関して何も書かないのもどうかとも思いますのでひとことだけ書きます。

福田康夫首相が辞任表明会見で,何もかも他人のせいにした挙げ句,「他人事のように聞こえる」と指摘した記者に対して,「私は客観的に自分のことを見られる,あなたとは違うんです」と語気を荒げました。

「他人事のように聞こえる」と思っているのはあの記者のみではなく,かなり多数の国民が同じ思いでしょう。私もそうです。

それに対して「あなたとは違う」と見下げる言い方をするのは,彼の本性を垣間見せているように思います。

首相就任当初,福田さんはもっとオトナだと思っていましたが,買いかぶりだったようです。

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2008年7月 9日 (水)

”世界のナベアツ”の『アホになる』芸は障害者差別か?

「世界のナベアツ」こと渡辺鐘(わたなべあつむ)氏の「3の倍数と3の付く数字の時にアホになる」芸について取り沙汰されている。

BPOに対して視聴者から「この芸は障害者や顔面神経麻痺の人の気持ちを考えれば不適切である」という意見が寄せられたことが発端となっているようである。

自分は,今日偶然このことを知ったが,「同じことを考える人が他にもいたのか」と思った。
この意見は言葉の選び方が難しいので,自分はこれまで妻以外の人に話したことはなかった。

ネット上の論調をパラパラと見たが,概ね,視聴者の意見に対して批判的である。
批判の論旨は,「障害者を差別する意図はない」,「芸として面白い,高度である」,「テレビで変な顔をしてはいけないのか」などであった。

彼自身に,障害者を差別する気持ちはないだろうから,それを問題にするのは無意味である。あくまで結果を問題にするべきである。
また,「3の倍数と3の付く数字に即座に反応する」こと自体は,面白みもあるし,真似をすることが頭の体操になることも確かであるが,そのことと「障害者差別につながるかどうか」とは無関係である。

問題は,「アホ」と,あの表情,仕草を同一視することである。
あの芸は,他の数字をカウントするときの気取った顔,仕草と,3関係の数字をカウントするときの対極的な顔,仕草が芸の本質である。
面白い顔,面白い仕草の表現方法は無限にある。彼自身,他のバージョンも持ちネタにしている。
なぜ,「アホ」であり,あの顔,仕草なのか。

坂田利夫氏が「アホの坂田」を芸にしているが,坂田氏の場合,リアリティーのない「アホさ」を表現している。現実の世界にあのような人物はまずいない。
しかし,「ナベツネ」氏の表現はリアルすぎる。現実社会でも,同様の顔,仕草をする人を頻繁に目にする。

本人に悪気はないのであろうが,「アホ」の表現方法としてあのような選択をした浅はかさを責められるのは仕方のないことではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2008年7月 7日 (月)

相次ぐ食品偽装に対して消費者も責任があるのか?

ウナギや牛肉など,食品偽装が明らかになる事件が相次いでいる。
このような偽装の行われる背景として,「違いもわからないのに国産品やブランド品をありがたがる消費者にも責任がある」というような論調も聞かれる。

しかし,消費者のほとんどは,料理の専門家でもなければ食の評論家でもない。
自身が専門家でもないものに対して,良し悪しをきちんと見分けられるものなどいくつあるだろうか。
衣類でも電気製品でも家具でも,素人は販売者の説明を信じざるを得ない場合がほとんどではないだろうか。

現在は,何かと「選択の自由」や「自己責任」などを重んじる傾向が強い。何を買うにも,なかなか人任せにはできないことが多い。
しかし,「餅は餅屋」,何ごとも専門家がきっちりと自身の仕事をして,素人が安心して任せられる状態であるべきではないだろうか。
そうあってこそ,それぞれの国民が,自身の専門とする仕事に専念できるのではないだろうか。

消費者が「賢く」なることを求めるよりも,不正を行いにくく,また行った場合の罰を厳重化して,消費者が「安心」できるような社会システムとするべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2008年7月 1日 (火)

ガソリン税は公共交通の整備に使うべきではないか?

ガソリン代が180円/リットルを越えるような数字になった。
クルマがないと生活できない地方の庶民には大打撃である。

暫定税率復活のとき,政府は「環境保護にもよい」というような理屈をつけていた。
確かに,ガソリン代高騰のために,クルマに乗るのを控えたり,アイドリングストップを実行する人も増えているようであり,環境保護に一役買ってはいるようである。

しかし,庶民が1円でも安くして欲しいと願うガソリンに高額な税を課してクルマに乗りづらくする一方で,そのカネで道路をつくるのは矛盾していないだろうか。

税金を広く国民の役に立てて,さらに環境保護にも役立てるなら,ガソリン税は道路よりも公共交通の整備に当てるべきではないだろうか。
バスやタクシーの運行会社や自治体に料金引き下げを条件に直接補助をするなど,同じ「バラ撒き」でも一部の利権者にではなく,庶民に直接わたるような「バラ撒き」であれば,社会の公平な安定に一定の効果はあろう。

このままでは,一部の金持ちがきれいな道路を高級品と化した自動車で悠々と走り,その周りで庶民が低報酬であくせく働くという社会へ向かっていくのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2008年6月27日 (金)

北朝鮮を『テロ支援国家』と呼ぶのは不適切ではないか?

ブッシュ大統領が北朝鮮を「テロ支援国家」から外すことを決め,話題となっている。
こんなことを認めさせられた日本政府は,情けないこと極まりない。

ただ,それとは別の話として,北朝鮮は果たして「テロ支援国家」なのだろうか。

「テロ支援国家」,英語では"State Sponsors of Terrorism",文字通り,組織的にテロを「支援」する国家である。

しかし,北朝鮮は日本人などの拉致,大韓航空機の爆破などを国の意思により行っている。
テロを「支援」しているのではなく,国家そのものがテロを「実行」している。

この国は「テロ支援国家」どころか,「テロ国家」と呼ぶべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

ましてや,「テロ支援国家」の指定すら外して,「通常の国家」として扱うなど,あってはならないのではないだろうか。

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2008年6月26日 (木)

[番外]私が末端公務員に肩入れ(?)する理由・その2

(この内容は,前回の記事に頂いたコメントに対する回答内容の一部ですが,せっかく書いてもコメントだと人目に触れにくいので,新規記事として再度公開します。)

橋下知事は交渉で,決定根拠のデータを示せとの要求などに対して「政策判断だ」を繰り返しています。また,25日の報道ステーションで,「公務員が率先して給料を減らせば,府民,国民は付いてくる」という精神論を述べていました。
要するに,人件費削減案は,客観的なデータ解析に基づくものではなく,橋下知事の個人的な「直感・信念」に基づくものだということです。

交渉の様子大阪府職労のサイトにある動画へのリンクです)を見ていると,橋下知事はやはりコメンテーターから脱してはいないように見受けられます。弱冠38才のリーダーにあのように他人事のように振る舞われたのでは,とても部下は付いていく気になれないと思います。

あと,交渉や報ステを見ると,彼は,知事選や国政選挙に民意が正確に反映されているという幻想を本気で持っているようでしたので,コメンテーターとしても世間知らず過ぎてどうかと思いました。若しくは,「このような政治家を勝たせた府民,国民が愚かなのだからあきらめよ」ということでしょうか。

いずれにしても,一般的な日本の労働者は大人しすぎるでしょう。給料15%カットを提案されれば,夜を徹した交渉くらいは当然しなければ,労組の存在意義がないでしょう。

(ああ,思考パターンがどんどん「組織」の人間っぽくなってゆく。。。)

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2008年6月23日 (月)

[番外]私が末端公務員に肩入れ(?)する理由

私はこのブログでこれまでに何回も,「公務員批判の批判」を書いてきました。
これを「公務員擁護」と取る方もおられますが,私は決して,現在の公務員の状況を良しとしているわけではありません。公務員には批判されるべき点は多いと思いますが,批判する論調の多くが,共感できるものではないのです。

共感できない最大の理由は,労働者全体,ひいてはわが国全体にとって,公務員バッシングが強くなることは損失につながると思うからです。私利私欲のために既得権を守ろうとする,一部の「勝ち組」の思う壺だと思います。

ただし,ここでいう「公務員」とは,高級官僚,高級公務員ではない,労働組合に入れるような末端の公務員を指しています。
(高級官僚に対するバッシングでも行き過ぎと思うことはたまにありますが。タクシーでビールをもらうことくらい,別に問題ではないと思いますし。)

日本を動かしているのは,与党,高級官僚,高級公務員,また,さらに後ろで糸を引いている財界などであり,末端の公務員は単なる労働者です。
確かに,その労働条件は民間の多くと比べて恵まれている面もあり,それに甘えている公務員もある程度存在するのだと思います。

しかし,民間労働者の最低労働条件を規定する労働基準法に照らして,ぎりぎり合致している程度であり,大きく上回るものではないと思います。
つまり,目指すべき労働者の姿に比較的近いものではないでしょうか。
労働権の制約を受けており,民間よりも恵まれない部分もあります。

日本人は勤勉を美徳とします。これは良いことだと思います。しかし,先人が,戦乱の世を乗り越え,近代化を乗り越え,悲惨な敗戦を乗り越え,高度成長期を経て,やっとたどり着いた,一応「先進国」と呼ばれる今のわが国です。
庶民が,自らの生活に汲々としてジャングルに生きる野生動物のように暮らすのではなく,精神的にゆとりを持って文明社会の一員として果たすべき役割を果たすという意識を高く持って暮らすような,そんな国である資格はあるのではないかと思います。
勤勉さは,そのような働き方の中で発揮するべきではないでしょうか。

そのような働き方をするためには,しっかりとした労働条件の整備が前提となるでしょう。
公務員の労働条件は,そうした視点からは,決して必要以上に恵まれたものとは思えません。これを批判することは,より劣悪な民間の労働条件を正当化することになってしまいます。今,労働基準法に厳密に照らして,全く問題のない企業がどれほどあるでしょうか。
ただ,すべてが劣悪なわけではなく,一部には寡占や庶民の足下を見た商法などにより不当とも思われる条件の企業もあるようです。

そのような「勝ち組」企業を含めて,社会では「持てる者,取る者」が力を強める一方,「持たざる者,取られる者」はどんどん弱くなり,格差社会化が進行しています。

公務員も,「削減」を掲げて末端公務員の数を減らし,給料も減らし,高級官僚,高級公務員は末端にしわ寄せしながら自らの地位は手放そうとしていないでしょう。せいぜい,早めに天下りする程度でしょう。
全てが天下り先かどうかしりませんが,各省庁の所管法人は山ほどあります。
例えば,国交省道路局所管法人厚労相健康局所管法人農水省生産局所管法人,のようにわけの分からない団体も多く見られます。大阪府でも,所管公益法人は約900もあります。末端公務員の給料や働きぶりよりも,これらの方がよほど害が大きいのではないでしょうか。

政府や自治体としては,一部の高級官僚・公務員の高給を維持し,上記の法人のような天下り先を温存できれば,末端公務員を安く使い捨てられるのは望むところでしょう。
そして民間の経営者は,公務員の労働条件が低下すれば,自らの従業員の労働条件を切り下げるお墨付きをもらえたようなものです。

始めに書いたように,私も,末端公務員にも批判されるべき点は多々あると思います。
しかし,私や私の友人が,その家族が,そしてその子供達が,またその子供達が幸せに暮らすために今為すべき事として,公務員を責めることの優先順位はかなり低いと思いますし,批判すべき相手として優先順位の高い者達を利することにしかならないと思うのです。

私は技術系の人間ですので,せっかくこんなに科学技術が発展したのだから,社会の隅々の人までもっと心豊かに暮らして欲しいと思うのです。そうでないと働き甲斐がありませんから。

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2008年6月22日 (日)

『死に神』は鳩山法相ではなく世論ではないか?

朝日新聞が,次々と死刑執行を承認する鳩山法相を「死に神」と表現し,話題となっている。

このブログで2008/4/20に,鳩山法相が「「世論の多数が死刑反対になったなら,違う行動をとる」と言っていることを書いた。

鳩山法相は,朝日新聞の件に関連して,「社会正義実現のためにやらざるを得ないという思いでやってきた」と述べている。
彼にとって社会正義とは,死刑賛成論が増えてきている世論にただ従うことなのだろうか。

彼がそれなりに,自身の信念に基づいて死刑執行を承認しているのであれば,「死に神」と呼ぶのも相応しいかも知れない。
しかし,鳩山法相はそのような信念など無く,ただ世論に迎合しているだけなのではないだろうか。

13人の死刑執行に,もし「死に神」の意思が働いているとしたら,それは世論ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2008年6月20日 (金)

橋下知事は国を守るために訓練を積んでいる自衛隊の人々に思いを至らせたことがこれまでなかったのか?

橋下知事が幹部を自衛隊で研修させたいというのは,結構本気のようである。

何をはしゃいでいるのだろうか。

駐屯地を視察して急に思い立ったようであるが,それまで,自衛隊の人々が厳しい訓練を積んでいることを知らなかったのだろうか。
いや,知らないはずはないから,そのようなことに思いを至らせたことがなかったのだろう。

自衛隊,ほかにも警察,消防,海保,あるいは医師なども,自身を危険に晒しながら訓練や職務を行っており,そのような人々に知事自身を含めて社会が守られていることを,普段,意識していなかったのではないだろうか。

知事には,自衛隊研修などという思いつきよりも,もっと他に考えるべき事がいくらでもあるのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2008年6月19日 (木)

死刑を執行された人物を死刑囚と呼ぶのは不適切ではないか?

秋葉原事件の見せしめのように,宮崎勤氏の死刑が執行された。

彼の犯した罪は稀に見る非道なものであり,現行法の下では死刑は当然だとは思う。

しかし,報道で彼のことを今でも「死刑囚」と呼んでいることには強い違和感を覚える。
刑が執行された以上,彼は犯罪者ではない。
例えば,極めて重大な罪を犯して懲役刑を受けた人物がいたとして,その人物が刑期を終えた後になお,その人物を「受刑者」とは呼ぶまい。

メディアは,人気歌手が事件を起こせば「容疑者」と呼ばず「メンバー」とよんだり,人気芸人の場合は「司会者」と呼んだりする。
誰であっても,「容疑者」は「容疑者」であるし,刑を終えた人物は犯罪者ではないのは当然ではないだろうか。

感情的な要素を必要以上に交えた報道は,国民を誤った方向に導いてしまう危険があるのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2008年6月18日 (水)

大阪府の橋下知事は府庁の専制君主のつもりなのか?(その2)

橋下知事が,陸上自衛隊の駐屯地を視察したときに,
「新人ではなく、40歳代くらいの職員を対象に自衛隊での研修を検討したい」,
「府庁の事務職にどっぷり慣れ親しんだ職員に、あいさつ、姿勢から学んでほしい。僕も含めて」
と述べたとのことである。
(最後の「僕を含めて」は言葉を和らげるための付け足しであろう。あり得ないことである。)

自分も,一定期間,日本の若者が自衛隊や警察などで働く制度を作ることに基本的に賛成である。
それは,成人になれば,この国を守り,この国のために働く一員であることをしっかりと自覚するために役立つと思うからである。

あいさつ,姿勢などは,自衛隊や警察のような組織において適切に任務を遂行するために補助的に必要となるものだと考える。基本的に上司の命令が絶対である組織である。極端な場合,部下の生命を危険に晒す,あるいはかなりの確率で生命を落とすような命令もあり得る組織である。
そのような組織で規律を守るためのあいさつや姿勢である。

公務員が,国のために働くことをきちんと意識するために自衛隊で研修するのであれば,悪いことではないと思う。

しかし,橋下知事の「あいさつ,姿勢から学んで」という言葉には,府民,そして府民に選ばれた知事に,見かけだけでも忠誠を示すことを求めているような感じを受ける。

やはりこの人物は,社長の前では社員が直立不動となるのが民間の常識という認識で,府庁職員にもそれを求めているのではないかと思うのだが,どうだろうか。

さらに,あいさつや姿勢が自衛隊員の「基本」だと思っているなら,隊員の方々にも失礼な話である。

[記事作成時または作成後にTBさせて頂いたブログ]
日本がアブナイ! 石原&橋下知事は、暴君ブラザーズ?+羽生が「永世7冠」に王手+関東オークス

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2008年6月16日 (月)

大阪府の橋下知事は府庁の専制君主のつもりなのか?

大阪府の橋下知事が,6月12日に行われた46歳以上の課長補佐級職員を対象とした朝礼で,
「知事を人として尊敬できない」
と意見を述べた職員に対して,
「民間では考えられない物言い。ここは団体交渉の場ではない。上司として、その言い方に注意をする。私のやり方が気に入らないなら、職を変えてくれ」
述べたとのことである。

確かに,日本の企業には封建的な雰囲気のところが多いと思う。
社長に対して,「尊敬できない」と直言できる社員は少ないだろう。
しかし,それに対して激高するとは組織のトップとして心が狭すぎるのではないだろうか。
何かに付け,「民間」を口にする橋下知事だが,日本の平均的な民間企業のイメージと比較しているだけで,企業はどうあるべきかというような考えは持っていないのではないだろうか。

また,橋下知事は4年の任期にしか責任を持たず,知事を辞めた後も安定した高収入がほぼ保証されている。
それに対し,府の職員は知事が変わっても務め続け,職を失うと,ただでさえ公務員は転職が難しいであろうに,この不景気に次の職が見つかる期待は全く持てない境遇である。
「気に入らないならやめろ」とは,相手の足下を見た,全く卑怯な物言いではないだろうか。

確かに問題も多いのであろうが,今の職員なくして知事に何ができるというのであろうか。
仮に現在の職員を全員クビにしたら,今の状態では新たに優秀な職員を集めることは不可能であろう。

そんなに「民間」と比較したいのなら,オーナー社長のつもりで私財を投げ打ってから職員の給料に手を付ければ良いのではないかと思う。
経営に失敗すれば首をくくるくらいの覚悟で臨んで欲しいものである。

府知事は府民に選ばれた指導者であるとともに府庁職員のトップであるのだから,上司風を吹かせるのであれば,専制君主のような上司ではなく,組織の適切な運営にもきちんと配慮すべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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公務員のためいき 橋下知事の人件費削減案

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2008年6月11日 (水)

秋葉原の無差別殺人事件に関してやはり社会背景を考えるべきではないか?

秋葉原で6月8日に起きた無差別殺傷事件の犯人の青年は,やや変わった性格ではあったようである。
しかし,教育に厳しい家庭で中学まで優等生として育ちながら進学校でよい成績を取れないなど,よくある話であるし,あのような,自己愛が強く優越感と劣等感の間を極端に行き来するような性格の人物も,自分の周囲にもいて,事件の特殊性に比べてそれほど特殊な性格とも思えない。
もちろん,本人は責められるべきであるし,特に被害者やその関係者は直接的な憎しみを持つのも当然である。

しかし,我々のような第三者は,やはり再発防止のためにも客観的に事を見なければならないだろう。

高校までは,それなりに普通に成長してきた青年が,中の下くらいの成績とはいえ名門校に通いながら,どういういきさつか知らないが,自動車整備士等を養成する専門学校的要素の強い短大を出て,派遣社員として自動車工場で働いていたのは,10年か15年くらい以前であれば,かなり特殊な進路だったのではないか。

「夢を持て」と言われ続けながら夢を奪われる現在の若者達を見ていると,その中からあのような特異な行動を取る人物が出るのも,ある程度必然であり,再発防止のみならず,この国の若者やその将来の幸福のために,やはり社会構造に目を向けるべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2008年6月10日 (火)

[番外]キムタクのドラマでトヨタは何を狙っているのでしょうか。

フジテレビの月9ドラマ,「CHANGE」で,木村拓哉氏が首相の役を演じています。
トヨタがスポンサーについて随分肩入れしている割に,今のところ,キムタク首相は自民党を否定するような言動ばかりです。
それにしても,ストーリー自体は今のところ学芸会のようなベタベタな展開ですが,キムタク始め,超豪華キャストのために用意された脚本や撮影技術などにより,なかなか楽しめるドラマです。

トヨタがこのままの流れでストーリーを終わらせないと思っているのですが,どうなるのでしょうか。

このまま,とことんキムタク首相の人気を上げて,ドラマ終了と同時に解散総選挙で,木村拓哉氏が自民党から立候補などということはさすがに無いとは思いますが。

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与党に沖縄県有権者を批判する資格はないのではないか?

沖縄県議選で与党が過半数割れし,その原因として後期高齢者医療制度への批判が大きいとのことである。

これを受けて,古賀誠氏が,「すり込まれた感情論,理ではなく情で動いている」というようなコメントを話していた。

自分は,このところ忙しくて,後期高齢者医療制度をほとんど理解していない。従って,制度そのものを云々することはできないが,この古賀氏のコメントには腹立たしさを感じた。

情に訴えるのは自民党のお家芸ではないだろうか。
「自民党をぶっ壊す」と叫んで小泉氏が人気を集め,公務員を悪者にすることで郵政民営化への賛成票を集めて2005年の郵政解散選挙に大勝して,今に至っているのではないか。
百歩譲って,国民が後期高齢者医療制度のメリットを理解していないのだとしても,それは政府・与党の説明が不足していることに責任がある。

政府・与党に,現にカネを取られている人達を批判する資格はないのではないかと思うのだが,どうだろうか。

それにしても,自民党はテレビ朝日の報道ステーションの揚げ足を取るような抗議をしているようだが,もう末期症状を呈しているようにも見える。

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2008年5月19日 (月)

[番外]ミャンマーのサイクロン被害も忘れないで下さい。

情報が多いせいか,中国の地震ばかりが報道されていますが,ミャンマーのサイクロン被害の方も忘れないで頂きたいと思います。
国連の推計では死者6~10万人と,被災者数では中国の地震を上回る規模です。規模の問題ではありませんが。
中国では被災範囲が広すぎて情報が得られないところがありますが,ミャンマーでは軍政が情報を人為的に情報を押さえており,日本政府などの働きかけにより被害規模を縮小できる余地は,中国より大きいとも言えます。
外交的には,日緬関係より日中関係の方が重要かも知れませんが,同じアジアの隣人であり,親日的な人達であり,これまで軍政を支援してきてそのことが完全に国民のためになっているとはいえない面がありますから,日本は,ミャンマー軍政ではなくミャンマー国民のために力を尽くす義務があると思います。

日本赤十字ではミャンマーへの救援金を募集しています。
http://www.jrc.or.jp/sanka/help/news/1380.html

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2008年5月 7日 (水)

公共のためのカネを取りやすいところはもっと他にあるのではないか?

後期高齢者医療制度や,ガソリン税の暫定税率復活が話題となっている。
「取りやすいところからばかりカネを取っている」とよく言われるが,果たしてそうだろうか。

日本での「億万長者」は147万人とのことである(リンク先は2006年調査結果の記事で,2007年調査ではさらに増加している)。

所得税率は,わずか20年余り前までは,最高70%であったのが現在は40%である。
また,相続税率も,20年余り前までは最高75%であったのが現在は50%である。
さらに,法人税率は,同じく20年余り前までは最高42%であったのが現在は30%である。

そして,格差はどんどん拡大し,一部の企業の業績だけは好調である。

本当に「取りやすいところ」は他にあるのに,「取りにくいが抵抗できないところ」から取っているだけではないだろうか。

わずかな年金から,絶対額は僅かではあるが本人にとっては非常に大きな千円単位のカネをむしり取ったり,僅か20~30円とはいえ,爪に火を灯しながらもクルマがなければ生活できないような人達に負担を強いたりするよりも,もっと「取りやすい」ところはあるのではないだろうか。

自分は億万長者でもないし,40%も所得税を納めているわけでもないので,こんなことを言ってもあまり説得力はないだろうが,相続する親の財産も当てにはしていない(そもそもほとんど無い)し,平均以上の収入はあるので,もう少し所得税を負担しろと言われれば,納得できる累進性がある限り反対するつもりはない。

「取りやすいところから取っている」のではなく,日本人らしい道徳心など忘れて,既得権益を守ることに汲々としている者たちが,敢えて取りにくいところから取っているというのが現状ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2008年4月21日 (月)

スポーツと政治は分離できるのか?

北京オリンピックの聖火リレーがいろいろと物議を醸している。

オリンピックには程遠いが,自分も若い頃にスポーツに打ち込んだ身なので,政治的な情勢とは切り離してオリンピックで力を発揮したい選手の気持ちも理解はできる。

しかし,チベット問題を含めて明らかにオリンピックを政治利用しようとしている中国に対して,無批判にオリンピックに参加することは,政治利用されることを承知の上での行為なので,それ自体が政治的な行為であるとも言える。

スポーツの政治からの独立を守るためには,政治に対して無関心あるいは無関与というわけにはいかないのではないだろうか。

スポーツを政治から分離させ,後生まで聖なるものとして引き継ぐためにこそ,参加選手達も何らかの行動を起こすべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2008年4月20日 (日)

鳩山邦夫氏は法相として不適格ではないか?

鳩山法相が次々と死刑執行命令書にサインしている。

先日,テレビ局のインタビューに対して,
「それぞれのケースをよく吟味して,執行すべきか決定している」
「サインする前に,先祖の墓に参ったり風呂に入って身を清めたりしている」
というように,自らの信念に基づいた行動のように話したかと思うと,
「世論の多数が死刑反対になったなら,違う行動をとる」
とも言っているのを見た。

鳩山氏が,確固たる死刑存置論者ならば,それはそれで,賛同はしないが理解はする。

また,「法相はあくまで政府の機関の一部であって,淡々と役目を果たすのみ」という考えならば,
これも同じく,賛同はしないが理解はできる。
鳩山氏自身の発言の通り,一種の「ベルトコンベア」である。

しかし,彼の発言は,そのどちらともとれる曖昧なものである。
要するに,自信の立場について,深く考えてはいないことが見て取れる。

そのような人物を,大臣,しかも法相に就かせるのは不適切ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2008年4月 8日 (火)

小泉純一郎氏にとって政治は単なる金儲けの手段なのか?

産経新聞によると,小泉純一郎元首相が,

強い者が生き残るとはかぎらない。政治家も政党も変化に対応できる者が生き残っていく

と語ったとのことである。

自分も,テレビで実際に話しているVTRを見た。聞いた瞬間に呆れ返った。

いったい,何の話をしているのだろうか。政治家とは,社会を作り,導くのが仕事ではないのか。
「国際情勢の変化」に限った「変化」というならわかるが,そうは聞こえない。
社会の「変化」は,政治家が作り,修正していくものではないのか。「生き残るために変化に対応する」など,営利事業者の考え方である。

政治家が「悪しき変化」に「対応」してしまったら,だれが修正するのか。

小泉氏の,この一言は,政治家が政治を単なる金儲けの手段としてしか考えていないことを露わにしたものではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2008年4月 6日 (日)

裁判員をやれるのは「ヒマな人」か?

(また間が空きすぎたのでひとつ。)

読売新聞によると,

来年始まる裁判員制度に向け、最高裁は裁判員候補者から辞退の申し出があった場合に裁判官が認めるかどうかを判断するための指針をまとめた。

とのことである。

判断基準は,「〈1〉他人に仕事を代わってもらえない特別な事情があるか(代替性)〈2〉仕事や生活に深刻な悪影響が出るか(影響)」とのことであり,具体例として,

「インフルエンザ流行時の医師」
「繁忙期で休めない夏場の海水浴場近くのコンビニ店長」
「種付けが一日もずらせないカキ養殖者」
「式に出ないと信頼を失うウエディングプランナー」
「学校行事のある小中学校の学級担任」
「大事な接待のある営業マン」
「小さい子供の受験を控えた親」
「種子島の祭りの時期の若者」

などが挙げられている。

社会人たるもの,皆それぞれ,それなりに「余人を以て代え難い」役割を果たしているはずである。
滅多にはないだろうが,誰が急に欠けても業務に支障が出ないように危機管理の行き届いた組織でなければ,誰かが欠ければそれなりに重大な影響が出るはずである。

また,見方を変えれば,誰しも突如として事故にあったり急病に倒れたりして,長期間仕事をできなくなる可能性はあり,どのような組織もある程度はそれに備えている必要がある。

本当に「国民の義務」であるべきものなら,有無を言わさず裁判員に就かせるべきであろう。

このように,消極的意見の多い中,国民に媚びてまで裁判員制度を導入する必要性があるのか,改めて考え直す必要があるのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2008年3月17日 (月)

橋下徹知事は本当に弁護士か?

(多忙でなかなか更新できないのですが,あまり間が空いたので短い記事をひとつ書きます。)

大阪の橋下知事は3/13に朝礼を行い,「始業前に朝礼をしたかったが、超過勤務になるのでできなかった。たかだか15分の朝礼ができないというなら、勤務時間中のたばこや私語も一切認めない」と述べたとのことである。

決められた始業時間前に業務を行わせれば,当然それは時間外労働である。
「たかだか15分」などという問題ではない。
橋下知事は,弁護士であり,さらに人を雇用する立場にありながら,労働基準法や地方公務員法も知らないのであろうか。

このような考え方を世論が支持すると考えているのであれば,それは一般労働者にとって極めて危険なことではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2008年3月 2日 (日)

道路建設の優先順位を適切に決定するために必要なのは国民の理性ではないか?

道路特定財源などに関する国会での議論で,道路整備の優先順位が政治的に決められているのではないかと政府が追及されていたが,全くの茶番である。
そんなことはわかりきったことである。

そうであるから,各地方自治体の首長は,ガソリンの暫定税率の廃止に賛成できないのである。一部の自治体だけが賛成したら,もし暫定税率が廃止されたとき,その自治体が真っ先に予算を削られるのは目に見えている。

何かに付け,この国は官僚支配だと言われるが,小泉政権時を振り返れば,政府が決めたことには官僚は逆らえないのがよくわかる。
首相が断固としてやると言えば,官僚は従わざるを得ないのである。この国のシステムはそうなっている。
小泉氏とは逆に,官僚を利用して地元を潤そうとする与党政治家の意向にも官僚は逆らえないため,官僚は与党政治家の地元に都合の良いような予算配分を行う。

それにも関わらず,実質的に官僚支配の部分が大きいのは,政治家に官僚を統率する気概も能力も覚悟もないからだけである。

河野洋平氏の父親である河野一郎氏は,建設大臣のときに,東京オリンピック開催を目前にしての渇水を解決するために,荒川から取水して東京へ送る工事を,官僚の反対を押し切って実行したという。
また,国際会議場建設にあたり,京都が相応しい場所であると,地元の箱根からの要望を聞かずに京都に決めたとのことである。

才覚と度胸があれば,官僚にも地元にも迎合しない政治は可能なのである。

確かに,官僚側には国を意のままに操ろうとする意図もあるだろう。
しかし,政治家が票集めと政争しかできないのに,官僚が政治家の支持に従うだけの能力しか持っていなければ,国の運営はどうなるのだろうか。
官僚支配は,必要悪と言えるのではないだろうか。
そして,それを打破するためには,有能な政治家が必要であり,有能な政治家を選ぶのは国民である。
結局,政治に無関心であったり,自身の目先の利益をもたらす政治家に票を投じる国民が,無能な政府と官僚支配を生んでいるのではないだろうか。

この国の政治を国民の手に握るためには,国民のひとりひとりがこの国のことをきちんと考えることが何よりも重要なのではないかと思うのだが,どうだろうか。

なお,機会があれば改めて書きたいと思うが,そのためには教育が重要であり,また,自民と民主の大連立などはあってはならないと思う。

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2008年2月26日 (火)

『道路開発振興センター』は道路特定財源で天下り国交省OBを養うためだけの法人ではないか?

週刊ポスト2008.2.29号の記事に,「道路役人は『ガソリン税』で年収1900万円!」というものがあった。

その記事によると,国交省認可の財団法人,道路開発振興センターは,道路特定財源から道路に関連する事業への融資を仲介するだけで,常勤理事4人にひとりあたり1600~1900万円の給与を支払っているとのことである。また,一般の職員はわずかに8人とのことである。
常勤理事はもちろん国交省からの天下りであり,「道路に関連する事業」も,道路への関連性はこじつけの色が濃い。

同センターのサイトから参照できる各種の資料を見ると,自分はこのような資料を精査する知識を持たないので詳しくは分からないが,要するに以下のような状況のようである。

平成18年度でいえば,年間にわずか19件の事業に融資し,さらに,東京湾横断道路建設事業へも170億円を貸し出し,それらのための300億円ほどの資金を右から左へ流すだけのことをしたようである。
そして,国交省から道路開発調査等委託費という名目で理事の給与の大部分に当たる5800万円の補助を受けている。これも道路特定財源のようである。そして,見かけの収入が,上記の300億に加えて,還ってくる分がやはり300億程度あり,これらを含めて600億以上あるため,国からの補助は収入のわずか0.09%であるとしている。

つまり,見かけは国から収入の1%にも満たない資金しか受けていない優良な財団法人だが,実際は,道路特定財源のカネを右から左へ流すだけで,天下り理事の2000万近い年収のほとんどを国からの補助で賄っているようである。
なお,融資は銀行が審査して半分受け持つので,この法人は融資のための審査もしないで,ただ来た書類に判を押すだけのようなことしかしていない。それも年にたった19件である。

週刊ポストの記事やセンターのサイトの資料を見ればわかるが,融資対象事業も,必要なものかどうか疑わしい。

このセンターの4人の理事は,書類を見ないで判を押すだけで,実質的に国交省から高額な給与を受け取り,さらに必要性の疑わしい事業に道路特定財源を垂れ流していると判断してよいようである。

やはり,ガソリン税の暫定税率の必要性を議論する前に,このような道路特定財源の使い方を徹底的に見直すべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2008年2月22日 (金)

イージス艦と漁船の衝突事故で最も重要なのは責任の所在か?

房総半島沖でのイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故に関して,メディアでは自衛隊を非難する論調が多い。
それに対しネットなどでは,漁船側にも非はあると主張する論調も見られる。

自分も,事故そのものに関しては,漁船側にも責任はあると考える。
しかし,最大の問題は,最新鋭のイージス艦が状況はどうあれ漁船との衝突を避けられなかったことではないだろうか。
渡辺喜美行革相も言っていたが,自分もこの事故の報を聞いてまず考えたのは,イージス艦は小型船による自爆攻撃を防げないのかということである。

明らかに衝突の意思を持って接近してくる船に対しては,攻撃することも可能だが,漁船相手ではそれはできないということはあろう。
しかし,防衛省の発表を聞く限り,最大限の衝突回避措置を取って,なおやむを得ず衝突したということではないようである。
したがって,今回の事故で衝突した船が,仮に自爆攻撃を仕掛けようとする船であった場合でも,攻撃することなく衝突していたことであろう。

メディアはそのような面を意図的に避けているのかも知れないが,メディアの報ずるままに,この事故を「責任逃れをしようとする自衛隊と怒る漁師」というような構図で捉えるだけでは不適切ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2008年2月12日 (火)

ガソリン税暫定税率はとにかく一度廃止してみるべきではないか?

ガソリン税の暫定税率の存廃が話題になっている。

自分は地方に住んでいる。少なくとも現在のクルマ社会を前提にする限り,地方での道路の必要性は切実なものである。

政府・与党は,暫定税率を廃止すると,地方の道路建設に大きな支障が出るように説明している。
環境を口実にしたり,果ては「国際競争力」などまで持ち出しているが,あの東国原宮崎県知事なども含め,地方自治体の首長は道路建設のために暫定税率維持を支持している。

基本的に,暫定税率の本来の目的である,オイルショックに伴う石油消費の抑制という目的の必要はなくなっているのだから,他の理由で税率を上げるのならば,「暫定」の税率は一旦廃止して,改めて論議するのがスジであることは間違いない。

しかし,その前に,本当に地方の道路建設のために暫定税率は必要なのかという点が,きちんと議論される必要があろう。

今日の報道で,道路特定財源から独立行政法人や公益法人に多額の随意契約によるカネが流れ,それらの法人に多数の国交省OBが天下っていることが報じられた。
例えば西日本新聞によると,

揮発油税などを原資とする道路特定財源で主にやりくりしている道路整備特別会計から、国土交通省が2006年度に、同省OBらの天下った独立行政法人や公益法人などに発注した1件当たり500万円以上の調査検討費などは計814億円に上り、約86%に当たる703億円が随意契約だったことが8日、分かった。

国交省によると、06年度に道路整備特別会計から支出した独立行政法人や公益法人などは計74法人。ほとんどの法人に役職員として国交省OB延べ1343人が天下っていた。

とのことである。

暫定税率分の税収は,総額で2.7兆円とのことである。
今日の報道で明らかになったような部分だけを見直しても,特に無理はせず百億円単位の節約ができそうである。
まだ世に知られていない不当な利権を適切に整理することで,2.7兆くらいの節約はできるのではないだろうか。
もしそうであれば,逆に言えば,暫定税率分のカネは,そのような不当な利権のためだけに存在しているということになる。

道路整備は,何年も何十年もかけて行っていくものである。「暫定」は「暫定」なのであるから,ともかく一旦廃止して,できるだけの努力を行ってみてから再度検討してもよいのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2008年1月12日 (土)

新テロ特措法成立に思う-誰がこの国を動かしているのか?

新テロ特措法が,参院で否決後,衆院での3分の2以上の賛成で可決,成立した。
直近の選挙で示された民意を無視する暴挙としか言いようがない。

読売新聞によると,

今回の再可決について,与党内では「有権者の反発を招きかねない」との慎重論があった。しかし,有識者による「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)が再可決の積極活用を提言するなど,ねじれ国会の現状打開を求める声が強まったことが,与党の判断を後押しした。

とのことである。

この記事は,「中立で本当に国のことを考えている賢い人達が後押ししたのだから,間違ったことではない」と思わせたいのであろう。

しかし,自分から見れば,直近の民意の現れである参院での多数野党に否決され,与党自身が,有権者に受け入れられないと懸念しているにも関わらず,「数で押し切ってしまえ」と与党を動かすなど,「新しい日本をつくる国民会議」なるものが,多数の国民を無視して日本を操ろうとしているとしか思えない。

結果に対して何の責任も問われないのをいいことに,勝手な意見を好き放題に言う「有識者」なるものによって国が動かされるのは,極めて不快である。

ちなみに,「新しい日本をつくる国民会議」の2007年12月27日現在の主なメンバーは以下の通りである。

【共同代表】
佐々木 毅  前東京大学総長
茂木友三郎  キッコーマン会長
北川正恭   早稲田大学大学院教授
西尾 勝   東京市政調査会理事長
【副  代  表】
池田守男   資生堂相談役
古賀伸明   連合事務局長
福川伸次   機械産業記念事業財団会長
山田啓二   京都府知事
【主    査】
曽根泰教   慶應義塾大学教授
飯尾 潤   政策研究大学院大学教授
【顧問会議議長】
御手洗冨士夫 日本経済団体連合会会長
【特別顧問】
岡村 正   日本商工会議所会頭
桜井正光   経済同友会代表幹事
北城恪太郎  日本アイ・ビー・エム最高顧問
奥田 務   関西経済同友会代表幹事
瀬戸雄三   アサヒビール相談役
堀場雅夫   堀場製作所最高顧問
小林陽太郎  富士ゼロックス相談役最高顧問
宮内義彦   オリックス会長・グループCEO
浜田 広   リコー最高顧問
髙木 剛   連合会長
小柴昌俊   東京大学名誉教授
青木昌彦   スタンフォード大学名誉教授
石原信雄   地方自治研究機構会長・元内閣官房副長官
中坊公平   日本弁護士連合会元会長
安藤忠雄   建築家
三谷太一郎  東京大学名誉教授・日本学士院会員
佐藤幸治   近畿大学法科大学院教授・京都大学名誉教授
奥島孝康   早稲田大学学事顧問・前総長
安西祐一郎  慶應義塾大学塾長
屋山太郎   評論家
中村桂子   JT生命誌研究館長
船橋洋一   ジャーナリスト


このような人達に右往左往されることなく,政治家は自身の判断にもとづいて毅然たる態度を取るべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成時または作成後にTBさせて頂いたブログ]
お玉おばさんでもわかる 政治のお話 : 給油新法案きょう成立』憲法59条適用 是か非か
村野瀬玲奈の秘書課広報室 : なぜ衆議院三分の二による再可決を問題にするのか (インド洋対米給油新法について)

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2008年1月 5日 (土)

死刑廃止は是か非か?

自分は「死刑」というものに強い関心を持っているのだが,振り返ってみると一度しか関係する記事を書いたことがない。
他人様のブログ(「お玉おばさんでもわかる 政治のお話」のコチラの記事)にコメントをたくさん書き殴ってしまったので,とりあえずひとつ記事を書こうと思う。
また続きも書くつもりで,タイトルはシンプルにした。

自分は,前にも書いたが今のところ,ゆるやかな死刑廃止論者である。
すぐにとは言わないが,徐々に死刑は廃止に向かうべきだと思っている。

理由は,すでにいろいろなところで議論が尽くされていて,
るか さんのブログ,言ノ葉工房 の 死刑考
KEN さんのブログ,灰色のベンチから の メリークリスマスとデスペナルティー 【後半
などをご覧頂ければ,死刑廃止論の根拠は大体わかるだろう。

これらの根拠は,「理屈」としては反論の難しいものであろう。
「死刑存置論者」の反論は,「被害者遺族のほとんどは犯人の死を望むはずであり,それを叶えるべき」の一点に尽きている。

「理と情の対立に行き着く」とコメントされた方がいた。

果たしてそうだろうか,と始めは思った。

ところで,自分は「復讐心」というものを覚えている限りでは持ったことがない。

自分は他人から害を受けたとき,被害の回復や加害者の反省は望むが,復讐は望まない。怪我をさせられたら,その治療のための協力は望むが,加害者も痛い目に合わせようとは思わない。

加害者が自分に必要な相手であれば,家族であれ,総理大臣であれ,再発防止のための努力は望む。
特に必要のない相手であれば,他の人が同じ目に合わないためにも一応反省は求めるが,ある程度求めて実現しなければ,それ以上の努力をしようとは思わない。「そういう人なんだな」で終わりである。

上で「被害の回復」と書いたが,この「被害」とは具体的な「被害」である。
しかし,世の中には,具体的な被害に伴って生じた精神的な被害を,復讐によって回復することを望む人も多くいるのだということが,おぼろげながら理解できてきた。

自分は,精神的にクール過ぎるのかも知れない。「クール」といえば少し聞こえが良いが,別の言い方をすれば「冷淡」か。

そうだとすると,やはり死刑存廃論は,廃止論の「理」と,「復讐」を当然とする多くの人達の「情」との対立に行き着き,接点は持てなくなってしまうのではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成時または作成後にTBさせて頂いたブログ]
お玉おばさんでもわかる 政治のお話 : 死刑廃止論カテゴリー
言ノ葉工房 : 死刑考
村野瀬玲奈の秘書課広報室 : 死刑FAQ

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2008年1月 1日 (火)

[番外]天皇明仁さまの新年のご感想

新年明けましておめでとうございます。

宮内庁より,「平成20年の新年に当たり天皇陛下のご感想」が公表されています。
全文引用させて頂きます。

 昨年は石川県と新潟県に地震があり,厳しい冬を過ごす被災者の苦労が察せられます。大雨などの自然災害は少ない年でしたが,国民生活に不安をもたらすような社会的状況が幾つか明らかになったことは残念なことでした。

 新しい年が国民一人一人にとって幸せなものであり,世界の人々が互いに信頼し合って暮していける社会が築かれていくことを願っています。

私は昨年大晦日の記事で,
「財界と自民党と官僚のガチガチのトライアングルを一度きちんと壊さないと,この国は,一般国民が幸福であり,真の価値ある国際貢献のできる国にはならないと思います。」
と書きました。「財界と云々」は別にしても,この国にどうあって欲しいかという点では,天皇陛下と同じ思いなのだと嬉しく感じました。

「今年は分配より拡大」などと言って,日本全体が低調なのだから格差解消などよりも経済を発展させる方に力を注ぐべきだという論調が聞かれます。
また,「国際貢献,テロとの闘い」と称した,アメリカ盲従の動きも止みません。

それに対して多くの国民が抱いている不安を,やはり明仁さまはわかって下さっているのだと安心しました。

今の若い人には皇室に対して失礼な考えや言動をする人も多いようですが,皇室を敬う気持ちを理屈でわからせるのは難しいでしょう。
しかし,政治に関わることを許されない陛下が,このようなギリギリの形で国民を導いて下さっており,いわば国の「重し」となって下さっているということは,少しは理解できるのではないかと思います。

興味を持って調べたので,せっかくなので今世紀に入ってからの陛下の毎年のご感想を以下に引用させて頂きます。

■平成19年
 昨年も,大雪や豪雨,台風,竜巻などの自然災害で,150人もの人命が失われたことは痛ましいことでした。新潟県や福岡県では,地震災害のため,この冬も仮設住宅で暮らしている人々のことが心にかかっています。

 また,台風による潮風害などで稲作などに大きな被害を受けた地域もあり,農家の人々の心痛が察せられます。

 新しい年の始めに当たり,我が国と世界の人々の幸せを祈り,皆が,互いに信頼し合って暮らせる社会を目指し,力を合わせていくよう,心から願っています。

■平成18年
 昨年は,終戦から60年の年に当たりました。先の大戦では日本人310万人が亡くなり,また,外国人にも多くの犠牲者が生じました。私どもは戦争で亡くなった人々のことを決して忘れることなく,この多くの犠牲の上に今日の日本が築かれたことに思いを致さねばなりません。

 暮れになって降り始めた大雪で,各地で大きな被害が生じています。そのために20人を超える人々が亡くなったことを本当に残念に思います。自然災害の被害を受けた地域で,避難生活を続けている人々のことが案じられます。また,帰島を果たした三宅島の人々,帰島を果たせずにいる人々が共に健康を保つよう願っています。

 新しい年が皆一人一人にとって幸せなものであることを祈り,より良い社会を作るために皆が助け合って力を尽くしていくことを心から念じています。

■平成17年
 昨年は自然災害が各地を襲い,大勢の人々が被災しました。厳しい冬を迎え,被災者のことが案じられます。また,経済情勢がまだ十分に良好な状況にはなく,人々の苦労を察しています。

 海外では,紛争などにより,多くの命が失われ,非常に残念なことでした。それとともに,自然災害による犠牲も多く,特に,年末に起こった地震による津波は周辺の国々に大きな被害をもたらし,極めて多数の死者・行方不明者が生じたと報道されています。誠に痛ましいことです。12年前奥尻島などを襲った津波や,私の生まれた年に起こった死者・行方不明者三千人を超す被害を出したといわれる三陸地震津波などのことが思い起こされました。

 今年は,阪神・淡路大震災が起こってから10年になります。ここに改めて皆で過去の自然災害を顧み,安全性の高い社会を築いていくことに務めることが大切であると思います。

 年頭に当たり,国民の幸せを祈るとともに,皆が相互に,また,世界の人々とも相携え,世の平安と人々の幸せのために力を尽くしていくよう願っています。

■平成16年
 大勢の人々が病気のことを心配してくれ,また,古希を迎えたことを祝ってくれたことに,深く感謝しています。

 昨年は,冷害に加え,集中豪雨,台風,地震の災害が起こり,また,日本の経済や社会に厳しい状況が続きました。海外でも日本人を含む幾多の人命が失われるという悲しい出来事がありました。苦労多く,心の痛む日々を送ってきた人も多いことと深く察しています。

 新しい年に当たり,人々の幸せと日本の更なる発展のために,皆が互いに助け合いながら力を尽くしていくことを期待しています。

 本年が,日本と世界の人々にとって明るい年となるよう祈っています。

■平成15年
 厳しい経済情勢の続く中,新しい年を迎えました。

 振り返ると,平和条約が発効して初めて迎えた新年がちょうど50年前になります。この50年間に今日の日本を築くために人々が払った非常な努力に思いを致し,より良い未来を求めて皆で力を尽くしていきたいと思います。

 国民の生活には様々な苦労や困難があることが察せられますが,今年が一人一人にとって少しでも良い年となるよう願っています。

■平成14年
 昨年は,同時多発テロという悲惨な事件が起こり,日本人24人を含み,3千人を超える死者行方不明者が生じました。この事件により,米国,日本を含む各地の経済情勢は,今一層の厳しさを増しています。世界の安定と平和を維持するため,国々の間に更なる友好と協力が強く求められていることを感じます。

 現在,日本は,厳しい状況下にありますが,戦後の苦難を克服した国民の英知と努力を思い,国民がこの困難を必ず乗り越えていくものと信じています。

 本年が,日本と世界の人々にとって,明るい兆しの見える年となることを祈っています。

■平成13年
 21世紀に入りました。過ぎ去った20世紀を顧みつつ,新しい年を過ごしていきたいと思います。

 現在の我が国は,高齢化への対応や経済の回復など,様々な課題を抱え,人々の生活にも様々な苦労の多いことと,思われます。この困難を越えていくことによって,より堅実で心豊かな社会が築かれていくことを信じています。国民の一人一人が,互いの絆(きずな)を大切にし,更によい未来を目指して助け合っていくことを切に望んでいます。

 平和や環境など世界の問題についても,国民が,他国の人々と協力し取り組んでいくよう期待しています。

 本年が我が国と世界の人々にとって幸せな年となることを念じています。

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2007年12月31日 (月)

[番外]2008年の終わりに

もう紅白歌合戦も佳境に入ってきました。本年最後の記事を書きたいと思います。

いろいろと書きたい話題はあるのですが,文をまとめる時間がなく,更新が間延びしてしまって残念に思っています。

今年から来年にかけて,日本の政治の大きな転換点になるかどうかの瀬戸際かと思います。
福田氏が首相になったときは自民党がもっと安定する方向に向かうかと思ったのですが,意外と福田氏にリーダーシップがなかったのか,自民党議員達が余りにもわがままなのか,結構自民党はフラフラしているようです。
年明けに内閣改造をしそうですが,今の状態で改造したらいろんな意見に振り回されて裏目に出そうな気もしますが,もしかしたら福田氏が一念発起して思い通りの組閣をするかも知れないなとも思います。
さて,どうなりますやら。

いずれにしても,民主党を崩そうとする報道が見受けられるようですが,民主党には負けずに政権交代に向けてがんばって欲しいと思います。
政権交代したとしても,その先に何があるかよくわかりませんが,何か問題が起きたとしても,それこそが「改革の痛み」ではないかと思います。
財界と自民党と官僚のガチガチのトライアングルを一度きちんと壊さないと,この国は,一般国民が幸福であり,真の価値ある国際貢献のできる国にはならないと思います。
来年は,そのような国に向かって歩き出す曲がり角であって欲しいと思います。

それでは,来る2008年が皆様にとって良い年になりますようお祈りしております。

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2007年12月26日 (水)

[番外]雅子さまに失礼極まりない雑誌の記事

雅子さま巡る記事が相次ぐ 「私的なお出かけ」批判も
というニュースがありました。

雅子さまのご病状がはっきりと発表されないことから、「公務ではないプライベートの外出が多い」と指摘する雑誌もあれば、「質問状」という形で、不明点を列挙する雑誌もある。

とのことです。そのような雑誌では,

医師団から発表される病状からは、雅子様が回復しているのかどうなのか読み取れないのだ。

とされ,例えば,

「AERA」12月31日・08年1月7日合併号では、「雅子さまへ20の質問状」というタイト ルの記事を掲載。

とのことであり,その中で,

「具体的に治療をしていますか」
「過去のご静養、効果はありましたか」
「悠仁さまのご誕生 どう感じていますか」
「愛子さまに妹や弟はできるのでしょうか」

などと質問を設定して,周辺関係者のコメントを載せているということです。

相手が一般人だとしても,心の病や,子供のことで悩む女性に対する理解や配慮が全くない内容でしょう。
たいていの病人は,四六時中のたうち回っているわけではありません。心の病からの回復途上にある人が,プライベートな時間を楽しむことに何の問題があるというのでしょう。また,子供の事で無神経なことを言うことがどれほど女性を傷つけるかわからないのでしょうか。
私は両方とも身近に接した経験があるので,陰でひそひそ言うならまだしも,公の場でこのようなことを言うことがどれほど相手を傷つけるか,何となくわかるつもりです。
心の病に限らないかも知れませんが,長い時間をかけて回復してきても,ちょっとしたことでまた一気に悪化することがあり,よほど慎重に療養しないと一進一退を繰り返すというのはよくあることでしょう。

まして相手は皇太子妃さまです。
周りが一切何も言わなくても,一般人には計り知れないプレッシャーやストレスを受けられるはずです。
それらを少しでも和らげようとするのが日本国民,いえ人として当然ではないでしょうか。

下品な井戸端会議ではあるまいし,公の場でこのようなことを述べることは厳に謹んでもらいたいものです。

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2007年12月20日 (木)

[番外]警察の横暴

自分のコメントを書く時間がないのですが,紹介だけさせていただきます。
また,警察が情報の捏造等によって無実の一般市民を冤罪に陥れようとしている可能性の高い事件のことを知りました。
概要は きっこ さんの「きっこのブログ」で紹介されています。
被害者のお母様のブログに経過が詳しく書かれています。

興味を持つ方が一人でも増えることを願いたいです。

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2007年12月19日 (水)

石破防衛相の発言こそ感情的ではないのか?

海上自衛隊が17日に米軍と共同で,ハワイ沖でイージス艦による初の弾道ミサイル迎撃実験に成功したとのことである。

それは成功するだろう。これに失敗が許されるはずがない。絶対命中するようにお膳立てをして,最悪の場合は模擬弾に自爆させてでも成功したことにするだろう。
こんなものは実験ではなく,単なる「ショー」であろう。

それはさておき,石破防衛相が記者会見でこの件に関して,

記者団がミサイル防衛システムはその効果に比べて費用がかかりすぎるのではないかと質問したのに対し「人命が救われるということを金額で計ることができるのか。費用が高すぎるという議論はやや不正確で感情的なものだと思う」と反論しました。

とのことである。
ちなみに,このVTRを見たが実際は「感情的」とは言わず「エモーショナル」と言った。

言っていることが矛盾していないだろうか。金額で計らず,どうやって正確で客観的な議論ができるというのだろうか。
「人命はカネで計れない」という時点で完全に「感情的」である。
そんなことを言うなら,薬害肝炎問題はどうなのか,難病認定は,年金は,生活保護は,などなど,それこそ感情的に議論は果てしなくなってしまう。

その矛盾に石破氏自身が気付かないのは,おそらく彼の頭の中では,
「有事の際に傷つけない国民と死んでも良い国民とに分けて,傷つけない国民を守るのに十分な装備をするべきで,誰が生きるべきで誰が死んでも良いかを正確に客観的に議論するべき」
だとでも考えているのだろう。

石破氏は,ミサイル防衛にカネをかけ過ぎだという批判に対して,完全に反論材料を失ってしまっているのではないかと思うのだが,どうだろうか。

いずれにしても,事の良否は置いても,15億円と言われるミサイルが一瞬で燃え尽きたことは事実である。

[記事作成時または作成後にTBさせて頂いたブログ]
日本がアブナイ! 日本初のミサイル実験、成功か?+薬害肝炎+年金問題の責任逃れ+黒田、Soccer、内藤
公務員のためいき UFO論議から思うこと

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2007年12月12日 (水)

[番外]"選挙のため”が約束違反の言い訳になると思っている政治家の常識

宙に浮いている年金記録約5000万件のうち,現時点ですでに945万件は特定が困難であることがわかったことに関して,自民党が今年度中に記録を特定するとしていたことについて,舛添厚労相は「選挙のスローガンだった」,町村官房長官は「選挙だから縮めて言った」と発言し,さらには福田首相も「公約違反というほど大げさなものではない」と述べたそうです。

「言い訳」というのは,「こういう理由なら許されるでしょ」と訴える意図で行うものでしょう。
つまり,舛添さんや町村さんは「選挙のため」ならば「ハッタリ」を言っても構わないというのが常識という認識ということですね。

「当時はできると判断していた」,「情報収集が不足していた」などと言うならまだしも,「選挙だからいい加減なことを言った」といって憚らない彼らの態度には本当に呆れ返ります。
福田首相も,もう少し上手な対応のできる人だと思っていましたが,あの言い方はかなり反感を覚えますね。

エラい方々のものの考え方は,われわれ一般人には本当にわからないものです。

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2007年12月 6日 (木)

[番外]倫理啓発ビデオに見る防衛省の常識

防衛省の倫理啓発ビデオが話題になっています。
商社による接待を再現する内容で,全隊員を対象に上映されているそうです。

報道番組でちらっと見ただけですが,なかなか笑えました。まあ,笑ってる場合ではありませんが。
何が笑えたかって,普通,接待と言えば「する側」が下手に出るものでしょう。例え「される側」が若造であっても,「する側」は「最敬礼」状態が常識ではないでしょうか。
ところが,防衛省のビデオでは,「する側」の方が態度が大きいのです。商社に天下ったOBという設定だそうです。
「またよろしく頼むよ」なんていう接待が普通の社会のどこにあるのでしょう。

いくら天下りが多いといっても,「接待するのは天下りOBがデフォルト」になっているほどとは思いませんでした。

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2007年11月29日 (木)

防衛利権問題は結局このままウヤムヤにされてしまうのか?

今日になって共産党が「証人喚問を多数決で決めたのは間違いだった」と,額賀氏の証人喚問に消極的な姿勢を示し始めた。
民主党にも慎重論があるようである。
守屋氏の逮捕で勝算がなくなったのであろうか。それとも,防衛利権というパンドラの箱の中を垣間見て,開けるのがためらわれたのであろうか。

いずれにせよ,一部の役人だけに責任が押しつけられて,防衛利権の全体像はこのまま,また闇の中に隠されてしまうのであろうか。

この箱を開けた後に,どのような混乱があるのかわからない。真に国益のためを考えても,やはり開けるべきではないとの判断もあるのかも知れない。

しかし,一国民としては,やはり真相を知りたいという気持ちを抑えきれない。

防衛利権問題にはいろいろな側面があるのかも知れないが,その一面が,国民の税金が米国や国内の軍需産業に大量に流れてその一部が官僚や政治家に還元されているというものであることは間違いないだろう。
他の側面のために,その一面には目をつむる方が当面は国のためになるのかも知れないが,例えそうだとしても,わが国が成熟した国家へと脱皮するための,これこそが「改革のための痛み」の一つではないかと思うのだが,どうだろうか。

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守屋氏逮捕-それほどまでに防衛利権の闇は深いのか?

27日に参院財政金融委員会で,額賀氏と守屋氏の証人喚問を民主党を中心とした野党だけで議決した途端,東京地検特捜部が守屋氏を逮捕した。

額賀氏と守屋氏,どちらかがウソをついているのは明らかだが,直接対決したら,ウソをついている方に勝ち目はないだろう。

ここまであからさまな手を使わなければならないほど,防衛利権に絡んでは隠し通さなければならないことがあるのだろう。

こうなると守屋氏が哀れにも見えてしまう。

いずれにしても,何が出てくるのかやや恐ろしい気もするが,野党は覚悟を決めて徹底的に追及するべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年11月17日 (土)

隊員や国民が命を預ける自衛隊の装備品の調達は公正に行われているのか?

守屋武昌前防衛事務次官による,接待の宴に久間元防衛相,額賀元防衛長官が同席したとの発言が話題となっている。
名前を挙げられた二人は,開き直るのではなく否定しており,明らかにどちらかがウソをついていることになる。
現職閣僚が記者会見で,または元事務次官が証人喚問でウソをつくからには,何に換えても隠し通したいことがあるということであり,この問題は奥が深そうである。

いずれにしても,ウィキペディアにも書かれているように,また,前の記事で参考資料として挙げた自衛隊の随意契約実績例を見てもわかるように,総合商社や米国の軍需企業と提携している企業にとって防衛省・自衛隊は重要な「金ヅル」である。
国内の自衛隊装備品などを製造する企業と異なり,これらの企業は「出来合い」のものの売り込みで競い合うわけである。
そこでいろいろと裏の利権争いが生ずるのであろうが,もし,接待や天下りの受け入れなどの状況が契約の取れ具合に影響しているならば,これは大きな問題であろう。
公共工事の施工業者を選ぶような場合も公正な選択が必要であるが,それにも増して,自衛隊員が直接命を預けるものが多い装備品の選択においては,公正かつ入念な検討に基づくことが必要であろう。
我々一般国民も,それらの装備品に命を守られるわけであるからなおさらである。

山本五十六は「百年兵を養うは、ただ平和を護らんがためである」と言ったとのことであり,「百年銃を磨く」も同じく平和を守るためであろうが,だからといって性能の劣る銃であって良いわけではない。
百年磨いて,百年目に撃つ必要に迫られたとき,標的に当たらなかったり,ましてや暴発などしようものなら百年が無意味になってしまう。

自衛隊の装備品は,プロフェッショナルの目による,余計な要素を排除した徹底的に厳格な選択により調達されるべきであり,それが実現されているか否かは徹底的に追及されるべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年11月15日 (木)

[番外]防衛利権の闇は深そうです。

守屋武昌前防衛事務次官の参議院での証人喚問が話題になっています。

そんな折,たまたま見つけた情報で,防衛利権の闇は深そうだなあと思ったものがあったので紹介します。

組合絡みで,香川県の善通寺市で市長が水道事業を民営化しようとして,労組や住民が反発しているという話を知りました。(例えばこんな情報があります。)

市長は「宮下裕」という人なのですが,どんな人なのかと少し検索してみたら,こんなものがありました。そこから抜粋すると,

善通寺市長 宮下 裕
 プロフィール
  昭和12年1月香川県善通寺市生まれ。
  昭和43年防衛大学校卒業。
  航空自衛隊、防衛庁航空幕僚監部、西部航空方面隊司令官、
  統合幕僚会議事務局長、航空総司令官を歴任
  平成5年10月に退官後、伊藤忠商事株式会社本社勤務を経て、
  平成6年 5月から善通寺市長に就任(現在2期目)。

「伊藤忠 航空自衛隊」でググるといろいろ出ますが,こんなのもありました。
随意契約をたくさん取っていますが,5億の契約もあります。航空自衛隊は,伊藤忠の上得意ですね。

そんな会社に天下って,ほんの数ヶ月で退職しています。退職金はいくらだったのでしょうか。
上得意の空自に顔の利く元総隊司令官にならいくら払っても損はないでしょうね。

ちなみに善通寺市は,人口わずか3.5万人で,そのうち約4000人が自衛隊員だそうです。元航空総隊司令官が選挙で負けるわけはないでしょう。
市の労組と対立しているようですが,部下に「死ね」と命令できる地位にあった人にとって,労組の言い分なんて聞いていられないものなんでしょうね。

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2007年11月12日 (月)

ゲーツ米国防長官は米国は日本に経済支援だけを期待していることを明らかにしたのではないか?

米国のRobert Gates国防長官が来日して,首相と会談するなどした。

毎日新聞によると,石破茂防衛相との会談で,普天間飛行場の移設問題や自衛隊海外派遣の恒久法制定に関して,
「(日本は)世界で最も金持ちなメジャー国として、それに見合う役割を果たしてほしい」と指摘した。
とのことである。

また,読売新聞によると,在日米軍駐留経費の日本側負担,いわゆる「思いやり予算」の据え置きを求めて,
「日本が同盟の継続に熱心かどうかを示す象徴的な意味がある」
と述べたとのことである。

「米軍によって日本の安全が守られている」とする論調は多いが,これらの国防長官の発言を見ていると,「我々が出ていってもいいのか?」と脅すような意志は感じられない。
要するに「我々と良好な関係を保ちたければカネを出せ」と言っているだけのようである。

日米安保は,わが国の安全保障上でプラスの部分は確かにあるだろうが,米国にとっての軍事的,経済的なプラスは極めて大きく,一方的に守ってもらっているような卑下した考え方はやめて,わが国が米軍へ様々な支援をしている実態を外交カードとして十分に活用していくべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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渡邉恒男氏はまだ大連立に未練があるのか?

11/11の読売新聞で,約半面を割いてドイツのメルケル政権の現状を解説している。
同政権は,保革2大政党による大連立政権であり,任期4年のうち今年が2年目で折り返し点だということである。
「折り返し点」というのは,わざわざ大きな紙面を割いて取り上げるにはいかにも弱い理由である。
記事をよく読むと,やや高評価ではあるが比較的中立な内容である。しかし大見出しは「大連立で安定推進」である。

コラム記事「方位針」の中でも,
一度、小沢氏が表に出した政権入りへの意欲。形を変えて再浮上する可能性は否定できない。
と記されている。

読売新聞は,世論を何とか大連立支持に傾かせ,一度傾いた姿勢を見せた小沢氏を追い詰め,大連立へ持って行こうとしているのだろうか。

渡邉恒男氏は,失敗に終わった謀略にこれ以上こだわっても見苦しいだけだと悟るべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年11月 8日 (木)

[番外]自民vs.民主,面白くなってきました

小沢一郎氏,連立はさらっと流しましたね。
まだ可能性があると見る向きもあるようですが,それはないでしょう。

安倍氏から福田氏へと首相が代わり,民主党が頼りなく見えるようになって一気に形勢が悪くなってきたところでの,起死回生の試みだったのではないでしょうか。
これで,参院選圧勝でやや浮かれ気味であった民主党にぐっと緊張感が高まって,本気で政権奪取へ取り組む体制ができてきたのではないでしょうか。

小沢氏に似つかわしくない涙は,それほど大きな一世一代の賭けに勝って感極まったものかと思います。

小沢氏は,衆院選に「政治生命の全てを懸けて」取り組むと意思表明しました。
あとは政治家人生最大の勝負へと邁進し,勝てた暁には一線を退いて裏方へまわるつもりでしょうか。

私は小沢氏や民主党を支持するわけではありませんし,二大政党制が良いのかもわかりません。
しかし,とにかく自民の一党独裁体制を崩して,緊張感があり,真に「代議」を行う政治になってほしいと願っています。また,国民もそれに相応しい,意識の高い市民になるべきだと思っています。
小沢氏は,その突破口を開く大きな可能性を持った人物であると期待していますし,今が次にいつ来るかわからない大きなチャンスだと思います。

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2007年11月 6日 (火)

[番外]小沢氏にはあくまでも政権交代のために働いて頂きたい。

テレビではどのチャンネルでも小沢一郎氏の辞任劇を取り沙汰しています。
私も,小沢氏の意図はよくわかりません。
ただ,「小沢氏が民主を割って出て自民と手を組むのでは」との説もありますがそれはあり得ないと思います。
私は「ド素人」であり,政治に関して浅学ですが,直感として小沢氏の政権交代への意気込みは本物だと感じています。
安倍氏の突然の辞任と福田首相の誕生で,自民党が落ち着き始めたのが誤算で,懸命に対応策を講じているのではないかと思います。
まだ一度も政権を担ったことがないという意味では,小沢氏の言うとおり民主党は確かに力量不足であり,それにも関わらず変に勢いづくと,かえって世論が離れてしまうことを懸念しているのかも知れません。

いずれにしても,小沢氏は,生来の「裏方」,「汚れ役」なのではないかと思います。
代表を退いても,民主党の「裏方」として,政権交代を目指す努力は全力で続けてくれるものと期待したいと思います。

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2007年11月 4日 (日)

小沢氏は辞任のタイミングを計っていたのか?

小沢一郎氏が,民主党代表を辞任したいと表明した。
誰もがその意図を計りかねているようである。自分もよくはわからないが,小沢氏の辞任表明を聞いていてぼんやりと以下のように感じた。

福田首相から,連立を持ちかけられたという。小沢氏本人は否定しているが,一部には,実は小沢氏から持ちかけたとの話も出ている。
小沢氏は連立を是とする前提で党に持ち帰り,役員に完全に否定され,それが元で辞任するとのことである。

自分は,ここで前にも書いたが,連立には反対であった。
しかし,辞任表明会見での小沢氏の話を聞いていて,何となく連立を選択しようとした小沢氏の気持ちもわかる気がしてきた。

マスコミなどでは,近々衆院選を行うと民主党が有利との見方が多い。参院選での圧勝を受けての判断であろう。しかし,残念ながら世論はそこまで賢明ではないように思う。参院選での勝因には,やはり年金・社保庁問題や,大臣の数々の失態の占める割合が大きいだろう。
世論には,民主党に対する政権担当能力不足への懸念が大きいだろう。
このまま,民主党を利するようなわかりやすいスキャンダラスなことがないままに衆院選を迎えれば,老練な福田首相に率いられて無難に過ごす自民党にまた票が戻ってしまう可能性は大きい。
ここで民主党に勝たせれば政権交代,という場面で民主党を勝たせるほど,世論は思い切った動きはできないのではないだろうか。

連立を組んで,閣僚ポストをいくつか手に入れることで政権担当能力を示し,それから単独政権を取るべく衆院選に臨むことで,「民主党にやらせてみようか」という票を集められると小沢氏が読んだのであれば,それはひとつの選択肢としてあり得るのではないかと,今は思う。
「大連立は大政翼賛的」と考えるのも,世論では少数ではないだろうか。一般国民には,わかりやすい形で政権担当能力を示す方が効果が大きいだろう。

しかし,それだけであれば,それを役員に拒否されたからと言って辞任することはないであろう。

自分は,政権交代を掲げて小沢氏が民主党代表になったとき,そうは言いながら政権交代を達成したとしても小沢自身は首相になるつもりはないだろうと思っていた。道筋をつければ自身は身を引き,管氏あたりに首相をさせるつもりだろうと思っていた。

参院選に勝利し,政権交代の実現は大きく近づいてきたと言える。連立が政権交代への近道と判断はしたものの,他の幹部に否定されて実現不能となった以上,このまま一度連立になびいた小沢氏が代表を務めるよりは,あくまで単独で政権を奪取する姿勢を貫くことを国民に示すために交替した方が得策であり,予定より少し早いが今が身の引き時と判断したのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年11月 2日 (金)

「ゆとり教育は悪」なのか?(その5)

毎日新聞によると,

中央教育審議会教育課程部会が30日大筋で了承した次期学習指導要領の「中間まとめ」は、ゆとり教育の象徴的な存在である「総合的な学習の時間」(総合学習)の大幅削減を小中学校ともに認めた。

とのことである。

ここでは,これまでに以下の4つの記事を書いた。
「ゆとり教育は悪」なのか?
「ゆとり教育は悪」なのか?(その2)
「ゆとり教育は悪」なのか?(その3)
「ゆとり教育は悪」なのか?(その4)

「ゆとり教育」が,目指す効果を得られないのは,実践する立場の教師の指導や育成が不十分であるからだと思う。

先日,何かのテレビ番組で,算数に関して応用力を付けさせる教え方の講習を受けた教師が,自分の授業で実践する様子を流していたが,その教師は,素人の自分から見ても極めて不適切な教え方をしていた。40代後半くらいのベテランらしい教師である。

自分は,各科目の授業で基礎知識を教え,「総合学習」の時間に理解を深めたり応用練習をするのは適切な教育だと考える。
自分のような素人でも,「円周率はおよそ3」をテーマに総合学習をやれと言われれば,2時間や3時間は授業を行う題材は準備できると思う。理科や地理,さらには実生活と組み合わせて様々な応用事例が考えられるし,円周率がおよそ3であることを体感するような事も考えられる。

しかし,さまざまなテーマに関してそのような授業を実践するには,教師に非常に高い創造力が要求されるだろう。
そのような創造力を持つ教師の育成や,そもそも「総合学習」の指導には創造力が必要であることをまず教師に理解させることなどが,「ゆとり教育」の前提条件となるだろう。

文科省も教師を適切に指導するシステムを作ることが必要だと思うが,教師自身や親たちも,教育に真摯に取り組む心がけが必要であろう。

そのような環境を作り出せていない以上,一旦後退するのはやむを得ないと考えるが,単に昔に戻ってしまうのではなく,あくまで「ゆとり教育」の本来の理念を貫くための,教師の育成などをしっかりと続けていくべきであり,また,そのための教育現場の環境作りを行うべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年10月31日 (水)

福田・小沢密室会談,小沢氏はどこへ向かおうとしているのか?

福田首相が小沢民主党代表に会談を持ちかけ,小沢氏が承諾して2人だけで会談が行われた。

小沢氏の意図はいったい何なのであろうか。
「議論はオープンな場で」というこれまでの主張と明らかに矛盾する。

数十分程度の内容を本当に秘密裏に話したければ,電話で話せばよい。
それを,「存在を公開した密室」で行うには,それなりの意図があるはずである。

何でもかんでも突っぱねるような姿勢を国民に見せるのは得策ではないと判断したのか。
民主党との協調を見せたい福田首相から大きな交換条件を出されたのか。
さまざまな事項に関してキャスティングボートを握ったような状況に驕ったのか。

全く不明である。今後を見守りたい。

いずれにしても,政権交代を実現させるには,小沢氏は決然とした態度を保ち続けるべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年10月23日 (火)

[番外]地方だからと権力の横暴を許してはいけない。

瀬戸内海放送(KSB)という,香川県の地方局の報道ですが,これはどう見てもおかしな裁判でしょう。
高知白バイ衝突死 警察が証拠を「ねつ造」?
これだけ,学校関係者や地域住民に疑われていながら,地方のことだから大きな問題にはならないと警察庁などは考えているのでしょう。裁判所も,どう考えてもグルです。

地方を見下した権力の振る舞いに,強い怒りを感じます。

支援者による情報ブログ 「冤罪事件進行中」
被告男性本人のブログ 「雑草魂」

なお,私がこのことを知ったのは,きっこさんの「きっこのブログ」です。

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2007年10月22日 (月)

日本政府がミャンマー軍政に弱腰なのは外務省が軍政に手なずけられているからか?

昨日の「サンデープロジェクト」に,1995~1997の在ミャンマー大使を務めた山口洋一という人物が出演していた。

曰く,「デモはアメリカが扇動したものである」,「日本や欧米のメディアはミャンマー政府の言い分を報じない」,「デモにはそこらへんで僧衣を買った『にわか坊主』がたくさん参加している」,「スー・チー女史は国民から支持されていない」,「スー・チー女史は政策案などを持っていない」,「ミャンマーは順調に経済成長していて国民が貧しいということはない」など,軍政べったりの発言を次々と繰り出した。

これらすべてに反論できるような材料を自分は持っていない。

しかし,少なくとも軟禁状態に置かれているスー・チー女史に対して,積極的な政治活動をしないことを非難するような言い方や,ミャンマー国民が貧しくないなどという言い分は明らかに異常である。ついでに言えば,公の場で「坊主」などと口にすること自体,知性のある人物とは思えない。
また,実際にミャンマーに行った経験のある複数の知人等の情報によっても,国民は間違いなく貧しい。
農作物が比較的豊かなところであるから,確かに飢餓に喘ぐというようなことはないが,生活水準は,豊富な天然資源が国にもたらしているであろう利益がまともに分配されているとはとても思えないものである。
そもそも,元ミャンマー大使でありながら軍政を「政府」と呼ぶこと自体がおかしい。

軍政の強い圧力下にある国民が,あのようなデモを起こすには,もしかしたら何らかの外国勢力による扇動があったのかも知れない。しかし,国民の中に不満が蓄積していなければ,いくら扇動してもあのような規模のデモにはなり得ないであろう。

山口氏は,NPOアジア母子福祉協会の理事長として,ミャンマーへの無償資金協力に力を注いでいる。

元大使の経歴や現在の活動から考えて,山口氏の軍政擁護発言は,氏が軍政と持ちつ持たれつで利益を得ており,それを守るためと見るのが普通ではないだろうか。
また,元大使がこれなのだから,ミャンマーに関わる外務省関係者等も同様に軍政に手なずけられて,様々な利益を与えられて,現在の体制の維持に協力的なのではないだろうか。

確かに,軍による圧政下では,治安が維持されて民は貧しくともそれなりに安定した生活が保たれるという面があるかも知れない。民主化の過程では,様々な混乱もあるであろう。
しかし,それはミャンマー国民が選択することであり,1990年の選挙において,国民は軍政を否定する意志を表明したのである。

山口氏の言動に外務省や政府の姿勢が表れているのであれば,関係者の私益や省益を優先する考え方は捨てて,友好国たるミャンマーの真の国益を考えた行動をするべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年10月10日 (水)

小沢一郎氏の憲法解釈は間違っているのではないか?

月刊誌「世界」が,民主党代表小沢一郎氏の「今こそ国際安全保障の原則確立を――川端清隆氏への手紙」と題した一文を掲載した。
自分はこの文章を読んでいないが,「伊藤真のけんぽう手習い塾」というサイトから孫引きさせて頂けば,

「個々の国家が行使する自衛権と、国際社会全体で平和、治安を守るための国連の活動とは、全く異質のものであり、次元が異なるのです。国連の平和活動は国家の主権である自衛権を越えたものです。したがって、国連の平和活動は、たとえそれが武力の行使を含むものであっても、日本国憲法に牴触しない、というのが私の憲法解釈です。」

と小沢氏は述べているとのことである。

これは,「アメリカでならマリファナを吸って良い」というのと似た理屈ではないだろうか。

まず,自分の感情的な感想を言わせて貰えば,例え国連の平和活動に参加しての武力行使であっても,それは世界のどこかに日本に敵意を抱く勢力を生む行為であり,国連が絶対的な正義でない以上,そのような勢力によって日本国民が危険に晒されることは避けるべきだと思う。

そして,自分は法律の専門家ではないが,単純に考えて小沢氏の論理は間違っているのではないかと思う。
憲法第9条第2項には,

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

とある。
「戦力を保持しない」のであって,無理はあっても自衛隊の装備はあくまで隊員自身および他の国民を守るためにだけ使用されるもの,つまり警察官の拳銃の延長のようなものという解釈によって,ぎりぎりで存在しているものだと考える。
つまり,元より国外で使用できるような戦力,武力はわが国には存在しないということだと理解する。

一国民が自らの意志で,国連や他国から供給される武器を持って平和活動に参加するのは,フランスの外人部隊に参加するようなものであって本人の勝手である。
しかし,自衛隊員が政府の命令によって自衛隊の装備を携えて,武力行使の可能性を許容した上で平和活動に参加するのは,自衛隊の装備を「戦力」に変えるものであって,憲法に明らかに違反する行為ではないかと思うのだが,どうだろうか。

なお,自分は政権交代を期待しているので,小沢氏には徹底した憲法遵守の姿勢を貫いて貰いたいと思う。

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2007年10月 9日 (火)

[番外]ミャンマー軍政による長井健司氏殺害は明らかに殺人行為です。

先刻,「報道ステーション」で,ミャンマーで殺害された長井健司氏が,銃撃された後に数時間にわたって放置されていたことを報じていました。
最終的に長井氏が収容された病院は,銃撃現場からわずか700mの距離だそうです。

軍政は銃撃を「偶発的な事故」としているそうですが,それならば銃撃後すぐに長井氏の手当てに当たるはずでしょう。
ビデオを見る限り,治安部隊側に危険が迫っているとは思えません。応急処置をしたり,病院へ搬送する余裕がなかったようには見えません。

当初,軍政は長井さんを撃った銃弾は心臓を貫通しており即死との情報を発していました。それは,銃撃後救助活動をしなかったことを正当化するための嘘でしょう。
肝臓を銃弾が貫通することがどの程度重大なことなのか私はわかりませんが,映像を見る限り,撃たれた後もかなりの時間,長井氏が絶命していないことを現場の兵士は認識していたはずです。

多数の民衆の中で,まっすぐ長井氏に走り寄って,警告もためらいもなく背後から銃撃していること,その後,まったく救助活動をする意志が見られないこと,ビデオカメラなどの不利な所持品を回収していることなどから,デモ現場を取材する長井氏を意図的に狙って殺害したことは明らかではないでしょうか。

警察や政府は,徹底的に厳しい態度でこの事件に臨んでもらいたいと思います。

それが,わが国と縁の深い友人であるミャンマーという国に,民主的な社会をもたらすことにつながるでしょう。
長井氏の死を無駄にしないためにも,私はそれを強く願っています。

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2007年10月 4日 (木)

ミャンマーで長井氏を殺害した犯人を徹底して捜査するべきではないか?

ミャンマーでデモを取材中に殺害された長井健司氏の遺体が日本に到着した。

司法解剖などが行われ,警視庁は国外犯規定を適用して殺人容疑で捜査するとのことである。

長井氏が銃撃された瞬間を捉えた動画が出回っているが,それを繰り返して見る限り,長井氏を銃撃した兵士は,比較的遠い位置から長井氏を目指して駆け寄って,ためらうことなく背中から至近距離で射撃している。
また,その前に長井氏の目前で兵士が僧侶を引き倒してそれを長井氏が撮影しているようにも見える。

これだけでは詳細は推測できないが,少なくとも「はずみで」撃ってしまったようには見えず,射撃の数秒以上前から兵士には明確に撃つ意志があったように見える。
兵士の一存なのか,現場指揮官の命令なのか,またはもっと高いレベルからの命令なのか不明であるが,殺害を意図した射撃であった可能性は極めて高いと言える。

日本国民の安全を守る警察としては,この犯罪性の高いと思われる事件を,外交的な思惑とは一線を画して徹底的に捜査するべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

なお,今のところ警視庁は厳しい捜査を行う姿勢のようであるので,大いに期待したい。

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2007年10月 3日 (水)

円天...巧妙な犯罪には重い罰を科すべきではないか?

「円天」商法という,ちょっと考えればおかしいとすぐわかりそうな手口で荒稼ぎしていたL&Gという会社が,出資法違反の疑いで強制捜査を受けた。

同社の会長は,いろいろとこの手の方面に才能があるようである

他人に比べて何らかの優れた能力がなければ,やろうと思ってもこれだけのことはできないであろう。

自分は,他人より優れた能力を持ち合わせた者は,それを社会に貢献するために使わなければならないと考えている。
逆に,自らの利益のためにそのような能力を使う者には強い憤りを感じる。

このような巧妙な犯罪に対しては,拙い犯罪よりも厳しい罰を科すべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年10月 1日 (月)

2005年の選挙で郵政民営化賛成票を入れた人は今でも賛成できるのか?

いよいよ郵政事業が民営化された。

持ち株会社である「日本郵政株式会社」のWebサイトの中の,「郵政民営化Q&A」というページに,以下のような記載がある。

Question 1. 民営化の目的は?
Answer. 経営の自主性、創造性、効率性を高めるために民営化しました。
民営化によって新たな商品・サービスが提供可能になり、利用者の利便性が向上しました。また、郵便局に預けられた資金などもより自由な運用が可能になるため、経済の活性化にも貢献できます。

「経済の活性化」よりも「利用者の利便性」を先に挙げている。
これは「まやかし」以外の何物でもないであろう。

「経済の活性化」(の名を借りた米国貢献?)は第一の目的であったはずである。「利便性」は低下が予想されることが反対派の理由だったはずである。

郵便局の統廃合はすすみ,各種手数料は値上げされ,外出しにくい高齢者などのために配達員が行っていたサービスはできなくなり,Webサイトも分割されて必要な情報のありかがわかりにくくなり,通常貯金の政府保証はなくなり,郵貯マル優もなくなり,,,と,今のところ利便性は上がったとは思えない。

国民に対する「民営化の理由」の説明は,正直に「経済の活性化」を第一に挙げるべきであろう。

しかし,「経済の活性化」は,果たして米国だけの利益でなく日本国民の利益をもたらすのか,全く不明である。

かつて,2005年の郵政解散後の選挙の際に与党に投票した人たちで,自らが郵政民営化を支持した理由を明確に説明できる人は少ないのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年9月29日 (土)

日本はミャンマー国民のために経済制裁措置を取るべきではないか?

ミャンマーで続いている大規模なデモを取材していたジャーナリストの長井健司氏が,軍の兵士に至近距離から銃撃され死亡した
誠に遺憾な出来事であり,氏のご冥福をお祈りしたい。

この事件を受けて,米国や欧州が経済制裁強化の方向にある中,わが国の政府は制裁に慎重な姿勢である。

しかし,在日ミャンマー人からも制裁を求める声が上がっているそうである。

自分は,昨年の2月にミャンマーに関する記事を書いたように,ミャンマーにはやや強い興味を持っている。

ミャンマーは,1988年に軍が政権を掌握して以来,。1990年に総選挙でアウン・サン・スー・チー女史率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝しても政権を委譲せず,正常な政府が成立しないまま軍が政権を握って今日に至っている。アウン・サン・スー・チー女史は2003年に軍に拘束されて自宅軟禁状態のままである。

そのような状態のミャンマー軍事政権に対して,民主化を求めて各国が経済援助を凍結したり経済制裁を行ったりする中,わが国は多額の援助や輸入を行っている。

外務省の政府開発援助(ODA)国別データブック 2006ミャンマーの項によると,2005年度のODA実績は,「無償資金協力」が約17億円,技術協力が約16億円である。また,輸出入の対日収支は約120億円の黒字である。
また,2003年にアウン・サン・スー・チー女史が拘束されてからは,新規の経済協力案件については基本的に見合わせるとされているが,「緊急性が高く,真に人道的な案件」などについては実施されており,2003年以前より実施している案件は継続されている。

ミャンマーは,アジアの近隣国の中でもわが国とは縁の深い国であり,外務省に言わせれば「だから今の状況でも援助を続けている」ということだが,本当に援助等がミャンマー国民のためになっているのだろうか。
それを言い訳にして,外務省が予算を獲得したり,一部の企業が利益を得ることが真の目的になってはいないだろうか。

ミャンマーには正式な政府が存在せず,軍が暴力で政権を握っているにもかかわらず,近年はマスコミでも「ミャンマー政府」という言葉を使っているのをよく見かける。
また,近年では,軍事政権が外貨獲得のために力を入れている外国人旅行者受け入れ態勢の強化に乗って,旅行会社によるミャンマーへの観光ツアーも当たり前のように行われている。
「ミャンマーは軍が暴力で政権に居座っている非民主的で異常な国」という認識を持つ日本人は,少なくなっているのではないだろうか。
それは,ミャンマー軍政やわが国の外務省や一部企業の思う壺ではないだろうか。

ミャンマーでは軍の高官や軍と癒着した一部の企業に富が集中し,他の国民は極めて貧しい状態に置かれているようである。

日本政府は,ミャンマーを真の友人と考え,その国民の幸福を真に願うならば,わが国からミャンマーへ流れるカネや技術については確実に国民に届いているかを確実に確かめ,そうなっておらず軍政の利益になっている部分については積極的に削減する制裁措置を取るべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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お玉おばさんでもわかる 政治のお話 軍隊は国民を守らない
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2007年9月28日 (金)

日本人は消去法でしか政権を選べないのか?

福田康夫政権が発足した。
新聞各社の世論調査で,内閣の支持率は60%に近い数字となっている。
ある程度の情報操作・誘導の可能性を考慮しても,辞任前の安倍内閣よりかなり高いのは確実だろう。
政権交代を望む者から見れば福田氏は手強いとは思っていたが,予想以上のようである。

支持の理由は「安定感」が圧倒的に多い。

水はよどめばいずれ腐る。
長すぎた自民党支配により,澱(オリ)が溜まっており,もう流し去らなければいけないのではないだろうか。
終戦によりある程度リセットされた日本が,権力の固定化により,「得をする者」と「損をする者」も固定化し,社会の健全な発展が妨げられているのではないだろうか。

民主党が勢いを得る前,「損をする」立場でありながらそれを知ってか知らずか,極端な変化は求めずに消去法で自民党政権を選択していた多くの人たちが,福田氏の「安定感」に「やはり自民党」という感を持ったのだろう。

しかし,今,澱を流すための「真の改革」を行うチャンスではないだろうか。
小泉氏が言ったように,確かに改革には「痛み」を伴う面があるだろう。しかしその痛みを一部の人たちだけに押しつけるのではなく,社会全体で分かち合わなければならないのではないだろうか。

政権交代すれば自民党も痛む,民主党が政権を取ったとしたら,登り詰めれば転げ落ちるのはあっという間なのでそれを防ぐために痛む必要がある。国民も,政権担当能力が未知数の民主党に任せるのはリスクという痛みを受け止めなければならない。

多くの国民は,今与えられている痛みに慣れてしまって,違う種類の痛みに対して臆病になり,消去法で政権を選んでしまうのかも知れないが,実はもっと痛みを減らせる可能性があるのではないだろうか。

日本人は,消去法で政権を選択するのはやめて,積極的に,主体的に,一般国民の替わりに社会を運営する人たちを選ぶべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年9月25日 (火)

自民党総裁選で国民が得たものは何か?

自民党総裁選について何度も書いてきたが,これで最後にしたい。

総裁選は,福田氏の予想通りの勝利,麻生氏の予想以上の健闘という結果で終わった。

一方,国連の気候変動ハイレベル会合が国連本部で24日開幕した。
読売新聞によると,70人以上の首脳を含む世界約160か国の代表が出席し,日本からは森喜朗元首相が急きょ,特使として派遣されたとのことである。また,25日には国連総会も開会し,日本からは3年連続で首相が欠席するとのことである。

自民党総裁選は,当初19日投票で調整されたが,小泉チルドレンなど多くの反対に会って23日になった。
結果論とも言えるが,総裁選が19日から23日になったことで,何が変わったのだろうか。
特に,一般国民に何のメリットがあったのだろうか。

一番大きな違いは,麻生氏が次期総裁候補としての自らの存在感を大きく示せたことだろう。それにしたって,麻生氏の年齢や民主党の勢いを考えたら,後になって本当に意味があったと言えるかどうかわからない。
得をしたのは,「派閥談合」の批判に対して形式上の反論材料を作れた自民党と福田氏,それと麻生氏ぐらいであろう。

膨大な税金を費やして国会を空転させ,自民党総裁選を行い,全人類の存亡に関わる国際会合に先進国でありながら首相を送れず,国連総会にも送れず,日本の国際的地位を低下せしめ,国民にとってはデメリットしか残らなかった総裁選ではなかったかと思うのだが,どうだろうか。

なお,安倍首相の辞任表明のタイミングに関しては不可解との論調が多いが,本人が辞任表明で話した内容の内,タイミングに関する内容は唯一国連総会に関してである。遅すぎた辞任表明ではあるが,それでも安倍首相は温暖化の会合と国連総会には首相を送るべきと考えた上でのギリギリのタイミングだったと思われる。自民党はその意志をも無駄にしたと考える。

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2007年9月23日 (日)

『WE法』を『家庭だんらん法』と呼ぶことで国民を騙せるのか?

旧聞になってしまったが,時事通信の記事によると,

舛添要一厚生労働相は11日の閣議後記者会見で、一部事務職を割増賃金の支払い対象から外す「日本版ホワイトカラー・エグゼンプション制度(WE)」について、「名前を『家庭だんらん法』にしろと言ってある」と言い換えを指示したことを明らかにした。その上で、「残業代が出なければ、早く帰る動機付けになる」と評価、働き方の改革の一環として取り組む考えを示した。

とのことである。

ホワイトカラー・エグゼンプションは,表向きは働き方を働き手の自由に任せるということであって,単純に残業代が出ない,すなわち,これまで常態的に残業をしていた人の収入が減るということではなかったはずである。これが,「残業代ゼロ法」と呼ぶことへの反論だったはずである。
しかし,桝添大臣の言っていることは,「働いても報酬がもらえないのなら早く帰ろうということになる」ということである。
つまり,「この法の下では残業をしても報酬は出ませんよ」と言っているわけであり,まさに「残業代ゼロ法」であることを公然と認めたことになる。

このような「脇の甘い」姿勢で,単に呼び方を変えるだけで国民を騙そうとするとは,いかにも国民をバカにした話であり,いくら何でも国民はそんなことには騙されないのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年9月21日 (金)

光市・母子殺害事件犯人の死刑を望む資格があるのは誰か?

光市・母子殺害事件の裁判で,被害者本村弥生さんの夫である洋さんの意見陳述が行われた。
改めて死刑を望むものであり,被害者の感情としては理解できるものである。

世論も遺族に同情的のようである。
しかし,第三者がこの犯人に対して軽々に死刑判決を望むことには疑問を感じる。

自分は今のところ,ゆるやかな死刑反対論者である。
すぐにとは言わないが,徐々に死刑は廃止に向かうべきだと思っている。
いろいろ理由はあるが,ひとつは,「死刑を執行する職務」を必要とすることである。そのような職務に自分は絶対に就きたくない。誰もが誇りや充実感を持って仕事をできるような社会であるべきだと思うので,死刑執行など誰もやらなくて良いような社会であって欲しいと思う。

死刑に賛成する人は,それを執行する人が必要であることを考慮するべきだと思う。

自身と無関係の事件の犯人に死刑を望むなら,目の前にその犯人を連れてこられて,「おまえの手で殺せ」と言われて実行できるだけの覚悟を持つべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年9月18日 (火)

[番外]税金泥棒と言われても首相臨時代理を置かない自民党

民主党に,

「国民から税金泥棒と言われそうだ。首相臨時代理を置いてでも粛々と(審議を)進めるべきだ」

言われても,安倍首相(本当に本人の意志かどうかはわかりませんが)は,首相臨時代理は置かないとのことです。

昨日のNews23に,自民党議員と野党議員が4人ずつ出演して総裁選について議論していました。そのとき,民主党の原口一博氏が,「私は総裁選について議論したいのではない。多くの税金を使って国会を止めている。首相臨時代理をなぜ置かないのか。」と迫りましたが,司会者も自民党議員も無視しました。

この頃は,報道番組もエンタテイメント化が著しいですね。もっと社会的責任を自覚して欲しいものです。

どうせ結果は決まっているのだから,明日にでも首班指名選挙を行ってもらいたいものです。

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2007年9月17日 (月)

[番外]高松での自民党総裁選街頭演説

自民党総裁選に出馬している福田氏と麻生氏が大阪と高松で街頭演説を行いました。

これは,税金を使った選挙運動でしょう。「選挙」とは総裁選ではなく,遠からず行われるであろう総選挙です。
大阪や高松で行う演説など,総裁選の結果に何の影響もありません。福田氏勝利は確定しています。
地方イジメで痛い目にあった参院選を反省して,少しでも地方の機嫌を取るのが目的でしょう。自民党に対するイメージを少しでも良くして,次の選挙で票を集めようということでしょう。参院選で,これまで保守盤石だったのに安倍首相が乗り込んでも負けた高松に始めに行ったのも象徴的だと思います。

福田氏が総裁になるのは,自民党にとってかなりプラスだと私は思います。国民が,この総裁選のおかしさに気付かず「オープンな選挙で選ばれた」と評価して,さらに自民党の評価が上がったとしたら,これほど腹立たしいことはありません。

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2007年9月16日 (日)

[番外]しつこいですが自民党総裁選について

しつこいですが,どうにも腹の虫が治まらないので,もう一度書きます。

安倍首相は,

今後、このテロとの戦いを継続させる上において、私はどうすべきか、むしろこれは局面を転換しなければならない。新たな総理のもとで、テロとの戦いを継続をしていく、それを目指すべきではないだろうか。きたる国連総会にも、新しい総理が行くことが、むしろ局面を変えていくためにはいいのではないか。
そしてこのうえは、政治の空白を生まないように、なるべく早く次の総裁を決めてもらいたい、本日からその作業に入ってもらいたいと指示をいたしました。

と辞任会見で述べました。

「テロとの戦い」は対米追従のためで,真の国際貢献ではないとか,国民のことに触れていないなどと批判はあります。しかし,一応,公のことを辞任の理由に挙げています。しかも,なるべく早く次を決めろと言っています。

それに対し,麻生氏はどうか。
「自民党のため」しか出馬の理由を挙げていません。そのために国連総会にも首相を送れないのです。国民はこれを許してはいけないと思います。

マスコミや国民は,福田vs麻生についていろいろ論評しています。くだらなくて見ていられません。もう勝負は決しています。しかも,どうせ選挙管理内閣です。いかに次の選挙を自民党に有利に持って行くかしか,次の首相は考えません。彼らの政策が云々など,大して意味は持ちません。

今はとにかく,政治空白を最小限に留めることを優先するべきです。

もう時間はあまりありません。
私は,自民党民主党社民党,共産党(info@jcp.or.jp),公明党などに上のような意見を送りました。
あとはマスコミなどにも送ろうと考えています。
こんなことは何の力にもならないかも知れませんが,せずにはいられません。

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2007年9月15日 (土)

政治空白をつくる自民党総裁選を誰も疑問に思わないのか?

前回の記事でも書いたが,自民党のために政治空白をつくる総裁選やその日程はおかしいと思う。
しかし,そのような論調はほとんど見られない。
毎日新聞によると麻生氏は,

今日から政策について開かれた場で論争できる。たった一晩で(福田氏支持の流れが)派閥ででき上がりすべてが終わったとなると、全く古い自民党から変わらないと非難にさらされる。私が劣勢だからと降りたら(自民党は)終わる。

と語ったそうである。自分も,実際に本人がそう言うのをテレビで見た。

自民党が終わる?,だからどうなんだと自分は思う。

安倍首相は辞任表明会見で,

きたる国連総会にも、新しい総理が行くことが、むしろ局面を変えていくためにはいいのではないか。

と述べた。(毎日新聞より)

安倍首相の辞任表明は突然であり,そのタイミングにいろいろ批判は多いが,少なくとも上のコメントからは,国連総会に間に合わせようという意味が含まれていたことがわかる。

それにも関わらず,福田氏が勝利することが誰の目にも明らかである総裁選を,自民党への批判をかわすためだけに国連総会に間に合わない日程で行うことを,日本国民は許して良いのだろうか。
今すぐにでも,福田氏を新首相とする手続きを始め,組閣も済ませて少しでも多く準備の時間を取って国連総会や地球温暖化に関するミーティングに臨み,国会の開店休業も一日でも短くしたとして,国民はそれを,国連総会などを欠席しても,国会を長く休んでも,選挙の結果はわかっていても,「密室政治ではなく選挙をやるべきだった」などと本当に批判するのだろうか。
もう結果は出ているのである。「密室政治」だとしたら,選挙をやってもやらなくてもそれは同じである。

なぜ,国民はこの点を疑問に思わないのだろうか。マスコミはおもしろおかしく総裁選を報じるだけで満足して,この国の国際的な立場などどうでも良いのだろうか。

自分は微力ではあるが,自民党のWebサイトの意見募集のページから上の意見を送った。麻生氏にも意見を送る手段があるなら送ろうと思っている。

国民は,「政治なんて所詮そんなもの」と思っているのだろうか。本当にそれで良いと思っているのだろうか。もしそれがおかしいと思うなら,もっと声を上げて行かないと何も変わらないのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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次期総裁は福田氏が確実な以上自民党は総裁選日程を繰り上げるべきではないか?

福田康夫氏が自民党総裁選出馬を表明し,麻生氏も出馬するそうだが額賀氏は断念し,一騎打ちとなった。しかし,読売新聞によると,

福田氏への支持は、国会議員だけで選挙人の過半数を超える見通しで、福田氏の新総裁就任が事実上、固まった。

とのことである。
要するに,麻生氏は「民主的でオープンな選挙で総裁を決めた」というアリバイ作りのためだけの当て馬である。

麻生氏は,自民党の両院議員総会で自ら,「税金を使った国会会期中だから,自民党の都合で総裁選に多くの時間を費やすのは適当ではない」という旨の発言をした。
そのように考えるならば,今の情勢を見れば,自民党の都合のためだけの出馬は止めるべきではないだろうか。

投票日は23日である。当初,執行部は19日投票を提案したが,この毎日新聞の記事にあるような「小泉チルドレン」らの反対に遭い妥協した。
自身らが次の選挙で勝ち残るためだけに,どう考えてもあり得ない小泉氏再登場を望む「小泉チルドレン」等のせいで,投票日が遅らせられ税金を無駄に使うことになった。ちなみに彼らは,小泉氏が出馬を否定して迷走するという,どうしようもない状態である。もう見苦しく福田氏にすがる以外のことはできないだろう。

9月25日には国連総会が始まる。やはり毎日新聞によると,

与謝野馨官房長官は14日午前の記者会見で、ニューヨークで25日に始まる国連総会の一般討論演説について、「(23日に投開票される自民党)総裁選の日程をみると、今年は首相が出席することはかなわないと判断している」と述べ、新首相は欠席するとの見通しを明らかにした。24日に国連で開かれる地球温暖化防止に向けた首脳級ハイレベル会合も欠席する。

とのことである。

何をか言わんや,である。

安倍首相は,「国際公約を果たすために」また「国際貢献のために」,「局面を転換」しようとして辞任するのではなかったのか。
国連総会や温暖化防止のミーティングに首相を送れないような日程で総裁選を行うのは,国際的な責任を放棄することである。両院議員総会で山本一太氏が,「自民党の存亡のかかった総裁選だから選挙期間を長く取るべきだ」と声高に主張していたが,そんな理由で国際的な責任を放棄するなど,安倍首相の意志すら無にするものではないのか。

もう福田氏の勝利は確定である。何のために選挙を行うのか。そのために国連総会を欠席し,国会を中断するのである。それに相応しい理由があるはずはないだろう。完全に選挙のための選挙ではないだろうか。

自民党は,国連総会に次期首相を送り出すべく,選出と組閣が間に合うような日程に総裁選を繰り上げるべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成時または作成後にTBさせて頂いたブログ]
日本がアブナイ! 福田出馬で、麻生包囲網が完成か?・・・森派の逆襲、始まる!+女子バレーアジア女王に
お玉おばさんでもわかる 政治のお話 麻生・福田・額賀
みやっちBlog 改革を止めずして小泉改革の負の部分をケアできるのか

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2007年9月13日 (木)

[番外]ポスト安倍候補

単なる感想なので番外です。
福田さんですか,なるほど適任だと思いますね。
この状況で,あえて貧乏くじを引いてもらうには,裏方で終わるはずだった福田さんに一肌脱いでもらうのはいい案のように思います。
額賀さんはまあいいとして,谷垣さんは今出すのはもったいないでしょう。
麻生さんは成り行き上出ざるを得ないでしょうが,「できれば今やりたくないけど,年齢や民主党の勢いを考えたら,最後のチャンスかな」というところがホンネではないでしょうか。
それにしても,小泉さんの再登場を望む小泉チルドレンたちは,どこまでも間の抜けた人たちだと思います。あり得ないでしょう。「親の心子知らず」でしょうか。
参院選惨敗に一役買った自爆ビラを作ったのも片山さつきさんですし。まあこれは,「自民党をぶっ壊す」という親の意志には沿ったものかも知れませんが。
小池百合子さんも,まさに「KY」ですね。

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2007年9月12日 (水)

[番外]安倍首相辞任の怪

今のところでは何が何だかわからないので,特に書くことがないので番外としました。
病気だの脱税だのとの話もありますが,少なくとももう少し時間が経たないと,何もわかりません。

まあ,安倍さんも哀れな人ではあると思います。
立派な血統書が付いているのに,若くして小泉さんに引っ張り出された結果がこれですから,余程数奇な運命の星の下に生まれた人なのでしょう。

「自民党をぶっ壊す」と豪語して総理の座に就いた小泉氏の一念が,着々と形になっているということでしょうか。

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日本で懸命に働くフィリピン人がわが国に益をもたらすのは『一応確からしい』ことではないのか?

TBSのNews23の「マンデープラス」というコーナーで,昨日(9/10),「日本とフィリピン二つの国のはざまで…少女の思いは…」という企画が放映された。
その内容は,matsuiism さんのブログ heuristic ways の記事に詳しいが,概略は以下の通りである。

1990年に興行ビザでダンサーとして来日したフィリピン人女性(当時19歳)が,半年働いて1万円しか貰えず,そのままビザが切れた後も滞在し,フィリピン人男性との間に2人の女の子が生まれた。
父親は3年前に不法滞在で強制退去となり,母子3人は日本滞在を希望して裁判に訴えてきた。しかし,最高裁でも認められず,今年退去させられた。今の法律では,今後5年間は再入国できないそうである。
テレビで見る限りではあるが,母親は子供のために懸命に働き,14歳と8歳の娘も,利発そうでよい子供に育っているように見える。
娘たちは日本の生活しか知らず,下の子は保育士になるのが夢で,上の子は早大人びて,「日本に帰りたいとは思うし,勉強も頑張りたいけど,5年後には世界がいろいろ変わってるだろう。日本語は喋れるし,英語もタガログ語もペラペラだったらすごいな」と将来を語る。

自分は,基本的に「悪法も法なり」の立場である。不法なものは不法であり,ひとつ許したらきりがないと思う。

しかし,である。
年金問題で,保険料の納付記録がなくても,本人の説明が「明らかに不合理ではなく,一応確からしいこと」であれば,給付を認めることとなっている。
こんないい加減な取り扱いこそが,「明らかに不合理」であると,自分は思う。
しかし,現実にはそのようなことがまかり通っている。

そこまで柔軟な姿勢が政府にあるのであれば,件のフィリピン人家族についても,もっと柔軟な取り扱いができるのではないだろうか。
母親はすでに真面目に働いているし,その子供達も,将来,優秀な社会人になることは有望である。この人たちが日本に住むことを許し,日本の社会人として働いて納税してもらうことは,十分に日本の国益に適うであろうという判断は,「明らかに不合理ではなく,一応確からしいこと」以上ではないだろうか。

先にも書いたとおり,自分は「悪法も法なり」という立場,つまり,社会システムはシンプルで一貫したものであるべきだと思ってきた。
しかし,社会が成熟すれば,ある程度臨機応変に対応する複雑なシステムでも良いのではないかとも思い始めた。

件のフィリピン人家族は,結局,フィリピン人女性を低賃金で働かせる風俗業界,そこに喜んでカネをつぎ込む日本人男性,その状態を放置してきた日本の行政,これら日本社会の被害者でもある。年金の保険料を払ったのに記録が消えてしまった人たちと,共通するものがあるのではないだろうか。

年金問題で,あのような柔軟な対応を取れるのであれば,不法滞在外国人に関しても,ケース毎に柔軟に対応することができるのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年9月10日 (月)

日本国内閣総理大臣は誰の代表なのか?

安倍首相が,テロ特措法に基づくインド洋での海自による給油活動の継続に「職を賭して」取り組むと発言した。
その理由は,「国際公約だから」とのことである。「国際」と言っても実質的に対アメリカである。
また,国会の所信表明演説で,
ここまで厳しい民意が示されたのだから、退陣すべきとの意見もあることは十分承知している,
とも述べた。

つまり,
「退陣すべき」との民意に逆らって「米国と約束」をして,それが実現できなければ責任を取って辞める覚悟である,
ということである。

これは,安倍首相が「自分は米国追従により利益を得る一部の国民だけの代表であり,対米外交で強みとなるカードを使いこなして一般庶民が幸福になれるような外交をする意志または能力がない」と公言しているのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年9月 9日 (日)

北朝鮮水害への緊急支援見送りは国として“美しい”行為か?

毎日新聞によると,

政府は7日、集中豪雨で被害を受けた北朝鮮に対し国連が国際社会に求めていた緊急支援(総額約16億円)を実施しない方針を固めた。5、6日にモンゴルのウランバートルで開かれた日朝国交正常化作業部会で拉致問題に進展が見られなかったことから、性急な支援は国民の理解を得られないと判断した。

とのことである。

北朝鮮では,8月の豪雨で数百人が死亡または行方不明となり,数万戸の住宅が損壊し,農地も多くが被害を受けているとのことであり,国連が1400万ドルの支援拠出を国際社会に要請している。

北朝鮮とわが国の現在の関係は周知の通りであり,支援が適切に被害者に届くかどうかも怪しいとも言える。
しかし,それでも,本当に国民は「北朝鮮の水害被害者を放っておけ」と言うのだろうか。確かに一部の国民はそういうであろうが,北朝鮮の被害の現状を十分に伝えれば,日本人の国民性として,「それでも放っておけ」という人は少ないのではないだろうか。拉致に関して,一般の貧しい国民に罪は無いはずである。

安倍首相が何としてもやりたいことについては国民の声など聞かないのに,それ以外のことはできるだけ国民,中でも些細な要因でどちらにも転ぶ浮動票層に迎合して少しでも反発を和らげようとしているだけでなないだろうか。

拉致問題に真摯に対応しない金正日を信奉する国民など,水害で病死しようが飢え死にしようが構わない,というような考え方をするような国は,「美しい」とは全く言えないのではないかとおもうのだが,どうだろうか。

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[番外]わが国と石油確保と米国に関する田岡俊次氏の弁

9/8放送の,CSチャンネル朝日ニュースターの「愛川欽也パックインジャーナル」で,軍事評論家の田岡俊次氏が,以下のようなことを述べておられました。

米国に逆らうと,中東からの石油の輸入に支障が出るというが,そんなことはない。
中東は石油を売りたいのであって,米国が経済制裁などで邪魔をしている。
イラン・イラク戦争では,米国は石油資源確保のためにサダムフセイン率いるイラクを支持しろと他国に言い,湾岸戦争では同じ理由で,今度はフセインを攻撃しろと言う。
米国は,他国の支持を得るために石油のことを言っているだけで,事実ではない。

他にも,

インド洋上の艦隊はタリバン勢力などの逃亡を監視するものであり,タリバンが勢力を増している現状では意味がない。

とか,

日本がアフガニスタンから撤退しても,米国政府がそれに反発すると,アフガンでの活動に否定的な意見が多くなって来ている米国議会から,「ほら国際社会で孤立しているではないか」と言われるので,「ご苦労様でした」と送り出すしかない。

などと述べておられました。

私は現在,これらについてどうこう言うことはできませんので紹介に留めますが,田岡氏の論には説得力を感じました。

いずれにしても,この番組は面白いです。CS放送では他にも,政府に気を使う地上波とはひと味違った番組が多いのでおすすめです。

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2007年9月 6日 (木)

米国に向かうミサイルを偶然捉えて撃墜できるのか?

安倍首相が,集団的自衛権の行使を許容するべき理由として,「米国に向かうかも知れないミサイルを自衛隊が捕捉したときに見過ごしてもよいのか」という例をよく挙げる。

4隻しかないイージス艦と,首都圏防衛のみを目的とする地上配備ミサイルだけのMDシステムで,日本の防衛のみを目的とした活動中に偶然に捉えた「米国に向かうかも知れないミサイル」を撃墜できる可能性がどれほどあるのだろうか。
そのようなことが実現する可能性があるのは,ミサイル発射の兆候を米軍が捉えて,予めイージス艦がミサイルのコースを予測して準備していた場合くらいではないだろうか。

つまり,自衛隊が米国に向かうミサイルを撃墜するのは,集団的自衛権の行使ではなく,完全に米軍と共同行動を取る場合ではないだろうか。

北朝鮮のテポドン発射を機に導入が推進されたMDシステムだが,北朝鮮が日本にミサイルを撃ち込む可能性が本当にあるのだろうか。
それよりも,米国の,将来的に北朝鮮に対して武力行使する場合を想定した,米国本土に届くようなミサイルに対する対策を少しでも強化しておきたいという思惑が,MDシステム導入の理由ではないだろうか。
そうだとしたら,MDシステムを集団的自衛権の名の下に米国へのミサイル撃墜に使えるようにすることは,単に米国の軍事費を1兆円肩代わりすることになってしまう。

集団的自衛権の行使を容認することは,「仲間が危険なときに助ける」というような美しい精神論の実践や,全世界に対する国際貢献などではなく,日本の税金をつぎ込んで自衛隊を米軍の手先とし,日本国民を危険に晒すだけではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年9月 5日 (水)

[番外]私が医者不信になった訳

先日,
診療を拒むという医師法違反行為に罰則を設けるべきではないか?
という記事を書いたところ,医師に対する偏見があるのではないかとの指摘を受けました。
確かに,ある程度偏見があるかも知れません。私は,医師や医療業界に対して多少不信感を持っています。
最初に私が不信感を持つようになったいきさつは以下の通りです。

高校生の時,ある関節に長期間にわたって痛みがあり,整形外科に掛かりましたが,「レントゲンで異常なし」とのことで湿布を処方されただけでした。
私はスポーツをやっており,いろいろな痛みを経験していましたが,通常の痛みではないと思い,大きな書店で医学書をいろいろ見てみたところ,ほぼそれと確信できる傷病を見つけました。
その後,3,4件の病院を回りましたが,診断は最初の病院と同じものでした。
しかし,最後に掛かった病院の医師が,特殊なレントゲンの撮り方をして骨の異常を見つけて,私がそれと思っていた傷病名を告げてくれました。症状の説明はどの病院でも同じように伝えたつもりです。
スポーツに起因する,やや特殊な傷病ではあったようです。私がそれを見つけた医学書も,スポーツによる怪我の専門書でした。

上のことから,医師の中にも,新しいことを積極的に学んだり,症状を訴える患者に対して全力で診断しようとすることをしない医師が結構いるのだと思いました。
その時点で医師に対する不信感を持ち始めましたが,その後も他に不信感を強める多くの出来事がありました。もちろん,数は少ないですが,信頼できる医師もいました。

私も技術・科学に携わる身でありますから,医療も科学であるので当然限界があることはわかりますし,またすべての医師がDr.コトーのような天才医師でないこともわかっています。だからこそ,「医は仁術」であり,目の前の医師が全力で診断・治療に当たっていることが患者に伝わることが必要なのだと思いますが,そのような医師はかなり少ないと思います。

これを私は偏見ではないと思っていますが,偏見は自覚できるものではないですから,私には真相はわかりません。

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2007年9月 4日 (火)

「ゆとり教育は悪」なのか?(その4)

産経新聞によると,

文部科学省は31日、中学校の学習指導要領の改定について、(1)現在の1週間の授業時数を1時間増やし29時間にする(2)自由に授業科目を設定できる「選択教科」と教科横断的な「総合的な学習の時間」(総合学習)を削減(3)国語や数学などの主要教科の授業時数を1割増やす-とする素案をまとめた。これによって小学校と同様、批判の多かった「ゆとり教育」が転換されることとなる。

とのことである。

ここでは,これまでに以下の3つの記事を書いた。
「ゆとり教育は悪」なのか?
「ゆとり教育は悪」なのか?(その2)
「ゆとり教育は悪」なのか?(その3)

今回の文科省の方針にも疑問を感じる。
こんな小手先の制度変更に時間とカネを費やすよりも,もっと教員の質や教育環境の改善に努めるべきではないだろうか。

教員の質といっても,愛国心を教えたり国家を歌うことなど二の次であり,まずは生徒にきちんと授業を理解させる能力が重要である。

大学の教育学部では,自分の知る限り,小難しい教育理論は教えても,授業のテクニックはほとんど教えられていない。学生は,教育実習で初めて学ぶのではないだろうか。まして,他の学部で教職課程を履修して免状を取る者はほとんど教育者としての教育を受けないであろう。
教員養成課程を持つ大学もあるが,たいした数ではないし,どのような教育をしているのか自分は知らない。
にもかかわらず,小学校や中学校では,大学を出たばかりの新人がベテランの教員と同じような仕事をさせられる。こんな業種は珍しいだろう。

小学校や中学校で,国語や算数を教えるプロを育てる教育をする大学をもっと増やし,新人はベテランについて助手として少なくとも2,3年は実践を学べるように教員の数を増やすとともに事務員も十分に雇って教員の雑用を減らすなど,カネも十分に使って教育の質を高めるようにしなければ,制度をいくらいじっても効果は薄いのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年9月 2日 (日)

診療を拒むという医師法違反行為に罰則を設けるべきではないか?

大阪で,出血した妊婦を搬送する救急車が,9病院に受け入れを断られ,結局妊婦は流産したというニュースがあった。

医師法第19条には,
診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。
と定められている。
しかし,これに対する罰則が定められていない。
すなわち,この条項は有名無実である。

罰則があれば,今回の事件のような場合,本当に「正当な事由」があったかどうかを警察が捜査して違反があれば罰を与えることができる。現状では,それはできない仕組みである。

繰り返される今回のような事件を防ぐためには,医師法第19条違反に対する罰則を定める必要があるのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年8月30日 (木)

新安倍内閣で地方活性化は行えるのか?

今日の読売新聞の特集記事で,安倍首相が増田寛也氏への総務相就任要請の経緯が記されていた。
電話で入閣を打診した際に,
「選挙の結果,地方の問題が大事だとわかったので,あなたの経験を生かしてもらえないか」と熱っぽく口説いていた。
とのことである。

これが事実かどうかはわからないが,事実であれば,選挙で負けるまで地方に溜まった不満に気付いていなかったのであろうか。
また,「地方の問題が大事」とは,よりよい国にするために大事なのだろうか,それとも選挙で票を集めるために大事なのであろうか。これまでさんざん都市と地方の格差を拡げておきながら,今さらこんなことを言うのは,票集めのためのように聞こえる。

いずれにしても,これまで,それなりの確たる方針に則って「地方いじめ」をしてきたはずである。選挙に負けたからと,急に対策を講じようとしても付け焼き刃で実効性の乏しいものとなるのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年8月22日 (水)

栽培員制度は必要なのか?

裁判員制度の導入準備が進められている。
「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」という法律が平成16年(2004年)に公布され,5年以内,すなわち平成21年(2009年)までに施行されることとなっている。

自分は,どういう経緯で裁判員制度が導入されることになったのか,よく知らない。

1995年の地下鉄サリン事件や,1997年の神戸連続児童殺傷事件(いわゆる酒鬼薔薇事件)のころからだろうか,犯罪の被害者に同情が集まり,併せて犯人に対する非難が高まり,それに伴って判決の確定が遅かったり,量刑が軽いという批判の声がよく聞かれるようになったように思う。
その後,1998年の和歌山毒物カレー事件では,ほぼ物証がないままに死刑判決が出されたり,2001年に起きた,大阪池田小事件では,犯人の死刑が確定した後,1年足らずという異例の早さで執行されるなど,厳罰傾向が高まる一方,世論の司法に対する批判が強くなっているように感ずる。

裁判員制度は,このような世論に対して,一般人を裁判に参加させることで判決に対する世論の批判をかわそうとするために導入されることになったのだろうか。

法務省の説明では,
裁判員制度の導入により,法律の専門家ではない国民の皆さんが裁判に参加し,国民の皆さんの感覚が裁判の内容に反映されるようになります。そして,それによって,国民の皆さんの司法に対する理解と支持が深まることが期待されているのです。
とされている。

しかし,自民党のWebサイト上の情報でも,「国民の参加意欲は必ずしも高くない」としており,世論調査などでも制度に対する疑問や参加に消極的な国民が多いようである。

自分も裁判員制度には反対である。
裁判員制度に限らず,現在のような複雑化した社会では,さまざまなプロフェッショナルがそれぞれの役割を果たす,分業化を進める必要があると思っている。
また,強制的に国のために働かせるのは憲法違反ではないだろうか。

なぜ,世論が積極的に賛同する状態とは全く言えないのに,3年前に法律で決めたからと無理に進める必要があるのだろうか。

裁判員制度については,今一度,世論に是非を問うて,中止も視野に入れて見直す必要があるのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年8月20日 (月)

民主党の政策を「バラ撒き」というが国民はもう待てないのではないか?

民主党が参院選で掲げたマニフェストの「3つの約束」の2つは,

安心して子育てできる社会。1人月額2万6000円の「子ども手当」を支給します。
農業の元気で、地域を再生。農業の「戸別所得補償制度」を創設します。

である。
これを「バラ撒き」と批判する論調がある。
確かに,言葉の選びようによっては「バラ撒き」と言えるかも知れない。しかし,これまでの政策は,利権を持つ一部の者たちにだけ税金を撒くものであり,それよりは遥かに良い政策ではないだろうか。

教育と農業,これらの状況の改善は「待ったなし」のところまで来ている。
農業は,団塊の世代を上限とする,第二,三次産業の働き手の親の世代が,どんどん働ける年齢を過ぎて行くので,後継者を確保しなければならない。
教育は,安倍首相がいくら理念を声高に叫んでも,生活が苦しければ聞くヒマはないし,もともと聞く気のない親も多い。人材は,何よりも大切にしなければならない国の宝である。人材の育成は常に「待ったなし」である。

自分は大都市に生まれ育ち,仕事の都合による地方での生活も長い。ある程度,両方の状況を知っているつもりである。
現在の地域格差は極めて大きい。
比較的大きな地方都市でも駅前の商店街はいわゆる「シャッター通り」のところが多いし,農家は低収入で後継者のあてもなく,惰性で続けているような人も多い。
東京都民などは,地方住民は生活コストが低いと思っているようだが,実感としては感じない。
公共交通がないからマイカーは必須で一家に複数必要な場合も多い。このコストは膨大である。最近は自動車保険の保険料も地域差があって,地方は比較的高い。運転できない高齢者はタクシーを使わざるを得ない。
市場が小さいから,家電品など高額な生活用品が割高である。
サービス業なども質が低いので,相対的に割高に感じる。
今はインターネットが発達して,モノやサービスの購入に関しては比較的改善されているが,使いこなすのはまだまだごく一部の人たちである。しかも,それで儲かるのは結局のところ大都市が主であって,地元の経済の足しにはならない。

前回の参院選では,従来保守的であった地方で与党候補が次々と負けた。四国全県で民主党候補が勝ったことなど象徴的ではないだろうか。

国民,特に地方の農家や低迷する経済にあえぐ人たち,また,地方に限らず全国の子育てをする人たちは,とにかくもう待てない状況であり,「改革の痛み」と言われても全く先が見えず,即効性のある政策を求めているのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年8月19日 (日)

インド洋に派遣されている自衛隊艦船の燃料調達先はどこか?

読売新聞によれば,

テロ対策特別措置法に基づいて2001年12月から海上自衛隊がインド洋で米英軍などの艦船に行っている給油、給水の費用が今年7月6日までで計約216億6043万円に上った

とのことである。
この財源は当然税金であるが,自分が気になるのは,給油するための燃料をどうやって調達しているかである。

防衛省の情報を見ると,一回の派遣は約4~6ヶ月に及んでいる。補給艦の積載可能量や米国の艦船の燃料使用量などは知らないが,国内で調達して,無くなったら帰ってくるという形なのであろうか。
そうであれば,一応,税金は国内企業に還元されているので,まだマシと言える。
しかし,アラビア海沿岸国で調達しているのならば,国内には全く還元されず,さらに何らかの形で米国企業にカネがまわるような仕組みになっているとしたら,単なる「無料ガススタンド」以上に米国に貢献していることになる。

メディアでは,自衛隊は「インド洋」に派遣されていることになっているが,実際に活動しているのはインド洋といってもアラビア海の沿岸であり,わざわざ海上で給油する必要性はないという話も聞いた(首藤信彦氏)。
その通りであれば,本来,自衛隊が派遣される必要はまったくなく,海外に自衛隊を派遣したい政府と,コスト削減と他国の理解を得ているという実績作りをしたい米国の意図のためだけに派遣されているわけである。

政府は,単に「民間企業と契約を締結して調達している」とだけ明らかにしているが,財源を負担している国民には,もう少し詳しく知る権利があるのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年8月18日 (土)

「ゆとり教育は悪」なのか?(その3)

以前にこのブログで,
「ゆとり教育は悪」なのか?
「ゆとり教育は悪」なのか?(その2)
という2つの記事を書いた。

読売新聞によると,

今年度中に改定が予定される小中高校の学習指導要領について、中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)は16日、基本方針を「ゆとり教育」から「確かな学力の向上」に転換した上で、自分の考えを文章や言葉で表現する「言語力」を全教科で育成していく方針を固めた。

とのことである。

「自分の考えを文章や言葉で表現する」力の育成は,まさに「ゆとり教育」の狙いのひとつであったのではないだろうか。
「詰め込み教育」によって,問題の正解を見つける力だけが優先され,自由に的確に自分を表現する力が養われないことが,「ゆとり教育」へ向かわせた反省点ではなかっただろうか。

自分は今でも,「ゆとり教育」の理念は正しいと思っている。ただ,実践する人達にその理念が正しく伝えられなかったのが反省点だと考える。

読売新聞も,紙媒体では冒頭の記事を一面トップに載せる一方,別の面で,

「ゆとり教育」について,文科省には「授業時間の短縮ばかりが強調され,『自分で考え,表現する力を身につけさせる』という肝心な理念が学校現場に伝わらなかった」という苦い反省がある。国際学習到達度調査で思考力や表現力の低下が顕著となる中,省内には「知識の詰め込み教育に戻してはいけない」という声が強い。今回打ち出された「言語力」は,表現力や思考力の重要性を改めて学校現場に浸透させるのが狙いだ。

と解説している。

すなわち,今回の基本方針変更は,あくまで「脱ゆとり教育」ではなく,「ゆとり教育を真に実現する」ためのものと捉えるべきであろう。

しかし,冒頭に挙げたような文面では,「脱ゆとり教育」と取られかねず,「詰め込み教育」への逆戻りを招きかねないと思う。
また,権力者の一部,もしかしたら大部分は,国民ひとりひとりが「考える力」を身につけることは好ましくないと考え,意図的にその妨害を謀ろうとするかも知れない。現在の「ゆとり教育」の失敗も,もしかしたらそのせいかも知れないと思うのは穿った見方に過ぎるだろうか。

今後,行政や教育に携わる人達,さらには子供を持つ持たないにかかわらず一般国民もすべて,文科省のねらいを的確に理解し,その実現のために努力して,これまでの「ゆとり教育」の失敗の轍を踏まないようにする必要があるのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年8月17日 (金)

[番外]自民と民主の大連立などあってはならない

自民党と民主党の大連立を望む声が一部にあるようですが,それはとんでもない話だと思います。

民主党が勢いを得た今,わが国,いいえ,日本国民の幸福を願う人達にとって,霞ヶ関と自民党が一体化している「戦後レジーム」から脱却する大きなチャンスでしょう。
安倍首相の目指す「戦後レジームからの脱却」は,霞ヶ関と自民党が一体化したままで,これまで霞ヶ関が優位であった状態を逆転させるという意味だと思います。
防衛次官のゴタゴタを見ても,自民党は自分たちに恭順な官僚を揃えようとしているのでしょう。
自民と民主の大連立など,その狙いを助けることにしかなりません。

政府と官僚が,真に国民のために働けるようにするためには,その癒着を断ち切って,政治家は国民の意思を正しく代弁するための,官僚は常に公正であるための緊張感を持つ状態にしなければならないと思います。
現在の体制で彼らが持っている緊張感は,自分の立場を守るためのものでしょう。個々人を見ればそうではない人も多いだろうとは思いますが,体制としてはそうなっていると思います。

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2007年8月15日 (水)

戦争を無くすことは可能か?

今日は62回目の終戦記念日,戦争に関連して亡くなられたすべての人々に心より哀悼の意を表したい。

終戦に当たり,永遠の戦争放棄を誓ったわが国であるが,地球上では常に戦火が絶えない。
戦争は国際政治の手段のひとつであり,国際的に全面的に禁じられてもいない。
言論で自らを主張する機会を与えられない人々は,武力に訴えるしかないということもある。

過去の戦争は,結局,歴史的必然であり,今からとやかく言っても仕方のない面がある。
しかし,将来に関してはどうだろうか。いつの日か,地球上から組織的な武力衝突が無くなる日は来るのだろうか。

個人的な動機により殺人を犯す人間は未来永劫,絶滅できないかも知れない。
異常な気質や突発的な感情の爆発による偶発的な殺人も完全に防ぐことは不可能であろう。

しかし,戦争は単なる暴力ではない。
正当な政治手段である戦争や,言論の限界を超えるための武力衝突の発生までには,多数の人間の理性が関与することができる。

強権的に一部の言論を封じ込めようとする権力者,武力を使ってでも自らの野望を達成せんとする者や,ましてや,金儲けに利用するために戦争の発生を望むような者を撲滅することは,僅かながらも可能性はあるのではないだろうか。

それを実現するためには,それを望む人々,および戦争が発生したときに利用されるだけの立場であることをまだ自覚していない人々が自覚し,適切な行動を取って行くことが必要ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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[番外]小池防衛相の「私は酔っぱらってない」

小池百合子防衛相が,守屋武昌事務次官と会談した後に報道陣に取り囲まれて,人事の話をしたのかと問われて,「私達は日本国の防衛をしているのであって,自己防衛をしているのではない」と話していました。
質問者はそこまでの言い方はしていないのに,自ら本心を語ってしまったようですね。

よく酔っぱらいが,聞いてもいないのに「オレは酔っぱらってないぞ!」などと言いますが,同じようなものですね。

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2007年8月14日 (火)

日本が「戦争のできる国」となるのは非現実的か?

安倍首相が「戦争のできる国」にしようとしている,と言う論調がある。
また,これを現実離れした物言いとする論調もある。
確かに,例え憲法九条がどのように変えられたとしても,わが国が単独で他国を侵略するようなことは当分の間はあり得ないだろう。
「戦争」というと先の大戦,太平洋戦争のイメージを浮かべる人が多いのだろう。あのような戦争は,今後まず起こりえない。

しかし,イラクに自衛隊が派遣されたことを考えるとき,日本からの派遣部隊が他国の部隊に協力して「集団的自衛」の名の下に戦闘を行うことは,現状と紙一重ではないだろうか。

それは確かに「戦争をしている」状態である。
そして,自衛隊の若い隊員の生命が失われる確率は非常に高くなるし,日本本土が爆弾攻撃などの標的になる可能性も高くなる。

例えば,先進国の複数が賛同せず,米国自身も反省の色が見られるような戦争のために,わが国の若者の生命がほぼ確実に複数失われるような事態を,日本国民は許してよいのだろうか。

自衛隊員が他国で一発でも銃弾を発すれば,それがすなわち「戦争」であって,それを許容するかどうかが,戦争の「できる国」か「できない国」の分かれ目ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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ヒゲの隊長は何様のつもりなのか?

やや旧聞であるが,8月7日に先日の参院選で当選した議員の方々が初登院した。
その中に,自民党比例区で当選した,元陸上自衛隊イラク先遣隊長,佐藤正久氏がいた。

佐藤氏は,集団的自衛権に関する政府の有識者会合が「駆けつけ警護」(味方である他国の軍隊が攻撃されたときに駆けつけて応戦するもの)を認めるべきという意見で一致したとの話を聞いて,

イラク派遣当時,もしオランダ軍が攻撃を受ければ,情報収集の名目で駆けつけ,あえて巻き込まれて,正当防衛・緊急避難の状況を作り出して,憲法に反しない形で実質的な駆けつけ警護を行うつもりだったと語った。
さらに,そのために「日本の法律で裁かれるのであれば裁かれてやろう」というつもりだったとも語った

これは極めて重大な発言である。
一自衛官が,明示的に認められてはいない活動を,法に触れる可能性を明らかに自覚していながら,自身の判断で部隊に行わせるつもりだったというのである。
もし,そのような戦闘が行われていたら,その場で自衛隊員に犠牲者が出たかも知れないし,敵対勢力側の自衛隊への認識が変化してその後も継続的に被害が出たかも知れない。自衛隊員がイラクの民間人を巻き込んで殺傷してしまっていたかも知れない。

もし,そのような事態になっていたら,「裁かれてやろう」などという程度の覚悟で,どのように責任を取っていたのだろうか。
自らの生命を以て償うほどの覚悟があったのであればまだしも,「裁かれてやろう」などと発言するくらいであるから,それほどの覚悟はなかったのは明らかである。

政治的な信念のために確信犯を行うというのでは,日本赤軍や連合赤軍などと変わりはない。否,自殺した幹部がいる分,彼らの方がマシとも言えるかも知れない。

このような発言のバックには,安倍首相の世論操作の意図があるのかも知れない。
いずれにせよ,確信犯を行う意向を,しかも国家全体の意志として判断するべき事項を一個人で勝手に判断する思い上がった意向を公然と口にするような人物を国会議員として認めるわけにはいかないのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年8月 7日 (火)

自民党こそが「親方日の丸体質」ではないか?

テレビカメラも入った自民党の会合で,大物議員からの安倍首相続投批判が続出したとのことである。

読売新聞によると,

自民党で7日に開かれた地域ブロック別の国会議員懇談会や代議士会で、安倍首相の参院選惨敗の責任を指摘する意見が相次いだ。一部の派閥幹部からは退陣を促す声も出ており、首相批判はなお広がる可能性がある。

とのことである。

公然と党首を厳しく批判するとは,政党としてあって良いことなのであろうか。
自民党は,「様々な意見を受け入れている」と,一見民主的な運営を装っているが,郵政民営化問題に象徴されるように,大きな問題では党の決定に反することは許さないし,ほとんどの議員はそれに従う。

これは,本来,政治姿勢の大きく異なる者達の集まりでありながら,自民党の看板に頼っているだけ,そして,その看板を支えているのは結局官僚であって,すなわち,自民党議員こそが「親方日の丸体質」なのではないだろうか。

また,世論調査の結果を信用すれば,安倍内閣の支持率の低さの割りに,辞任要望が少ないようである。
これは,安倍氏が首相に相応しいと積極的に考える人が多いわけではなく,単に他に相応しい人物が思いつかないという理由からではないだろうか。

民主党に政権担当能力はないという論調も多い。
しかし,自民党が政権を担っていられるのは,自民党の看板のおかげであり,優れた資質や明確に共通した政治姿勢を持った政治家が集っているわけではないのではないだろうか。
そうであれば,一旦,民主党が政権についても国政運営ができる体制が整ってしまえば,民主党でも十分に政権を担当することは可能ではないだろうか。

それならば結局どちらがやっても同じという意見もあるだろう。
自民党は,官僚支配からの脱却を謳っているが,それならば,官僚との連携ができあがってしまっていない民主党に,一旦政権を委ねてしまうのが近道ではないだろうか。

二大政党制がベストとは思われないが,それでもとにかく複数の政党が緊張感を持って政権奪取を競い合うことは,国民にとってよりよい社会をもたらす可能性が十分にあるのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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「戦争」を実際に行うのは誰か?

最近,映画「父親たちの星条旗」,「硫黄島からの手紙」,「ラスト・サムライ」,「ヒトラー ~最期の12日間~」を見た。
昨日,NHKスペシャルの再放送「硫黄島・玉砕戦」を見た。

美化している面もあろうが,昔の日本軍や侍は,戦争の責任を,かなり地位の高い者や最高責任者が命を以て購うことがよくあったようである。日本では,太平洋戦争の敗戦を受けて自害した大臣もいる。美化する気はないが,ヒトラーでさえ自害した。

今の時代では,わが国でさえ,そのような覚悟を持った指導者はほとんどいないであろう。
(ただ,自衛隊の幹部の方には,そのような覚悟を持った方はおられるだろうと思う。そのような方々には心より敬意を表したい。)

対イラク連合軍の犠牲者の情報のサイトに,犠牲者の氏名や階級,年齢などの情報がある。

犠牲者は,10代や20代の若者がほとんどで,もっと年配の人でも,階級は高くない場合がほとんどである。
一体彼らに,本当にイラクで命を落とすだけの責任や義務や,ましてや罪などあるのだろうか。
死に見合う報償があるのだろうか。
もし命を落とさずに済んでいたとしても,それだけの働きをした見返りがあったのだろうか。

戦争で殺されるのは,古今東西,一般の若者が真っ先である。
さらには,巻き込まれた一般民も多く犠牲となる。
そのような人達に,戦争に対して命を懸けるだけの責任があるのだろうか。

今日(実際はすでに昨日だが)は原爆の日である。
世界の大きな流れの中でも普通に暮らしていただけの,おびただしい数の人を殺戮し,子孫まで害をもたらした原爆を思い,今もイラクで危険な任務に就いている自衛隊員の方々を思い,安倍首相やブッシュ大統領が好む戦争というものを実際に現場で行うのは誰かということを考えるべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年8月 5日 (日)

ジュゴンの絶滅危惧種指定は何を意味しているのか?

メディアはあまり大きく取り上げないが,毎日新聞の記事,「絶滅危惧種:環境省がリスト改訂 ジュゴン、危機度最高に」によると,米軍の普天間飛行場が移転されようとしているキャンプ・シュワブ沿岸(名護市辺野古沖)に生息しているジュゴンが新たに「絶滅危惧1A類」に指定されたそうである。

小池百合子前環境相は,「地球温暖化によりジュゴンの生息北限は上がってきている」などと発言して,極めて強く移転工事を推進する姿勢だった。

大臣が交替し,参院選で自民党が惨敗したこのタイミングで,ジュゴンの絶滅危惧種指定が実現したのは何を意味するのだろうか。

現在の環境相の若林正俊氏が,どういう政治姿勢の人物かはわからないが,内閣改造前に実現しておきたかったのだろうか。それとも,安倍首相・自民党がせめてもの得点稼ぎに利用したのだろうか。
メディアが大きく取り上げないところを見ると,後者はないようにも思えるが,この問題自体に国民の目が集まることを嫌ったとも言えるかも知れない。

いずれにしても,普天間基地移設問題は,地元の人々や環境にとって極めて重要な問題であり,全国民が注視し続けていくべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年8月 2日 (木)

赤城徳彦農相は本当に「更迭」されたのか?

赤城徳彦農林水産大臣の辞任のタイミングを訝る声が多い。
報道では,安倍首相が辞任を指示したのであり,実質的な更迭だとされているが,自分は少し疑問を持っている。

確かに,あそこまで事務所費問題の追及が強ければ,辞めさせてしまった方が火種が消せて都合が良いとは言える。
しかし,松岡前大臣の時は本人が死を選ぶまで辞任を許さなかったし,赤城大臣も選挙前は徹底して庇っていた。
事務所費問題はとぼけ通せても,閣僚交代による任命の瑕疵の責任は形として残る。
だからこそ,選挙前には辞めさせなかったのであり,このタイミングで後任も決めないままに辞めさせるのは理解しがたい。

辞任の前日,安倍首相は次の内閣改造で赤城農相を留任させないことを明言した。
つい赤城農相を替える意志を示してしまったし,辞任の理由が事務所費ではなく敗戦の責任であれば,今辞めさせた方が得策と判断したとも考えられる。

しかし,やはり今辞めさせることは安倍首相にとってデメリットの方が大きいように思う。

安倍首相が赤城農相を替える意志を示したことを,赤城農相は辞任の日の朝まで知らなかったようである。

自分は,赤城氏は,あれほど世論の攻撃に晒されても辞めることを許さなかった安倍首相が,選挙で負けた原因が赤城氏にもあり,次は替えると言ったことに立腹して,または嫌気がさして,安倍首相の意向を会って確認した上で辞表を叩きつけたのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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メディアのネガティブキャンペーンが与党の敗因なのか?

今回の参院選の与党惨敗の原因として,メディアのネガティブキャンペーンを挙げる論調があるが,果たしてそうだろうか。

メディアに登場する人物の中には本気で与党を否定する物言いをする人も少しはいたようだが,新聞社やテレビ局などは企業全体としては,それと悟られぬように与党を擁護する世論形成を図っていたように感じる。

以下のことも,それを象徴しているのではないだろうか。

今日(8/1)の読売新聞の一面トップの見出しは
「首相続投 賛否二分」
である。
世論調査の結果として,「評価」44%,「評価せず」45%だったということである。
これを受けて記事内で
「今回の選挙結果を首相に対する不信任とみなす声もあるが,首相の続投を支持する世論と退陣を求める世論は拮抗していることが明らかになった」
としている。

しかし,世論調査の設問の文面を見ると,

安倍首相は「改革を進め,首相としての責任を果たしたい」として,引き続き政権を担当することを表明しました。安倍首相の決断を評価しますか,評価しませんか。

というものであった。
他の設問は,例えば,「あなたは,安倍内閣を支持しますか,支持しませんか」,「民主党には政権を担当する能力があると思いますか,ないと思いますか」など,シンプルなものが多い。
それに比べて,安倍首相続投に関する設問は曖昧過ぎないだろうか。
なぜ,「あなたは安倍首相の続投を望みますか,望みませんか」などというシンプルな設問にしなかったのだろうか。
このような設問では,回答者の立場として,続投そのものは望まないが,断固として信念を貫こうとする姿勢を評価するというようなものもあり得るのではないだろうか。

何より,
「安倍内閣を支持しない」が59.9%であるのに,
「決断を評価しない」が45.4%であること,

また,
「支持する」が31.7%なのに
「評価する」が44.1%

であるのはどう考えてもおかしい。

この読売新聞による世論調査は,意図的にバイアスのかかった回答を引き出して安倍首相の退陣を求める世論の圧力を実際よりも小さく見せる意図が隠されているのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年8月 1日 (水)

内閣総理大臣はそんなにエライのか?

安倍首相の続投宣言が物議を醸している。

記者会見などで,なぜか「美しい国」と言わず「新しい国」といい,それを造っていくのが自分の使命だと言って憚らない。
「社保庁職員の怠慢や閣僚の不祥事くらいで自民党以外に票を投じるようなことをしない国」を造っていくということだろうか。

幼い子供に「総理大臣って何?」と聞かれると「日本で一番エライ人」と答える人が多いだろう。
安倍首相は,幼児のようにそれを真に受けてか,自身を「権力の頂点にいる」と言う。
首相の座にいる限りは,何でも好きにやって良いと思っており,一日でも長く居座って,ひとつでも多く自分がやりたいことをやってしまいたいと考えているかのような,選挙後の言動である。

確かに,国政の実務上の最高意思決定権を持つ者ではあるが,大前提として,主権者たる国民の付託を受けていることを忘れているのではないだろうか。

現在の国民の意向に反するような新しい国を自分勝手に作れるのは独裁者であり,民主主義国家においては最高指導者であっても当然そこまで「エライ」わけではないのに,安倍首相は,確信犯なのかそれとも自暴自棄になっているのかよくわからないが,そこを勘違いしているのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年7月30日 (月)

参院選の選挙活動で自民党は国民をバカにし過ぎたのか?

昨日の参院選の投票率は58.6%とのことである。
投票率が予想以上に高く,野党に有利に働いたとする論調(例えば読売新聞の記事)があるが,果たしてそうだろうか。

58.6という数字は,絶対的に見てそれほど大きな数字ではない。つまり,浮動票が大きく動いたということではないと考えられる。

自民党は,年金問題で公務員の社保庁職員や自治労を責め立て,付け焼き刃の年金問題対応で世論を味方に付けようとした。
「改革か逆行か」と二者択一を迫った。
公務員を国民の敵に仕立て上げ,シンプルな二択で票を集めようとした小泉首相の郵政選挙と同じ手法であろう。

つまり,公務員を血祭りに上げて,社会を大きく変えるようなイメージを作り出せば,どうせ細かい政策など気にしない国民は票を入れると読んだのであろう。
自民党も,それ以外の選択肢を考えないほどバカではないであろうから,マジメに自党の政策の内容と正しさを訴える選択肢も検討したはずである。
あえて前者を選んだからには,その方が効果的という読みがあったのは明らかである。

それに対して,国民は,大量の浮動票が動くわけでもなく,粛々と与党に「NO!」を突きつけたのである。
この期に及んでも安倍首相は,まるで「ボクが悪いんじゃない」と駄々をこねる幼児のような発言を繰り返している。
労組が推す候補も多く当選した今となっては,「政治とカネ」の件だけが問題であるかのような言い方をしている。
つまり,どこまでも国民は目先の問題に踊らされて野党に票を投じただけだと言いたげである。

自民党は,あまりにも国民をバカにし過ぎているのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年7月29日 (日)

内閣総理大臣は公僕ではないのか?

参議院選挙の結果が続々と報じられており,自民党は36議席程度の見込みであり,惨敗である。

安倍首相が,テレビ各局の中継インタビューに応じていたが,「選挙の責任は私にある」と言いながら,具体的に口にする言葉では責任を感じているようには聞こえなかった。

「反省すべき点は反省する」と繰り返し,それに対する「何を反省するのか?」という問いに挙げたのは,「事務処理の問題である社保庁の問題」,「政治とカネの問題」,「閣僚人事」であった。

インタビュアーの,「年金問題は安倍首相は悪くなくて社保庁が悪い」という言葉に対しても「はい」と答え,「赤城徳彦農水大臣は党よりも自身のための領収書を出さなかったのが選挙にマイナスだった」という言葉も否定しなかった。

「政策の基本路線は国民に理解されている」とも繰り返した。

つまり,安倍首相自身の評価ではなく,社保庁の職員,カネに絡む問題を起こしたり,失言を発した閣僚などのとばっちりで一時的に巻き起こった逆風のせいで負けたと言っているのが明らかである。

「安倍と小沢のどちらが首相に相応しいか?」と自身で問うておきながら,インタビュアーがその点に言及すると,「これからは,民主党に対して耳を傾けるべき点は耳を傾ける」とはぐらかした。「卑怯」の一言に尽きる。(それにしてもこれまでは耳を傾ける気もなかったのだろうか。)

進退を問われても,「新しい国作りはスタートしたばかりで,それをしっかり進めていくことで責任を果たしていきたい,それが私の使命である」と繰り返した。

わが国の主権は国民にある。首相も国家公務員の一人である。国家公務員に使命を課すのは主権者たる国民のはずである。
今回の選挙結果は,これまで自民党・公明党に擦り寄る人々に操られてきたこの国における革命といってもよい結果ではないだろうか。

安倍首相は,自らを「権力の頂点」と言い放ち,自身の使命は自身で勝手に決めて良いと思い上がるのではなく,公僕として国民の声にもっと真摯に応えるべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年7月28日 (土)

今こそ痛みに耐えて政権交代を呼び起こす必要があるのではないか?

民主党が二大政党制への移行を唱え,政権交代の必要性を訴えている。

自分は,二大政党制が良いかどうかはよくわからない。多党制の方が良いのではないかと思っている。(と言いながら,政治学に疎く,それぞれの用語の定義は実のところよくわかっていない。)

しかし,いずれにしろ,まず必要なのは自民党のほぼ一党独裁状態にある現状を打破することである。

自分は,本来は何事においても「ガラガラポン」は好きではない。現状に問題があれば,現状に至る経緯を十分に踏まえて,良いところは残し,悪いところを修正していくことにより,状況は無駄に繰り返すことなく着実に改善されていくと考える。

しかし,今の日本の政治においては,安倍首相率いる自民党が「改革」と称して「ガラガラポン」的な動きをしているように見える。
「それこそが改革だ」との言い方もあろうが,果たしてそうだろうか。というよりも,その「改革」は誰を利するためのものであろうか。

自民党は,これまで行政を官僚に丸投げして,政治家たちはただ保身や私利私欲のことしか考えて来なかったことによる政治システムの疲弊をいいことに,言わば「マッチポンプ」的に,「改革が必要だ」と叫びながら,一般国民を犠牲にしてこの国をアメリカに都合の良い状態にすることで自身の利益の確保を確実なものにしようとしているだけではないだろうか。

この,日本を一部の者たちの私物のようにしてしまう「ガラガラポン」を防ぐために,今こそ政界の「ガラガラポン」が必要なのではないだろうか。

また,今,日本国民は若者を中心に政治に無関心な人たちが多い。
その原因は,圧倒的な組織票による「結局自民,どうせ自民」の現状ではないだろうか。

二大政党制に向かうべきかどうかはわからない。また,民主党に適切な政権担当能力があるのかもわからない。
しかし,とにかく自民党の力を弱めて,政界の勢力図にその時時の国民の意向が的確に反映されるようになるためには,まず自民党以外の政党に政権を委ねて見る必要があるのではないだろうか。

細川内閣成立のときのように,単なる混乱の賜のような政権交代ではない,民意の動向に起因する政権交代を実現すれば,民意が的確に反映された政治システムに変わっていく可能性はある。結局,政治に民意があまり反映されない保守二大政党制になってしまう危険もあろうが,それならば現状と大して変わらないので悪くなるわけではなく,やってみる価値はあろう。

官僚に頼り切りであった自民党に,政治システムの改革,それも一般国民のためになる改革を行うのは無理であろう。

現在の政治システムが自民党を軸に動いているのに,その軸を変えてしまうことは,ある程度システムの退化を招く面はあろうが,それこそが主権を国民に取り返す改革のために必要な痛みであり,その改革が今こそ日本が成熟した国家へ向かうために必要ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年7月27日 (金)

自衛隊イラク派遣の犠牲である香田証生氏の死を忘れてはいけないのではないか?

アフガニスタンで,大勢の韓国人がタリバンに拉致され一人が殺害されるという,由々しき事件が起きている。

状況は異なるが,イラクで武装グループに殺害された香田証生氏のことが思い出される。
イラクに派遣された,また,されている自衛隊は,現在のところ幸いにも一人も犠牲者を出さず,また,一発の弾丸も発射せずに済んでいる。
しかし,イラクの地では,米国のイラク攻撃に関連して4人の日本人が殺され,1人が行方不明となっている。

殺された2人は外務省職員,1人はジャーナリストで,対米の戦闘に巻き込まれたような状況である。
また,行方不明の1人は,民間警備会社社員であり実質的に傭兵という立場である。

これらの事件に比べ,香田証生氏の事件は性質が異なる。
氏を拉致したグループは,反米武装組織の指導者で米国に殺害されたザルカウィ氏が率いているとされる組織を名乗っていた。
そして,氏を人質に自衛隊の撤退を要求し,氏本人にビデオカメラの前で小泉首相へのメッセージを話させ,殺害し,その映像を世界に公表した。

つまり,明らかに日本の自衛隊派遣に対する抗議,報復のために生命を奪われたのである。

しかし政府は,この事件が思慮浅い若者が取った無謀な行動の結果であるかのような世論を形成し,自衛隊派遣に問題はないと言い張った。

一発の弾丸も発せずとも前途ある若者の生命が奪われた。「集団的自衛権」などが認められて,自衛隊が他国の人々に銃を向けることになれば,多数の犠牲者が出ることは確実である。
そして,犠牲になるのは政治家でも財界人でもなく,家族を始めとした日本人を自らの生命を賭してまで守ろうと志した,我々みんなにとって大切な存在である若者である。

集団的自衛権容認や,9条変更を含む憲法改正などの動きは,この国を,上のような犠牲により一部の者たちの繁栄を支えるような国に向かわせるものではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成時または作成後にTBさせて頂いたブログ]
日本がアブナイ! 目標はあくまでも当選者40人割れ。国家再興の使命優先、国民軽視の「安倍政権にNO!」を。

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2007年7月26日 (木)

[番外]選挙運動で社保庁攻撃を行う自民党への腹立たしさ

共同通信の記事「社保庁労組は「自爆テロ」 小池防衛相」などに見るように,自民党が社保庁やその労組への批判を選挙運動の前面に押し出しています。

社保庁に問題があるのは明らかですが,それを批判することで自民党が票を集めようとするのは明らかに筋違いでしょう。

社保庁の管理監督責任は政府にあり,長年政権の座に着いている自民党にも当然責任があります。
それを反省して今後のプランを訴えるのならともかく,「自爆テロ」とまで批判して,公務員批判の風潮の強い世論を味方につけようとするのは極めて卑怯なやり口です。

たまたまここで年金問題が表面化しただけで,安倍首相はその責任を被らされて気の毒というような論調がありますが,政府の中心にある自民党の総裁として責めを負うのは当然ですし,増して,年金問題は突然降って湧いた問題でもありません。
そんなことをいうなら,現在社保庁に勤務している職員の中で,年金問題に責任のない方も多数おられるでしょう。
そのような方々と安倍首相と,どちらが気の毒かといえば,答えは明らかだと思います。

社保庁攻撃を選挙材料にする自民党は,そのような善良な一般国民を踏みつけることで,自らの地位を守ろうとしていることに他なりません。

同じ事を訴えるにも,これまでの自らの責任を真摯に反省し,謝罪した上で,責任のない職員への対応も十分考慮した形で,年金問題への対処プランを示すことは可能です。
あえてそれをしないで社保庁攻撃に徹する自民党の姿勢には,非常な腹立たしさを感じます。

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2007年7月25日 (水)

読売新聞に載った葛西敬之氏のコラムは公選法違反ではないか?

7月23日付けの読売新聞のコラム「地球を読む」に,JR東海会長であり,国鉄民営化に強い力を発揮した葛西敬之氏の一文が掲載された。
内容は,社保庁を国鉄になぞらえて,安倍首相の社保庁改革手法を強く支持するものである。

内容をいくつか抜粋すると,

年金記録の不備は国鉄と同様,長年にわたる労務管理不在の結果であり,そのことを現政権の責任に帰するのは不公平である。

毅然として国会の会期を延長し,「日本年金機構法」を成立させるとともに,時効による支給漏れを防ぐ「年金時効特例法」を急遽定めた安倍政権の危機対処能力は評価に値する。

などである。

「現政権の責任に帰するのは不公平である」のであれば,現在の若い職員までクビを切るのは不公平であろう。
また,国会会期を延長して急遽法案を成立させたのは,「危機対処能力」などではなく,「選挙対処」であり,もっと時間をかけて適切な対処法を検討するべきだったであろう。

参院選真っ只中の現在に,安倍首相と親交の深い葛西氏のこのような文章を掲載するのは,公選法に違反する選挙運動ではないかと思うのだが,どうだろうか。

なお,自分は国鉄民営化自体を支持しないが,譲って国鉄民営化を是としたとしても,営利追求がサービス向上につながる鉄道会社と異なり,組織の利益を優先することが許されない社会保険運営組織を,国が直接運営しないものとするのは不適切だと考えるのだが,どうだろうか。

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2007年7月24日 (火)

参院選の投票時間繰り上げは無党派層票減らしか?

日経新聞によると,参院選で,全国約5万1700の投票所のうち約1万4800カ所で,原則午後8時までの投票時間を繰り上げる予定であることが判明し,繰り上げる投票所数は2004年の前回参院選よりも約3400増加するとのことである。
前回に比べて,23%,約1/4の増である。
これが政府の圧力かどうかはわからないが,明らかに無党派層の票の減少につながるであろう。
時間のやりくりをしてまで投票に行かない人には,無党派層の割合が多いに違いないからである。

社保庁の職員や公務員全体の働きぶりに批判が集中し,公務員は身を削ってでも働けといわんばかりの風潮の中において,夜間の投票者が少ないからとか,開票作業を早くするためなどという理由は,普通の国民には納得できる理由ではないだろう。

こんな暴挙を許せるのは,内閣の支持率が低下していてこのままでは野党に投票する可能性の高い無党派層の票が減ることを歓迎する,与党候補者やその支持者くらいではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年7月19日 (木)

柏崎刈羽原発の想定震度は適切なのか?

新潟県中越沖地震で,柏崎刈羽原発において火災や放射線漏れが発生した。
山陽新聞によると,東京電力は地震の揺れが耐震設計の基準である「限界地震」を大幅に上回ったとのことである。つまり,「想定外」の震度であったということである。
原発に限らないが,100%安全ということはあり得ないのはわかる。
しかし,限界をどこに想定するかは,限界を超えたときの損害の大きさとの兼ね合いで決めるべきものである。
原発が損壊した場合の損害は,地球的規模で甚大なものである。当然,想定されている限界は相当に高いものと思っていた。
震度6強よりも大幅に低い限界が想定されているのだろうか。
原発に関する技術については,他国の核開発につながるので出せない情報というのも多いのだろうが,それでも,日本国民,さらには全世界の人に対する責任として,安全確保の技術に関しては,人を安心させるに十分な情報公開が必要ではないかと思うのだが,どうだろうか。

ちなみに,同じ記事によれば,「地震発生後,間もなく火災が確認されたが,119番が掛かりにくく,消防隊の到着も遅れて」鎮火が遅れたとのことである。
原子力発電所という,世界最先端の科学技術を集めたはずの施設で,火災が起きた際に一般人と同様に119番に電話して消防隊を呼ばなければならないというのは,笑えない笑い話ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年7月18日 (水)

[番外]Yahoo! みんなの政治

このところ番外が多いですが。。。

Yahoo!の「みんなの政治」というサイトがあります。
今日,ラジオで担当者の方が,「若い人に選挙に興味を持って貰おうと立ち上げた」と話しておられました。
パラパラと見てみましたが,政治に無関心な若者を惹きつけるにはまだ弱いかなと思いました。
それでも,こういった試みは大いに応援したいところです。

このサイトに,「政治ポジションテスト」というのがあります。
私もやってみましたが,私は「リベラルかつ大きな政府を目指すタイプ」だそうです。まぁ,そうですかね。
近い考えの政治家は,
村山富市,美濃部亮吉,H.チャベス,F.カストロ,J.F.ケネディ
だそうです。
あり得ない仮定ですが,自分が社会党委員長だったら,首相は引き受けなかったかなと思いますが。
あと,カストロ議長とケネディですか。。。

ある意味,自分を見直すいい機会を与えてくれますね。

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2007年7月17日 (火)

[番外]丸川珠代氏の転入届出し忘れ

自民党から参院選に出馬している元テレビ朝日アナウンサーの丸川珠代氏が,3年前にニューヨーク勤務から帰国した後,転入届を出していなかったそうです。

スポーツ報知の記事

ハガキを持たずにマスコミ引き連れて投票に行って,指摘されて始めて気付くというのが信じられません。
3年間どころか,成人してから一度も選挙の投票には行っていなかったのでしょうか。
ちょっと自民党には痛いニュースですね。
それにしても,ごく一部でしか報道されていないのは,公選法をちらつかせての自民党の圧力でしょうか。

[記事作成時または作成後にTBさせて頂いたブログ]
お玉おばさんでもわかる政治のお話 野党にはパフォーマンスが出来ません・・・
 (あまり内容が関連してないですが,与党のパフォーマンスの失敗例ということで。)

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2007年7月16日 (月)

社保庁全員解雇を叫ぶ竹中平蔵氏に安倍首相は無責任に同調するのか?

ブログ Dogma and prejudice の記事,【竹中平蔵「年金問題は労働問題」全員解雇】を拝見して,以下の動画を知った。

竹中平蔵「年金問題は労働問題」全員解雇(Ameba Vision)

竹中氏はテレビ番組の中で,
「年金問題は労働問題,事務屋のチョンボだから全員解雇,年金納付に不明な点がある人は全員救済して,そのための無駄な支出は職員の給料を充てればよい。」
と言い放っている。

二流評論家でもあるまいし,出来もしないことを人目を引くためにこんなことを言うとは,さすが,小泉氏に気に入られたのを良いことに日本社会で自分の学説の実験を行い,やりたいことをやったらさっさと辞めて好き放題金儲けをしている人物だけのことはある,と思ったが,その後,「安倍首相も同じ考えだ」と言っている。

「事務屋のチョンボ」,つまりシステム的には何の問題もないのに,単なる現場のミス・怠慢だと言っている。これだけ大規模な「チョンボ」が,問題のないシステムで発生するという考え方は,社会科学系の学者とはいえ,所詮,経済学者で国の財政などを専門とする,「机の上だけで庶民の生活までわかったつもりになっている,またはわかるつもりもない」人種ならではのものであろう。
企業の経営などに明るい学者であれば,他意なくしては,こんな発言はしないであろう。

ついでに揚げ足をとれば,「労働問題」とは本来,労働者側から見て不利な状況をもたらす問題をいうものであり,明らかに誤用である。こういった点も,実際の組織運営に疎いことを表しているのではないだろうか。
(そういえば,安倍首相も「年金問題は労働問題」と口にするのを聞いたことがあるように思うが。)

システム全体の管理者の責任は問わず,現場にすべて押しつけて,しかも軍隊でもあるまいし連帯責任で全員解雇など余計な混乱を招いて年金受給者にしわ寄せが行くようなことを声を荒げて言い張るなど,とても大臣まで務めた人物として適切な言動とは思えない。
また,「全員解雇」などと威勢のいいことを言っているが,どうせ一部のキャリア官僚は出向扱いになって官僚としての経歴にはほとんどキズは付かないようにするのだろう。
本当に痛い目を見るのはシステムの歯車として働いてきた人達である。

もし,安倍首相も同様の考え方をしているとしたら,極めて無責任に,人気取りのパフォーマンスに走っているのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年7月14日 (土)

[番外]選挙のための「消えた年金」認定

バタバタと,15件の「消えた年金記録」が第三者委員会によって納付されたものと認定されました。
まぁ,わかりやすい選挙対策ですね。
被害者の象徴的に扱われてきた中村正見さんご夫婦の分も認められました
ご夫人の美津子さんが,「選挙のおかげ」と涙ながらに仰っていましたが,当事者の正直な感想でしょう。

「第三者」と言いながら,政府の意向に沿った動きをする,最近多い「有識者会議」などと同じですね。

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安倍首相は誰を惹きつけようと語っているのか?

安倍首相が盛んにテレビ出演している。

多くを見たわけではないが,非常に多弁である。自分などはうるさく感じるほど多弁である。
良く言えば堂々とした,悪く言うなら人を見下すような態度で話すことが多い。
首相就任の前や当初はもっと謙虚な態度だったと思う。時に頼りなく感じるほどだったように記憶している。

ある頃から,安倍首相は人前で話す態度が随分と変わってきた。
電通かどうかは知らないが,専門の指導者にコーチを受けたことは明らかであろう。
そして,安倍首相が心からわき出る言葉を真摯に語るのではなく,テクニックを駆使して計算高く話しているのは明らかに見て取れる。

気になるのは,どのようなタイプの相手を惹きつけることを想定したテクニックであるかである。
テクニックで万人を惹きつけるのは無理であるから,対象を絞っているはずである。

自分は安倍首相がテレビで話すのを見ていると,「独裁者タイプ」を演じているように感じる。
自身の話す内容に理屈抜きで確信を持ち,否定してくる相手には,小馬鹿にするか居丈高に反論する。その場を自分のペースでコントロールしようとする。
頻りに「私の内閣」と言うが,あれだけ繰り返すのは,つい口に出るのではなく,強いリーダーシップを持つように見せるために意図的に選んだ言葉であろう。自分は嫌悪感を持つが。

そのようなタイプが惹きつけるのは,自身の人生に不安を持ち,また,自身の思想が弱く周囲に流されやすい人達ではないだろうか。

そうだとすれば,安倍首相は,国民の多くは自身の考えを持たない,民度が低いと考えていることになるだろう。
ひとことで言えば「バカにされている」ということだろう。

国民は,テクニックに惑わされることなく,安倍首相が語る言葉の裸の姿をしっかりと捉えるように努めるべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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お玉おばさんでもわかる政治のお話 おかしいぞ、首相の理屈

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2007年7月11日 (水)

改正政治資金規正法は「みんなで決めたルール」か?

産経新聞によると,安倍首相が

赤城徳彦農水相の事務所費問題には「赤城氏は詳細に説明をしており、問題はない。政治資金はみんなで決めたルールを守っていくことが大切だ」と述べ、十分に説明責任を果たしたとの考えを重ねて強調した。

とのことである。

「ザル法」との指摘を無視して数の力で強行採決した改正政治資金規正法を早くも「みんなで決めた」と言い切るとは,多くの国民はどうせニュースなど見ておらず,成立の経緯など知らないだろうという,国民を馬鹿にした態度ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年7月 8日 (日)

久間発言は昭和天皇のご発言と同じ意味なのか?

防衛相を辞任した久間章生氏の,原爆投下に関する「しょうがない」発言を,昭和天皇の発言を引き合いにして「問題はない」とする論調がある。

久間氏の発言と昭和天皇の発言は,果たして同一視できるものなのであろうか。

昭和天皇は,1975年に訪米し,帰国後の記者会見に応じた。
その際に,

戦争終結に当って、原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお受け止めになりましたのでしょうか、おうかがいいたしたいと思います。

という質問を受け,昭和天皇は,

原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。

とお答えになった。(日本記者クラブの「特記すべき記者会見」より)

これが果たして昭和天皇の立場においてベストの回答であったかどうかはわからない。もっと曖昧な答えをすることもできたとは言える。

しかし,昭和天皇は,米国との戦争の当事者である。そして,自身の生命を懸けて,また,敗戦後の日本の運命を懸けて降伏の決断をされ,様々な背景や経緯はあったにしろ日本の再興を支援した米国を訪ねて,感謝の意を表明して来た直後の記者会見の場である。
しかも,完全に不意打ちである質問に,瞬時に回答することを求められたのである。

また,終戦間際,昭和天皇は決定的な混乱が起きないように降伏の意を表す機を窺っていたのではないかと思われる。原爆投下は,「降伏やむなし」とするきっかけのひとつとなったのは確かであろう。

そのような,他人には到底想像し得ないような複雑な立場で,どう答えればよいというのか。まさか米国を責めるわけにもいくまい。苦渋の選択として「やむを得ない」という言葉を選ばれたのではないだろうか。
増して,結果的に良かったというような意味は込められてはいないであろう。

昭和天皇という,この上なく複雑な立場で,不意の質問に苦しんで苦しんで絞り出した一言と,現代の防衛大臣として,北海道も占領されず戦争もあれ以上長引かず,「そういう意味では良かった」と言っているようにしか聞こえない発言とは,まったく意味が違うのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年7月 4日 (水)

久間防衛相の辞任は選挙のために「しょうがない」だけのことなのか?

久間防衛相が,「原爆投下はしょうがない」発言の責任を取る形で辞任した。

久間氏は会見で,「公明党も含めて与党が困っている」,「選挙前に不用意な発言だった」などと述べていた。
それならば,選挙前でなければ辞任はしなかったということだろうか。

また,「しょうがないは方言で口癖でもありポッと出た」などとも述べていたが,「しょうがない」の一言が問題だと思っているのだろうか。
「日本が降参するだろう,ソ連の参戦を止められるというアメリカの判断だった」,「幸いに北海道は占領されずに済んだ」,「あれで戦争が終わったんだという頭の整理をしている」などという発言をしているのだから,これらをトータルで見て,「原爆投下容認」と取れるのである。「しょうがない」の一言は象徴的に扱われているに過ぎない。
「原爆投下は重大な戦争犯罪である」,「使用する必要はなかった」などと述べた後に,「今さら言ってもしょうがない面はあるが」などと言ったのであれば,久間氏の弁明も理解できるが,状況は全く異なる。

久間氏は選挙前の言葉狩りの被害者などではなく,確かに防衛相としては不適格な人物ではないかと思うのだが,どうだろうか。

ついでながら,小池百合子氏が後任となったが,我が国の防衛の責任者となるだけの見識があるとは思えず,これも選挙だけを意識した不適切な人事ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年7月 3日 (火)

安倍首相は国の指導者としての責任を理解しているのか?

読売新聞の7月2日付け紙面の特集記事によると,

「首相になったのだからやりたいことをやる。やるだけのことをやって,それでも参院選で駄目だったら責任をとればいい」
首相は折に触れ,こうした思いを政府・与党幹部に伝えている。

とのことである。
もしこれが真実であれば,安倍首相は一国の指導者としての責任を理解しているのか疑問である。

小さな組織ならまだしも,1億3千万の国民を抱えた大国である。一度決まって動き出したことを簡単には止められないし,増して元に戻すことはできない。

「責任をとる」と言っても,辞任するだけのことであろう。国に与えた損害を補償できるはずはないし,する気もないだろう。世が世なら切腹くらいはできるだろうが,それに匹敵する覚悟もないであろう。

こんなにも無責任な考えで,参院選日程を変更させてまで国会を延長して多くの法案を強行採決したのは,民主主義国家の指導者としての責任よりも個人的な野望を優先しただけであり,また,与党としての保身のためにそれを許した自民党にも問題があるのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年7月 1日 (日)

久間防衛相は心から反省しているのか?

久間防衛相が「原爆投下はしょうがない」発言に関して謝罪する記者会見を行ったとのことである。

いくつかのテレビ局のWebサイトで会見の動画を見たが,薄ら笑いを浮かべて話しており,誠意はあまり感じられない。
しかも,NHKの動画を見ると,「県民の皆様や国民の皆様に,ある意味ではご迷惑をかけている」という発言を,「ある意味では」のところを語気を強めて話している。
本心から自らの言動を不適切とは思っていないのではないだろうか。

また,それらの動画はかなり短いものであったが,時事通信社のサイトにやや詳しい会見内容があり,その中で,「米国は米国としてそういう選択(原爆投下)を、戦争を終わらせるためにしたんだなという感じで言った。」という発言が紹介されていた。
この発言は,「しょうがない」と本質的に同じ意味ではないだろうか。
(しかも,原爆投下は「戦争を終わらせるため」ではなく単なる「実験」であったとする説はかなり有力である。)

「野党に発言を利用されて脇が甘かった」などとも発言している。

どう見ても,本心から反省する気は全くなく,ただ選挙のためだけのパフォーマンス,それもいかにも「嫌々」であるのが明らかではないかと思うのだが,どうだろうか。

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みやっちBlog 久間防衛相の原爆投下容認発言に与野党が非難
お玉おばさんでもわかる政治のお話 原爆が落とされたのは「しょうがなかった」ことなの?

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久間防衛相を庇う安倍首相は同罪ではないか?

久間防衛相が,広島,長崎への原爆投下について,戦争終結,ソ連による北海道占領を防ぐために「しょうがない」ことであったと発言した。
唯一の被爆国として,核兵器廃絶の先頭に立つべき国の大臣,しかも防衛相の発言として不適切であることは誰の目にも明らかである。
発言時の状況はわからないが,どんな状況であったとしても,また,個人的な考え方がどんなものであったとしても,建て前を崩してはいけないのは,大臣でなくともまともな大人なら当然わかるはずである。

これに対して安倍総理は,詳細は知らされていない段階であるが,「米国の考え方を紹介したもの」などとして問題はないものとの考えを表明した。
しかし,久間防衛相は,「アメリカをうらむつもりはない」とも発言しているのだから,本人の考えに基づいた発言であることは明らかである。

発言内容の重大さを認識できるならば,「発言の詳細はわからないが,真意が伝わっていないのだろう」程度が,庇うにしても精一杯の反応だろう。

平静を装い,その場の思いつきとしか思えない理屈で久間防衛相を庇うことしかしない安倍首相は,発言を聞いた国民,特に被爆者やその関係者に全く思いが至っておらず,保身と選挙のことしか考えていないことが明らかであり,久間防衛相と同罪で首相として全く不適格ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年6月28日 (木)

[番外]あきれた自民党の実態

さきほど番外記事を書いてから,他の方のブログをながめていたら,こんなのを見つけました。

あきれた社会保険庁の実態」(by 自民党?)

このブログを見ていただける方なら,何も書かなくとも,これを見て私が何を思うかわかっていただけるでしょう。
本当に自民党が作ったのでしょうか。自民党を陥れようとする者が作ったのでしょうか。自民党は本当にここまで馬鹿な人達の集まりなのでしょうか?

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2007年6月27日 (水)

[番外]年金問題に絡んだ政治家や社保庁職員の賞与返納のバカバカしさ。(その2)

一昨日の番外記事にひとこと補足します。
「自主返納」といいながら,返納しなければ社保庁を改組する場合に新組織で雇用しないなどと恐喝行為まで行われていますが,返納されたとして,その億単位の金は何に使われるでしょうか?
突然降って湧いた予算など,短期間で拙速に検討されて,どうせ大した使い方をされないのは目に見えています。
全体の状況をきちんと考慮しない,極めて姑息な行為です。
まさかとは思いますが,政府は「2ちゃんねる」でも見て,その参加者を味方に付ければ選挙に勝てるとでも思っているのかも知れないと考えてしまうほどです。
本当に馬鹿馬鹿しくて呆れ果てます。

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2007年6月25日 (月)

[番外]年金問題に絡んだ政治家や社保庁職員の賞与返納のバカバカしさ。

あまりにもバカバカしく,くだらなく,国民を馬鹿にした話であることに一点の疑いも持たないので,Questionではなく番外としました。

毎日新聞によると,

社会保険庁の村瀬清司長官は25日夜、記者会見し、年金記録漏れ問題への反省の意を示すため、村瀬氏自身6月の賞与全額(約270万円)を返納するほか、約1万7000人の全職員に賞与の一部自主返納を求めることや、社会保険事務所長以上で退職したOBにも同等の寄付を求める考えを明らかにした。

とのことです。他にも首相や厚労相,厚労省事務次官などもボーナスの一部や全額を返納するそうです。

このことを決めるために,いったい何人の公務員や政治家が何時間かけて検討したのでしょう。また,実際の手続きに,何人の公務員がどれだけの時間を割くのでしょう。

そんな暇があったら,一件でも多くの年金記録の確認を行うべきでしょう。効率的に確認する方法の検討を行うべきでしょう。
「今,何が一番重要なのか?」の感覚がずれているとしか言いようがありません。
また,こんなことで国民の怒りが和らぐと考えているのならば,これほど国民を馬鹿にした話はないでしょう。

間違っても,こんな愚行を微塵でも評価するべきではありません。

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2007年6月24日 (日)

公務員の労働組合は不要か?

このブログからもリンクさせて頂いているブログ「公務員のためいき」で,「労働組合はいらない?」という記事が出された。
同ブログでは最近,社保庁と年金の問題に絡んだ記事がいくつか出されて,それに対して,公務員や公務員労組を批判する厳しいコメントが相次いでいる。同記事に対しても,厳しいコメントが寄せられている。
自分もこの問題に思うところがあり,乱文ながら少々記してみたいと思う。

本来,労組は組合員の権利を守るための組織であり,労組と雇用主との争いはパワーゲームである。
近代の,資本家階級と労働者階級が明確に分かれていた状況では,労働者は一方的に自らの権利を主張することで,パワーバランスが取れていたのだろう。
しかし,雇用主が他の同業者と厳しい競争をしなければならない場合,組合が権利を主張しすぎるとバランスが崩れて雇用主の力が弱まり,同業者との競争に敗れて労使共倒れとなる可能性があり,昨今は労使協調路線が取られることが多いのだろう。
ただ,現在の日本では格差が拡大し,企業も淘汰が進んで競争が弱まり,やや近代に逆戻りしている状況のように感じるので,労働組合の存在意義は今後再び強まっていくものと考える。

公務員であろうが,民間企業従業員であろうが,雇用主に処遇や人事を握られている弱い立場の労働者であることに変わりはない。

幹部でない一般の公務員は,大企業の従業員などと同じく,雇用主の指示に従って労務を提供する労働者であり,組合を持つ必要性において何ら変わりはないと考える。

ただ,自衛隊や警察など,身体に危険が及ぶ可能性のある指示が出されるような職種においては,労使対等を前提とした組合は馴染みにくく,現状では存在できないのは仕方ないだろう。

昨今の世論は,公務員に武士道を求めているように感じられる。
「水戸黄門」のテレビドラマが延々と続き,「お上」などという日本語がまだ飛び交う今の日本社会では,「役人=武士」というような感覚が庶民の中に生きているのかも知れない。

自分も,「エリート」には武士道を期待したいと考えるし,自分自身も一応「エリート」の末端に引っかかっているつもりである(学力社会の恩恵による成り上がりであるが)ので,ある意味で「サムライ」でありたいと考えている。
しかし,多くの国民や公務員でも労組に加入するような末端の職員については,今の時代であるから「市民」であることは求めたいと思うが,「武士道」を求めたいとは思わない。(高みから見るような言い方で嫌悪を覚える方も多かろうが,正直な思いである。)

ふざけたような言い方になるが,「サムライ」たるもの,世の太平を願い,そのためには労働者の権利の保護は重要だと思っている。

「サムライ」であるべき「エリート」である高級公務員や政治家などには,ある程度の「滅私奉公」を求めたいと思うが,労組に入れるような公務員は,基本的に一般労働者と同等に扱われるべきだと考える。

しかし,「パワーゲーム」である労働運動において,公務員労組は力を持ちすぎてパワーバランスを崩さないように自らを律する必要はあるだろう。
その意識がやや欠如して,昨今の様々な問題を招いている部分があるのかも知れない。

いずれにせよ,労働運動は今後の日本において重要性を増し,一般の公務員もその担い手であるべきことに変わりはないのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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公務員のためいき 労働組合はいらない?

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2007年6月22日 (金)

社会保険庁は年金記録問題は参院選と切り離して慎重に扱うべきではないか?

年金問題で,読売新聞が次のように報じた。

年金データ作り直し 手書き原本、再入力

要約すると以下のような内容である。

社会保険庁は手書きやマイクロフィルムの原本を手作業でコンピューターに再入力し、データベースを作り直す方向で検討に入った。入力作業は、民間の情報処理会社へ外部委託する方向。アルバイトなどでも作業できるような方法を定め、1年程度で作業を終えたい考え。「情報処理の世界では、コンピューターに再入力して照合する方が、時間もコストもかからないというのが常識だ」(自民党筋)ということで方針を転換する。

報道の真偽は不明だが,真実だとすると拙速過ぎないだろうか。
データ数は億単位で,莫大な費用が必要である。アルバイトが作業して,ミスにミスを重ねるような事態は起きないのか,個人情報は保護されるのか。「情報処理の世界の常識」などと言っても,知識のない政治家が企業の言うことを鵜呑みにしているだけではないのか。

疑問は尽きない。

再入力してプログラムで照合というのが,ベストではないにしても最も無難な方法であるのは分かる。あれこれ考えていても,すっきり最初からやり直しても,結果に大きな違いは出ない可能性が大きいだろう。
しかし,事は多くの国民のひとりひとりの老後の生活に直結しているだけに,「結果が及第点ならよし」というような方法を選択するのは不適切ではないだろうか。

参院選などとは関係なく,しっかりと予備調査を行った上でベストと判断できる方法を探るべきだと思うのだが,どうだろうか。

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国民はイラクに派遣されている自衛隊員やその家族の気持ちを考えているか?

イラク復興支援特別措置法の2年間延長のための改正を,与党が数に任せて強行に可決した。

アメリカ国内でもイラク派兵に関しては世論が二分しているのに,ここまで自衛隊派遣にこだわるのはアメリカの現政権の機嫌取り以外の何物でもない。
ただ,それを利用して自衛隊の存在感を増して憲法改正を支持する世論を形成しようとする思惑もあるだろう。

自分は,生命を賭して我が国の防衛に努めてくれている自衛隊員の諸氏を尊敬するし,共感もする。
しかし,彼らはその家族や友人,日本国民を守りたいと思っているのであって,国民を危険に晒してでも,アメリカの機嫌を取ったり海外派遣により国際社会での存在感を高めようとしたりするために日々厳しい任務に就いているとは思いたくない。
現代の戦闘では身体に危険が及ばないであろう幹部の中には,傲りからそのような考えを持っている者もいるかも知れないが。

また,彼らはその派遣に何百億もの税金が使われていることを不本意に思ってはいないだろうか。

イラクに派遣されている隊員やその家族は,個人的な感情を押し殺して,黙々と任務をこなし,生活しているのではないかと思う。

国民は,イラク問題を考えるとき,派遣されている自衛隊員やその家族ひとりひとりの気持ちにまで思いを巡らせるべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年6月19日 (火)

「公務員はクビにできないが公務員でなければクビにできる」は本当か?

「公務員はクビにならない」とよく言われる。
今,話題になっている社保庁改革に関しても,与党案の「非公務員型組織への移行」により「非公務員化」すればクビにできるという解説をよく耳にする。

果たして本当なのだろうか。

民間企業は,従業員のクビを自由に切れると思っている人も多いようであるが,そうではない。
労働基準法第18条の2は,

解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。

と定められている。
また,第89条において,解雇の事由は就業規則に定めることを義務づけており,規則にない理由で解雇した場合,裁判になれば無効にされる場合がほとんどだそうである。

「社会通念上相当」であるかどうかの一般的な基準に関しては,「労働基準法」,「解雇権濫用の法理」,「整理解雇」,「客観的に合理的な理由」などをキーワードに検索すれば多くの情報が得られるが,例えば神奈川労働局のページ岩手労働局のページも参考になる。

要するに,社会の多くの人が,「それは仕方ないだろう」と納得する理由でなければ民間企業でも従業員のクビは切れないのである。しかも,いわゆる「リストラ」としての人員整理のための整理解雇であっても,「整理解雇の四要件」を満たす必要があり,そう簡単にはできない。

一方,国家公務員法第75条には,

職員は、法律又は人事院規則に定める事由による場合でなければ、その意に反して、降任され、休職され、又は免職されることはない。

また,第78条には,

職員が、左の各号の一に該当する場合においては、人事院規則の定めるところにより、その意に反して、これを降任し、又は免職することができる。
1.勤務実績がよくない場合
2.心身の故障のため、職務の遂行に支障があり、又はこれに堪えない場合
3.その他その官職に必要な適格性を欠く場合
4.官制若しくは定員の改廃又は予算の減少により廃職又は過員を生じた場合

と定められており,さらに上の第75条で触れられている人事院規則一一一四には,(ここで法とは国家公務員法である)

法第七十八条第一号の規定により職員を降任させ、又は免職することができる場合は、法第七十二条の規定による勤務評定の結果その他職員の勤務実績を判断するに足ると認められる事実に基き、勤務実績の不良なことが明らかな場合とする。

2  法第七十八条第二号の規定により職員を降任させ、又は免職することができる場合は、任命権者が指定する医師二名によつて、長期の療養若しくは休養を要する疾患又は療養若しくは休養によつても治ゆし難い心身の故障があると診断され、その疾患又は故障のため職務の遂行に支障があり、又はこれに堪えないことが明らかな場合とする。

3  法第七十八条第三号の規定により職員を降任させ、又は免職することができる場合は、職員の適格性を判断するに足ると認められる事実に基き、その官職に必要な適格性を欠くことが明らかな場合とする。

4  法第七十八条第四号の規定により職員のうちいずれを降任し、又は免職するかは、任命権者が、勤務成績、勤務年数その他の事実に基き、公正に判断して定めるものとする。

と定められている。

すなわち,国家公務員といえども,社会の多くの人が,「それは仕方ないだろう」と納得する理由があればクビを切れるのである。

ただし,これらは法令上の話であって,実際には,民間労働者の多くがその権利の存在や行使の手段を知らなかったり,公務員の組合が強かったりするなどの理由で,民間労働者はクビを切られやすく,公務員は滅多に切られないという現実になっているのであろう。
公務員の労働組合も,社会人としての節度を民間労働者よりもやや強く意識する必要はあろうが,民間労働者は,政府与党や財界人などに踊らされていたずらに公務員批判を繰り返すよりも,自らの権利をきちんと学んで守る努力をするべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年6月11日 (月)

オンライン端末の45分操作15分休止は異常か?

社保庁の労組と当局の覚書がセンセーショナルに取り上げられている。

その中で,「端末を45分操作したら15分操作しない時間を設けること」という内容を,あたかも「45分働いたら15分休め」という内容であるかのように伝えるメディアも多い。
正しく伝えているメディアにしても,やはり異常なことのようであり,お決まりの「民間ではあり得ない」という言い方で伝えている。

しかし,2006年に厚生労働省より各都道府県労働局長宛に,VDT(Visual Display Terminals,ブラウン管や液晶のディスプレイを持つ端末機)作業における労働衛生管理のガイドラインを発している。
その中で,
「連続作業時間は1時間を超えないようにすること。」
「連続作業と連続作業の間に10~15分の作業休止時間を設けること。」
と定められている。

つまり,現在の民間企業においても,パソコンやオンライン端末機は,45~50分操作,10~15分休止は,労働者の健康を保つために守られるべきルールなのである。

このような情報を知ってか知らずか,労組と当局の覚書を,殊更に労組が理不尽に業務量を減らしたいがために無理矢理取り交わしたもののように報じるメディアは,政府与党や財界の労組潰しに荷担しているだけではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年6月10日 (日)

国民は今回の年金問題を機会にもっと政治に興味を持つべきではないか?

先日5月30日の本ブログの記事「年金問題で国民はここまで馬鹿にされて良いのか?」で,「年金という,極めて全国民の生活に密着した問題でさえ,与党にここまで馬鹿にされて,国民はもっと怒るべきではないかと思うのだが,どうだろうか。」と書いた。
郵政民営化,自衛隊イラク派遣,耐震偽装,アメリカ牛輸入,教育基本法,格差問題,政治とカネの問題など,国民不在で動かされている政治問題は数え切れないほどある。
しかし,日本国民はとても大人しく,政治に無関心で,政府与党の数に任せた横暴が好きなようにまかり通ってきた。
今回の年金問題も,政府与党は強行採決で乗り切ろうとして,自分もそのまま押し切られることを危惧して先のような記事を書いたのだが,さすがに懐に直接手を突っ込まれるようなことには,さすがに国民も怒りを顕わにしたようである。

参院選挙を意識して民主党などが好機と見て強い態度に出ているというのもあろうが,社会保険事務所などへの問い合わせが殺到していることなどから見ても,国民の興味も他の問題よりもかなり強いのは間違いないだろう。

国民は,きちんと声を上げれば無力ではないということを今回の件で認識して,ほとんどの政治問題は間接的にでも国民一人一人の生活に関わることであるので,今後も意識を高く持って情報をきちんと押さえ,声を上げるべき時には上げるようにするべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年6月 4日 (月)

5000万件の年金記録が宙に浮いたのは労組のせいか?

5000万件の年金記録が宙に浮いた問題で,社保庁の労組を責める論調が見られる。
確かに,コンピュータの導入などの業務の合理化の動きに対して,業務量が減ることによる定員削減を危惧して反対するなどの運動もしていたようであり,このような運動はどのような観点から見ても行き過ぎだと思う。

しかし,スト権のない公務員労組に対して,幹部がそれほど組合のいいなりになる必然性があるとは思えない。
幹部も,公共サービス向上よりも面倒を起こしたくないという保身の意識の方が先に立っていたのではないだろうか。
また,年金記録が宙に浮いたのは,公務員全体の体質によるものであって,労組の問題ではないのではないだろうか。

公務員の体質を作るのは政府および高級官僚であって,末端の公務員は,自らの置かれた環境に適応しているということではないかと思う。
例えば,チェーンの飲食店で,会社によって店員の対応の良いところと悪いところがあるだろう。その場合,対応の悪い店は,若いアルバイトの店員などに最も大きな責任があるのだろうか。
良い対応のできる店員を育てられない,会社のシステムに問題があるのではないだろうか。
自分を甘やかしてはいけないのは万人の持つべき基本姿勢だと思うが,人を雇う人間が,雇われる人の心懸けに頼ろうとするのは間違いであろう。

決して,そのような環境に甘える末端公務員を良しとするつもりはないが,末端公務員に責任を押しつけて自らの身は守ろうとしているのであれば,そのような政治家や高級官僚は極めて卑怯だと思う。

また,実際は45分ブラウン管を見つめて作業をしたら,15分は他の作業をして目を休めるという,当時としては当たり前の条件に関して,あたかも45分働く毎に15分休憩することを労組が要求したかのように報道されているのを見るが,これも与党や大企業の立場に立ったマスコミの,組合敵視を煽るための印象操作としか思えない。

労組の姿勢にも行き過ぎの面はあるが,現在の与党の姿勢は,それをことさらに論って,労組つぶしと民主党批判の誘導を図っているとしか思えないのだが,どうだろうか。

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公務員のためいき 5千万件の年金記録漏れ

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2007年6月 1日 (金)

社保庁を「非公務員型」組織とすることに何の意味があるのか?(その2)

前回の記事の追記である。

自民党のWebサイトに「政策パンフレット」というページがあり,その中に「あなたの年金が消えたわけではありません!!」というものがある。

その中に,「なぜ、このような事態になったのでしょうか…その責任は!」と大きく赤字で書かれ,当時の大臣として菅直人氏の名を3回挙げて,「現在、民主党の代表代行です!」とこれも赤字で大きく書かれている。

さらに,労働組合との合意事項と見られる内容を,問題を招いた原因であると書いている。

いかがわしい団体顔負けの中傷ビラのようなものである。
また,大臣という雇用者としては労働組合に言えないことを,自民党の名の下に好き放題書いている。

このようなものは,大衆迎合,組合つぶし,責任逃れではないかと思うのだが,どうだろうか。

(この,「政策パンフレット」のページは初めて見たが,他にも笑える,または腹が立つものが沢山あった。)

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2007年5月31日 (木)

社保庁を「非公務員型」組織とすることに何の意味があるのか?

年金問題に絡めて,今国会で社会保険庁改革法案が成立させられようとしている。

社会保険庁を廃止して,特殊法人「日本年金機構」を作り,その職員は「非公務員型」にするという。
「非公務員型」,現在ある独立行政法人の多くもこれになっているが,単に与党に都合の良いように社会システムをいじられているようにしか思えない。

安倍総理を始めとして,政治家は「これまでの社保庁は親方日の丸体質」などと批判する。
これには極めて強い違和感を感じる。
社保庁などの官庁の職員は,大臣や長官の部下である。その大臣らの責任者は総理大臣である。
彼らは,自分に管理監督責任がある者達について,他人事のように批判する。
これは,国民の公務員批判に乗じて保身を図ろうとする,極めて卑怯な行為ではないだろうか。
かつて,バブルに踊り廃業に至った山一証券の社長が,記者会見の場で,「みんな私達が悪い,社員は悪くない」と涙を流して訴えたシーンが思い出される。

社保庁の職員が結託して命令に背いたのならまだしも,5000万件の年金記録を宙に浮かせたときも,社保庁は首相や大臣の監督下にあったのである。
(だからといって,安倍首相が菅直人氏を名指しで批判したのも非常に見苦しかったが。)

自分たちの部下である公務員を,他人事のように批判し,いつの間にか「非公務員型」と称して自分たちに責任が及ばないようにしてしまっている。
「非公務員型」と言えども,給料など法人の運営費は税金で賄われている。国民にとっては,実質的に公務員と違いはない。
しかし,政府は「非公務員」が何をしようと直接的な責任を問われず,罰だけを与えることができる。

また,今の社保庁の問題などの基を作った者たちは昔の幹部であり,のうのうと高給や退職金を受け取って何の責任も問われない。
希望と志を持った,善良で有能な若い職員も多数いるであろうに,いつの間にか「非公務員」にされてしまう。

一部の公務員に,批判されるべきところはあると思うが,それに乗じた政治家に目をくらませられないよう国民は注意するべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年5月30日 (水)

年金問題で国民はここまで馬鹿にされて良いのか?

与党は,今日の衆院厚生労働委員会で,年金時効停止特別措置法案を野党の反対を押し切って強行採決した。

いくつかの新聞社のWebサイトを見る限り,朝日新聞がやや詳しく書いている他は,「支給漏れの時効を無くす法案を与党が委員会で可決した」,「5000万件の宙に浮いた記録は政府がきちんと調べると言っている」,「野党は審議が足りないと猛反対している」程度のことしかわからない。

5000万件のうち,政府がある程度積極的に調査するのは2880万件だけであり,それでも1年で作業するには多すぎて実際に確実に行われるとは信じがたいことや,その他,領収書以外で確認する方法などの具体的な内容が示されておらず,果たして支給されるべき人達のどの程度が救済されるのか,全く見通しが立っていないことは,これらの記事ではわからない。

ちらっとニュースを見る程度では,「せっかくの救済措置に何でも反対する野党が噛みついている」ように見えかねない。

また,この時期に半日の審議で強行採決するのは,選挙の頃にはほとぼりも冷めているといようとの目算があるだろう。

要するに,大多数の国民は,大して新聞やニュースも見ず,野党を信頼しないように与党に誘導されるので,無党派層は投票すらしないか,しても消去法で与党に投票すると考えているのであろう。

年金という,極めて全国民の生活に密着した問題でさえ,与党にここまで馬鹿にされて,国民はもっと怒るべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成後にTBさせて頂いたブログ]
さぁ みんなで語り合おう「消えた年金」問題
お玉おばさんでもわかる政治のお話 年金の問題は右派とか左派とか関係ない。

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2007年5月28日 (月)

松岡利勝農相はサムライだったのか?

松岡利勝農相が自殺を図り,亡くなった。ご冥福をお祈りしたい。

遺書があったそうだが,そのようなものの真偽も不明であるし,国民が真相を知ることはないであろう。

単純に正義のためであれば,生きてすべてを明らかにするべきであった。
しかし,一般市民には計り知れない複雑な状況に置かれる大臣という職にあって,種々の事情により,生き恥を晒すよりも,また,様々な責任を負って自ら死を選んだということであれば,サムライとして潔い死に様ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年5月23日 (水)

国会でのらりくらりと答弁する安倍首相は,子供たちに対して恥ずかしいとは思わないのか?

衆院予算委員会で,松岡利勝農相の光熱水費問題に関して,詳細の公表をしようとしない農相について,民主党の岡田克也氏が安倍首相に対して,「農相が説明責任を果たしていると総理が思うかどうか,YesかNoで答えを」と迫ったが,安倍首相は「法律に求められているなかで説明を果たした」と答えた。

首相自身の考えをYesかNoでと求めたのに,のらりくらりとかわす安倍首相の姿は,実に醜悪なものだと思う。

「美しい国」,言葉だけ見れば大変結構なことである。
新教育基本法の前文には,「真理と正義を希求し,公共の精神を尊び,豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期する」とあり,これも字面だけ見れば極めて望ましいことである。

安倍首相は,答弁する自分の姿を,「美しい国」を創って欲しいと願い,「真理と正義を希求し,公共の精神を尊」ぶ青少年たちに見せて恥じるところはないのかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成後にTBさせて頂いたブログ]
日本がアブナイ! 松岡問題、9条改憲隠し?、石川・漫画で人気とり~安倍自民党は 国民をバカにし過ぎ!+衆参同日選

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2007年5月22日 (火)

辺野古の調査で国民に銃を向けた自衛隊は何を守ろうとしているのか?

米軍普天間飛行場の移設の動きが進められている名護市で,民間業者に委託された環境調査に,市民団体による妨害を牽制するために自衛隊が動員されるという事態が発生した。
自分は,移設問題に関して知識が少なく,それ事態に関してここでは述べないが,このような形での自衛隊出動は極めて大きな問題ではないかと考える。

[関連新聞記事]
読売新聞 シュワブ沿岸部海域で施設局が調査開始、海自潜水員も参加
毎日新聞 在日米軍再編:普天間移設先の現況調査、海自が異例の支援
琉球新報 海自の代行を示唆 辺野古事前調査
琉球新報 海自の警備行動選択肢 防衛相、認識示す
西日本新聞 普天間移設調査 「なぜ自衛隊動かす」 反対派反発 識者「法的根拠ない」

これらの記事を読むと,掃海母艦「ぶんご」を派遣し,海自隊員ダイバーを作業に参加させたのは,反対運動者を威圧するとともに,不測の事態下でも確実に作業を遂行するためであることは明らかである。

これは,自衛隊が治安維持のために国民に銃を向けたに等しい。
不審船が海上保安庁の船へ射撃したり,中国の原潜が領海を侵犯したのと同等の事態として扱われている。
米軍基地移設に市民が丸腰で反対を叫ぶことが,我が国に対する危険として上のようなことと同等なのだろうか。

拳銃を持った男に若き警察官が命を奪われるという事件の一方で,丸腰の市民に自衛隊が対峙するとは何とも皮肉である。

自分もそうであるが,今回のことで国民は,一部の権力者がなりふり構わず力ずくで国民を支配しようとしていることを確信するべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成後にTBさせて頂いたブログ]
華氏451度 普天間飛行場移設問題とマスコミ
日本がアブナイ! 日本は戦争支援国?+沖縄の基地調査に自衛隊出動+集団的自衛権+田中2千本安打

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2007年5月16日 (水)

安倍首相の防大卒業式での訓示は最高指揮官として不適切ではないか?

民主党の小沢一郎代表が安倍首相との党首討論で,「危機に臨んで、自らの信ずるところに従って的確な決断をすることが必要」と防衛大学校卒業式で安倍首相が訓示したことを批判した
この論議は一般にあまり評価されていないようであるが,自分は,安倍氏の首相としての不適格さを十分に際立たせたように思う。

安倍首相は討論中に,周囲に向かって「この心構えがどこかおかしいでしょうか?」と呼びかけていたが,本当にわからないのであろうか。

首相は自衛隊の最高指揮官である。にも関わらず,自分の命令と隊員の信念が異なるものであれば,命令に背いても良いとでもいうのであろうか。

また,首相は,冒頭で書いた台詞の前に,「危機に直面した場合,右と左を足して二で割ったような結論を出しては不適切」ということを述べている。
この訓示が,個別具体的な行動場面を想定しているのであれば,極めて卒業生を馬鹿にした内容であろう。
単なる社会人としての心構えならともかく,多数の部下の生命を預かる自衛隊幹部になる者たちである。背広を来た人間に言われなくとも,そのようなことは当然わかっているはずである。
その程度の緊張感を持っていないと思われたのであれば,本人たちは心外であろう。

安倍首相は,社会情勢に鑑みて緊張感を持つように言いたかったのであろう。内閣メルマガにもこのことを誇らしげに書いている。しかし,結局,目の前の卒業生たちの生命を自分が預かるということをわかっていないという,自分自身の緊張感の無さを露呈しただけではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年5月15日 (火)

自民党はなぜ国民投票法に最低投票率規定を設けようとしないのか?

自民党の保岡興治氏が,先刻,報道ステーションで国民投票法案に最低投票率の規制を設けない理由としてボイコットの問題を挙げていたが,その説明の中での例で投票率が35%と40%の場合を想定していた。このことに,自民党の思惑が見えるのではないだろうか。

政府が,真摯に憲法改正について国民に説明し,賛否に関わらず国民の関心を十分に引き起こせば,投票率が40%ということはないであろう。
自民党は,民放や公務員労組,教員労組などの口を封じ,普段から政治に無関心な国民は家で寝ていてもらい,投票率は低くして,その少ない投票を関連団体の組織票で固めてしまおうとしているのだろう。
野党や,自分のような最低投票率規定を求める国民は,それを危惧していると考える。

保岡氏は,「投票率40%で賛成票がその60%だと全国民の24%の賛成となる。投票率が35%でその80%が賛成だと全国民の28%が賛成となる。仮に必要最低投票率が40%だと5%がボイコットすると,前者よりも賛成者が多く投票者の8割もが賛成なのに成立しないということになる。」と付け焼き刃の説明をしていた。
これは説明として不適切で,例えば「国民の28%が賛成」を前提にして,前者の例は賛成票が80%としなければ比較はできない。要するに,逆転現象が起きるということを言いたかったのだろうが,「国民の28%が賛成」を前提にすると「それではどのみち少なすぎる」と批判されることを恐れたのか,単に本人がよく理解していないのか,どちらかであろう。
自信満々の様子で話してはいたが,話の途中で「40%の8割は28%」と口走ったのが,誰かの入れ知恵に過ぎず本人が理解していないことを端的に表している。

それよりも,国民の8割が賛成なのに投票率が40%などということはあり得ない。
国民の意識が十分に高いなら,ボイコットによって不成立に持ち込むためには,賛否が拮抗していて,しかも反対者がこぞってボイコットできるだけの強い意志を持っていることが必要である。
それほど反対が強いなら,ボイコットしなければ僅差となるはずであり,憲法改正を決定するには十分に国民の理解を得られていないということである。

最低投票率規定を設けようとしない自民党は,せっかく固めた2~3割程度の組織票を,反対派の数%のボイコットに無駄にされることを恐れているのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年5月 6日 (日)

従軍慰安婦問題を日本政府は軽くいなせば良いのではないか?

従軍慰安婦に関する話題がいろいろと取り沙汰されている。

自分自身は,従軍慰安婦問題に関して,確証ある情報を持っているわけではないので,それが当時どういうものであったか,何も語ることはできない。
しかし,それがどういうものであったにせよ,今さら日本が謝ったり賠償したりする必要はないと考える。
歴史を振り返るとき,従軍慰安婦問題程度のことは,大した問題ではないだろう。現代的な国家が形成される途上の歴史における事柄について,現在も構造的に影響が残っているようなことではない小さな問題について,関わったひとりひとりの人間に同情していてはきりがない。

しかしながら,外交の場で,上のような考え方を露骨に表明するかどうかは別問題であろう。

この問題に関しては,国内に敵が多い。日本国民が,上記のような考え方で一致団結できるなら,対外的にも突っ張って構わないと思うが,国内に問題を蒸し返そうとする勢力が多いため,それらに攻撃材料を与えてしまい,諸外国もそれに乗じて攻撃をかけてくるため,利益は少ないと思う。

河野談話,村山談話で,対外的に謝罪の意を既に表している。また,先日,最高裁判決で,従軍慰安婦の存在を認めながらも国家として賠償する必要はないとの判決も出された。
過去の事実はどうあれ,もうこの問題はほぼ「けり」がついている。

別に,弱気な外交をするべきと言うのではない。しかし,この問題で目くじら立ててあれこれ論争するよりも,「謝った。しかし具体的な償いはできない。」,それで軽くいなして行くのが賢明ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年4月25日 (水)

集団的自衛権の行使など言語道断であると国民は再認識するべきではないか?

安倍首相が「集団的自衛権」を行使できるようにしようと躍起になっているが,「集団的自衛権」は今の憲法とは全く相容れないものではないだろうか。

「集団的自衛権」は,「持っているが行使できない」というのが政府の立場であり,「持っている」の根拠は国連憲章第51条に「集団的自衛権」は国の「固有の権利」と定められていることらしいが,全くの詭弁だと考える。

国連憲章には,「戦争をしてはいけない」とは書いていない。しかも,国連による軍事行動まで規定されている。つまり,紛争の解決手段としての戦争は,極力避けるべきとはしているが,行う権利を国連はどの国に対しても否定していない。
しかし,国際紛争を解決する手段としての軍事行動を行う権利は,憲法で明確に放棄している。

先日,元防衛庁長官の石破茂氏が,「北朝鮮からグァムの米軍基地へ向けてミサイルが発射され,偶然,日本のイージス艦がそれを撃墜できる位置にいたとして,日本が何もしないでミサイルを見過ごして米軍基地に命中し,多数の死者が出たら,その瞬間に日米安保条約は破綻する」という意味のことを述べるのを聞いた。
その場合,いったい何が起きるというのだろうか。米軍が,日本から全基地を撤収するのだろうか。それとも,日本を占領でもするのだろうか。

米国に対する攻撃に対して反撃するというのは,明らかに米国対第三国の軍事紛争への介入であり,すなわち「参戦」である。今の憲法下ではできないことは明らかである。
安倍首相などは,「集団的自衛権」に関して繰り返し言及して国民の感覚を麻痺させようとしているが,日本国民は,「集団的自衛権の保持・行使」など議論するにも値しないということを再認識する必要があるのではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成後にTBさせて頂いたブログ]
日本がアブナイ! お仲間会議で集団的自衛権の解釈改憲&憲法の記念式典でも改憲祝辞・・・こんな首相はいらない!
評論家・森田敬一郎の発言 安倍氏はアメリカが嫌い?―アメリカ人が草稿書いたって、いい憲法ならいいじゃないか。

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2007年4月21日 (土)

お年寄りが無理に運転しなくてもよい地方社会にするべきではないか?

今日,一方通行の道路を車で走っていたら,どう見ても70を優に過ぎた老夫婦(ご主人が運転)の軽トラックが向こうから走ってきた。これを罵るのは簡単だが,やはり地方の公共交通の貧弱さを思わずにはいられない。

地方ではあるが,ほとんど通行のないような過疎地ではない。一方通行を逆走すると,かなり事故の確率は高くなるだろう。逆走しないまでも,運動能力の衰えたお年寄りが運転するには,多すぎるだけの通行量はある。

しかし,路線バスを走らせれば赤字は間違いない程度の人口密度でもある。

公共交通が貧弱だからと言って,現代のお年寄りに,家の近所だけで生活しろというのは酷であろう。また,農作業にも車は必需品であり,田んぼと畑ばかりだったところに宅地などが入り込んだために通行量が増えて,邪魔者扱いされるのも迷惑だろう。

「狭い日本そんなに急いでどこに行く」という標語は,かつては頻繁に目や耳にしたが,最近はめっきり聞かなくなった。急ぐのが当たり前になってしまったのではないか。

都市と地方を結ぶ交通を充実させ,地方の経済を活性化して,地方の人口を増やし,さらに「そんなに急いで」移動しなくともよいだけのゆとりを多くの人が持てるようにするなど,様々な方策を同時並行的に行わなければ,若者から老人までが安心して暮らせるような地方社会は実現できないだろう。

大都市偏重の,または自動車産業の繁栄ではなく,地方の繁栄のために,国民みんなで知恵を絞るべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年4月18日 (水)

国民は早く憲法が自分たちのものであることに目覚めるべきではないか?

4月16日の参議院本会議で,民主党の簗瀬進議員の質問に答えて,自民党憲法調査会の会長である保岡興治が,国民投票法案で最低投票率を定めない理由について,「専門的・技術的な国民の関心の薄い憲法改正が難しくなる可能性がある」と述べた。(参議院インターネット審議中継のこのライブラリの27分頃の発言)

全く国民を馬鹿にした発言である。しかも,予め準備した答弁書を棒読みしている。つまり,「うっかり口にした」のではなく確信犯である。真面目に考えた末に,国民に受け入れられる内容だと思っているのである。

「専門的・技術的」であって,多くの「馬鹿な」国民には理解できないような内容の憲法改正の場合は,理解できる一部の「賢い」国民で決めてしまおう,ということである。

憲法は主権者たる国民のものであり,権力から国民を守るものである。一部の権力者の思惑で変えるべきものではない。

国民が主権者たる自覚になかなか目覚めないから,このような者たちにいつまでも馬鹿にされるのではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成後にTBさせて頂いたブログ]
日本がアブナイ! 国民投票法案の慎重審議を!(1) ~参院は波乱の幕開けに。安倍暴挙を許すな!~
華氏451度 「憲法問題は関心が低いから最低投票率を設けられない」!?

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2007年4月15日 (日)

いつまで名前を連呼する選挙が続くのか?

統一地方選の後半戦が始まった。

町じゅうを,多くの選挙カーが走り回り,騒音を撒き散らしている。

「○○○○(候補者の名前),○○○○をよろしくお願いします。」
「ご声援ありがとうございます。」

などと,意味のない言葉を大音量で流しながら走り回っている。あまりにも馬鹿馬鹿しい。
病人が休んでいる家や,赤ん坊が昼寝している家にとっては迷惑極まりないだろう。

こんなことで,得票数が変わるのだろうか。変わるとすれば,投票する人達の良識を疑う。

市議会議員などが,関係者の利益代表でしかない限り,このような状態は変わらないのであろう。
昨今の世論は,公務員に「全体の奉仕者」たることを徹底するよう強く要求している。
ならば,同じ公務員である市議会議員などにも,「市全体の奉仕者」であることを要求すべきであろう。

地方自治体の住民がもっと自立して,議員などを自治体全体に関する政策によって選ぶように成長しなければ,自治体が国に依存せずに自立できる日は来ないのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年4月11日 (水)

海上自衛隊のCMに釣られる若者に国が守れるのか?

海上自衛隊がこんなCMを作っている。
「街頭ビジョンCM」というものが,どこで流されているのか知らないが,多くの人が見ることができる場所なのだろう。

こんなCMに釣られて入隊する若者に,命を懸けて国を守る覚悟があるのだろうか。
不景気で働き口の少ないのをいいことに,札びらで頬を叩いて引きずり込もうとするようなもので,全く国民をバカにした話ではないだろうか。

一昨日の本ブログ記事で批判した石原慎太郎氏だが,ひとつ共感できることを述べている。(公式Webサイトで紹介されている。)

「死の予感に晒され苛まれることのない男とは,つまり,自らの愛するもののために,場合によっては生命を賭した闘うべき義務責任を負わぬ男でしかない。」

自分は護憲派であり,戦争は嫌悪する。しかし,いくら平和な社会でも,例えばある日突然暴漢あるいは災害などにより家族の身の危険が生じるなど,突発的な事態が起きる可能性は常にある。やはり男たるもの,場合によって命がけで闘う覚悟は必要だと思う。

人一倍,そのような使命感の強い若者をこそ惹きつけるようなCMを,自衛隊は作るべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成後にTBさせて頂いたブログ]
お玉おばさんでもわかる政治のお話 海上自衛隊のCM、やばい

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2007年4月 9日 (月)

石原慎太郎都政による東京一極集中は日本のためになるか?

石原慎太郎氏が都知事に再選されたが,これは当然の結末だろう。
政策の内容は別にして,あれだけの存在感,リーダーシップを持つ人物に対抗するには,他の候補者ではあまりにも力不足である。しかも東京都は都道府県の中では「勝ち組」(嫌いな言葉だが)である。保守の現職が強いのは当然であろう。

自分は石原都政をよく知らないので,あまりコメントできないが,特に肯定するものではない。
ただ,石原氏自身は嫌いではない。

東京都を独立国と考えるならば,石原氏は良いリーダーではないかと思う。だからこそ,結局大差で都知事選に勝利できるのだろう。

自分が石原氏の政策に関して最も不満を感じるのは,地方との共存に関する姿勢である。

石原氏が,日本における東京と地方のあり方についてどのように考えているのかと少しネット上を眺めたら,以下のような情報があった。
石原氏の公式Webサイトの1ページの中の,

石原は現代文明を「コンピューターエイジ」だと捉えている。コンピューターはネットワークにより、機械は分散するが、肝心の中身である情報は集中・集積によって成り立っているものだ。(中略)コンピューターエイジである現代文明において、集中・集積は歴史的、文明的に必然であり、そのメリットを最大限活用すべきだと石原は捉えているのである。

という記述である。
これは間違っていると自分は思う。
ネットワークを含む情報処理技術の進歩により,情報の蓄積と処理も分散化が進んでいると考える。「集中・集積」はふた昔以前のメインフレームが主役の時代のことではないだろうか。

石原氏が,真に「東京から日本を変える」つもりであれば,「地方と共存する東京」を目指すべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成後にTBさせて頂いたブログ]
日本がアブナイ! 統一地方選前半が終わり、石原3選するも・・・実は、ここからが本番&重要なのだ!
お玉おばさんでもわかる政治のお話 あと四年も石原都政

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2007年4月 8日 (日)

国民投票の投票権年齢を18歳以上とするのは何のためか?

与党の提出した国民投票法案では,投票権年齢を18歳に引き下げるとしているが,自分はこれは問題があると感じている。
これは民主党の主張を受け入れた形であるが,民主党がなぜこれを主張するのかも理解に苦しむ。若い人の方がリベラルで民主党に近い考え方をする人が多いと考えているのだろうか。

昨今は,若者の精神的な成熟の遅さが指摘されることが多い。高校卒業後の進学率が高いことも影響しているように思われる。
ひと昔あるいはふた昔くらいなら,社会人となる年齢の標準は18歳でも良かったかも知れないが,このごろは20~22が標準であろう。フリーター,ニートの多さを加味すれば,もっと高いかも知れない。

国民投票の投票権年齢を18歳に引き下げることにより起きるもっとも大きな変化は,創価学会員の若者に投票権が与えられることではないだろうか。
具体的なデータがないので,全くの当て推量に過ぎないが,18~19歳で国民投票などに棄権しないで投票する人数は,リベラルな若者よりも創価学会員の若者の方が多いように思われる。

与党が創価学会票に頼っている現在,国民投票などの権利を18歳以上に与えるのは,与党を利する面がかなり強いのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年4月 1日 (日)

選挙を棄権しても批判としての意味は成さないのではないか?

統一地方選の前半戦が始まっている。この選挙の重要性は極めて大きいのではないだろうか。

日本は長らく封建的な社会に馴染んでおり,戦後もまだその空気は残っていると思う。しかし,少し前までは,有力者たちにまだ「品格」があったように思われる。昨今は,戦前を知るような「品格」ある有力者たちのほとんどは草葉の陰から為す術もなく,封建的な考え方と,利己主義と履き違えたとしか思えない民主主義の考え方を併せ持つ者たちに世の中が牛耳られようとしているように感じられる。

そのような中,一頃よりは「あきらめムード」が少しずつ払拭されてきているようにも感じるが,まだまだ国民の政治への関心は薄いと言っていいのではないだろうか。

よく,投票したいと思う候補者がいないから選挙に行かないとか,投票しないことが批判の意を表す手段だとかいう声を聞く。

しかしそれは,国民を欺いたり利用したりしようとする政治家にとっては完全に思う壺であり,そのような者たちに,選挙に行かない国民はバカにされていると思ってよいと考える。

このようなブログを読まれる方で,選挙に行かない人はほとんどいないとも思われるので,こんな記事はあまり意味がないかも知れないが,このところ多忙で新しい記事を書く時間がなかなか取れない中,地方選に関してひとことだけでも触れておこうと思い,急ぎ書いてみた。

いずれにしても,選挙を棄権しても何の得もないので,批判の意思だけを表したいにしても,泡沫と思しき候補に入れるなり,最低でも白票を投じるなり,何らかのアクションを起こす必要があるのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年3月25日 (日)

日本でのテレビコマーシャルなどの広告は消費者を馬鹿にしているのではないか?

日本では,テレビコマーシャルなどの広告において,商品の具体的説明を行わずイメージだけを印象づけようとするものが極めて多く,自分は子供の頃からこれを疑問に思っていた。同類商品を比較するために何の参考にもならず,広告として意味をなさないのではないかと思っていた。お菓子のCMで有名人がおいしそうに食べるだけのものなど,何の意味があるのかまったく理解できなかった。

20年ほど前までは比較広告が行われていなかったので,なおさら,その印象が強かったのだと思う。初めて海外でテレビCMを見たとき,具体的な説明に重点を置くものが多かったので,「こうあるべきだろう」と思ったことを覚えている。

しかしながら,日本では一般に印象の良い広告の効果は大きいようである。知名度の高さが重要なのは確かであろう。人気タレントの起用や,映像として出来の良さ,インパクトの強さなどを目指して広告は作られているようである。

テレビCMの出演料は非常に高いと言われている。有名タレントやスポーツ選手などは数千万単位が普通で,億を超える場合もあるようである

広告作成の依頼主は,広告代理店やテレビ局などのメディアに莫大な料金を支払っているであろう。その料金は,依頼主の商品やサービスの価格に転嫁され,消費者が負担するのである。つまり,「広告はタダではない」のである。

イメージだけを見せるCMに消費者が踊らされ,広告代理店とメディアが儲けて,この構図の中に,商品の正しい知識が伝えられるなどの消費者に対するメリットはない。逆に,上述の価格への転嫁の他にも,宣伝の巧みさに商品やサービスを過大評価させられるなどのデメリットがあると言ってよいだろう。この構図は,企業や広告代理店が消費者を馬鹿にしている姿勢を表していると自分は考える。

一般消費者は,商品やサービスの対価を払う立場として,低コストで情報の豊富な広告を求めていくべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年3月18日 (日)

タミフルは副作用より大量消費が問題ではないか?

タミフルに関しては,副作用よりも,もっと問題にするべきことがあるのではないだろうか。それは日本においてタミフルが大量に消費・処方されているということである。

先日,このブログで「タミフル副作用で騒ぐマスコミは何が狙いなのか?」という記事を書いた。
その要旨は,科学的に見れば現在の状況ではタミフルの副作用は特に問題とは言えないのに,なぜメディアはかくも騒ぐのかわからないということであった。

「週刊朝日」3/23号の記事でも,上にあげた当ブログの記事で取り上げた厚労省の調査を行ったメンバーの医師たちに,日本でのタミフル販売元の中外製薬から奨学寄付金が渡っていることを理由に,調査結果の公平性が疑問視されていた。
ただし,この記事自体は,自分にはそれほど説得力は感じられなかった。

このように頻繁なタミフルに関する報道の中で,時折話題になる「世界の中で日本でのタミフル消費量が多い」ということが引っかかっていたので,少し情報を漁ってみた。

CNNによると,前米国国防長官ラムズフェルド氏が,タミフル開発元のGilead Sciences社の会長を1997年から2001年まで務め,現在でも大株主であり,タミフルで大儲けしたとのことである。
厚生労働省は新型インフルエンザ対策として,タミフルの大量備蓄を進めているが,これは他の国でもやっているようである。しかし,日常的に医師がインフルエンザ患者にタミフルを処方するのは日本だけのようである。
また,大量にタミフルを処方する日本に対して,タミフルに耐性を持つインフルエンザウィルスの発現を危惧する意見もあるようである。

これは全くの想像であるが,このような日本でのタミフルの使用状況に批判的あるいは損害を被る勢力が,昨今のタミフル批判報道を煽っているようにも思われる。そう考えれば,自分としては,メディアが妙に騒ぐのも納得がいくのである。

いずれにしても,タミフルの消費量が日本で異常に多いことに問題がないか,公正な場できちんと議論されるべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年3月10日 (土)

パートの厚生年金適用拡大は本当に「再チャレンジ支援」のためか?

法案が提出されるであろうパートの厚生年金適用拡大は,「再チャレンジ支援」を騙った詐欺行為のように感じたので一文書いてみる。

読売新聞の記事だけを元にほとんど予備知識なく書くので,見当違いな部分が多いかも知れないが,「ド素人」なのでご容赦願いたい。

新聞記事の見出しは「パート20万人に年金適用拡大、月内にも法案提出」であり,現在,労働時間が「おおむね週30時間以上」であるパート労働者の加入基準を拡大する政府案に関するものである。
新基準は「週20時間以上」働くパートのうち,〈1〉月収9万8000円以上(年収117万円以上)〈2〉勤務期間が1年以上などの条件を追加したものとのことである。
当初,追加条件はなかったが,負担増を嫌って反対する小売業界や飲食業界に配慮して条件が緩和されたとのことである。

安倍首相は,この適用拡大を「再チャレンジ支援策」の一環とし,パートへの年金を増やし,「老後生活における格差を拡大させない」ためのものとしているとのことである。

果たしてこれは本当に再チャレンジの支援となるのであろうか。

厚労省の言い分としては,国民年金に加入しているパート労働者が厚生年金に変更されれば,本人の負担が約半減するとのことである。しかし,サラリーマンの妻など「第3号被保険者」は現在は年金保険料の負担がないため,負担の純増になる。

これを政府側から見れば,厚生年金の保険料の半分は雇用主から納められるため,3号被保険者からの納付が増える分,保険料収入は増えることになる。
「再チャレンジ支援」などと言いながら,単にこれが狙いなのではないだろうか。

前にも書いたが,年金は,将来のために掛け金を納めるという自助努力のシステムではない。現在の受給者のために若い世代が負担するという,相互扶助のシステムである。
今,厚生年金の保険料を納めたからと言って,将来の受給がどうなるかは未定である。

それをきちんと伝えずに,「将来に年金を受け取る権利を与えてやる」といった言い方で,「再チャレンジ支援」と銘打って保険料を払わせるのは,詐欺に近いのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年2月28日 (水)

タミフル副作用で騒ぐマスコミは何が狙いなのか?

インフルエンザの治療薬タミフルと異常行動による死亡などとの関連について,話題となっている。

2/27に仙台市で,タミフルを服用後に中2男子がマンションから転落死して,過去にも類似の例があったことから,タミフルとの関連が取り沙汰されている。

厚労省が,「因果関係は明らかではない」などと発表し,これを非難する論調が見られる。

報道されているのは,「タミフル服用後の異常行動による死亡例が複数あること」,「タミフルの添付文書に副作用として異常行動などが挙げられているのに処方時に説明がなされていないこと」,「厚労省が対策を取ろうとしないこと」などである。

厚労省の調査結果として,「全国12都県の小児科医師に対して調査を行った結果,約2500の調査例において,タミフル未使用での異常言動の発現頻度は10.6%であったのに対し,タミフル使用では11.9%と有意差を認めなかった。」というものが公表されているが,このような情報は一部の報道で見かけたのみである。

このような具体的な数字もあるのに,これを報じずに,タミフルと異常行動の関連を疑うような情報のみ報じるのは公平とは言えないと考える。

メディアがやたらと取り上げるのは,厚労省や何かと話題の柳澤厚労相を批判すれば世論に受けると思っているのか,薬害エイズのようなセンセーショナルな展開を期待して乗り遅れまいとしているのか,所詮そのあたりの理由ではないかと思う。

一般国民は,報道の内容をあくまで情報の一部と捉え,自身が得ている情報の量と質はどの程度のレベルであるかを十分に考える必要があると考える。

医薬品の添付文書には,ほとんどの薬に極めて多くの副作用が記されている。タミフルには,「精神・神経症状(意識障害、異常行動、譫妄、幻覚、妄想、痙攣等)」などが挙げられているが「頻度不明」とされている。一般的な薬では,バファリンでは「めまい,興奮」,ガスターでも「可逆性の錯乱状態、うつ状態、痙攣、意識障害」などが記されている。これらは極めて頻度の小さい副作用であり,通常,処方時にいちいち説明はされていない。

これらの情報を見る限り,タミフルと異常行動が関連している可能性は極めて低いと見るのが科学的に公平であり,処方時に説明がなされていないのも特に責められるべきこととは言えないのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年2月27日 (火)

日本国民は『民主主義』を理解しているか?

自分は,戦後の教育で「民主主義」を教え込まれてきたと思っていた。そして,それなりに理解しているつもりでいたが,最近になって,あまりわかっていなかったような気がしてきた。
他の多くの国民も,ヒラのサラリーマン,重役,経営者,末端公務員,高級官僚,政治家など,どんな社会に生きているかにかかわらず同じなのではないかという気もしている。(フリーの専門家や芸術家などにはわかっている人が多いのかも知れないとも思う。)

日本的な文化である人を敬うことを忘れぬ心懸けと,人間関係に上下を付けて整理しようとすることを混同しているという面もあるのではないだろうか。
また,役所に限らず大小多くの組織が官僚制的に運営されることが,民主主義の理解への妨げになっているのではないだろうか。

思いつくままに例を挙げると,「水戸黄門」は長寿人気番組だが葵の御紋の印籠に皆がひれ伏すのを見ても,完全に別世界のものとは感じない感覚が日本人にはあるのではないかと思うし,以前にテレビの報道番組の一場面で,大きな自動車メーカーの地方工場に社長が出向いたとき,会議室のような部屋に入ってくる社長を全員が起立,礼をして迎えたのを見て苦笑いしたこともある。また,学校の卒業式などで,型どおりの動作で証書などを受け取るのも軍隊的に過ぎるように思う。

このような国民全体の気質のせいもあり,力のある人々も民主主義からは離れた感覚を持つことが多いのではないだろうか。
新教育基本法,経団連会長(前の奥田氏,今の御手洗氏を含め)などの言動など,特に深く考えずに受け取れば,一理あるとも言えよう。
しかし,自ら「権力の頂点にいる」と言う安倍晋三首相を見ると,「この人達は民主主義をわかっていない」と思うと同時に,そのとき感じた違和感を瞬時には整理できず,自分自身もあまりよくわかっていなかったことに気付かされた思いがした。

広辞苑によると,「民主主義」の英語「democracy」の語源はギリシャ語の「demokratia」で,「demos(人民)」と「kratia(権力)」とを組み合わせたものとのことである。
つまり民主主義とは人民が権力を持つことである。権力を持つ者はそれなりの責任を自覚し義務を果たす必要がある。

以前に当ブログで『「国家の品格」は「負け組」への鎮魂歌か?』という記事を書き,その中で『藤原氏は,「国民は永遠に成熟しない」と述べている。また,それへの対応として「真のエリート」が必要と述べている。』と紹介した。これは一部の者にその他多くの者がコントロールされるべきとの民主主義とはやや異なる考えのようにも見える。しかし,「真のエリート」が民主主義を理解する限り,これは必ずしも民主主義と相反するものではないと考える。

自分も「民主主義」をどれほど理解しているのかわからないが,多くの日本国民は,「民主主義」という概念をもっと正確に理解するべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年2月20日 (火)

[番外]安倍首相が来ると飛び上がるように起立する閣僚に大笑い

先ほど,News23で見たのですが,今日の閣議前に安倍首相が入室すると,全閣僚が飛び上がるように起立していました。大笑いです。
中学生くらいになれば,少しは意地やプライドが出てきてあんなに素直に言うことは聞かないでしょう。小学生並ですね。

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国民は「美しい国」よりも「品格ある国」を望んでいるのではないか?

藤原正彦著「国家の品格」が200万部を越え今なお売れ続けているそうである。

「美しい国」を提唱する安倍首相は,支持率をどんどん下げている。
公表される支持率には,いろいろとプラス側にバイアスをかける力が働いているのではないかと思うが,それでも40%を切り,不支持率が上回るまでに下げている。

これは,国民が「美しい国」よりも「品格ある国家」を志向していることの現れではないだろうか。

字面だけを見れば,「美しい国」も「品格ある国家」に通ずる部分が多いように見える。
しかし,現実に安倍政権が行っていることは,力のあるものがその力を失わんがために,力を以て体制を固めていくという,下品極まりないことのように見える。

民主党に「品格」があるとも思えないところが残念ではあるし二大政党制が良いかどうかはわからないが,とりあえず,フロック的ではない政権交代が,品格ある国家でありたいと願う国民の意思表示あるいは決意表明のために必要ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年2月13日 (火)

柳澤厚労相は少子化問題などほとんど眼中に無いのではないか?

「きっこのブログ」で取り上げられて知ったのだが,柳澤厚労相が衆議院予算委員会で,またも少子化問題の責任者としての自覚を感じられない発言を行った。

民主党の枝野幸男議員の質問の中で,「2004年度の厚労省の調査では医師の数が減少しているのは産婦人科医と外科医だけであるが,この理由を理解しているか」との問いに対して,「産婦人科医に関しては出生数の減少に伴う医療ニーズの低減が反映されている」と答えた。
衆議院TVの平成19年2月7日予算委員会のページの枝野氏の質問の23分40秒あたりがこの部分)

一般市民でも,また出産に関心のある人なら尚更,多くの人が産婦人科医減少の問題を知っているであろう。様々なメディアで取り上げられている。
googleで「産婦人科医 減少」と検索すると373,000件ヒットする。そして,キーワードに「少子化」を加えると94,100件に激減する。つまり,産婦人科医の減少と少子化は直接に関連づける人はほとんどいないことがわかる。

検索でヒットするページのひとつ,【「産婦人科医・小児科医不足を考える」公開シンポジウム】をざっと読んでみるまでもなく,激務と負わされる責任の重さのために希望者が減っていることは今や常識と言っても過言ではないかも知れない。

それなのに,「ニーズの減少」と捉えるとは,いかにもドライに数字の上でだけものを考える人の物言いである。

やはり,柳澤伯夫氏は,財界のための労働行政をするために任命された大臣であって,厚生行政,中でも少子化問題などは片手間にやっているのではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成後にTBさせて頂いたブログ]
みやっちBlog 柳沢発言の真意追求を言葉狩りに貶める安倍内閣
お玉おばさんでもわかる政治のお話 産む機械、健全な希望、言葉尻だけでとらえずとも・・・おかしいよ
日本がアブナイ! やはり柳沢氏は厚労大臣には適格ではない!<結婚&子供複数は健全発言を受けて>
さぁ みんなで語り合おう だめだこりゃ
ぽじとろんの落書き帖Ⅱ どうして、それが女性の尊厳を否定したことになるんだ?

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2007年2月10日 (土)

静岡空港建設は税金のムダ遣いか?

先刻,テレビ番組「ブロードキャスター」で静岡空港建設が取り上げられていた。
総工費1900億円ということで,赤字続きの福島空港を例に取り,採算性の見込みの無さが批判されていた。

しかし,公共交通に必ずしも採算性を求める必要があるのだろうか。

現在の情報化社会では,情報はほとんど日本中どこにいても十分に手に入る。発信も可能である。
自分は,人と物の物理的な移動がもっとスムーズになれば,人口や経済がもっと全国に分散して,暮らしやすくなると常々考えている。
地方にも仕事が増えるし,自動車利用が減って環境保全の効果もあろう。
(財界としては自動車利用の減少は困るのだろうが。)

そのためには,公共交通網の密度向上と利用費低減が必要である。
独立的に採算がとれず,税金がある程度投入されるのは不適切とは言えないのではないだろうか。
政官財の癒着など闇の一面もあるだろうが,それはそれである。

自分は地方都市に住んでおり,仕事でもプライベートでも空港をよく利用する。
日本のように細長い国土では,鉄道による移動はある程度の距離を超えると時間的あるいは体力的な負担が大きい。
しかし近年,航空会社のローカル便がどんどん減り,非常に不便している。

冒頭のテレビ番組でコメンテーターのひとりが,「東京から新幹線もバスもあるのに羽田や成田から行く人はいない」と述べていた。全く東京中心の考え方である。

東京への一極集中は多くの意味で問題があると思う。
最近,これを問題視する論調をあまり聞かなくなったが,これも自由競争偏重の現れなのだろうか。

経済を地方に分散し,国全体の活力を向上するためには,飛行機から地方自治体内の路線バスなどまで含めた公共交通の充実は不可欠ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年2月 8日 (木)

柳澤厚労相の失言を責め立てるのは「揚げ足取り」か?

柳澤伯夫厚生労働大臣の発言が,また物議を醸している。

問題の発言は「若い人たちは『結婚したい、子供を2人以上持ちたい』という極めて健全な状況にいる」という内容である。

先の「女性は産む機械」発言を含め,これらを責め立てるのを「揚げ足取り」とする論調があるが,果たしてそうだろうか。

「一人頭でがんばってもらう」とか,「若い人たちが子どもを欲しいと思うのが健全な状況」という発言からは,少子化問題の責任者としての自覚を全く感じられない。
女性一人あたりの子どもの数を増やす必要がある,当たり前である。若い人が結婚して子どもを欲しいと思う,当たり前である。それが実現できない社会が問題なのであって,子どもを産まない国民に問題があるわけではない。女性にがんばって産めと言ったり,結婚しないあるいは子どもを欲しがらない若者を不健全扱いするのは,責任転嫁も甚だしい。

がんばらなくても子どもの持てる社会,欲しいと思えば不安なく持てる社会,それを創って行くのが厚労相の役割であろう。
「一人頭でがんばってもらう」ではなく「一人でたくさん産めるような社会にしなければならない」,「欲しいと思うのが健全な状況」ではなく「欲しい人が安心して産めるような健全な社会にしなければならない」と,責任者としての自覚があれば自然と口に出るのではないだろうか。
「子どもを欲しいという健全な状況だからそれにフィットした政策が必要」とは言っているが,若い人が子どもを欲しがろうがそうでなかろうが,欲しいと思わせ,それを実現できる社会にするのが役目であろう。

「揚げ足取り」と言えばそうかも知れないが,大臣に責任者としての自覚があれば,揚げるはずのない足ではないか。
評論家ならばともかく,厚生労働大臣の発言としては,少子化問題に国策として取り組む自覚に欠け,国民に責任を被せる意識の現れたものであり大臣として不適格とされて然るべきであろう。

それにもかかわらず,本人も安倍首相も頑として辞任を拒むのは,少子化対策よりも財界の意向に沿った労働行政を優先する姿勢の表れではないかと思うのだが,どうだろうか。

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みやっちBlog 柳沢発言の真意追求を言葉狩りに貶める安倍内閣
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2007年2月 5日 (月)

安倍首相が柳澤厚労相を辞めさせないのは任命責任を問われたくないだけか?

柳澤伯夫厚生労働大臣の「女性は産む機械」発言が話題となっている。

与党議員をも含む辞任を求める声に対して,安倍首相は頑として擁護しようとしている。ああまでして守ろうとするのは,果たして任命責任を問われたくない等のためだけだろうか。
単純に考えれば,愛知県知事や北九州市長の選挙を見ても,さっさと辞めさせた方が得策のように思える。

柳澤大臣は,東大法学部から大蔵省(現財務省)と王道を歩み,政界入りした人物である。「日本は自分たちエリートが動かしている」という意識を持っている可能性は高いといえよう。
ホワイトカラーエグゼンプション導入法案を極めて精力的に推し進めていたし,増税論者でもある。
共産党が絵に描くブルジョアジーに属するような人物のように見える。経団連会長の御手洗氏も擁護するような発言をしている。
厚生労働省という,いわばプロレタリアートのために存在するような省庁の長にこのような人物を据えること自体に,安倍首相の政治の方向性が映されているようにも思える。

安倍首相が柳澤厚労相をどうしても辞めさせたくないのは,参院選を乗り切った暁には,与党内の反対すら押し切って,ホワイトカラーエグゼンプションなど財界や資産家に都合の良い政策をどんどん進めていきたいがためではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年1月29日 (月)

Windows Vista発売の意義をマスコミは理解しているのか?

Windows Vistaが明日0:00に発売されるそうである。

テレビが,Windows 95発売の時の騒ぎを期待して報道している。

自分も,95発売の時は電気屋に並んだ。
しかし,95の発売はMS-DOSと決別する極めて大きな革新であった。
マイクロソフトはVista発売はそれに匹敵すると言っているようだが,ユーザは皆分かっていて冷静である。

一部のマニアが秋葉原の店で行列を作ったりしているようだが,95発売の時とは意味合いが全く違う。
テレビ局などにはそれを理解できる者が番組制作現場にいないようである。

「あるある大事典」の騒ぎなどを通して,想定した映像を作り出すためにマスコミがあれこれと画策していることに,社会はそろそろ気付いているということをマスコミは理解するべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年1月28日 (日)

「ゆとり教育は悪」なのか?(その2)

安倍首相が1月26日の施政方針演説で「ゆとり教育」見直しに言及した。

「ゆとり教育」に対する社会の評価は,授業内容の減少ばかりが強調され,学力低下の原因とされている。
「ゆとり教育」とは,詰め込み教育に対して,ただのんびりと教育することのように捉えられているように見える。これは,「ゆとり教育」の本来の理念を誤解している。

「ゆとり教育」を推進した,元文部省官僚の寺脇研氏は,「中学まではだれもが百点をとれる」教育を目指すべきとしていたそうである。
これは,ただ授業内容を簡単にするということではない。知識をただ覚えるのではなく,物事の本質を理解し,応用できる知力をつけるために十分に時間を割くべきだということと理解する。
基礎知識を人よりも早く身につけた生徒は塾などでさらに知識を高めれば良い。大切なのは,できるだけ多くの国民が生活またはその後の高度な学習において応用できる知力を身につけることではないだろうか。理解していなければ応用はできない。

「円周率はおよそ3」と教えることが「ゆとり教育」の象徴のひとつのように言われ,批判する論調が多い。
しかし,自分はこれにも賛成である。
いったいどれだけの人が,円周率を「3」とすることと「3.14」とすることの実質的な違いを理解しているのだろうか。こんなことが批判されることこそが,詰め込み教育の弊害を表していると考える。

「(3.14-3)/3.14=0.0445...」,わずか4.5%の誤差である。
「ゆとり教育」世代でないのに上の一文を見てスムーズに理解できなかった人は,詰め込み教育の被害者であろう。

実社会において,4.5%の誤差が問題になることは少ない。
生活に有用な学習は,「コンマ14」を覚えることではなく,円周率の意味と利用法を身につけることであろう。実生活では,円周は直径の3倍と考えて問題はないし,高等数学ではπという文字で扱う。「コンマ14」や「コンマ141592...」などを記憶していることはほとんど必要ない。せいぜい「コンマ1」で十分である。直径10cmの円を見て,円周が約30cmであることを瞬間的に理解できることが実生活では重要であろう。

「ゆとり教育」の失敗は,本質的な理解をさせる授業を教師が行えず,従来のうわべだけの学習のままで単に量を減らしたことが原因だと考える。

質の高い教育の実現のためには,付け焼き刃の改革を繰り返すのではなく,議論を尽くして教育システムを作ることが必要であり,「ゆとり教育」の検証を十分に行わず世論に流されて過去に回帰するのでは,ただ同じ歴史を繰り返すのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年1月20日 (土)

安倍首相の周辺で不協和音がしていないか?

最近,安倍政権とその周辺に何となく不協和音が聞こえる気がしている。
それを強く感じさせる出来事が,またあった。

ホワイトカラーエグゼンプション制度の法案提出が見送られた。
それは良いことだと思う。

経済同友会の幹事のひとりから,「高度専門職年俸制」と呼んだ方が良いという意見などが出ている。

確かに,マスコミが「残業代ゼロ法案」と呼んだことは世論を法案反対に傾かせるように働いたと思う。
自分が不可解に思うのは,政府の言いなりのようなマスコミが,なぜこのような呼び方をしたのかということである。
「ホワイトカラーエグゼンプション」がわかりにくいという世論に対して,他の呼び方を考えるなら,「勤務時間撤廃」なり「完全裁量労働」なり,あまりネガティブなイメージを持たない呼び方はいくらでもあるだろう。

理由はわからないが,小泉政権のころに比べ,現在は政財界こぞって安倍首相を担ぎ上げるという雰囲気が薄いのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年1月15日 (月)

「ゆとり教育は悪」なのか?

ゆとり教育は失敗だったとの反省から,公立校の授業時間を1割増加させることが,教育再生会議で検討されているそうである。

自分はゆとり教育賛成派である。

若い頃,家庭教師のアルバイトを何軒もやっていた。そのころ,学校の教育が生徒に対して,なぜそれを勉強するのか,何の役に立つのか,さらには知ることの喜びなどを全く教えず,問題を解くテクニックだけを教えているのが極めて不満だった。
自分が教えた子どもが,「数学が少し面白くなった」と言ってくれて非常に嬉しく思ったことは忘れられない。

確かに,丁寧に教えなくとも教科書の内容をすぐにマスターする子どもはいるだろう。そのような子どもは学校以外でさらに勉強すれば良い。それに対する経済負担を軽くするような政策を別途に行えば良い。

東大生の親の平均収入が約1千万円であることが,親の経済力により学力差が付く証拠であるような報道がなされている。
教育に金をかければ学力が上がるのであれば,ほとんどの子どもが塾通いをする現在は,そうではなかった30年ほど前に比べて学力が高いはずである。
ちょっとやそっとの金をかけたくらいで東大に入れるものだろうか。
高収入の家庭の子どもが東大に行けるのは,知能の遺伝によるところが大きいのではないだろうか。

小,中学校では,何よりも,全ての子どもが人生に必要な基礎学力をきちんと消化して身につけることが大切だと考える。

近所の小学校の建物を見ると非常に古ぼけたものであり,教師は雑用に忙しいと聞く。

公教育にはもっと金をかけるべきだろう。例えば,いまだに黒板にチョークで授業内容を書くなど,時間の無駄以外の何物でもないと思う。全教室にプロジェクタを導入すれば,板書の時間は節約できて,内容もどんどん改良を加えることができて,授業は格段に効率的になるだろう。

金をかけて,質の高い教師を採用して,教師も子どももゆとりを持って楽しく勉強する環境を整えることが必要ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2007年1月14日 (日)

自衛隊の武器先制使用など絶対に容認してはならないのではないか?

読売新聞に以下のような記事があった。

「自衛隊PKO、武器の先制使用を検討…対象は非正規軍」

内容の抜粋を末尾に掲げておく。

教育基本法改正にしても,憲法改正にしても,改正推進勢力の言い分の中で,一応理屈の通っている部分だけを見て,「それは然り」と賛成に回る人々がかなりいるように見受けられる。

反対する人々は,じわじわときな臭い方向へ導かれようとしている気配を感じ取る。

このニュースなどについても,「撃たれるまで待てとは言えない」と改正推進派は言うだろう。それは確かに一面的には通る理屈である。

しかし,「強盗団」が自衛隊を襲うことなどを第一に想定している時点で違和感を感じるのは自分だけだろうか。
テロリストやゲリラは今のところグレーゾーンとしているが,「撃たれるまで待てとは言えない」という理屈ならばいずれ対象とされるだろう。
アメリカが今もイラクで毎日戦闘を繰り返している相手は「正規軍」ではない。

これでも,政府がこの調子で少しずつ自衛隊の海外での活動内容を拡張していこうとしているというのは考えすぎだと,賛成派の人々は言うのだろうか。

今回の件は,この国の権力者たちがもっともらしい理屈を付けて少しずつこの国を右旋回させていることを明らかに示しているのではないだろうか。

国民は,やはり政府などの言い分を素直に鵜呑みにせず,もっと警戒心を持つべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

読売新聞の記事の抜粋]
 政府は13日、国連平和維持活動(PKO)協力法に基づき海外で活動する自衛隊員らの武器使用について、従来の憲法解釈を変更し、自らの身に危険がない場合でも、任務遂行への妨害を排除する場合は使用を容認する方向で検討に入った。

 自衛隊が停戦監視などの国連平和維持隊(PKF)本体業務に参加するのに必要と判断した。ただ、武器使用の対象は、犯罪集団など国の正規軍でないことが明確なケースに限定。国連施設を守ったり、逮捕者の逃亡を防いだりする時、相手から撃たれなくても先に武器を使うことを可能とする。政府は年内に解釈変更を表明し、PKO協力法など関連法の改正作業に入りたい考えだ。

 内閣法制局は憲法が禁止する「武力行使」を「国際的な武力紛争の一環としての戦闘行為である」と定義している。その上で、武器使用の対象が「国や国に準ずる組織」でないことが明らかな場合、自分の身を守るため以外の武器使用も憲法上容認できるとする解釈を検討している。具体的には強盗団などを想定し、テロ・ゲリラ集団などの扱いも詰める方針だ。

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2007年1月 9日 (火)

8時間労働制は世界遺産にする価値があるのではないか?

更新の間が長く空いてしまったので,いつも以上に乱文になると思うが取り急ぎ新記事を書こうと思う。

安倍首相がホワイトカラーエグゼンプションによって残業が減るというような発言をしたとの報道があった。

ネット上では非難囂々のようだが,まさになにをか言わんやである。

GTDメソッドといわれる,仕事を要領良く片付ける手法を提唱しているDavid Allen氏によると,現在は仕事の終わりがはっきりしなくなっているとのことである。
仕事の内容が複雑になり,どこまでやれば終わったことにして良いのか決めにくい場合が多いということだろう。自分自身も実感として理解できる。

ホワイトカラーエグゼンプション導入を推奨する者は,仕事が複雑だから時間を自由に使わせる方が良いと言う。果たしてそうだろうか。

仕事が複雑だからこそ,オンとオフの区切りをはっきりさせることが,労働者の精神衛生上必要ではないだろうか。

スポーツを職業とする者は,体調を崩すと業績が落ちるので,練習量などは自ずと抑制がかかる。昔の日本のスポーツ界で横行した「根性論」に基づいたトレーニングなどではなく,科学的に合理的なものであれば,オーバートレーニングは抑制される。
しかし,ホワイトカラーの仕事はそのようには行かないだろう。
会社が残業代を完全に払うのを前提とすれば,際限なく残業代を支払うわけにもいかないであろうからそれが抑制効果となるが,ホワイトカラーエグゼンプションが導入されれば,それもなくなる。

仕事の終わりがはっきりしなければ,上司は「もう少し,もう少し」と仕事を完成度の高いものにさせたり発展させたりすることも多いだろう。
時間で区切らなければ,労働者側は一体どうなれば仕事を終わらせて良いのかわからなくなるのではないだろうか。
身を削って働く者が多くなるのは明らかである。

雇用が保障されているのならば,まだ良いだろう。労働者は,自身が望む報酬に見合うだけの仕事をしておけば良い。
しかし,他の者よりも成果が少なければ,雇用も危うくなることもあるだろう。

「8時間を労働に,8時間を睡眠に,そして8時間を自分の時間に」を求めて5月1日に立ち上がり勝ち取ったのは他ならぬアメリカの労働者である。

太田光総理風に言うならば,「8時間労働制を世界遺産に」しても良いくらいではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成後にTBさせて頂いたブログ]
公務員のためいき ホワイトカラーエグゼンプション

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2006年12月30日 (土)

[番外]2006年の終わりに

今年最後にもうひとつくらい書きたかったのですが,私事多忙のため叶いませんでした。
コンスタントに読んで下さる方が少しずつ増えているようで,そのような方々には大変失礼とは存じますが,今年はこれで最後にしたいと思います。

「ド素人」としては「Q」ばかりで「A」を出すことはできませんが,インターネットというメディアを用いれば,一国民がこのような視点を持っているということを,誰でも見られる形で示すことができますので,「普通の人達」が少しでも暮らしやすい社会になるよう,いろいろな形でわずかでも役に立てるかなと思っています。

今,日本は「普通の人達」に取って,どんどん危ない方向へ傾いていっているように感じます。サイレント・マジョリティに埋もれていても程々に良い居心地を享受できる時代ではなくなって来ているのではないでしょうか。しかし,インターネットは,誰にでも声を発する機会を与えてくれます。サイレント・マジョリティが意思を示し始めるにはとても便利なものだと思います。

来年も,このメディアを使って,疑問に思ったことを少しずつ問いかけて行きたいと思います。

来る2007年が,皆様にとって良い年となるよう,心からお祈りしております。

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2006年12月26日 (火)

携帯電話の絵文字変換機能は公共の福祉に資するのか?

つい最近知ったのだが,携帯電話で絵文字を含むメールを送受信する際,キャリア(Docomo,au,ソフトバンク)が違っても相互に変換する機能があるそうである。

これには非常に深い感慨を覚えた。

具体的な情報は持たないが,自分の知識と経験から推測するに,この機能の実現には多くの人が想像するより,はるかに巨額の費用が投じられているのではないだろうか。

携帯の絵文字を変換する,これはユーザーのニーズは極めて高いことであろう。しかし,社会全体から見て,その改善・発展に対してどれほどの意味があるだろうか。

新自由主義の台頭が極めて象徴的に具現化された例ではないだろうか。

市場が求めるからそれに応える,応えなければ料金を下げられる可能性があったとしても,ユーザがそれを求めるから応える。昨今の風潮においては,至極当然のことと受け止められるであろう。

世の中には,公教育,農業,高齢者ケアなど,改善の必要は多くの人が認めながら,ユーザが十分な負担をしない,あるいはできないことがいくらでもある。
携帯電話の変換された絵文字を見て,それに払うカネを他に回せば,もっと根本的に暮らしやすい社会に近づくのでは,などと思いを致す人は少ないであろう。しかし,市場原理主義は本来,そのような人の理性に期待しているものではないだろうか。

「小さな政府」となりカネの流れの制御があまりにも緩いものとなってしまうと,その流れは極めて偏ったものとなり,それは公共の福祉に反するのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年12月20日 (水)

政府はいじめ問題に本気で取り組むつもりがあるのか?

近所の小学校で,「文部科学大臣からのお願い」と題した,子供と保護者に対していじめ防止を呼びかけるチラシが配られた。
ご丁寧に,文科省のWebサイトで公表されていた。

いくら予算を使ったのか知らないが,果たしてこんなことに効果があると考えているのだろうか。「手は打った」というアリバイ作りとしか思えない。

かなりの旧聞に属するが,テレビドラマで主役の人気タレントがバタフライナイフを使ったら,それを真似る少年が続出したということがあった。
どうせありきたりな文章で呼びかけるなら,タレントにでも依頼した方がよほど効果的だろう。
タレントも変なことを真似されるよりも社会貢献できる方が良いのではないだろうか。

権力者達は我が身を利するためには巧みにメディアを利用するのに,いじめ問題などには本気で取り組む気は更々ないようである。

子供は失敗して学ぶものである。いじめ,いじめられ,そこから学ぶことも多いだろう。しかし,自殺する子供が続出するのは,度を過ぎたいじめが蔓延している証拠であろう。

多くの子供の将来に悪影響を及ぼすいじめは,社会全体がもっと本気で取り組むべき問題ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年12月19日 (火)

教育基本法が改正され国民は何を警戒すべきか?

教育基本法改正が決定した。

安倍首相は,去年の選挙で郵政民営化の大看板の後ろにこっそり「教育基本法改正」の公約を忍ばせておいたため,「国民が望んでいる」としゃあしゃあと言ってのけたそうである。

改正に対しては賛否両論がある。

「愛国心は是か非か?」と問われれば必要と考えるため,「愛国心」を盛り込むことに違和感を感じない人は多いだろう。
行き過ぎた個人主義や子供の心の荒廃を嘆く人は,公共心や道徳心を身につけさせようとすることに同意するだろう。
あからさまに日教組に対抗するような内容を含むため,日教組を快く思っていない人には受けるであろう。

自分も,愛国心,公共心や道徳心は必要だと思うし,日教組にもある程度批判的ではある。

しかし,今回の改正には反対である。

愛国心を肯定しながら,法改正に反対する人たちの論調には,「強制の要なし」というものが多い。

自分も基本的にはそう考えるが,少し違う。

自分は,場合によっては国民が愛国心を持つことをある程度強要されても構わないと思う。日本国民には愛国心が足りないとも感じているので,多少強制してでも状況を変えたいと思う人がいるのも理解できる。しかし,そのようなことを行えるのは,権力側に全国民の幸福を願い努力する確固たる愛国心があることが前提であると考える。ここでいう「権力」には政府関係者を含む政界の有力者だけではなく財界や官僚のそれも含んでいる。

今回の改正に関して自分が気にかかるのは,権力側に愛国心が感じられないことである。そのような権力の下での,愛国心を始めとする様々な社会貢献の態度を強要するような法令は極めて危険だと考える。

愛国心や社会貢献の態度は,私を犠牲にして公に尽くすことを含むものである。権力に確固たる愛国心がなければ,それぞれの国民の努力は適切に社会に還元されないだろう。

今,国民が国のためにと思って働いたとき,それが等しく全国民の幸福にはつながらず一部の権力者を偏って利するような状況へ向かっているのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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[番外]イーホームズ藤田社長のメッセージ

きっこのブログにイーホームズ藤田社長のメッセージが出ていました。転載自由とのことですので,こういった情報がいつのまにか埋もれてしまわないために少しでも助けになればと思い,転載します。
藤田社長の言い分が正しいかどうか,私は現在判断できません。しかし,マスコミ等が本来もっと取り上げるべきことであるとは思います。それがなされない今,我々が情報を広めることは意義深いと考えます。

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親愛なる友人の皆様、経済同友会の皆様、マスメディアの皆様、国交省建築指導課小川課長他、日本ERI鈴木社長、指定機関の皆様、東京都の皆様他

藤田です。お騒がせしておるかと思いますが、起業家として完全に復活しました!eHomesを立ち上げた時以上のパワーを留置場で得てまいりましたので、eHomes以上に日本をあっと驚かせて元気にさせるビジネスを展開します。ご期待ください。

さて、僕が書いた本、「月に響く笛 耐震偽装」の販売受付を開始しました!
http://www.imairu.com/books.html

日本の既存の言論出版会は、政治力の前に屈していることを知りました。文藝春秋は、「藤田東吾が死んでも、文春が責任を持って必ず出版する!@2100円&初刷り3万部」と、ノンフィクションセクションの出版局長他が言明し、社内の企画会議を通ったにも関わらず、11月になって、「アパグループのマンション偽装問題」の部分を削除しなければ出版できないということになりました。

この一年間を通して、テレビや新聞といったマスメディアも、報道という機能は完全に失ったことを知ったので、これはものすごいビジネスチャンスだと認識しました!そして、言論と美を追求するメディア企業imairu.comをUSAと日本に同時に設立しました。海外の友人を含む大勢の実力者が株主となって参加しています。活動開始です!

そして、「耐震偽装事件」を引き起こし、拡大させ、国民を混乱に陥れた最大の主犯:山本繁太郎を必ず弾劾して、引き摺り下ろして、この事件で亡くなった方の墓前に土下座させます。耐震偽装事件を黙殺し、一主婦を自殺に追い込んだ小泉純一郎や、杉浦正健、北側一雄も同罪です。未だに、この混乱を黙殺している安倍晋三首相は、やはり山口県同郷ゆえに山本繁太郎を追い込めないのでしょうか?もしそうなら、リーダーの器ではありません。

山本繁太郎は、耐震偽装事件を、国民の命の犠牲の上に、国の責任を隠蔽したご褒美で、国土交通省審議官に昇進していました。びっくりしました。僕が、つい先日、山本繁太郎を追い込むために、国土交通省に乗り込み、審議官室を叩いて追い出そうとする僕を誰も止めることは出来ませんでした。彼らは、自分たちの罪を認識しているのです。だから、僕に手が出せないのです。

是非、山本繁太郎が逃げて引き篭もった映像を見てください。これが現実です(11/25のドアを叩いている映像)↓
http://www.imairu.com/movie.html

この機会に、日本の様々なゆがんだ政策やマスコミの姿勢を徹底的に僕は正します。これは、一国民として行わなければならない、「主権在民を実現するための不断の努力(憲法12条)」です。

どうか、皆様も、ご協力してください。この映像を、ご友人やご家族の方に紹介してください。

日本に巣食う一部の勘違いした連中を気付かせて更生させましょう!

藤田東吾
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2006年12月15日 (金)

安倍内閣の低支持率はいつまで持つのか?

復党,やらせ,教育基本法改正強行採決,防衛省昇格などが続き,安倍内閣の支持率が急落しているそうである。
次の参院選のころには国民は忘れているだろうと,急いで動いているように見える。
国民はいつまでも馬鹿にされないように,これらのことを忘れないようにする必要があるのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年12月11日 (月)

「下流くん」が「再チャレンジ」しない社会は皆が望む社会なのか?

近頃,「下流くん」と呼ばれる人種が増えているらしい。
このような,最低限の収入で最低限の暮らしをして,それなりに満足してしまう人たちがいる一方で,働きたくても働けない人たちや,働きづめの人たちがいる。

「自己責任」,「再チャレンジ」などの言葉をよく聞くが,まるで人はみな自分のために生きており,勝つも負けるも自分の勝手というような風潮である。

社会というものは,構成員のそれぞれが存分に能力を発揮できる状態であるべきであり,指導者はそのように導くべきものと自分は考える。

小泉前首相は,一部の有能な人が頑張ってそうでない人は恩恵にあずかればいい,というようなことを言っていた。
日本版「ホワイトカラーエグゼンプション」の導入も検討されている。

この国の指導者達は,一部の「働きたい人」,「働ける人」をとことんまでこき使い,そうでない人は「自己責任」の名のもとに切り捨てる方が,万遍なく適度に働かせるよりも効率的と考えているのだろうか。

寝食を忘れ働くことを喜びとする人たち,最低限の暮らしを喜びとする人たち,そしてカネと権力で人の上に立ち贅沢な暮らしをすることを喜びとする人たち,そういう社会構成を望む人は少ないのではないかと思うのだが,どうだろうか。

なお,カネや権力は寝食を忘れて働けば手に入ると言う人も多いだろうが,夢を見るのは自由であるし大切であり忘れてはならないとも思うが,夢に溺れるのはどうかと思う。

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2006年12月 9日 (土)

談合は無くすことができるのか?

宮崎県知事が官製談合の疑いで逮捕された。
知事が業者と癒着して便宜をはかるというのは言語道断である。

しかし,談合そのものは,果たしてなくすことができるのだろうか。

建設業者などの立場になって考えてみる。
設計図を示され,材料まで指定され,「いくらでできる?」と問われる。
まず,何か特別な工夫をしない限り価格競争で大手には勝てないであろう。

どうやって工夫するか。
安い資材を探すのも,まともなものを探していては,他の業者と大して違う条件に置かれるわけではないので,差はあまり出せないであろう。検査の目をごまかせる範囲で粗悪な資材を使えば差は出せるかも知れない。

人件費も,まともに使っていては他の業者と差は出せない。職員に無理をさせるか,練度が低く人件費の安い人材を使うしかないだろう。

あとは利益を削るのみである。

それでも仕事が取れるとは限らない。

こんな競争をまともにやっていては各業者が共倒れになるのは目に見えている。

残る「工夫」は,皆でグルになって仕事を回し合う,つまり談合するしかないであろう。(一般競争入札でなければ賄賂という手もあるが。)

自分は,「談合は必要悪」を割り切るべきだと言う気はない。しかし,そのように考える者が多くなるのは,上のようなことから避けられないことであろう。
また,私腹を肥やす言い訳に使うにも,「必要悪」は便利である。
そのようなことから,談合に手を貸す役人や政治家がいることも,やはり避け難いことではないだろうか。

単に談合をできないようにしてしまったら,大手や外資系または劣悪な業者にばかり仕事がまわり,業界での格差が極端に広がったり,地元住民の税金がどんどん外に吸い出されることになったり,粗悪な工事が行われたりするなどの害ばかりが発生するのではないだろうか。

弊害なく談合をなくすためには,さまざまな社会構造を的確に改革することが必要であり,政治的に極めて高度な手腕が必要であろう。
結局,さまざまな組織が地元に利益を誘導してくれる政治家を応援するという姿勢を改め,真に公正に社会発展に尽力する人物を推すようになるという,「民度」の高まりが必要ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年12月 4日 (月)

[番外]ウツクシイクニ

今日,自民党に復党した造反議員に対して,安倍首相が「美しい国」づくりに協力して欲しいというような内容の言葉をかけているのをテレビで見ました。

口を開けば「ウツクシイクニ」,誰かに入れ知恵されて広報効果を狙っているのでしょうが,ここまでしつこいと呪文を唱えているようで,怪しい新興宗教と同じように,理屈抜きで洗脳しようとしているようにしか聞こえません。

流行語大賞も狙っているのでしょう。

「国家の品格」からイメージされる「品格ある国」などとは異なり,「ウツクシイクニ」という言葉には,人の胸に響くものが全くないのに,繰り返して口にするご本人は虚しく思わないのでしょうか。

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2006年12月 1日 (金)

教育再生会議の「いじめ問題への緊急提言」は大切な視点が抜けていないか?

教育再生会議が,「いじめ問題への緊急提言」を発表した。

極めて当たり前のことしか述べておらず,効果があるとは思えない。

自分はこの提言の中の

教員は,いじめられている子どもには,守ってくれる人,その子を必要としている人が必ずいるとの指導を徹底する。

という文言が心に引っかかった。
これは間違っているのではないだろうか。

「いじめ」は古今東西あるもので,根絶は難しいだろう。だからといって諦めて努力を怠ることはしてはならないが,「公私」の「私」の世界でいじめが存在するならば,「公」の立場としてはいじめられる側へのケアが,いじめる側への抑制行為と並んで最重要であろう。

ところで,公共広告機構のテレビCMで,

命は大切だ。命を大切に。
そんなこと,何千何万回言われるより,
「あなたが大切だ」
誰かがそう言ってくれたら,
それだけで生きていける。

というものがあった。

自分はこの機構のCMは総じてあまり好きではないが,これは非常に良いと思っている。

「命は大切だ。命を大切に。」と言うことは,「そのように考え方を変えろ」と要求することである。本人がそうは考えていないのに,ただ,そう考えろと言っても効果はほとんどないだろう。
「守ってくれる人,その子を必要としている人が必ずいる」と指導することも,「それを認識しろ」と要求することであり,そうは認識していない本人に対する効果はないであろう。

「あなたが大切だ」と言うことは,「自分がそう思っている」という「事実」を伝えることであり,嘘でない限り,有効である可能性は高いと考える。

学校で起きるいじめに関しては,まず近くにいる教師がいじめられる側に対して,「自分にとって大切な人である」とどんな形であれ示すことが必要ではないかと思うのだが,どうだろうか。

なお,いじめる側に対して,提言は厳しく臨むことを基本としているが,いじめる側も教師にとっては「大切な人」であることも忘れてはならないと思う。

[記事作成後にTBさせて頂いたブログ]
日本がアブナイ! いじめに関する緊急提言を読んで(1) ~再生会議は子供達や学校教育より、美しい国づくりを重視?~

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2006年11月29日 (水)

[番外]イーホームズ藤田社長が耐震偽装事件について語る映像

「きっこのブログ」で,イーホームズの藤田社長からのメッセージが紹介されています。
その中で,

「耐震偽装事件」の真実について語った生放送の収録番組が、「あっ!とおどろく放送局」でオンデマンドで放送されました!!!

前編 http://odoroku.tv/vod/000000A99/index.html
後編 http://www.odoroku.tv/vod/000000A9A/index.html

是非に、この番組を、お知り合いの方に紹介してください。耐震偽装事件だけでなく、社会保険庁の問題や、憲法の問題、様々な問題について、僕が知る核心的な問題意識を話しました。

とありました。
藤田社長は芸能人でもアナウンサーでもないので,こういう場で話すことにやや不慣れでおられるようで,少し情報の密度が薄いように思いますが,情報の内容は極めて重大なことだと思います。
少しじれったいかも知れませんが,時間があるときにぜひご覧ください。

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2006年11月28日 (火)

造反議員も結局「寄らば自民」か?

ほとんどの造反議員の自民党復党が決まりそうである。

誰であったか忘れた(記者会見した四人の一人)が,「自民党にいることが国民のためになる」と,あからさまに「寄らば大樹」を口にする人もいた。

「自民党は民主的に多様な意見を受け入れる」などと言うが,自分は若いころから自民党内に多数の派閥があることが理不尽であると思っている。
政党とは,小さな差はあっても大筋では志を一にする者が集うものであろう。
多様な意見を持つ者たちが数を頼って自民党に集まり,権力の甘い汁を分け合っている。
選挙となれば,党内に多様な意見があるがために,幅広い支持を集めることができる。

一部の議員による北朝鮮に対抗する核議論や,新人議員による復党反対の意見などは,世論の極端な反発をかわすために党の組織的な思惑も働いているであろう。小泉チルドレンなどは,小泉氏の息のかかった安倍氏の率いる党の方針に背く度胸などあろうはずもない。

オールorナッシングのリスクを避けるために,自民党は常にこのように党内での幅広い論議を演じている。

ただ,郵政民営化については世論が味方につくと読み,挙党一致で臨み,それを腹に据えかねた者たちは容赦なく切った。これにより,本気で党に背くとどうなるか,見せしめとなった。

生え抜きの自民党政治家以外は,与党であるための数稼ぎのひとりとして,言いたいことを小出しにしつつ,それを逆手に利用され,しかし決定的に党に背くことはできず,わずかな甘い汁を吸わせてもらう立場を甘受して行くのだろう。

枡添要一氏も,以前にテレビで自民党にいる理由を,国会での質問時間の長さなどを例に挙げ,自民党に席を置くことで最も大きな影響力を持つことができると述べていた。

国民の,様々な団体なども「寄らば大樹」で自民党を支持しているものが多いだろう。日本全体の構造が,自民の一党支配を許すものになっている。

公明党さえも利用して与党の座にしがみつく自民党に対して,それこそ多少の痛みを伴う国民の意識改革が必要ではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成後にTBさせて頂いたブログ]

日本がアブナイ! 自民党復党は国民に対する裏切りだ & 安倍氏は優柔不断のまま何もできず・・・+αのアレコレ

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2006年11月25日 (土)

防衛庁の省昇格法案は自衛隊の海外派兵を進めるものであることを国民は理解しているか?

防衛庁を省へ昇格させる法案(防衛庁設置法等の一部を改正する法律案)に民主党が条件付きながら賛成の姿勢を示したことで,今国会で成立する見通しが強まったとのことである。(毎日新聞の記事)

「省への昇格」それ自身も問題であるが,この法案にはマスコミがあまり大きく取り上げない「国際平和協力活動の本来任務化」が含まれている。

日本人が軍服を着て武器を携え,外国で活動することを「特例」ではなく,必ずしも国連の活動に参加する形を取る必要もない「通常業務」としようというのである。
改正案では,「武力による威嚇又は武力の行使に当たらない範囲において」「国際協力の推進を通じて我が国を含む国際社会の平和及び安全の維持に資する活動」を任務とするとなっている。

「武力による威嚇又は武力の行使に当たらない範囲において」という文言がいかにも虚しく響くように感じられる。
こんな文言が日本の法律に記されていたからといって,外国の人々の目に,軍服や戦闘服を着て銃を持った日本人がどう映るかということにほとんど影響はないだろう。
外国人の目に自衛隊員は,武力行使を業とする「軍人」以外の何者にも見えないだろう。

自分は,省への昇格そのものにも反対であるが,ある程度の数の人たちが昇格に賛成することは理解できる。しかし,それらの人の中でも,上記のことを意識していない人が多いのではないだろうか。

この法案は,軍事の外部委託が進むアメリカの委託先のひとつへ自衛隊を近づけようとするものではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年11月16日 (木)

教育基本法改正案を強行採決する与党の数の力の前に国民は無力なのか?

衆議院で,与党による教育基本法改正法案の強行採決が行われた。

国民の多くは,マスコミがあまり取り上げないせいもあり,それほど気に留めていないであろう。
また,改正法案の条文を見ても,特に問題があると感じる人も少ないであろう。字面だけを深く考えずに追うと,当然といえば当然といえるようなことが並べてある。
「この条文のどこが悪いのか」との論調もよく聞く。

しかし,少し見方を変えて,「なぜ強行してまで変える必要があるのか」と考えれば,単純な答え,つまり「現行法に問題があるから」とは導けないであろう。
改正案には現行法との決定的な相違,つまり現行法でカバーできない内容は見当たらない。

それならば,単純ではない意図があるのは明らかであろう。

教育基本法は教育の憲法のような,原理原則を示す法律である。
これが改正され,何らかの文言が書き込まれれば,それを具体化する法令が制定されることになる。基本法では漠然としている文言が,下位の法令になるに従い,どんどん具体的になっていく。

現行法では,「教育の方針」として「学問の自由を尊重し,実際生活に即し,自発的精神を養い,自他の敬愛と協力によって,文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない」と定められている。
それに対して改正案では,「教育の目標」として,「学問の自由を尊重しつつ」という文言と併せて,道徳心や国際平和への寄与,さらには愛国心など様々な具体的目標が掲げられている。(これほど多くの目標を示しながら,「自由を尊重し」ていると言えるのだろうか。)

今回の強行採決は,自民・公明の数の力を誇示し,国民が反抗する意欲を削ぐ効果もかなりあるだろう。
しかし,自身の政治的野心の実現のために,数の力だけで押し切ることは本来許されないはずである。
国民は,今後の選挙等において,希望を失うことなくしっかりと意思表示していくことが必要ではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成後にTBさせて頂いたブログ]
華氏451度 「教育基本法」採決の強行に満腔の怒りを
日本がアブナイ! 教基法改正の単独採決は安倍の強い意向+他党議員に働きかけ?+まだまだこれから!

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2006年11月14日 (火)

「空気が読めない」方が「いじめ」は減るのではないか?

子供のいじめが話題になっている。

今朝,テレビで興味深いことを聞いた。
イギリスでは,小学生の年代では日本よりいじめが多いが,中学生の年代では仲裁に入る子供が増えていじめが減るというようなことであった。
詳しく聞いていないので,情報源なども不明で,正確かどうかはわからない。
しかし,自分の経験からは,さもありなんと思う。

近頃,「空気を読む」という言葉をよく聞く。また,「空気を読めない」ことは批判の対象とされている。
自分の少ない経験からは,他の多くの国の人たちは,日本人に比べたら「空気が読めない」というよりも「空気に無頓着」な人が多いように感じる。
場の空気がどうであろうと,自分の姿勢や意見があまりブレない人が多いように思う。無理に場に合わせようとせず,気が乗らないときは態度に表し,少数意見であってもはっきりと口にする,そのような印象がある。

「空気が読めない人がいると気まずい雰囲気になる」といわれ,それを避けるために空気を読み,それに合わせようとする人が日本には多い。
この習性が,多数意見や声の大きな意見に流されることにつながり,子供の場合はいじめる側に身を置いてしまうことにつながっているのではないだろうか。

TPOに合わせた振る舞いというのは大切だとは思うが,そのために本心を偽る,または自らの意見を持たないということはするべきではないだろう。
「気まずく」思うことなどせず,明らかにTPOからかけ離れた者は無視,あるいは適当にあしらい,真摯な意見はきちんと受け止めればよいだろう。

どんな場合でも,自らの姿勢,意見を明確に持ち,その上で他人と真摯に議論できるようにする教育が,いじめを減らすためにも必要ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年11月13日 (月)

チャイルドシートの使用義務違反をもっと厳しく取り締まるべきではないか?

飲酒運転が取り沙汰されることが多い昨今であるが,他にも道路交通に関してはいろいろ気になることがある。
そのひとつがチャイルドシートである。

飲酒運転は本人の意思だけで防げるという論調が多いが,自分は,意識改革による飲酒運転撲滅は困難ではないかという疑問をこのブログで記した

飲酒運転に比べ,チャイルドシートの使用は,本人(親)の意思での徹底は容易ではないだろうか。
そして,意識改革のためには,厳罰化や取締りの強化が有効であろう。飲酒運転に比べれば,その有効性は,はるかに高いのではないかと考える。

自分にも小さな子供がいるが,チャイルドシートには必ず座らせている。
しかし,道路を走っていると,チャイルドシートにも座らずシートベルトもしていない幼児が極めて多く目に付く。

たとえば,自分に全く非がない状態で別の車が衝突してきたとして,その車にチャイルドシートを使っていない幼児が乗っていて死亡したとする。事故の状況としては自分に非がないとしても,非常に寝覚めの悪くなる話である。非はないと言われても,やはりもっと自分が気をつけていればと自分を責めることもあろう。子供には何の罪もないのだから。
自分にも非があれば尚更である。チャイルドシートを使っていれば死なずに済んだはずのような状況であれば,自分を責めると同時に相手の親をも責めたくなり,しかし基本的な原因は自分あるし,などと気持ちの整理が非常に付けがたい状態に陥るであろう。

チャイルドシートを使っていない親は,他人には迷惑をかけていないつもりであろう。しかし,上に書いたように,周囲にとって極めて迷惑なことである。

チャイルドシートの取り締まりは,一見してわかるのだから極めて簡単なことである。しかし,行っているのを見たことがない。
警察は,もっとチャイルドシートの取締りを多く行うべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年11月 7日 (火)

必修を逃れた高校生たちは得をしたのか?

全国の高校での必修逃れに関して,毎日のように報道されている。

真面目に全て履修した生徒に比べて,70時間や50時間の授業で済ませるのは不公平などと,授業を受けていないほうが得であるかのように言われているが,果たしてそうだろうか。

まるで授業を受けることが懲役のように扱われている。受けることは損であり,受けずに済む方が得であるかのようである。

高校生が教育を受けるのは権利である。知ることは喜びである。

これはキレイ事と言われるだろう。現実は確かにそうである。だから,履修していない生徒に対して何らかの救済措置が取られることには反対ではない。当面の問題に対する対策としては,それで良いと思う。

しかし,長期的な観点からは,「キレイ事」ならぬ「理想」を見据えて問題を捉えるべきではないだろうか。

「ゆとり教育」への転換は,詰め込むだけの教育に対する反省から,「知る喜び」を味わいながら本当の学習をできる教育へ変えようとしたもののはずである。
受験戦争に勝つためだけの教育,実社会での実用性に乏しい教育になってしまったために,学習はしないで済むに越したことはないという雰囲気になってしまったことに対する反省があったのではないだろうか。

今回のことは,部分的には「ゆとり教育」の弊害という論調もある。
「ゆとり教育」によって子供や若者の学力が低下したともよく言われる。

だからといって,学ぶ者が苦痛を強く感じるような方向へ向かうことが果たして望ましいのだろうか。

本当の意味での「ゆとり教育」すなわち,学ぶ者が学ぶことを楽しみ,知ることを喜べるような教育とし,より多くを学ぶことを望むような教育を目指して方策を練るべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年11月 6日 (月)

麻生太郎氏はやはり首相には相応しくない人物だったのか?

麻生太郎外務大臣が,日本の核保有に関する議論をするべきとの発言を繰り返している。
「どうして核を持たないのかなどきちんと議論するべき」などと発言しているが,わが国が世界唯一の被爆国であることと,核兵器の非人道性以上に,核を持たない理由として何が必要だと言うのだろうか。

自分は,先の自民党総裁選で,相対的に麻生氏が良いのではと思っていた。安倍氏とどちらが良いかは何とも言えないが,絶対的に総理に相応しいかといえば,現在の状況を見れば否と言わざるを得ない。

軍縮,核兵器廃絶は,実現性はともかくとしても,全世界の普遍の理想として良いと考える。
北朝鮮が核保有の動きを見せたからといって,理想に反して対抗姿勢を取るのは子供のケンカのレベルであろう。

たった2発の爆弾で,20万人あまりといわれる国民を殺された恨み,悲しみは何を以てしても消すことはできないはずである。

言論の自由により議論することは問題ないなどと言うが,よほど世界情勢が変貌して全世界が核保有へ向かうような,人類史の終末が近い状況にでもならない限り,わが国では核保有を視野に入れた議論は不要ではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成後にTBさせて頂いたブログ]
お玉おばさんでもわかる政治のお話 核不拡散条約はどこにいった?
日本がアブナイ! 批判殺到だけど・・・中川発言が止まらない?!+ 安倍氏の左寄り投球&太田氏のセンター前ヒット?!

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2006年11月 5日 (日)

政府は国民を犠牲にしてアメリカの戦争という公共事業に協力するのか?

アメリカがイラク戦争に費やした費用は,現在3400億ドルとのことである。
将来的には3兆ドルになるとも言われている。

日本が,国債を際限なく発行し続けてでも土木事業を止められないのと同じく,アメリカは戦争という公共事業をやめられないのであろう。

日本は,今のところ国債をほとんど国内で保有しているので本当の意味での「借金」ではないと自分は思っているが,米国債は日本もかなり保有しており,相当,アメリカの「公共事業」に貢献している。
さらに,郵政民営化で日本国民の財産がさらにつぎ込まれそうな気配である。

この上に,憲法を改正してアメリカの軍事行動にもっと積極的に協力できる体制にしようとさえされている。

日本は今,公共事業は以前に比べてかなり抑制的である。
土建業界ばかりを潤し,環境を破壊し,福祉事業などがおろそかにされるというようなことがない程度に,公共事業は抑制されて然るべきであろう。
しかし,アメリカの戦争という「公共事業」は,自国民を危険にさらし,自国および敵国の軍人の生命を奪い,さらに敵国の罪のない民間人の生命も奪い,場合によっては世界中の平和を乱すという,日本の公共事業とは比べ物にならないほど大きいマイナス面を持っている。

国内の公共事業を抑制して,その分の資金をアメリカの公共事業,それも軍事関連にまわす,さらには国民の生命まで危険にさらすなどということは,売国行為および世界平和を乱す行為ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年10月30日 (月)

高校の必修外しを騒ぎ立てるマスコミは高校生たちよりも保身が大事なのか?

高校での必修科目の履修漏れ・外しが次々と発覚していることがマスコミで話題になっている。

第一報と思われる,共同通信配信のニュースでは,

富山県立高岡南高校(篠田伸雅校長)で2005年度、「受験に必要な科目を勉強したい」との生徒の要望を受け、当時の2年生(約200人)の8割に、学習指導要領で必修の世界史の授業をしていなかったことが24日、分かった。

と報道されており,お決まりの「わかった」と書かれているだけで誰がどうやって明らかにしたのか書かれていない。

その後の,たとえば朝日新聞の報道では,

高校卒業に必要な科目の履修漏れが相次いでいる問題で、多くの高校は90年代半ばか00年代前半のいずれかで、「偽装」を始めていたことが分かった。学校によって時期に若干のばらつきはあるものの、94年度から世界史が必修になったことと、02年度から公立学校の完全週5日制が導入されたことが大きなきっかけになったことがうかがえる。

とされており,10年以上前から常態化していたことが伺える。

このようなことが,突然明らかにされ,マスコミが殊更に騒ぎ立てるのは,教育現場に存在する問題を槍玉に挙げて教育基本法改正を勢い付けたいという政権の意向によるものであることは明らかであろう。
単に,これ以上隠すと問題が起こるというような理由であれば,年度末や年度始めなど,教育現場への影響が最小限となるタイミングを選ぶはずである。

この問題は,未履修の生徒にこれから履修させることの負担と,履修させない場合の履修している生徒との不公平を考えれば,全く落としどころの見えない極めて厄介な問題である。
したがって,公表するタイミングには非常に慎重になるべきであるのに,政権は問題の収拾よりも混乱の利用を目論んでいる。

この問題が明らかになって,最も不利益を被るのは生徒たちである。

政権と,それに操られたマスコミの都合のために,多くの将来ある高校生が犠牲にされるのは,一般国民に対して多大な損害を与えることではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成後にTBさせて頂いたブログ]
お玉おばさんでもわかる政治のお話 高校不履修問題・・
日本がアブナイ! 高校の不正履修&教育基本法10条の改悪問題 + 祝・日ハム優勝&新庄について思うこと
奥田健次の教育改革ぶろぐろ部 高校履修詐欺事件。大衆の論調を斬る!

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2006年10月23日 (月)

連続病欠職員を出した奈良市の規則は不適切か?

奈良市環境清美部収集課の男性職員が病気を理由に休暇を繰り返しながら給与を得ていた問題について,先ほどTBSの「ニュース23」で,「こうなる前に規則を変えるなどの手をなぜ打たなかったのか」などと,奈良市だけを責めるような批評が行われていた。

90日置きに何度も異なる病気に罹るなどというのは,偶然にはまず起こりえない。しかし,全くないとも言えない。

件の男性の診断書を書いた医師は,グルか脅されていたかのどちらかであることは明らかである。
そのようなことまで想定して規則を定めることなど不可能であろう。
偶々,そのような者が出たからといって規則を変えて,やはり偶々,90日置きに本当に異なる病気に罹った職員が出たら,その職員はいい「とばっちり」である。
また,規則を多少変えたとしても,件の男性のような人物はまた別の手を打ってくるだけであろうし,男性を狙い撃ちにするような規則改正は,男性が支部長を務めていたという部落解放同盟の圧力の下では不可能であろう。

TBSも部落解放同盟をおそれての対応であろうが,そのような姿勢こそが,今回のような事件を醸成するのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年10月22日 (日)

イーホームズ藤田社長に対して悪意を持って報道するマスコミはネットを軽視しているのか?

「きっこの日記」で,イーホームズ藤田社長の新しいメッセージが公表された。
首相官邸に出向いたときのいきさつを説明したものである。

マスコミは,藤田氏の新たな告発をまったく取り上げない。
これについては,真偽の不明な情報を具体的な企業名やマンション名を挙げて報道することは問題であるという説明をされれば,客観的な報道の必要性という観点からは一定の理解が可能である。

しかし,藤田氏が自分が責められたことに対して逆ギレしているかのような報道の仕方は,明らかに客観的とはいえない。
藤田氏の訴えている内容について,真偽の不明な部分は報道せずに,その他の部分だけを客観的に報道しているというのではなく,明らかに藤田氏に悪意を持って偏った報道している。
耐震偽装マンションの住人による藤田氏に対する怒りの言葉でニュースを締めくくることなどに,そのことが端的に表れている。

ネット上には真偽は不明にしても,様々な情報が流されているのに,マスコミが全くそれを関知しないかのような姿勢を取り続けるのは,ネット上の世論をまだまだマスコミは軽く見ていることの現れではないだろうか。

インターネット利用者は,国民が情報を共有するために,ある意味でネットが最も公平で有力なメディアであることを示すためにも,この問題には注目するべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年10月21日 (土)

[番外]イーホームズ藤田社長から安倍首相へのメッセージ

「きっこの日記」で,イーホームズの藤田社長からのメッセージが公表されています。
ネット上で多くの人がこれを広めるのが藤田社長ご本人の意思でもあるとのことですので,政治絡みのブログを書いている者として,ここに転載させていただきます。

これが,藤田社長ご本人による文章であることは,10月17日の「きっこの日記」の記事を見れば,間違いないと信じて良いでしょう。
内容が真実であるかどうかは,私は何の根拠も持っていません。しかし,これまで「きっこの日記」も含めて自分が見聞きした情報から,私は藤田社長を信じたいと思います。

なお,「きっこの日記」には他にも藤田社長のメッセージが載せられています。
10月18日,
10月19日,
10月20日。
ぜひご覧になって下さい。

(以下,「きっこの日記」より転載)

「安倍総理殿、国家に巣食う者を弾劾致します」

平成18年10月20日

安倍晋三総理大臣、長勢甚遠法務大臣、但木敬一検事総長、東京地検の皆様、そして、官僚、政治家、マスコミ、関係業者、そして国民の皆様

イーホームズ株式会社
代表取締役 藤田東吾
 
 安倍総理大臣に置かれましては、日頃ご公務ご多忙の中、本日の、私からの通報を受け付けて下さり、誠に有難う御座います。深く感謝の意を申し上げます。

 私は、今日の午前中、川崎市内のマンション(エグゼプリュート大師駅前)と、設計事務所のアトラス設計の、二つを訪ねて来ました。何れにおいても、この度の「耐震偽装隠蔽事件」を解き明かす上で、とても重要な証拠となるからです。
 私が解き明かしたいものは、一部の官僚と政治家が、国民の命と財産を軽視して、癒着業者とともに利権を死守しようと、違法行為を犯したり、または少数の弱者をスケープゴートに見立てて、不正を隠蔽するという国家体質を暴きたいのです。そして、この体質を日本から除却しなければ、子供達の為に明るい未来はないと信じているからです。
 よって、私は、以下の事実を記者クラブや国土交通省に隠蔽されないように、直接、安倍総理大臣にお渡し、事件の解明と住民の安全確保を早急かつ遺漏なき対応をお取り頂きますようにお願い申し上げます。

 まず、エグゼプリュート大師駅前は、建築確認の構造計算図書が偽装(改ざん、若しくは不整合)されていました。ところが、中間検査の直前の二日前に、計画変更が川崎市において下ろされました。しかし、工事は建築確認の図面のまま進行したものと考えるのが当然であり、計画変更によって偽装マンションが隠蔽された可能性が99%以上はあるものと考えられます。

 この偽装マンションを生み出したのは、たとえ藤光建設サイドからの圧力があったにせよ、川崎市と国家であります。
 一方、国家は、ヒューザーの小嶋氏を、グランドステージ藤沢のマンションに偽装があるのを認識していながら、お客様に引き渡したとして、詐欺罪で逮捕しました。小嶋氏は、引渡し直前の、平成17年10月下旬の段階で偽装を認識したと思われますが、この時点では既に完了検査も終了していました。
 であれば、このエグゼプリュート大師駅前は、中間検査を1月末に行った時に、構造計算書の偽装が、川崎市によって隠蔽されたわけです。販売案内のHP(下記参照)を見ると、来月11月の竣工で、翌12月に入居予定となっています。つまり、販売は大方終了し、購入者は引越しの準備をし、新居に入る段取りや買い物を楽しみに進めているはずです。

 私は、川崎市と国交省建築指導課の罪は、建築行政を行なう者自らが隠蔽したとして、小嶋氏より遥かに大きいと思います。イーホームズでは、2月に構造計算書の偽装を認識し、川崎市と国家に通報しています。しかし、隠蔽されてしまいました。強制捜査と私の逮捕で追求も出来なくなりました。

 現段階でも、非破壊検査を、国家が関与しない公正中立な第三者機関等に徹底的に行なわせるべきです。99%以上の確率で偽装マンションのはずです。この偽装を生み出したのは、川崎市と国家官僚です。彼ら公務員が偽装マンション(小嶋氏流に言わせるなら、殺人マンション)を、生み出したのです。法の衡平を重視するなら、小嶋氏を逮捕した以上は、川崎市の倉形課長、国土交通省の当時の北側一雄大臣、佐藤信秋事務次官、山本繁太郎住宅局長、小川富吉建築指導課長、田中政幸課長補佐、高見企画調査官も同じく逮捕するべきです。この者達は、小嶋氏より、建築行政のプロとしての立場からも、遥かに悪質です。そして陰湿です。

 因みに、イーホームズでは、1月24日に行なわれた本件計画変更の内容については不知です。また、今の段階で状況がどうなっているかは同じく不知です。よって、今日、私は現場に行って参りました。現場は既に竣工間近です。既に、総戸数42戸の内、30戸以上の成約になっているとのことです。また完売も間もないとのことです。

 もし、このまま誰もが見てみぬ振りしたら、ここにもうすぐ住む住民の方は、国家と川崎市によって耐震強度の偽装が隠蔽されたことを知らずに、一戸当たり平均3名の家族として、136名の命が危険に晒されながら住み続け、そして、ローンを払い続けて行きます。安倍総理、果たして、このような犯罪を許してよいのでしょうか。
 10月18日に、私が語った司法クラブでの発言を、99%のマスコミは黙殺しました。まさか、この事実も黙殺してしまうのでしょうか。許してよいとはとても思えません。

私は、イーホームズの代表者として、一国民として、国家に巣食う者を弾劾します。安倍総理大臣お力を発揮してください。日本のマスコミには期待できません。とは言え、私一人の力では及びません。どうか、日本の皆様も、力をお貸し下さい。お願い致します。

 そして、事実を明確にし、検事総長や、東京地検が、これらの役人を犯罪者として逮捕できないなら、小嶋進さんは無罪放免として即刻に釈放するべきです。そして、「秋霜烈日」のバッジを外して検事を辞職し、司法の職から離れるべきです。総理大臣も、法務大臣も、自らの責務を果せないなら政界から去るべきです。道徳的に不適合者です。

 また、同時に、株式会社田村水落が関与した全ての建築物について、即座に再計算及び非破壊検査を実施して、住民や利用者の命の安全確保を果すべきです。そこには、アパグループが関与した多くの物件が含まれています。

 次に、渋谷区代々木のアトラス設計に関する調査を行って参りました。ご存知の通り、渡辺朋幸氏が代表を務める設計事務所です。何故、調査を行ったかと言うと、渡辺朋幸氏が建築士の免許を持たない無資格者でありながら、名義を借りて設計事務所を経営し設計業務を行っているとの、確度の高い情報を得たからです。私は驚きました。今回の耐震偽装事件に関連して、姉歯元一級建築士が建築デザイナーの秋葉氏に建築士免許の名義を貸与したことで、姉歯氏も、秋葉氏も逮捕されました。皆さんご存知の通りです。

 現在、アトラス設計の渡辺朋幸氏は、平成17年10月にイーホームズに姉歯氏が行なった構造計算書の偽装を指摘したと評価され、耐震偽装景気に便乗して、マンション販売講習会等で構造設計の講演をやっているなどと聞きました。しかし、一級建築士も持たず、建築構造士でもなく、JSCA会員でもないなら、分不相応といわざるを得ません。また、秋葉氏と同じく、名義借りによって逮捕されなければ不公平となります。
 よって、渡辺朋幸氏が本当に無資格なのかを確認するために、東京都や、建築士会、そしてアトラス設計の調査を行なってきたのです。この結果、与えられた情報どおり、無資格者でした。ある一級建築士の名義を借りて、アトラス設計事務所を運営していました。至極かつ誠に残念ながら、秋葉氏と同様に逮捕されなければなりません。
 もし、逮捕しないのなら、その差別的扱いを正当化する理由を、法の衡平性の観点から、但木検事総長は明確に国民に対して説明する義務があります。

 東京地検の皆様には、改めて、胸に付けた「秋霜烈日」のバッジの意味を思い起こし、あなた達が、法を司るものとして自らが正しい者であるのか否かを明らかにしてください。もし、明らかに出来ないのなら、バッジを外して、司法の世界から去るべきです。

 尚、川崎市のマンションと、アトラス渡辺については、詳細データを以下に掲げます。

1.(仮称)エグゼプリュート大師駅前 http://www.myhome21.jp/
建築場所 川崎市川崎区大師駅前2丁目12番34号
     RC構造、地上15階建て、延べ床面積3,461?u
建築主(デベロッパー) 株式会社伸明ハウジング 代表取締役 山崎伸
        藤光建設株式会社 代表取締役 佐藤雅彦
設計者 藤光建設株式会社一級建築士事務所 橋本清
構造設計 株式会社田村水落設計 代表取締役 水落光男
川崎市まちづくり局指導部建築審査課長 倉形紳一郎 044-200-3019
国土交通省住宅局建築指導課 03-5253-8111(代表)
山本繁太郎住宅局長、小川富吉建築指導課長、田中政幸課長補佐、高見企画調査官

(1)確認済証番号 eHo.05.A-01003000-01号 (平成17年8月12日)

(2)計画変更:確認済証番号 eHo.05.A-01003000V-01号 (平成17年11月2日)
この11月2日の計画変更は、杭の変更(現場造成杭から既製杭への変更)である。工事は10月17日に着手しており、杭の変更以外の建築計画は、当然に、(1)の確認図面通り進行しているものと考えるのが常識である。

(3)現場の中間検査は平成18年1月26日に川崎市が行った。合格としている。
 しかし、この直前の2日前、平成18年1月24日に、再び、計画変更図面が川崎市に対して申請され、この計画変更の確認は同日付で川崎市が下ろしている。この規模の、中間検査とは、建物の2階部分の構造躯体までが終了した時点で行われる。よって、2日前に計画変更された図面が、現実の工事に反映されているとはまずもって考えられない。素人でも分かることです。
 
 イーホームズでは、2月において、上記建築計画の構造計算図書に偽装を認識しました。この通報を川崎市に行ないましたが、計画変更で処理したとして、それ以上の調査も追及もしませんでした。国に通報しても、関知しない、特定行政庁との間で処理してくれと言われました。田村水落が関与した多くの物件の再調査を行なうように、田中政幸課長補佐に電話で僕から話しましたが、国は動きませんでした。結果的に、構造計算が偽装されたままのマンションが、今では完成間近に到ってしまいました。被害を発生させ、拡大させてしまったわけです。

2.アトラスの渡辺朋幸の名義借り状況
住所 東京都渋谷区富ヶ谷1-9-19 2階
社名 有限会社アトラス設計 代表取締役 渡辺朋幸 03-5465-1137
   一級建築士事務所登録 管理一級建築士氏名 小林昭代(名義貸与人)

以上

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2006年10月19日 (木)

イーホームズ藤田社長の告発をマスコミはなぜ取り上げないのか?

「東京新聞」Webサイトによると,イーホームズの藤田社長が「見せ金増資」で有罪判決を受けた後,記者会見で以下のような告発を行ったとのことである。

===================================
『アパ3物件も偽装』
藤田元社長暴露

 「国がどうやって真実をねじ曲げてしまうか、みんな知らない」。耐震強度偽装事件の“登場人物”の一人とされ、東京地裁で十八日、有罪判決を受けた民間確認検査機関「イーホームズ」(廃業)元社長藤田東吾被告(45)が判決後、記者会見で「爆弾告発」をした。「アパグループの物件でも偽装が行われた」。藤田被告は激高した口調で、国や捜査当局を「耐震偽装を隠ぺいするために私を逮捕した」と批判、マスコミに真実を追及するよう訴えた。

■首都圏マンションなど

 藤田被告は判決後、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見し、「イーホームズが確認検査をしたホテル・マンション大手『アパ』グループの三つの物件でも耐震強度の偽装があった」と述べた。

 アパは今年六月、「イーホームズより構造計算書に一部不整合があるとの報告を受け、検証中」と明らかにしていた。

 藤田被告によると、イーホームズが偽装を確認したのは(1)埼玉県鶴ケ島市のマンション「アップルガーデン若葉駅前」(2)千葉県成田市のマンション「アパガーデンパレス成田」(3)川崎市内の物件-の三物件。偽装に気付いたのは今年二月。アパグループの物件の構造設計を請け負っている富山市内の設計事務所の代表がイーホームズに来社し、藤田被告に打ち明けたという。

 この後、アパの役員らがイーホームズを訪れ、計画の変更を要請。「アップルガーデン」と「ガーデンパレス」は「計画変更も再計算も適切ではない」と判断し、工事は現在中断しているという。

 藤田被告は「国に通報して、アパの物件を調査するように要請したのに、担当者は『関知しない』と取り合わず、アパは工事を止めなかった」と述べた。

 その上で「本質は確認検査ではなく、偽装が可能なレベルの構造計算プログラムの問題だ」と主張。「その責任は、プログラムの運用プロセスを認定した国土交通省と同省の天下り団体である『日本建築センター』にある」と訴えた。
===================================

告発の内容の真偽は,自分は現時点ではわからない。しかし,告発があったことは事実であるのに,他のマスコミはなぜこの極めてスキャンダラスな情報を報道しないのだろうか。
「きっこのブログ」などで流されている情報の真偽もわからないが,マスコミに対して国から圧力が働いていることは間違いないのではと思うのだが,どうだろうか。

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2006年10月17日 (火)

安倍首相の言う努力とは何か?

安倍首相は,「努力した人が報われる社会にするべき」と協調する。

「努力」とはどのようなものであろうか。

一日に六時間働く人よりも八時間働く人,さらには十時間,十二時間働く人が「努力する人」なのだろうか。
夜中でも,休日でも働く人が「努力する人」なのだろうか。
身の危険を顧みず働く人が「努力する人」なのだろうか。
国のためなら武器を取り命を懸けて働く人が「努力する人」なのだろうか。

文字通りに考えればその通りだろう。

しかし,政府が国民にそれを求める国家は,果たして成熟した国家なのであろうか。

自分は,自分が日々務めている仕事が社会に貢献すると信じて働いている。
「社会に貢献する」とは,人々が人生をより楽しめる社会へ変えていくことだと考えている。
ただ,平均よりは少し多めに努力しているつもりである。それは,平均よりも少し多めに能力を与えられている分だけ多めだと思っている。これは,平均よりも多い能力を与えられた人間の義務,宿命だと思っているし,多めの努力は自分の人生の楽しみでもあると思っている。
(とはいっても,大した能力は持っていないから,大した努力はしていないが。)
このように,人は分相応に社会に貢献できるだけの努力をすればよいのではないだろうか。

前にも書いたが,安倍首相は「努力した人が報われるべき」とは言っているが,「努力の過程を評価すべき」とは言っていない。結局,「結果」で評価されるのである。
「努力した人が報われる」と言えば耳当たりは良いが,結局,「皆がこき使われて能力のある者だけが報われる」ということであろう。

安倍首相の言う「努力が報われる社会」が,「勝ち組と負け組が固定化しない社会」であるというのは幻想ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年10月10日 (火)

安倍首相は最年少首相らしく振る舞うべきではないか?

今日の衆院予算委員会の中継を少し見たが,安倍首相は見た目の若々しさに反して七十をも過ぎた老政治家のような,のらりくらりと言い逃れを繰り返す答弁をしていた。

自分が見たのは民主党の前原氏の質問である。

先日,田中真紀子氏に対して安倍首相が,北朝鮮の金正日の息子の金正男が入国したときに拘束せずに帰したのは当時の外務大臣(田中氏)だと批判したことを取り上げ,政府はつい最近まで,あれが金正男だとは確認していないと言っていたのに,いつ認識を変えたのかと前原氏が尋ねた。
安倍首相は,当時は自分は副官房長官であまり関わっていなかったが,自分の内閣である現在はそう認識していると答えた。根拠も時期も示さない。増して,当時の政府は問題の人物を金正男と確認していなかったと言いながら,田中氏を責めたことは全く矛盾しているが,それに関しては知らん顔である。

また,祖父の岸氏の開戦責任に関し,「政治は結果責任」と安倍首相が先日述べたことを取り上げ,イラク戦争支持は結果責任としては誤りとするべきだとの前原氏の指摘に対しても,「米英は大量破壊兵器に関する情報が誤っていたことを認めたのであって,攻撃が誤っていたとは言っていない」だの,「当時の状況では判断は正しかった」だのと,子供でも首をかしげるようなことばかり言い連ねた。

前原氏も最後に述べていたが,参院選まではできるだけ当たり障りのないように振る舞って選挙を乗り切ろうという魂胆もあるのであろう。

自分は安倍首相の本当の支持率は報道されるほどではないと考えるが,それでも,多くの国民は史上最年少の首相らしく,はつらつと清々しい態度を取って欲しいと願っているのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年10月 9日 (月)

北朝鮮の核実験に対し我が国はどう対応するべきか?

北朝鮮が核実験を実施したとのことである。

当然,厳しく非難されるべきことである。
アメリカなど,大量に核を保有する国に責める権利があるかなどという意見もあろうが,少なくとも我が国は,核を保有しておらず,唯一の被爆国であり,北朝鮮による直接攻撃の可能な範囲に位置する国として,断固として非難するべきであろう。

しかし同時に,このことで浮き足だってはいけないのではないかと思う。
武力で対抗する道へ向かうことを考えてはならないと思う。

武力による威嚇を強くすればするほど,北朝鮮側にもさらに強硬な態度を取る口実を与える。また,そうなればアメリカにも武力攻撃する口実を与えることにもなる。
現在の世界情勢において,北朝鮮が日本に対して先制攻撃を行う可能性はないだろう。
万一,アメリカが攻撃するとすれば,イラクの場合から考えても,安倍首相は支持するだろう。そうすれば,北朝鮮の攻撃は日本の米軍基地のみならず,その他の日本領土も標的とするだろう。日本が直接攻撃を受ければ,自衛のためとして戦闘が正当化される。なし崩しに,米軍と共に自衛隊が北朝鮮領土に踏み込んでの戦闘も行われる可能性は極めて大きい。イラクの例を見ても,強い民族意識で団結した人々との戦闘となれば,長期化,泥沼化して,自衛隊にも多大な損害は避けられないと見るのが普通ではないだろうか。
アメリカも,イラクの経験があるので日本に相当の負担を要求して,自国の損害を極力小さくするように努めるだろう。アメリカにいいように利用されるのがオチである。

日本が,武力的な挑発を行わなければ,最悪,韓国との間で何らかのきっかけにより戦闘が再開する状況になったとしても,日本が直接的に攻撃に参加する可能性はなく,最大でも米軍の後方支援にとどまるならば,日本の危険は最小限に抑えられるであろう。

厳しい非難は必要だが,手段はあくまでも政治的・外交的なものに限るべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成後にTBさせて頂いたブログ]
お玉おばさんでもわかる政治のお話 北朝鮮の核実験・・
日本がアブナイ! 核実験、グレーゾーンでも、厳しく制裁。  ここぞと進める、ネオコン政策。

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「A級戦犯」に関して安倍首相を攻める野党の戦法は効果的か?

安倍首相が6日午後の衆院予算委員会での民主党の岡田克也元代表、共産党の志位和夫委員長、社民党の阿部知子政審会長らへの答弁で,東京裁判について「平和に対する罪と人道に対する罪で裁かれたが、(いずれも)その段階でつくられた概念だ。罪刑法定主義上、犯罪人だということ自体おかしい」,「受け入れなければ独立できなかった。独立するためにあえてのんだ」,「いわゆるA級戦犯は国内法的に戦争犯罪人ではない」と述べたとのニュースがあった。

自分は,安倍首相は支持していない。しかし,この意見に関しては,至極尤もであると思う。
野党は安倍首相を「日本を軍国主義に導こうとする者」と印象づけたいのであろうが,全く効果的とは思えない。小泉・安倍路線に痛めつけられている弱者達を味方に付ければかなりの数の支持を得られるであろうに,これでは世論を二分している一方の勢力の支持しか得られないだろう。
せめて,東京裁判やA級戦犯からは離れて,多数の国民を犠牲にした責任に関して言及するのであれば,かなり印象は変わるだろう。「A級戦犯は犯罪者」を前提とする限り,自分などは絶対に賛同できない。
「A級戦犯に指定された人の中に,国民から責められるべき人がいる」ことと,オートマティックに「A級戦犯=犯罪者」とすることとは異なる。
だから,「A級戦犯は国内法的に犯罪者ではない」と言っても,「A級戦犯の指定を受けた人の中に責められるべき人はいない」と言ったことにはならない。次元の異なることである。

野党は,安倍首相の右傾志向を攻撃するのであれば,もっと賢明な戦法を取らなければ多くの反感を買うことに気付くべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成後にTBさせて頂いたブログ]
奥田健次の教育改革ぶろぐろ部 いわゆる「A級戦犯」は犯罪人ではない

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2006年10月 8日 (日)

改革による成長である好景気は本物か?

好景気が続いており,「いざなぎ景気」に並んで戦後最長となることが確実とのことである。

読売新聞に次のような表が載っていた。

        いざなぎ景気  バブル景気  現在
        (65-70)   (86-91)   (02-)

経済成長率   11.5%       5.4%    2.5%
消費支出の    9.6%       4.4%    1.7%
伸び率
所得の伸び率  2.1倍       1.4倍    2%減

自分は「ド素人」なので,この数字から多くを読み取ることはできない。

しかし,好景気と言っても成長率は低いこと,消費支出も所得も伸びていないことは,多くの庶民は踏み台にされ一部の企業の業績が良いことに辛うじて支えられたものということであろう。

所得の伸び率については,上のような読売新聞の表現は意図的に差をわかりにくくしようとしているようにも思える。記述方法を揃えれば,いざなぎは110%増,バブルは40%増,現在は2%減となる。同じ意味の数字ではあるが,印象が違うであろう。

数字はいろいろな解釈ができることが多い。間違いとは言えない範囲で意図的に歪んだ解説を付けることも可能である。
数字で表された情報を見るときは,他人が付けた解説を鵜呑みにせず,自ら判断することが重要である。

いずれにしても,「好景気」とはいっても過去のものとは全く異質であり,「改革なくして成長なし」の言葉を信じた人たちが想定した「成長」ではないことは間違いないのではと思うのだが,どうだろうか。

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2006年10月 5日 (木)

意識の軽さと結果の重さのバランスをどう取ればよいのか?

飲酒運転,わき見運転による幼児の死傷,いじめによる少女の自殺などが話題になっている。

飲んではいるが運転は大丈夫だろう,少し目をそらすくらい大したことはないだろう,冗談半分でいじめているだけだ,などと加害者側の意識は極めて軽いものではないかと思う。
しかし,その結果の重さは誰が見ても尋常ではないものである。

ブログ,「指名ドライバー」普及への途 で

100円玉を拾って横領することは故意である。
拾得物横領は本人の自覚で防げる。
金額の多い少ないではない。

だからといって,これを極悪犯罪と意識する人は少ないだろうと述べておられる。

かなり飲んだ後に運転する常習者の罪の意識の重さは,1万円拾ってポケットに入れるくらいであろうか。
落とした1万円が帰って来なかったからといって命に関わることは,かなり稀だと思われる。
(だからといってポケットに入れて良いと言っているわけではないので念のため。)
しかし飲酒運転の引き起こす結果は極めて重大な場合が少なくない。

この,「意識の軽さと結果の重さのアンバランス」が問題の解消を困難にしていると考える。

厳罰化は確かに有効であろうが,限界がある。問題が無くならないからと,何でもかんでも死刑にするわけにもいかないだろう。
加害者を責めるばかりでは,いつまでも問題は解消しない。
本人の自覚に頼らない,システマティックな対応が必要であろう。

公共交通の整備や車道と歩道の分離,教師を増員して研修などの余裕を持たせるなど,検討すべき案はいくらでもあろう。しかし,どう実現するかということは極めて困難な問題である。
そのような検討や実践にもっと多くの労力が割かれるような社会にしていくことが必要ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年10月 4日 (水)

憲法を否定する首相は憲法違反を犯しているのではないか?

今日,参議院本会議の代表質問で社民党の福島瑞穂党首の質問に次のような内容があった。

「どうして改憲にこだわるのか」

「現憲法で集団的自衛権の行使を可能にする解釈を探るのは,憲法をねじ曲げようとするもので,国務大臣などに憲法の尊重・擁護の義務を課す憲法第99条に反するのではないか。」

(語句は記憶する主旨に合わせて選んだので全く正確ではない。)

これに対し,安倍首相は,

「現憲法は現在にそぐわない」(これははっきりこの言葉を使った。)

「憲法の尊重・擁護の義務に反するというのは当たらない」
([2006/10/5 追記]下のリンクの議事録によると「いやしくもこれまで憲法尊重擁護義務に反したことはなく、御批判は全く当たっていない」と述べている。)

と,全く矛盾することを一回の答弁の中で述べた。
質問項目が異なるので,答弁書を書いた者が違うのだろう。それにしても,それに気付かないで必死に棒読みする首相には呆れるばかりである。

内閣総理大臣という国を代表し統率し国民に法を守らせる立場で,国会という最も公共性の高い場で,最高法規たる憲法のかなり基本的な部分を否定する発言をするのは,完全に憲法第99条に反するのではないかと思うのだが,どうだろうか。

[2006/10/5 追記]
福島瑞穂氏のWebサイトにこの質疑の議事録が掲載されていたのでリンクさせて頂いた。

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2006年10月 2日 (月)

日本人は食べ物を大切にする文化を取り戻せないのか?

東京で開かれた「どうするニッポン人の食生活! 真の食育を考える」(こころとからだの元氣プラザ,東京顕微鏡院主催)というシンポジウムで,「臭い物好き」で有名な東京農業大学の小泉武夫教授が,
食糧自給率に触れ、40%を割り込んだ日本は先進国の中で最下位であるが、食品廃棄物の量が膨大で毎日300万人分以上の食事を捨てていることに相当するライブドア・ニュースより)
と話されたそうである。

自分は子供に食べ物を無駄にしないように厳しく言っている。
おそらく,世の親のほとんどは同じ事をしているであろう。

にも関わらず,食べ物を無駄にする大人が何故こんなにも多いのか。
自分が日常において目にする機会が多く気になっているのが,酒宴での食べ残しである。特に仕事絡みでの宴会の席では,みな話すことと酒を注ぎ合うことに熱心で,食べることをあまりしない。
飲みながら,会話をしながらでも料理を味わうことは十分にできるはずである。食べ物を無駄にしたくないという気持ちがあれば,参加者の交流に支障を来すようなことなく,もっと違った振る舞いができるはずである。

最近,よく話題になる「大食い大会」の類を,食べ物を大切にしていないからと批判する意見は多い。しかし,自分から見れば,ちゃんと食べるのだから無駄にするよりは余程ましである。宴会で多くの料理を食べ残すことに心を痛めない人には,大食い大会を批判する資格はないと考える。

食べ物を大切にすることは,自然や人を敬い感謝する気持ちにつながるものであり,自らの身を守るものでもあり,絶対に守るべき文化であると考える。

「食育」の必要性をいくら叫んでみても,大のオトナが大勢集まる場所で,大量に食べ残しが出るようでは効果は薄いのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年10月 1日 (日)

宝くじのCMは下品すぎるのではないか?

フジサンケイ ビジネスアイ というサイトに,宝くじに関する記事があった。

タイトルは「宝くじ、はずれても社会貢献 販売総額の4割を道路や橋の建設に」で,
「発売元は販売総額の39・8%を収益金として受け取り、道路や橋梁(きょうりょう)、社会福祉施設などの建設改修費に使われる。」
「宝くじ購入はりっぱな“社会貢献”でもある。」
「この宝くじ本来の目的を知らせることもファン獲得につながるはずだ。」
などとある。

何年か前から,宝くじのテレビCMが,あまりにも射幸心を煽るだけの内容になっていることが気にかかっている。
「当たればあなたも大金持ち」以外の内容が全くない,極めて下品なものに感じる。

自分はギャンブルはやらないし,宝くじも買わない。しかし,宝くじは社会貢献にもなることから,夢を見る程度に買っても良いかとは考えていた。
ところがあのようなCMを見せられると,宝くじを買うことが下品に思えてしまい,買う気が失せてしまい,結局,未だ買ったことはない。

あのようなCMを流し続けることは,子供達や若者に「地道に働くことよりも偶然でも良いから大金を手にした方が幸福」という意識を持たせるのではないかと危惧される。

宝くじのCMは,社会貢献になることを伝えることも当然ながら,地道な生活の中でささやかな夢を見るために買うことをすすめるような,もっと品のあるものとするべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年9月27日 (水)

安倍首相の給与カットは「痛み」と言えるのか?

安倍晋三新首相が,自らの給与を3割カットするとのことである。

安倍氏はアブナイ人物ではあると思うが,小泉氏と違って「品」はあると自分は思っていた。
首相就任直後に,このような下卑たパフォーマンスをするとは意外である。
周囲で入れ知恵するメンバーが変わっていないということだろうか。

総務省によると,今年度の本来の内閣総理大臣の月給は2,071,000円,ボーナスは年間で3.35ヶ月分とのことである。
年額にすると,31,789,850円である。

月給を3割カットすると,1,449,700円となり,副大臣や宮内庁長官とほぼ同じとなる。ボーナスも同率でカットとすると年額で22,252,895円である。

大臣に関しては1割カットとのことなので,月額で,1,512,000円が1,360,800円となるだけである。

これがどれほどの「痛み」なのだろうか。

資産もなく日々汗して働く一般のサラリーマンや,年金で細々と暮らす老人にどんどん積み重なる負担や,生活保護を受けざるを得ないような人からも容赦なく取られる消費税の増率などの「痛み」に比べ,これを「痛み」と言えるのだろうか。

安倍氏の姿勢は好きではないが,それなりに真面目な人物ではあろうと思っていたが,本人の意志であるかどうかは不明であるにしても極めて残念である。

このような低レベルなパフォーマンスに,国民は惑わされないようにするべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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プロ野球の高校生ドラフトは誰のための制度か?

プロ野球の高校生ドラフトで,様々なドラマがあったようである。

自分は野球はあまり詳しくないので,ドラフト制度の歴史などもほとんど知らない。
しかし,毎年,ドラフトのニュースを聞いて違和感を感じている。

自分は,行き過ぎた格差社会は好ましくないと考えるし,ルールの少なすぎる自由競争も却って不公平なものとなると考える。
ドラフト制度は,チーム間格差の行き過ぎを防止するためのルールであるということなのかも知れない。
しかし,世の風潮に合わせるべきと考えるわけでもないのに,ドラフト制度には何か違和感を覚える。

野球はスポーツである。また,プロ野球はエンタテイメントでもある。
スポーツには,それなりに公平なルールがあり,すべてのプレイヤーはそれに平等に従う限りは,また一定のスポーツマンシップに則る限りは全力を尽くしてプレイするものだと思う。また,無心に全力でプレイする姿を観客も楽しむものだと思う。

ドラフトで指名されるようなプレイヤーは,少年の頃から,平等なルールの下で夢を追いかけ鍛錬を積み,同世代のプレイヤーの中でほんの一握りのトップレベルに登って来た青年達である。
プロ野球の試合も熱心に観ながら,憧れる選手や球団もあり,その場に立つ自分のことをいろいろとイメージしてきたであろう。
彼らは,さらに夢を追い続けることを誰にも勝手な都合で邪魔されたくはないだろうし,観る者も,彼らと共に夢を追いたいのではないだろうか。

また,彼らは,高校を卒業する,社会人の入り口に立った者達である。昔とは彼らを取り巻く状況も変わり,それなりの判断力は持っていると思われ,子供扱いするような対象とは違うのではないだろうか。

ドラフト制度は,スポーツの本来のあるべき姿を守るためのものではなく,企業の中では一流であるオーナー企業が自分たちの利益を姑息に守るためのもののように思える。
プレイヤー本人の意志に反してまでチーム間の戦力均衡を図っても,長い目で見れば観客離れや野球少年の減少につながり,プロ野球界のためにはならないのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年9月26日 (火)

「飲酒文化」と「飲酒運転撲滅」を両立できるのか?

飲酒運転問題がいろいろと話題になっている。

世界的に人間社会では,飲酒は重要な文化としての一面を持っているようである。
そう考える根拠は,映画やテレビなどで得た知識がほとんどであるが,まず間違いないだろう。
様々な儀式には酒が付きものであることが多いようであるし,人と人とが親交を深める手段として共に酒を飲むことも多いようである。

我が国でも,地方では杯を交わすのが礼儀とされていることが多いし,交わさないまでも「注ぎつ注がれつ」は常識である。
学生の「イッキ飲み」は無くならないようであるし,神事には必ず杯を受ける場面がある。

「酒とタバコ」はしばしば一緒に扱われるが,タバコは「百害あって一利無し」と言われ,酒は「百薬の長」と言われる。
酒瓶のラベルに「飲み過ぎると健康を害する恐れがありますので,,」などと書かれる日は当分来ないだろう。

飲酒運転に対する罰を強化することも必要だとは思うが限界があろう。まさか酒気帯び運転で死刑にするわけにも行くまい。
また,厳罰化しても「自分には関係ない」と考える人がかなり多いのではないかと思う。
「振り込め詐欺」がこれほど報道されても被害が無くならないのは,テレビなどで見てもそれは「他人事」であり,自身の身に降りかかるとは思ってもいない人が多いせいもあると聞いた。
酒を飲んでも,事故は起こさないと過信したり,検問も見たこともないというような状況では,やはり「他人事」と考える人も多いのではないだろうか。しかも,判断力が鈍っていては尚更である。

「飲んだら乗らない,飲むなら乗らない」は当たり前であるが,理想論を言っている間に起きる事故の被害者に罪はないし,誰もが今日にも被害者になる可能性がある。事故被害も「他人事」ではないのである。

自分は,酒に酔った人間によるトラブルが多いことから,社会はもっと飲酒に対して抑制的になるべきだと考えてはいるが,現実には難しいだろう。
「まあ,どうぞ」,「いえ,クルマですので」,「そうですか」という社会になることは望みが薄いであろう。

厳罰化や啓蒙活動も必要ではあるが,公共交通の整備や,「指名ドライバー」の普及,あるいは代行運転の低料金化などの環境整備も効果としては大きいと考える。
また,今の社会は経済も生活も自動車に依存しすぎていると考える。資源保護,環境保全のためにも,自動車依存社会から,ある程度脱却するべき時期に来ているのではないだろうか。

飲酒が「文化」としてかなり確かな地位を占めている以上,「飲酒運転をしない努力」の負担を軽くすることが極めて重要ではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成後にTBさせて頂いたブログ]
公務員のためいき  飲酒運転の撲滅へ Part3
「指名ドライバー」普及への途  厳罰化で飲酒運転はなくなる?

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2006年9月23日 (土)

国旗・国歌強制違憲判決を区切りに教育をもっと子供中心とするべきではないか?

学校の式典で,国旗に向かっての起立や国歌斉唱を義務付けた東京都教育委員会の通達は違憲とする東京地裁の判決が出たとのことである。

この問題に関する自分の率直な感想は,「どっちもどっち」である。子供のケンカのように見える。

自身の生まれた国に誇りを持つことを教えるべき立場の教師が,意地になって自らの思想を主張したり,それを力ずくで押さえつけようとして従わなければ処分したりという状況には,教育の場で子供が置き去りにされている感を覚える。

判決そのものは妥当なものだと自分は思う。
裁判長は,「通達は不当な強制に当たり、憲法が認める思想・良心の自由を侵し、教育基本法にも違反する」と指摘したとのことである。
客観的な判断としては,そのようなものになるべきであろう。
「国旗・国歌に敬意や誇りを持てないのはおかしい」というのは感情論,思想の問題である。「強制して良いか?」との問いには,「否」という他はないだろう。

しかし自分は原告の教師達の行いを肯定するものではない。
教師は生徒に,平和のために周囲の人々ひいては世界の人々を愛することを教えるべきであり,自らの思想を貫くための争いに生徒を巻き込んではならないと思う。

教育委員会側も,「力」対「力」の争いを生徒の前で演じるべきではなく,あくまで対話による解決に努めるべきであろう。
天皇陛下も「強制はよくない」と仰った。このようなご発言の裏にはよほどの御意志があるはずである。現在の日本の良識に従えば,強制が否定されるのは絶対的に明白であるということであろう。

教師も,教育委員会や政府なども,今回の判決でさらに争いを激化させるようなことなく,ひとつの区切りは付いたものとして,家族を愛し,友人を愛し,郷土を愛し,国を愛し,世界を愛する気持ちを自然に子供達が持てるような,子供達のための教育を実現していくことに力を注ぐべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事作成後にTBさせて頂いたブログ]
華氏451度  祝・「国旗・国歌」学校強制に違憲判決
さぁ みんなで語り合おう  呆れた判決、国旗・国歌に関して
お玉おばさんでもわかる政治のお話  国歌は自由に歌いたい、国旗は自由に掲げたい
日本がアブナイ! 安倍氏らが目指す教育再生、国旗・国歌も全国に?! +ハルウララと地方競馬に見る日本の現状(1)

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2006年9月21日 (木)

安倍晋三新首相の誕生で日本は改憲へ大きく舵を切ってしまうのか?

安倍晋三氏が自民党総裁に選出され,実質的な新首相の誕生である。
そして安倍氏は,憲法改正に意欲的な姿勢を示している。

安倍氏の祖父の岸信介氏は,太平洋戦争当時の指導者の一人でありながら,アメリカによる防共のための後押しを得て総理大臣となり,新安保条約を結ぶという,「アメリカだけには頭の上がらない国粋主義者」のような人物と思える。
安倍晋三氏は,そのDNAを極めて濃く受け継いでいるように見える。
日本を「強い国」,「頼れる国」とすべきと言いながら日米関係だけは絶対的に保全しようとしている。
安倍氏の考える憲法改正の方向は,銃を持って中心に立つ米国の隣りで,やはり銃を持って威勢を張ろうとするようなものではないだろうか。

自分の考える「うつくしい日本」は,貴重な九条を含む平和憲法を戴き,被爆を含む悲惨な敗戦経験を知るが故に,どの国よりも平和を強く希求し,あくまで平和的な手段のみで国際的にも貢献していく,「戦争をしない先進国」のモデルケースであるような国だと思う。

安倍氏は,日本人が久しく押し殺してきた愛国心をくすぐり,国際的な場で軍事力を行使できるようにするための憲法改正を世論が是認するような方向へ,巧みに導こうとするのだろうと思う。

「コイズミ的」手法にある程度慣れてしまった国民は,「どうせ政府の意向には逆らえない」というような諦めの思いを持ち勝ちではないかと思う。

しかし,本当に重要な問題については一人ででも声を上げる覚悟が必要であり,そして良識ある国民がみな声を上げれば,それらはきっと同じ方向を向いているものである,日本は今でもそのような「うつくしい国」ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年9月19日 (火)

日本はかつて本当に「一億総中流社会」であったか?

先刻,TBSテレビの「ニュース23」で自民党総裁選候補の討論会が行われており,テレビ局側からの質問として,「一部の金持ちが貧乏人を支える社会と,一億総中流社会と,どちらが好ましいか」というものがあった。各候補者の答えはみな,総中流が理想とも言えるが現実にはそうはいかないだろうといったものであった。そのときのやり取りで,誰かが「かつてのような総中流には戻れない」と言ったように聞こえた。

1970年頃から日本は「一億総中流社会」と呼ばれたが,果たして本当に,日本人は皆「中流」だったのだろうか。

戦後の混乱期から復興し,高度成長を成し遂げ,世界を見ればまだまだ発展途上の国が数多く存在しており,「より下の世界」を知っているから,自身は「下流」ではないと意識を持っていたということではないだろうか。
その日の食べるものに困るような状況でなければ下流とはいえない,または,ある程度生活が苦しくてもそれを下流と呼ぶのは贅沢だというような意識があったのではないだろうか。

今振り返れば,自分は子供の頃,中流だったようには思えない。友人の家ではいろいろなおもちゃなどを見てうらやましく思ったし,インベーダーゲームなども流行っていたが,とてもそんなものに使える金はなく,数回しか遊んだ記憶はない。
それでも,自分よりも家庭が貧しいと思われる友人もいた。

かつての日本は,「適度な格差社会」であったのではないだろうか。だからこそ,「成功した共産主義社会」と呼ばれるのではないだろうか。
かつての日本を,「悪平等」を言外に含めて「総中流」と呼ぶのは現在のような,さらには将来に拡大する格差社会を肯定しようとする者たちの詭弁ではないかとも思えるのだが,どうだろうか。

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2006年9月17日 (日)

飲酒運転撲滅のために真に国民のための対策が必要ではないか?

最近,飲酒運転の問題に強い関心が集まっている。また,高齢者の運転する車の事故の多さも問題になっている。
一方,地方の公共交通は,赤字のものが次々と廃止されて不便になるばかりである。

自分も地方に住んでいる。大都市に住んでいたこともあるので,公共交通が少ないことによる不便は非常に強く感じる。
自分は飲酒運転はしないが,周囲ではよく見聞きする。飲酒運転は意識の問題と言われるが,周囲を見る限り,意識を変えるのはほぼ不可能と思われる。
「意識」で飲酒運転が撲滅できるなら,故意に犯される犯罪はすべて防止できることになってしまう。飲酒運転よりも,犯すのに強い意志が必要な犯罪がなくならないことからしても,意識改革に頼るのは極めて実効性の低い方法であろう。大体,酔っぱらい相手に「意識」を求めるのも無理というものである。

飲酒運転による事故の被害者には何の罪もないのに日々被害者は増加し,明日はあなたや家族が被害者になるかも知れないのである。理想論よりも,実効性を最優先した方法論を考えるべきであろう。

公共交通の整備を進めることによるメリットは極めて多いと思う。
飲酒運転や高齢者の運転も減るだろうし,渋滞も減るし,資源保全や環境保全にもなる。
デメリットは,コストの他には自家用車の販売が減ることだろうか。

コストに関しては,具体的な数字がわからず現実的にどの程度問題があるかはわからないので,必ずしも断言はできないが,自動車産業に頼る日本において,自家用車販売の減少につながることが公共交通整備の抵抗となっているのではないだろうか。

飲酒運転に限らず,交通事故が極めて多い社会において,自動車業界に配慮したその場しのぎの対策だけではなく,もっと実効性のある解決策を国民は要求していくべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

[記事を書いた後にTBさせて頂いたブログ]
みやっちBlog 飲酒運転は根っこから絶たなきゃね
公務員のためいき 飲酒運転の撲滅へ
「指名ドライバー」普及への途 「指名ドライバー」とは

2007/06/30 追記 なぜかこの記事だけ異様にスパムコメントが多いので,当分の間,本記事へのコメントは受け付けないこととさせていただきます。

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2006年9月15日 (金)

貸金業者との癒着で腐敗した自民党政権は交代すべきか?

自民党は貸金業制度に関する検討で,現在のグレーゾーン金利を3年間もそのままにして,少額・短期融資の場合に利息制限法の上限を上回る25.5%の金利をさらに2年間認める案で合意したとのことである。

何をか言わんやである。

「グレー」と言っても本来は違法であった金利に,実質的に3年間もお墨付きを与え,さらに2年は「グレー」でもなく「シロ」つまり完全に合法とする案である。

一部の議員が業者よりの態度を頑強に取ったとのことであるが,その議員達の氏名を明らかにするべきと考えるし,一部の議員が反対したからといってそれに譲歩するのは,自民党全体がそこに党益を見いだしているからである。

自分は民主党は好きではないし,民主党政権が良いものになるとも思えないが,自民党政権がここまで腐ってきたのを見ると,政権交代も必要ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年9月14日 (木)

「お客様」は「神様」か?(その2)

再春館製薬所という企業のテレビCMが,以前から気になっている。

「コミュニケーター」と呼ばれる,客から電話で注文を受けるなどする担当の社員が体験談を語るようなCMである。
その内容は,客の声に元気がないので尋ねると病気で落ち込んでいるとのことだったので,昼休みに調べ物をして肌に良い食事とリラックス法をその客に伝えたところ,とても喜ばれたというものである。
「お客様満足の追及に,教科書はありません」とそのCMは締めくくっている。

自分から見れば,社員に昼休みを犠牲にしてでも客を喜ばせろと命ずる企業と受け止められ,そのような「人間を大切にしない」企業が本当に客を大切にできるとは思えない。

随分以前にここで『「お客様」は「神様」か?』という記事を書いた。

その中で書いたが,客と,商品やサービスを提供する側は対等のはずである。
また,企業と社員も本来対等のはずである。
それを前提にすれば,企業は社員を大切にしながら客も大切にする道を求めるべきではないだろうか。

「社員が客のために調べ物をしたいと言ったので,本務をしばらく離れることを許可した」,あるいは本務を離れることはサービス低下になるのであれば「他の社員か上司が代わりに調べ物をした」というのが,あるべき姿ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年9月13日 (水)

小沢一郎氏の地方分権構想は実現できるか?

民主党代表の小沢一郎氏が,自らの基本理念として発表した政策構想の中に,「地方分権国家を樹立」というものがあった。
国から地方への個別の補助金を廃止して,使途を地方に任せる財源を一括交付するというのがその方法とのことである。

なかなか良い考えだと思う。
地方が国の補助金をもらって何かをするときに,国からの補助の要件を満たすために,無駄な内容が付け加えられることが多いようである。
地方は,財源さえあれば違うことがやりたいのに,条件を満たさなければ補助金がもらえないので不本意なことまでやらざるを得ないということがあるようだ。
地方が本当にやりたいことに絞ってカネを使うなら,国からの交付金の総額は現状よりも少なくても問題ないと,地方の首長ら自身が言っているとのことである。

ただ,すべての地方自治体が,与えられた財源を適切に使う能力があるかどうかは疑問である。
この考え方には,諸刃の剣のような面があると思う。

しかし,成熟した国家を目指すためには,ある程度の当初の混乱は覚悟してでもトライする価値はあるのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年9月12日 (火)

行動を共にする米軍が攻撃されたら我々はみな戦わねばならないのか?

日本記者クラブ主催の自民党総裁選討論会で,日米の艦船が公海上でシーレーン(海上輸送路)のパトロールに当たる状況を例として,「米艦船が攻撃されても、日本は全く手出しが出来ない」と指摘したとのことである(9/12読売新聞社説)

これも巧妙なレトリックを用いた詭弁であると思う。

自衛隊は,自国防衛のためにのみ武装しているのである。憲法第九条の下で存在し得るギリギリの組織であって,他国の軍隊とは一線を画すものである。
自衛官が勤務していないときに武器を持っていないのと同じく,武器を使用して良い状況以外では,非武装と同じ状態である。
したがって,イラクでの人道復興支援活動なども,治安維持活動ではないのだから非武装で行うべきだと考えている。それで危険があるのなら,そこには行かせてはならないのだと思う。

自衛隊員は,自国防衛のために戦闘状態になったとき以外は「非戦闘員」である。
行動をともにしていた米軍が攻撃を受けたからといって,普通の民間人が危険を冒して攻撃者に立ち向かう必要がないのは明らかだろう。
自衛隊も,そのような場では普通の民間人と同じ立場のはずである。

しかし,安倍氏はシーレーン防衛という,日本の防衛のための活動でありながら公海上で行われるという,特殊な状況を持ち出して説得力を持たせようとしている。
もし,そのような状況で攻撃を受けるとしたら,相手は米軍も自衛隊も区別しないはずである。米軍艦船のみが攻撃を受けているとしたら,それは米国への攻撃であり,我が国とは関係ない。自衛隊は,上で述べたような状況の普通の民間人と同じ立場である。自衛隊艦船が攻撃を受けたら,当然反撃は可能である。

人道復興支援活動を米軍の護衛の下で行っているときに米軍が攻撃を受けたら,その場合も単なる民間人と同じで,手元に武器があるからといってそれを使う道理はない。

小泉政権は人道復興支援と称しながら,武装した自衛隊員を海外派遣し,あたかも他国の軍隊に守られる情けない軍隊のような絵図を作り出し,集団的自衛権の行使に賛同を得ようとしているのであり,それに惑わされてはいけないのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年9月11日 (月)

企業からの多額の政治献金に庶民はなぜ怒らないのか?

経団連が,2005年に会員企業・団体が行った自民党への政治献金が24億2千万円であったと発表した。
正式に公表した金額がこれであり,カウントされていない金もかなりあると常識的には推測される。

これで果たして公平な政治が行われるのだろうか。

政治にはカネが必要と当然のように言われる。しかし,経団連から民主党への献金は6千万円だったと同時に発表された。民主党には労組などの支持団体があるとはいえ,経団連なみの献金を行えるとは到底思えない。つまり,野党第一党の民主党でさえ,自民党の一割以下の献金でそれなりに活動できるのである。

貸金業規制法改正の検討で,頑強に業者よりの主張をする自民党議員がいるようで,調整が難航している。
貸金業者の儲けぶりからして,かなりのカネが流れているのは確実と考えられる。

近年は,世論が弱肉強食是認へと傾いて反発は少ないと読んだのか,経団連は堂々と会員に献金を呼びかけている。全く,庶民をバカにした振る舞いだと自分は思う。

このカネの流れを断たない限り,弱者にも公平な政治は到底望めないのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年9月 7日 (木)

小泉首相はなぜ簡単に皇室典範改正を見送ったのか?

秋篠宮家に親王殿下ご誕生とのこと,おめでたい限りである。

以下の内容は,紀子様ご懐妊の直後に書こうとしたのだが,小泉首相のこと,国会が終わるまではどんな動きをするかわからないと思い,その後に書こうと思っていたものである。

小泉首相は前国会で当初意欲的だった皇室典範改正を,紀子様ご懐妊の報せを受けて,いとも簡単に見送った。
自分はこれを意外に思った。意のままの「有識者」を集めて改正すべしとの結論を出させるなど,「断固改正」の姿勢と見えていたからである。しかし,ソースがわからなくなってしまったのだが,ある情報を見て納得した。

それは,皇室典範改正には米国またはブッシュ大統領が反対しており,小泉首相は紀子様ご懐妊で矛を収める口実ができてほっとしているというものであった。

女系天皇の容認は,皇室の権威衰退につながる。それは左翼勢力を勢いづかせるものであり,避けるべきだと米国は考えているとの理由だった。太平洋戦争に関する昭和天皇の責任を米国が問わなかったことからも,納得できる考え方である。

国会で質問を受けている最中にご懐妊を耳打ちされた小泉首相のVTRがテレビで何度も流れたが,小泉首相は内容を聞き取ると,微笑んで「よかった」とつぶやいたと見える。自分はそれを見て,なぜ「よかった」のかわからなかったが,上のような考え方を知り,これも納得した。

小泉首相は終戦の日の靖国参拝の後,「ブッシュ大統領が行くなと言っても行った」と話し,自ら,ブッシュ大統領の意見は小泉首相に対してかなり強制力があることを示した。

それこれの状況から,米国またはブッシュ大統領が小泉首相に圧力をかけたとの見方は正しいのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年9月 5日 (火)

[番外]「美しい国へ」

多くの人達が類似のことを述べておられるので,わざわざ書くこともないのですが,どうしても気になったので番外としてひと言だけ書いておきます。

中国語ではアメリカを「美国」と書きます。
安倍晋三氏の著書「美しい国へ」の出版に関わった人達の誰もこれを知らないとは思えません。
私なら同じタイトルでも「うつくしい国へ」と平仮名で書きますね。
あえて漢字で書いたのは,意図的にメッセージを込めているとしか思えません。
中国に対して,「世界の覇者はアメリカであり,我々はアメリカに付く」と。

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安倍晋三氏がこだわる集団的自衛権容認は誰を利するのか?

安倍晋三官房長官が記者会見で,集団的自衛権を容認できるような現行憲法の解釈を検討するべきとの見解を示した。
何としても集団的自衛権を認めたいという気持ちが表れている。いったい,何のためだろうか。

国連や外務省の依頼により,東チモールやアフガニスタンの復興援助の最前線に立ち,自らを「紛争屋」と名乗る伊勢﨑賢治氏が著書「武装解除」(講談社現代新書,2004年12月発行)で,「国際協力の世界では金を出す者が一番偉い」と述べている。また,米軍の司令官クラスは「日本の資金的貢献をしっかり評価している」とも述べ,最後は「現在の日本国憲法の前文と第九条は,一句一文たりとも変えてはならない」と締めくくっている。
このような,自衛隊の海外派兵を拡張しようとする動きに対し,伊勢﨑氏は,「民族の自尊心を,国外に対する武力行使,もしくは武力誇示で満足させよう」とする「右翼化」の政治的意図が見え隠れすると述べている。ちなみに伊勢﨑氏は,そのような動きは「愛国者として体を張ってそれを阻止したい」とも述べている。

自分は,アメリカに気に入られようとする意図もあるように思うが,果たしてアメリカはそのようなことを望んでいるのだろうか。
逆に,アメリカに頼らないようにしようとの意図もあるかも知れないが,それも果たして可能なのだろうか。

結局,アメリカを意識する勢力は,右翼化勢力の片棒を担がされるだけであまり得るものはないように思う。

いずれにしても,どの勢力も一般国民の利益のために,つまり本当の意味での愛国心から動いているとは思えない。
現行憲法下であっても,増してや憲法を改正してまで,集団的自衛権を認めることは何ら国益には適わないのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年9月 3日 (日)

安倍晋三氏と夜神月は似ているのか?

安倍晋三氏が自民党総裁選立候補を表明した。
「美しい国,日本」を目指すとのことである。

誰にも平等にチャンスを与え,努力した人が報われる社会にするべきとしている。
これは巧妙なレトリックで,あたかも「誰でも努力すれば報われる」と言っているようだが,努力そのものを評価するとは言っておらず,結果で評価されるのであり,能力がなければ評価されないということである。
女性,高齢者,一度競争に敗れた若者も含めて,有能な人材だけを無駄なく選別して行くということだと受け止めた。
これは結局,国民の多くが戦々恐々として必至に努力し,格差は広がり,ごく一部の者だけに国を動かされることになると考える。
自分は,多くの一般国民は淡々と働きながら家庭や余暇を大切にできて,使命感と正義感を持った一部の者が中心となって,しかし謙虚に国を運営する形が,最も国民が幸福を感じられる国のありようだと思っている。

映画化もされ非常に人気のあるコミック「デスノート」を読んだ。
ほとんど証拠を残さずに遠隔的に殺人を行う力を手に入れた,並はずれて有能で正義感の強い若者が,犯罪のない世界にするために犯罪者を次々と殺していくストーリーである。
主人公の名前が,タイトルに書いた「夜神月(やがみ らいと)」である。
最終的には,この主人公を捕らえようとするやはり有能な若者に敗れるのだが,主人公の考え方を完全に否定する形では終わっていない。
善悪と能力で,人を生きる価値のある者とそうでない者に分別するような考え方は,これを読む子供達へ大きな影響を与えることが懸念される。

安倍氏の考え方と「デスノート」主人公の考え方は似ていのではないかと感じたのだが,どうだろうか。

[記事作成後にTBさせて頂いたブログ]
日本がアブナイ! 「安倍氏が正式出馬。ネオコン・ソフトの政策とリーダーシップ」
雑談日記(徒然なるままに、。) 「安倍晋三にNO!AbEndキャンペーンに参加しよう。」

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2006年8月22日 (火)

麻生氏の総裁選出馬は負け戦と決まっているのか?

麻生太郎外務大臣が自民党総裁選出馬の表明に伴い,テレビに相次いで出演している。

先日このブログで「神道は宗教か?」という記事を書いた。ここのところ忙しく,ニュースなどもよく見ていなかったので,麻生大臣の靖国非宗教法人化案についても見出し程度の情報しか知らず,てっきり「無宗教化」を基本とした案だと勘違いしていた。
しかし,まさに麻生大臣の案は,極端に宗教色の強くない神道形式の習慣は,我が国の文化と考えようということだと理解した。

靖国の件に限らず,麻生氏の物言いは非常にクリアなのだが独りよがりで他の意見との調整をあまり考えていないように感じていた。石原慎太郎都知事も話がクリアだと思うが,やはり考え方が若干独りよがりで,都知事はいいが首相を務めるには敵を作りすぎるのではないかと思う。しかし昨今の麻生氏は総裁選を意識してものの言い方を考えたのか,今日のテレビ放送を見る限りは,十分に国全体を見渡した上で,かつクリアに話すように感じた。

日本のことを理解しつつ,非常に聡明で自己主張も上手く,国際舞台で他国の代表と渡り合える人物ではあると感じた。

現在の日本の置かれた様々に難しい状況においては,有無を言わせずリードするカリスマ性や,水面下での調整能力などよりも,極めて情報処理能力の高い頭脳を持った指導者が必要だと思う。
その点においては,麻生氏は他の二人に比べてかなり秀でているのではないかと思うのだが,どうだろうか。
(顔つきで損をしている面が多分にあるとも思う。)

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2006年8月15日 (火)

なぜ靖国で騒ぐのか?

小泉首相の参拝もあり,靖国の話題で喧しい。

どんな事柄でも,誰かが音頭を取って賛否の議論をすれば,多様な意見が出るのは当然である。
一見,常識のようなことでも,反対意見を持つ論客を探してきてさまざまな舞台を仕立てれば,賛否の拮抗した議論にできることは多いだろう。

マスコミが元A級戦犯の合祀を騒ぎ立てなければ,政治家の参拝を騒ぎ立てなければ,それらを受けて中韓が騒がなければ,果たしてどれだけの国民が(中韓を含めて)靖国神社のことを気に掛けたであろうか。

自分は,元A級戦犯が靖国に祀られているかどうかや,首相が参拝するかなどはあまり興味はない。自分は小泉首相のやることなすこと,ほとんど気に入らないが,だからといって飯を食うな便所に行くなとは言わない。それと同じで,個人の信条によるものであれば靖国に行こうが行くまいがどうでもよい。
しかし,それを騒ぎ立てる人達については極めて不快感を覚える。

騒ぐ理由はほとんどの場合,政争の具とするためか自己の利益のため,あるいは騒ぐ他人に巻き込まれてしかあり得ないだろう。

雑音に惑わされても,一般庶民は何も得るものがないのではと思うのだが,どうだろうか。

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2006年8月13日 (日)

神道は宗教か?

靖国神社の話題と絡めて,「政教分離」のことがよく言われる。

日本人にとって,果たして神道は宗教なのだろうか。
形式的に神社は宗教法人となっているが,それは社会システムの都合上,そうなっているだけではないのか。

自分は浅学で神道のことはよく知らない。
しかし,他の宗教を排除するものであるとは聞かない。

自分は,特定の宗教を信じてはいないし,自分が死んだら仏式の葬儀になるのだろうが,どの宗派のものになるかも知らない。
しかし,初詣も行くし,子供が生まれれば初宮参りも七五三参りもする。だからといって,氏神にこだわるわけでは全くなく,そのときどきで都合のいい神社にお参りする。

人も含めて,森羅万象に神秘的な存在を感じるが,これは自分の中では信仰と言うよりも習性である。ほとんどの日本人は同じではないだろうか。そうであれば,神道は宗教と言うよりも文化に近いものではないだろうか。

「政教分離」は,政治が特定宗教と結びつくことによって,その宗教の信者以外の国民が不利益を被ることを防ぐためと,宗教を根拠にした理不尽な政策を防ぐためのものではないだろうか。
神社が国家的な追悼施設であっても,「政教分離」に照らして問題はないと考える。

(蛇足ながら,特定宗教とほとんど同化した政党が与党であることの方が余程大きな問題であろう。)

無宗教の追悼施設など作ったところで,批判勢力はどこまでも批判するのであって何の問題の解決にもならず,税金のムダ遣いでしかないのではと思うのだが,どうだろうか。

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2006年8月 9日 (水)

亀田vsランダエタ戦は格差社会に慣れさせるためのパフォーマンスか?

YouTubeのこの動画を見て感じたことがある。

亀田選手の父親の「みんなで一生懸命ひとつのドラマを作っている」のひと言があった。
例えボクシングというスポーツであっても,いかに力のある者に取り入って仲間に入れてもらうか,そのことに最大の努力を払って成功した者が勝者となれるということだろう。
そのためには,手段を選ぶ必要はなく,ボクシングの技術を向上させることであっても,大衆受けしやすいドラマを作ることであっても,あらゆる手段を使うことが許される。
彼らは,そのような格差社会のルールの下で真面目に懸命に努力しているのであり,自分たちの行いは正しいと確信しているのだろう。ある面から見れば勝者であり,違う面から見れば敗者であり,勝者の面から見る人達と敗者の面から見る人達とでは議論がかみ合わないだろう。

平等な社会にするためには,例えエンターテイメントと割り切ったとしても,このようなドラマを受け入れてはいけないのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年8月 8日 (火)

あの戦争はやはり過ちと見なすべきか?

原爆忌や終戦記念日の時期を迎え,「過ちを二度と繰り返さないよう」との言葉が頻繁に聞かれる。

自分は,先の戦争を単純に「過ち」とすることに疑問を感じている。
あの時代にあの状況で開戦の決断をしたことを,とやかく言うだけの知識を自分は持っていない。少なくとも,国を想い,家族を想い,戦場に赴き命を落とした人達には敬意を払いたい。

しかし,北朝鮮や中東から我が国を巻き込みそうなキナ臭さが漂ってくる昨今,ややもすればヒステリックなほどに「反戦」を叫ぶ勢力も必要なのかも知れないと感じ始めた。

開戦前の我が国や,ヒトラーを支持したドイツなど,共通の対象を憎む熱が熱を呼び,冷静に考えることができないままに突き進む集団となってしまうことを防ぐには,異なる思想を持つグループの力が拮抗していることが必要であろう。一時的にはあるグループの考え方が絶対的に正しかったとしても,全国民が同じ考えを持つようになってしまったら,いつか誤った方向に進みそうになったときに抑止力が働かないだろう。

自分はこれからも,あの戦争を「過ち」とは呼ばないと思うし,そうではない人達と平行線の議論をすることになると思うが,こういう議論は,結論を出すことよりも議論することそのものに存在意義があるようにも思えるのだが,どうだろうか。

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2006年8月 7日 (月)

亀田興毅の王者決定戦になぜ騒ぐのか?

話題にするだけで関係者を利することになるのではないかと思うのだが,どうだろうか。
(自分もこうして取り上げたが,試合は見ていないし,関係報道も勝手に耳に入るもの以外は知らない。)

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2006年8月 2日 (水)

埼玉のプールでの女児の死に責を負うべきは誰か?(その2)

よくわからない。

「太陽管財」が管理を丸投げしていた「京明プランニング」も入札に参加していたとのことである。入札に負けたのになぜ下請けに入れるのか。もっと安い費用でも受注できたということではないか。
「太陽管財」は6年連続で落札しているとのことである。
「太陽管財」の社長は「京明プランニング」のことを「古くからの仲間」と呼んでいた。関係業者で談合して委託費を分け取っていたとしか考えられない。

2社間に文書による契約はなく,口約束だったとのことである。そのような業務による収入が,きちんと申告されているのか疑問である。

プールの吸水口のふたを止めるボルトの穴が合わないから針金で止めていたとのことである。また,テレビ等で見る限り,ふたを受ける部品が小さすぎて十分な強度があるように見えない。そもそも,施工に問題があるのではないか。

ふじみ野市が実態を全く把握していなかったとも考えられない。見て見ぬふりをしていたのではないか。

亡くなった女児は,その場しのぎの仕事しかしてこなかった極めて多数の大人の犠牲ではないかと思えるのだが,どうだろうか。

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2006年8月 1日 (火)

埼玉のプールでの女児の死に責を負うべきは誰か?

埼玉県の市営プールで,吸水口に吸い込まれた女児が亡くなったとのことである。

この事件で,自分が最も強く疑問に思うのは,管理を委託されていた業者に適切な能力があったか否かである。

自分の知る限り,なぜか報道では管理業者の名称が出されない(読売新聞によれば「ビルメンテナンス会社」とのことである)。市も業者に責任を被せるような発言をしない。何らかの癒着があるなど,市としては突っつかれたくないのかとも考えるが,それはここでは問題としない。

それよりも,民間委託そのものの是非に疑問が湧く。
このような業務を民間に委託する意義は,質の良いサービスを低コストで実現することのはずである。
十分なノウハウを持った業者が責任を持って管理して,初めて民間委託が有意義なものとなる。
市が,管理業務の内容まで事細かに監視,指示する責任を負うのであれば,市の仕事の削減にはならないだろう。

先に委託ありきで,安い受託費を提示した業者に,業務遂行能力の十分なチェックをしないで委託して,トラブルがあれば責任の擦り合い(今回はこれはないが)では,結局割りを喰うのは住民である。

多少のトラブルによる賠償のリスクを負っても,委託費が安ければトータルで経済的であるとの考え方もあろうが,日本人のメンタリティにはそぐわないと考える。

少女の悲報を機に,多くの人が多くのことを考えるべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年7月20日 (木)

昭和天皇を政治に参加させるのか?

昭和天皇が靖国神社へのA級戦犯合祀に不快感を抱いていたことを示す,元宮内庁長官のメモがあったとのニュースが大きく取り上げられている。

メモの真偽さえも明らかではない(しかも手帳に貼り付けてあったという不自然な形である)が,それにも増してこの時期にこのようなものが突然公にされたことに,何者かの何かしらの意図が働いているのは明らかではないだろうか。

このことが影響して分祀がなされたとしても,天皇陛下は参拝されないであろう。それはA級戦犯とされた人たちの合祀を否定するという意志を明らかにすることだからである。
天皇陛下は参拝を望まれているだろうと思うが,今回のことでさらに参拝が難しくなるだろう。
皇室に仕えた方達がそのようなことを望むはずはないと思う。

今回のことは,誰が企んだのかは知らないが,昭和天皇と今上陛下を政治の場へ引きずり出そうとすることであり,皇室を冒涜する行為であり,これを取り上げて騒ぐマスコミなども同罪ではないかと考えるのだが,どうだろうか。

[記事を書いた後にTBさせて頂いたブログ]
お玉おばさんでもわかる政治のお話「昭和天皇はA級戦犯の合祀に不快感を示されていた」
語り合おう「靖国分祀について」
みやっちBlog「元宮内庁長官メモ見つかる」

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2006年7月17日 (月)

日本人は日本人らしいスポーツマンシップを堅持するべきはないか?

サッカーW杯決勝でのジダン選手の頭突きについて,サッカーの試合で汚い言葉で罵るのは当たり前であるとして,それにカッとなってしまったジダン選手を責める論調がある。
暴力は許されるべきでないのは当然だが,汚い言葉を浴びせて挑発して,軽く頭突きされただけで大げさにひっくり返って見せるマテラッツィ選手の方が,よほど子供じみているように自分には見える。

スポーツは厳しい勝負の世界であって,あらゆる手を尽くして勝つべきであり,日本人は甘い,などという論調があるが,果たしてそうであろうか。

ロサンゼルスオリンピックの柔道決勝で,山下選手と戦ったエジプトのラシュワン選手は,傷めている山下選手の右足をあえて攻めることはしないで敗れた。ムスリムの誇りを持ってそのような戦い方をしたと本人は語ったそうである。
また,テニスには「コードバイオレーション」という反則があり,独り言であっても暴言を吐いたり,地面に対してでもラケットを投げつけたりすると罰則を受ける。サッカー選手のようにコートに唾を吐く選手などいるはずもない。

サッカーW杯は戦争と言われる。ある意味,スポーツの中ではやや特殊な世界ではないだろうか。
それをスポーツ,さらには人としての行いのグローバルスタンダードであるかのように言い,それに馴染みにくい日本人全体のメンタリティを,「甘い」などという陳腐な批判の言葉を以て,それに合わせるべきであるように言うのは,日本人としての品格を捨てて弱肉強食の格差社会へ向かわせようとする者たちの思う壺ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年7月 8日 (土)

北朝鮮のミサイル発射をもっと冷静に捉えるべきではないか?

北朝鮮のミサイル発射について書こうと思ったら,よく拝見しているブログ「華氏451度」に記事があり,自分が書こうとしたことが含まれていた。
要するに,世間は大騒ぎしているが,この問題を大きく取り上げて得をするのは親米・改憲派ではないかということである。日米安保,在日米軍,自衛隊増強の必要性の根拠とするのには最高のネタであろう。さらに言えば,マスコミが大きく取り上げるのは,親米・改憲路線を突き進めようとする政府の意図によるものではないだろうか。

発射実験により技術はかなり進展するだろうから,発射しないように圧力をかけるのにはそれなりに意味はあるだろう。
また,飢えに苦しむ国民が多数いる一方で多額の費用を要するミサイル発射を行うのは,ある程度の非難に値するだろう。

しかし,それにしても今にも戦争でも始まるような雰囲気で報道されるのは行き過ぎであろう。何者かの意図がバックになければ,これほど極端な取り上げられ方はしないのではないか。

一般国民は,いたずらに報道に振り回されないで,冷静に事態を観察することが必要ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年7月 3日 (月)

サッカー人気は今の日本の世相を映しているのか?

W杯サッカーの決勝トーナメント戦を時折見ている。非常に面白い。日本が出ていた予選リーグとは別物に思える。
サッカーは面白い,しかし,それほど好きにはなれない。どうも上品に見えないからである。

自分がボールを出してもマイボールをアピールする,ファウルを取られると,または取ってくれないとあからさまに不満そうな態度を取る,ピッチで唾を吐く,審判に見えないように小競り合いをする,など,日本人の考えるスポーツマンシップとはやや異なる世界でプレーが行われているように見える。
せいぜい,味方が身体を痛めて相手がボールを出してくれたときにボールを返すくらいが,少しそれっぽい程度である。

一応のルールはあるが,ルールすれすれ,ときには見つからないように破って,とにかく勝てばよい,そのために自らの言い分は強く主張する,これはまさに今の日本社会の風潮ではないだろうか。

サッカーを否定するつもりはない。自分はサッカーはやらないが,エンターテイメントとして非常に面白いと思うし,プレーする人たちは,日本人らしいサッカーを正々堂々とやれば良いと思う。特に,これまで西欧,南米のサッカーを吸収してきたのだから,これから日本独自のサッカーを築き上げてゆけば良いと思う。
体格も気性も異なるのだから,グローバルスタンダードに合わせる必要はないし,その方がかえって不利ではないだろうか。

そして,社会全般に関してもまた同様ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年7月 2日 (日)

小泉首相の乱痴気卒業旅行に何故もっと怒らないのか?

小泉首相の卒業旅行,目を覆うばかりである。
プレスリーを真似て歌うところなど,下品で見ていられない。
ユーモアは大事だが,一国の首相たる者,品性の感じられるユーモアを持ってもらいたい。

公務員が少しでもムダ遣いをすると目をつり上げる世の中に変えてきた張本人に対し,庶民は笑って過ごすことなく怒るべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

それにしても,最後の最後までやりたい放題で,支持する人のいることが全く信じられない。

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2006年6月24日 (土)

日本の牛肉輸入に関するアメリカの強硬姿勢は何ゆえか?

日本の牛肉輸入に関し,アメリカでは,上院で拘束力はないが8月中に再開しない場合の経済制裁を容認する案が可決されたり,ジョハンズ農務長官が,輸出に関する取り決めに違反する施設が出た場合の輸出停止などの判断は自分が決めると発言したなどの報道があった。

全く,何をか言わんやである。

ただ,これらの動きの裏には,日本の財界の後押しがあるように思えてならない。

日米ともに,商売の得意な者は,何が自分を利するのか的確に判断しているのだろうと思う。
アメリカからの牛肉輸入停止により打撃を受ける企業は多い。国をあげて米国産牛肉に過度に頼らないように構造改革をすれば良いのだろうが,そんな悠長なことをするよりも,とにかく再開して世論の熱の冷めるのを待つ方が得策だろう。
あまりにも世論の反発が強いので,これ以上早く再開しようとしたら世論全体を敵に回しかねなかったかも知れないが,そろそろ,押し切っても大丈夫と判断しているのではないだろうか。

そのような,日米双方の財界の思惑をバックに,政治が動いているのではないだろうか。

結局,政治を動かすのは国民ひとりひとりの意志であり,牛肉輸入問題に関しても,一般庶民が意識を高く持つことが重要ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年6月21日 (水)

連合国が貼ったレッテル「戦犯」からまず視線を外すべきではないか?

日本遺族会会長を務める古賀誠氏が靖国神社の宗教法人格見直しに加え,A級戦犯の分祀も検討するべきとの考えを示したとの報道があった。

「戦犯」とはもちろん「戦争犯罪人」である。「犯罪」には「被害者」がおり,それは交戦相手の国に属するものである。日本人ではない。
日本で「戦犯」と呼ばれる人たちは,連合国による軍事裁判で「犯罪人」とされたのであり,日本人が自らの意志で「犯罪」を認めたわけではない。

こんな,当たり前すぎるほど当たり前の事実があるのに,何故日本人が「戦犯」とされた日本人を「犯罪人」扱いしようとするのか,まったく理解できない。
それにより何らかの利益を得ようとする者たちの力が働いている以外に,そのような現象が起きる理由は考えられない。

「戦犯」とされた人の一部に対し,悪感情を持つ国民も確かにいるのかも知れない。
しかしそれならば,日本人の意志により,何人かの特定の人物について,太平洋戦争に関連して国民に対する何らかの罪を犯したと合意した上で議論すべきであろう。
その上で,それらの人物についての靖国への合祀なりの問題を議論するのならば,まだ筋は通っているといえるかも知れない。

しかし,連合国が勝手に貼った「A級戦犯」というレッテルを以て日本人が日本人を区別するのは,やめるべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年6月18日 (日)

マスコミはもう少し良心的に行動するべきではないか?

最近,マスコミの発する情報の偏りが顕わになる出来事が相次いでいる。

日本テレビが盗撮で逮捕された自局アナウンサーの実名報道を避けたり(これは「きっこのブログ」に詳細がある。また,同ブログではここのところ日本テレビのヤラセについて多くの情報が発せられている),秋田の小学生殺害事件では,内容にほとんど進展がないのに,それまでに撮りためた容疑者の映像を連日垂れ流し続けたり,安部晋三官房長官が統一教会の合同結婚式に祝電を打ったという,本来ならマスコミにとって「おいしい」はずのニュースを全く取り上げなかったり(これについてはブログ「お玉おばさんでもわかる政治のお話」などで大きく取り上げられている),などである。

自分は,マスコミは高い公共性を有しているとはいえ,私企業であるし,多数の同業企業があるのだから,皆が同じような情報を発するのでなく,それぞれの企業の考え方を反映した個性的なものであって然るべきだと考えているし,ある程度,自社に有利なように情報発信するのは問題ないと思っている。

しかし,罪を犯した社員を多少贔屓目に報道する程度ならまだしも実名すら報道しなかったり,価値のない情報を以てことさらに犯罪容疑者を貶めるだけの行為を繰り返したり,ましてや,あからさまに権力に屈するようなことは,あってはならないことではないかと考えている。

マスコミは,その強大な力の,もう少し多くの部分を良心的に行使するべきではないかと思うのだが,どうだろか。

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2006年6月15日 (木)

労働環境だけ「日本的」が良いとするのか?

厚生労働省が,労働政策審議会の分科会で,残業代の割増率を引き上げる一方で,一定以上の収入の人は労働時間の規制から外して残業代をなくす仕組みなどを提案したという朝日新聞の報道があった。

「一定以上の収入」について具体的な基準は示されていないが,日本経団連が昨年,年収が400万円以上の従業員を労働時間規制の対象外にするよう提案したとの内容も同時に伝えられている。これが参考にされて同様の数字が提案される可能性は高いと言えよう。

「残業代が増える」といえば聞こえはいいが,上記の通り実現すれば,「400万以上欲しければ残業は無制限」または,「残業代が欲しければ400万以上はやらない」ということになる。

「夢のため」や「人を喜ばせるため」などのような耳当たりのいい言葉を動機として「死にものぐるいで働く」というようなことが美徳とされるような風潮がある日本では,上記のような仕組みは,一面では国民のメンタリティーに合った仕組みとも言えるかも知れない。
しかし,それを上手く利用して社会格差を固定しようとする企みが透けて見える思いがする。
都合に合わせて,「グローバルスタンダード」と「ジャパニーズスタンダード」を使い分けているだけではないか。

自分は,ほとんどのことに関して「日本らしさ」は大切にするべきだと思うが,労働環境に関しては,現代のグローバルスタンダードに合わせて,もっと合理的なものにするべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年6月13日 (火)

随意契約が不適切であれば競争入札が適切なのか?

財務省は,国の各機関との結び付きが強い公益法人と企業に限り,100万円以上の随意契約を対象として調査した結果,国の機関が2005年度にこれらの公益法人や企業と結んだ随意契約のうち,8割弱が不適切だったことがわかり,今後,競争入札に切り替える必要があると指摘した,という報道があった。

6月8日の本ブログの記事「エレベーター事故での高校生の死は人命軽視社会への警鐘か?」でも取り上げたように,低価格で落札したエレベータ製造会社が,世界的にはシェアも大きく標準的と言える企業であるにも関わらず,日本の社会には馴染まないのではと思わせる事故が起きている。

先に述べた財務省の調査の結果として,不適切とされた随意契約のそれぞれについて,それでは競争入札により低価格を提示した企業と契約を結ぶことが適切だったと,果たして言えるのだろうか。
これらの適不適は,測る尺度が違うのではないだろうか。

財務省は,例えば三菱や日立などとシンドラー社を的確に比較できるだけの見識を持って,他にも適切な仕事をより低価格で実行できる企業があったと判断したのだろうか。

長い経緯の後に形成されてきた仕組みに何か問題がある場合,その原因と適切な対策方法を検討するべきであるのに,それが極めて困難であるがために,とりあえず根本的に仕組みを変えてしまおうという動きが,国政から身の回りの些細なことに至るまで,多すぎるように自分は感じている。

問題が明らかになったら,小泉首相のようにとりあえず「ぶっ壊す」というのでは,過去の教訓が十分に活かされないのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年6月11日 (日)

金儲けは悪いことか?

周知のように,村上ファンドの村上世彰氏が,「金儲けは悪いことですか?」と発言した。

自分は,他人よりも優れた能力を持つ人間は,その能力の多くの部分を社会に貢献するために使う使命を負って生まれてきていると考えている。
具体的なモノを作る技術でもいい,スポーツで人に夢を与える能力でもいい,何かしら,他人を幸福にするために高い能力は使われるべきだと考える。

日本は,一応,資本主義社会である。ルールさえ破らなければ利潤追求は当然の権利であり,義務とも言える。
しかし,日本には「道徳」という観念を行動の規範とする文化がある。現在はかなり廃れて来ているのかも知れないが。
成文化された法令に反しなくとも,「道徳」に反することは「悪いこと」だと自分は思う。

自身の高い能力を,他人を幸福にすることの報償としてではなく,単にテクニックによって自身の財を成すことに主たる目的を置いて使うことは,日本人の道徳観念から見れば「悪いこと」ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年6月 8日 (木)

エレベーター事故での高校生の死は人命軽視社会への警鐘か?

政府,官公庁の無謀な経費削減の犠牲としてエレベーター事故で亡くなった高校生,市川大輔さん,彼の死に自らの行いを反省するべき者は多いのではないだろうか。自分も無罪ではないと思う。

近年の,3万人の自殺者,7千人の交通事故者などを省みない政治,社会は,確かに合理的であるとも言えるだろう。

しかし,戦後,ひとりひとりの人間の命を大切にする社会を育んできた日本の,われわれ国民の感性とは相容れないものではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年6月 6日 (火)

天皇陛下は愛国心教育に関するお言葉にどのような意味を込められたのか?

天皇皇后両陛下がシンガポール・タイご訪問に先立ち,記者会見を開かれた。
その場で天皇陛下が,
「愛国心を促す方向で日本の教育基本法の改正が進められているが近隣諸国では,戦前の国家主義的な教育への転換になるのではと恐れられてるが共鳴されるか?」
との問いに,
「内容について述べることは控えたい」
とされながらも,
「戦前のような状況になるのではないかということですが,戦前と今日の状況では大きく異なっている面があります。その原因については歴史家にゆだねられるべきことで,私が言うことは控えますが,事実としては,昭和5年から11年,1930年から36年の6年間に,要人に対する襲撃が相次ぎ,そのために内閣総理大臣あるいはその経験者4人が亡くなり,さらに内閣総理大臣1人がかろうじて襲撃から助かるという異常な事態が起こりました。帝国議会はその後も続きましたが,政党内閣はこの時期に終わりを告げました。そのような状況下では,議員や国民が自由に発言することは非常に難しかったと思います。 先の大戦に先立ち,このような時代のあったことを多くの日本人が心にとどめ,そのようなことが二度と起こらないよう日本の今後の道を進めていくことを信じています。」
と述べられている。

このお言葉は,「愛国心を教育することは良いことだが,民主的な政治が前提となる」という意味に自分には取れる。
これは,「品格」を失いつつある国民と,翼賛体制的な政治を志向しているように見える政府の両方への警鐘ではないかと考えるのだが,どうだろうか。

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2006年6月 5日 (月)

マスコミは報道という行為にもっと誇りを持つべきではないか?

テレビでは,秋田の小学生殺害事件に関する報道ばかりが流されている。
極めて長時間が費やされているが,目新しい情報はほとんどない。
これまで,容疑者の女性にかけていたモザイクを外せて,嬉々として映像を垂れ流しているようにしか見えない。

マスコミ各社は,自らの報道内容として,もっと誇りを持てるような,価値のある情報を視聴者に提供することに力を尽くすべきではないか。
視聴率も大事だろうが,報道するべき情報を,いかに視聴率の取れる方法で流すかが重要なのであり,視聴率を目的にして情報を選択するのは本末転倒ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年6月 4日 (日)

非正社員雇用は企業が乗るべき「バス」か?

雇用増1年で79万人 9割以上が非正社員」というニュースがあった。

経費を抑え,即戦力またはコストに見合った労力を導入することで,企業は業績を向上させているのだろう。
「バスに乗り遅れるな」という言葉がある。かつて,ドイツと心中したことに始まり,日本人は何かと「バス」に乗りたがるようである。
バブルにしても,「このバスに乗っていていいのだろうか」と頭の隅で感じながらも「みんな乗っているのだからいいだろう」という程度の考えで走り,皆で破綻した。

日本人は,「それが時代の流れだ」と言えば,他人よりもモノがわかっているフリができると思っている者が多い。自分から見れば,単に思考停止しているだけにしか見えない。もっと言えば,「みんなやってるもん」などという子どもと同じだと思う。

非正社員ばかり採用するのが定着すれば,採用する側もされる側も,「ダメなら次を当たろう」または,「そのうちダメになるかも知れない」という意識を持つはずである。
採用するときに,また応募するときに,じっくりと相手を見極め,決めたからには滅多なことではあきらめないという覚悟で臨まなければ,企業も人材もうまく成長できないのではないだろうか。

「バス」に乗る前に,そのバスが向かう先を見極め,人波に逆らって留まる勇気をもっと多くの人や企業が持つべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年6月 2日 (金)

駐車違反取り締まりの民間委託は誰のためか?

昨日(2006/6/1)から始まった違法駐車取り締まりの民間委託に関して,委託先の法人の多くが交通安全協会を含む警察OBの再就職先であるとの報道があった。

このブログの2005年11月23日の記事『「交通戦争」は激化していないか?』で書いたとおり,「交通戦争」という言葉が使われてから久しく,しかも交通事故は増加している。
先の報道によると,
警察庁は、民間委託のねらいを「警察官を交通取り締まりから犯罪捜査へ振り向けることだ」と説明する。しかし、同庁の試算によると、捜査に振り向けられる規模は「全国で500人程度」にとどまる。
とのことである。

警察庁は,積極的に交通事故を減らそうというつもりはなく,しかも「犯罪捜査へ振り向ける」との理由も実効性は疑わしいと読み取れる。

交通事故を減らすためにできること,やるべきことはいくらでもあるだろう。その中で,導入のための法整備や環境整備などが極めて煩雑な違法駐車取り締まりの民間委託を押し進めたのは,交通安全協会の加入者が減少したりする中で,警察OBの再就職先を確保することだけが目的ではないかと感じられる。

交通政策において,国民の安全は二の次,三の次で,自動車業界の利益や警察庁の都合が最優先されているのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年5月29日 (月)

子どもの学力の二極化は格差社会が原因か?

子どもの学力について「勉強ができる子」と「できない子」の二極化が進んでいると感じている人が60%を超え、うち70%近くは「家庭の所得格差が原因」と考えていることが27日、有識者らでつくる「日本の教育を考える10人委員会」(委員長・佐和隆光立命館大教授)の義務教育アンケートで分かった。

とのニュースが伝えられた。

果たして,学力の二極化は所得格差が原因だろうか。

「因果関係」と「相関関係」は異なる。
高所得家庭の子弟の学力が高く,低所得家庭ではその逆だからといって,所得が原因とは限らない。

教育に金をかければ学力が上がるのなら,何十年か以前と比べると子供の学力は飛躍的に上がっているはずなのではないだろうか。

自分は格差社会化は進行していると思うし,その動きには否定的な考えである。

しかし,子供の学力の二極化には,格差社会化も絡んではいるだろうが,もっと他の要因も関係しているのではと考えるのだが,どうだろうか。

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2006年5月22日 (月)

サラ金の金利を下げると闇金が増えるのか?

5月18日の参議院の「行政改革に関する特別委員会」で,サラ金(消費者金融業者)の金利が高すぎるとの民主党前川清成氏の質問に対し,小泉首相が,「金利が高くても借りたいという人がいるのだから,難しい問題だ」と答えた。
確かに,法令で定める金利の限度を下げることにより,業者の多くが立ちゆかなくなって借りたい人に貸せなくなれば,高金利の闇金に流れる人が増えるだろう。しかし,現在の金利はそのようなギリギリのレベルなのだろうか。

サラ金業者は莫大な利益を上げ,テレビコマーシャルはひとつの番組中に複数のサラ金業者のものが流れるという現状である。
長者番付の最上位にも,各サラ金業者の社長が名を連ねる。

「金利が高くても借りざるを得ない」人たちは,サラ金業者の金利が高すぎて返済することができず,闇金に手を出してしまっている人たちが多いのではないだろうか。
ある程度金利を下げたからといって,サラ金業者の「貸すポテンシャル」が低くなって,正規業者から借りられなくなって闇金に走る人が増えるという事態にはならないはずである。

「金利の限界を下げると闇金がはびこる」というのは,前川議員が指摘するような業界と癒着した金融庁や政府の詭弁ではないかと思うのだが,どうだろうか。

中継ビデオ](上記のやりとりは21分経過ごろから)

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2006年5月19日 (金)

国民投票法案のメディア規制撤回は与党の譲歩か?

国民投票法案について,与党がメディア規制条項を設けないと,反対派に譲歩する決定をしたとの報道があった。
これは果たして「譲歩」だろうか?

メディアに最も強い圧力をかけられるのは政府・与党である。
そして,一般国民の意見をもっとも左右するのもメディアである。

与党は,メディアを規制しないことは,多少のリスクもあるがメリットの方が大きいと判断したのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年5月17日 (水)

小沢vs小泉党首討論は期待はずれか?

民主党代表の小沢一郎氏と小泉首相の党首討論があった。
小沢氏の静かな物腰に,「期待はずれ」のような論評が多いようである。
果たしてそうだろうか。

これまで,野党の党首や議員が速いテンポで突っ込んで,のらりくらりとかわされて,「いいようにあしらわれた」といった印象を与えることが多かったように思う。
それに比べ今日の党首討論は,小沢氏がゆっくりとしたペースで議論を進め,小泉首相もペースを合わせなければならない中で,小泉首相の無定見ぶりが露わになったように見受けられた。

自分は民主党は好きではないし,小沢氏も嫌いではないが好きでもなくよくわからないので,民主側に贔屓目に見たつもりはない。

しかし,「教育の責任はどこにあるか」と問われて「親だ」などととぼけた答えを返したり,「教育基本法改正案をよく検討されたい」と言われて「委員会に検討させる」と無責任な言い方をするなど,小泉首相は自分のペースに引き込むことができず,「中身」の無さがいつもに増してはっきりと露呈したように感じた。

やはり小沢氏は小泉首相にとって,それなりに「やりにくい」相手なのではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年5月14日 (日)

小泉首相は確信犯か?

やや旧聞に属するが,5月9日,経済同友会が首相の靖国神社参拝自粛を求める提言をまとめたことに対し,小泉首相が「靖国は外交カードにはならない」,「財界からも商売のことを考えて『行ってくれるな』という声もたくさんあったが、それと政治は別だとはっきりお断りした」などと語ったという報道があった。

小泉首相に対する批判として,アメリカや財界の利益だけを考えているというようなものがあるが,果たしてそうだろうか。

この報道を単純に見ると,小泉首相は財界の利益に反することも行うように見える。

自分は以前から,小泉首相の言動に,深い思慮というものを感じていない。直感的な信念をただまっすぐに貫き通しているだけのように感じている。
例えば,靖国問題に関する彼の思考内容は,
・・靖国・・国に殉じた人を祀っている・・参拝する・・何が悪い?
以上のものではないように思える。

「大義のために小さな公約など問題ではない」,「自分にどこが戦闘地域でどこが非戦闘地域かなどと聞かれてもわからない」といった発言も,確信犯的なものだと感じる。

「確信犯」という言葉は,単に犯罪と知りながら故意に行うことを指すように世間では使われることが多いが,本来の意味は,自らの思想や信条に照らして正しいと信じて行う犯罪のことである。

小泉首相は,自らの問題言動を,何らかの思慮に基づいて非常識と知りながら故意に行っているのではなく,心底から正しいと信じているのではないだろうか。

自分は,一国の指導者たるべき人物は,シンプルなルールを貫くべきだとは思うし,世の中もそれを求めていたから,田中角栄氏以来の高支持率政権となっているのだろう。

しかし,シンプルなルールの背後には,多くの知識と経験から生まれた一貫した信念が必要だと考える。

小泉首相の場合,そのような信念があるわけではなく,このような場で用いるのは不適切であろう言葉をあえて使えば単に「狂っている」だけではないのかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年5月 9日 (火)

日本人は経済格差を動機としなければモラールを維持できなくなってしまったのか?

「モラール(morale)」は,士気,勤労意欲のことである。
「武士は喰わねど高楊枝」という言葉が,武士など存在しない社会となっても存在する。
日本は,名誉や,更には良心だけでも動機としてモラールを高めることを,一般庶民が行うことのできる希少な国だと思う。いや,「国であった」と言うべきだろうか。
流行りの言葉で言えば,「品格ある国」であった。

格差社会を肯定する考え方が聞かれるのは,社会の下層にいる国民が,もっと大きな格差を付けられなければモラールを維持できなくなってしまったということなのだろうか。
または,社会の上層にいる者たちが,やはりもっと大きな格差を付けなければモラールを維持できなくなっているのだろうか。

貧乏でも,地味な仕事でも,社会を運営する一員として誇りを持って働くというような考え方は,また,高い能力や人一倍の努力を以て社会に貢献できることを,暮らしに困らない程度の収入でも,誇りに思い喜びを感じるというような考え方は,過去のものになってしまったのだろうか。

現在の日本における「格差」は,世界的に見れば大きなものではないだろう。
ゴールデンウィークの観光地は人であふれ,パチンコは30兆円産業である。自殺者が年間に3万人余りいるとはいえ,グローバルスタンダードでいう「下層階級」は日本にはまだまだ少ないだろう。

日本は,そのように格差がなくとも国民が高いモラールを維持している希有な国であった。「エコノミックアニマル」と揶揄されることもあったが,それは個人に対してではなく国に対してであり,大富豪が少ないのに国民が総体として「エコノミックアニマル」になれることは,誇るべきことであろう。

自分は,日本人は良くも悪くも「流れに逆らわない」国民性を持っていると感じている。
今,社会の「流れ」は格差がなければモラールが維持できないような方向へ向かっており,その「流れ」に乗ろうとしている国民が多いということなのかも知れない。
しかし,我々の子々孫々が幸福に暮らしてゆくためには,格差がなくともモラールを維持できる,国際的にはユニークな(これを「異常」と言えば聞こえは悪いが本質的に同義だろう)社会に戻す努力をすることが必要ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年5月 7日 (日)

教育にはもっと公金をつぎ込むべきはないか?

我が家の近所の小学校では,冷房どころかストーブもないと聞いて驚いた。
校舎も見るからに古びている。
親戚の子供の授業参観に,その子の親と一緒に行ったことがあるが,必ずしも良い授業とは思えなかった。
自分はゆとり教育の考え方には賛成だが,その真価を発揮させるためには,教師の側に学問の理解と創造性の面でかなりハイレベルな能力が求められると思う。これに対応できる教師はほとんどいないのではないだろうか。
ゆとり教育に限らず,単純に小学生や中学生に勉強を教えるに当たっても,自分が学生時代に家庭教師をしたときの経験や,現在,我が子に勉強を教えるときのことを考えると,それぞれの教科についてかなり深い理解がないと上手には教えられないと思う。
例えば,ものの長さの測り方ひとつをとっても,十進法,単位や整数と実数などの概念,長さから拡張して距離の測り方まで含めると,負の数の概念なども十分に理解していないと,子供にわかりやすく説明したり,つまずいた子供が何につまずいているかを見極めたりするのは難しい。

また,昨今問題になっている身勝手な理由で給食費を払わない親を擁護する気はないが,給食費や副教材費などが,家計にとって実際に大きな負担となっている家庭も多いだろう。

自分は,ニーズや緊急性が実際はあまり高くない公共事業などを景気や雇用の対策のために行うことに,必ずしも反対ではない。

しかし,その資金のほんの一部でも教育施設・環境の改善や,教員の数・質の向上に回せば,子供の教育環境は遥かに向上するのではないだろうか。
所管省庁が異なるから,そう簡単な話ではないことはわかるが,政府がその気になれば不可能ではないだろう。

所詮,社会は人間が作るものである。基本構成要素は人間である。
その人間を育成するための教育システムには,現状よりも,もっともっと資金をつぎ込むべきではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年5月 1日 (月)

「機会の平等」の下での競争は社会の発展に有用か?

安部晋三氏などが「機会の平等」を強調している。
「機会の平等」の下での競争は,果たして公正な競争だろうか?

柔道やボクシングなど格闘技の多くでは,体重別にクラス分けして競技が行われる。
ゴルフ,ボウリングや将棋などにも,対戦者の実力差に応じて「ハンディキャップ」が導入される。
これらは,機会を不平等にして,結果の分布範囲を狭めるためのものである。

なぜこのようなことが行われるのか。それは,より多くの人が熱意や向上心を持って競技や対戦に取り組むためだろう。

「結果の平等」のために,小学校の運動会でみんなで手をつないでゴールするのでは,熱意も向上心も培われないだろう。かといって,「機会の平等」のために全学年混合で競争すれば,低学年児はやはり熱意も向上心も湧かないだろう。
このような小学校の例で言えば,5年生の足の速い児童が6年生に挑む機会を与えるのは良いことだろう。しかし,6年生の足の遅い児童が,低学年児童に勝つことで常に上位にランクされ,低学年児童の大部分が常に下位にランクされるのは,活気ある運動会とするためには良いことではないだろう。

良い政治とは,国民ひとりひとりの能力を十分に引き出すものであるべきである。

そのためには,実力の伯仲した者同士が整然としたルールの下で競い合う場を提供して,社会を活気あるものに保つことが必要ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年4月29日 (土)

格差社会批判は負け組の言い訳か?

格差社会を批判する意見に対し,努力を怠った者,甘えた者の言い訳や負け惜しみと捉える論調がある。
果たしてそうだろうか?

確かに,一部にはそれに該当する意見もあるかも知れない。

しかし,多くの意見は,私利のためではなく公の利益のために,社会のあるべき姿に照らして表明されているのではないだろうか。

自分も格差社会には批判的である。自分の生活は,中流かもう少し上くらいだろうと思う。そして,労働時間は比較的長い方だろう。
自分は負け組(この言葉は嫌いだが)だとは思っていないし,また,仕事に対して, 労働時間は長くなっても努力は怠らないようにしようと思っている。つまり,平均的な人よりは多く働いて,それにより平均より多めの収入をキープしているということになろう。

しかし,平均的な労働者は,8時間労働でプライベートな時間も十分に確保した上で,それなりにゆとりの持てる収入を得られる社会であるべきだと思っている。

自分の収入を増やしたいというのが動機ではない。自分の労働時間を減らしたいというのも動機ではない。
ただ,社会全体として,庶民がゆとりを持てるべきだと思っている。

つまり,直接的な自分の利益のためではなく,国民すべてが住みよい社会であるために,格差社会は好ましくないと考えている。

格差社会批判を,言い訳,甘えと批判する人たちは,すべての人が我が利益を第一に考えて行動するとしか思っておらず,社会の利益を考えて行動するということが理解できないのではないだろうか。

自分が社会の利益を考えて行動するのは,自分の親族,子孫,友人などのすべてに幸福を感じてもらいたいということと,低所得者層や失業者が増えるのは,労働力を社会に有効に役立てるという観点から非効率的であり,さらに治安も悪くなり,暮らしにくい社会になるのは好ましくないと思うためであり,社会の利益のためだと思っているが,広い意味では我が利益のためと言われても否定はできない。
しかし,直接的な利益,すなわち,自分の収入を増やしたい,もっと楽な生活をしたいといったことが動機ではない。

このような考え方は,人はすべて我が利益のために行動すると考えている人たちには,どうしても理解が難しく,自身の甘えや努力不足を他人のせいにしていると捉えられ,話がかみ合わないことが多くなるのではないかと思うのだが,どうだろうか。

格差社会批判を批判する人たちには,そのあたりのことをよく考えてみて頂きたいと思う。

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2006年4月18日 (火)

耐震強度偽装問題,巨悪は暴かれずに終わるのか?

ヒューザー社の小嶋進社長が捜査本部から事情聴取を受けている。

小嶋社長は自らの行為をすべて適法だとしているようである。当然であろう。
裁判が視野に入ってくれば,違法性の認識が焦点になるので,あくまで適法との認識の姿勢を崩すわけにはいかないだろう。そして適法だと言うならば,政治家等を道連れにすることはできない。誰かに口添えを頼んだことを認めることは,自らの行為の違法性の認識につなげられてしまう。

政界に関する世間の目は,ホリエモンメール問題から民主党新代表問題,そして千葉7区選挙問題などへ向けられており,その間に小嶋社長の詐欺罪立証の目処が立ってしまったようである。
民主党の「耐震強度偽装問題徹底究明サイト」のブログも3月28日で更新が止まってしまっている。何が「徹底究明」か。

世論や野党が,この問題で与党を追及できるのは小嶋社長が逮捕されるまでの間である。
このまま,詐欺罪で検挙となり,政界とのつながりは永遠に闇へ葬られてしまう可能性が大きいのではないかと思うのだが,どうだろうか。

[このブログでの過去の関連記事]
野党は手を緩めず設計偽装事件を追及しきれるか?
マンション設計偽装問題の責任は一般国民が取らされるのか?
野党は手を緩めず設計偽装事件を追及しきれるか?(その2)
野党は手を緩めず設計偽装事件を追及しきれるか?(その3)
野党は手を緩めず設計偽装事件を追及しきれるか?(その4)

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2006年4月17日 (月)

法人税を上げると企業は海外へ逃げるか?

法人税を上げるなどして企業から取る税を多くすると,海外へ逃げる企業が増えて増税の意味がなくなるとよく言われる。
果たして本当だろうか。

自分は経済に関して「ド素人」である。このようなことを判断する専門知識はまったくない。

しかし素人なりに考えるに,まず,きちんと国のことを考える経営者の企業は心配ないだろう。また,海外へ拠点を移すには,それなりにコストがかかるのではないか。当然,日本で経営するのとは異なるノウハウも必要になるだろう。
そのようなことを実行できる企業は,数が限られるのではないだろうか。

「企業に課す税を増やすと海外へ出る企業が増える」というのは,政財界がグルになっての詭弁か,財界の政界に対する脅し文句ではないかと思うのだが,どうだろうか。

過去の実例など何か根拠があるのなら,どなたか示して頂けないだろうか。

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2006年4月12日 (水)

日本人は,もっと「数の力」を信じるべきではないか?

OTSUさんのブログ「公務員のためいき」の「フランス政府が若者雇用策撤回」の中に,「怒るべき時に怒らない、もしくは怒ることができない国民にならないよう心がける必要性を感じています」とあった。

まったくその通りだと思う。

フランス政府が労働組合や学生団体の徹底的な反対を受けて初期雇用契約(CPE,企業は2年間の試用期間中に26歳未満の従業員を理由を説明せずに解雇できる)の導入を撤回した。

やはり,近代社会においては「数の力」は強力である。

日本人は,つい自身の意見を抑えて周りに合わせてしまいがちな人が多い。それならば簡単に多数が団結しそうなものだが,声の大きい者に合わせてしまいがちであるから,そうはならない。声が大きい者は,権力を持ちたがる者である場合が多い。

自分が『「国家の品格」は「負け組」への鎮魂歌か?』でも触れた藤原正彦氏の,「国民は永遠に成熟しない」という言葉が正しければ,国民すべてが自身の意見を強く持つことは望めないのかも知れない。
しかし,一部の人たちは,「どうせ無駄だろう」という諦めの気持ちを捨てて少し勇気を持ちさえすれば,「権力を持ちたがる者」に対抗できる大きな声を出せるのではないだろうか。
このブログに興味を持って下さる方たちにも,そのような人たちが多いのではないだろうか。

日本は,アメリカに歩調を合わせ,大きく進路変更しようとしている。
フランスの例を見て,声を出すべきときには諦めずに声を出せば,まだ今なら一部の強者に抗うことができるのだと希望を持つべきだと思うのだが,どうだろうか。

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2006年4月 9日 (日)

小沢一郎氏が民主党代表となった狙いは何か?

小沢一郎氏が民主党党首となった。

自分は小沢氏は嫌いではない。しかし,小沢氏は表に出るべき人ではないし,本人もそのつもりだと思っていた。ところが,今回党首となった。これは何を意味するのか。
自分は,菅直人氏は好きではない。しかし,民主党が政権を取る日が近々来るとすれば,首相となるのは菅氏なのだろうと思っている。

2大政党制待望論が高まり,賛同者も多いが批判する人も多い小泉首相の任期が切れた後が政権交代の大きなチャンスではないかと思う。小沢氏は,バラバラ,ガタガタの現在の民主党を一気に立て直し,その後に菅氏に党首を譲って政権を取るという勝負に出たのではないかと感じるのだが,どうだろうか。

なお,これは自分の単なる推測であって,これを望むと言うわけではない。

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2006年4月 8日 (土)

政府の諮問機関はどれも政府の言いなりなのか?

BSE問題に関する内閣府の諮問機関である食品安全委員会プリオン専門調査会のメンバーの半数6人が辞任したとの報道があった。

「安全対策の管理側(厚生労働省、農林水産省)は、彼らが求める答えを引き出す諮問しかせず、あり方自体がおかしい」

「我々はあり得ない条件で机上の空論を重ね、政府は私たちの答えの一部を示し『科学的根拠』を発表したのです」

「政府は輸入にストップがかかると『先生方が安全と言った』と責任をなすりつけた」

などの声が辞任した元メンバーから出たそうである。

ちゃんと言うことを聞いてくれるメンバーを選ぶことに失敗したということだろうか。
それでも,背骨がついた肉が輸入されるというような,あまりにもお粗末な問題が起きなければ,このような大量辞任の事態にも至らなかったかも知れない。

都合の良いメンバーを集め,都合の良い前提条件で議論させ,都合の良い結論の部分だけを利用し,「専門家の客観的な結論」であり従うべきものとして,実は既定路線の政策を推し進め,後で問題が起きても「専門家が言ったから」と責任逃れまでしようとする政府のやり口が,「アメリカがきちんとルールを守れば」という前提条件が崩れる事態の発生で委員の責任がかなり薄くなって,委員が問題を表立って言いやすくなり,やっと露呈した形である。

皇室典範問題や公務員制度などに関していろいろな諮問機関があるが,どれも同じようなものと見るのが普通の考え方ではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年4月 2日 (日)

民主党執行部総退陣,その裏で一体何があったのか?

ホリエモンメール問題で,民主党執行部が総退陣,永田議員も辞職,メール提供者の証人喚問も中止とのことである。

自分は証人喚問を楽しみにしていた。何らかの新事実が出るのではと期待していた。証人喚問は自民党にとって不利に働くと思っていたので,自民がこれに反対する方向で動かないのを不思議に思っていた。
しかし結局,民主総崩れ,証人喚問も取りやめと,自民完勝で決着しそうである。

これは一体どういうことだろうか。
証人喚問直前での,突然の前原氏と永田氏の敗北宣言は,非常に不可解である。

見えないところで何らかのせめぎ合いがあり,証人喚問が民主に有利に働く望みがなくなったか,民主側が何かしらの交換条件を呑むなどして,前原氏側が身を引くことにし,永田氏が説き伏せられたのではと感じるのだが,どうだろうか。

いずれにしても,姉歯氏の夫人の自殺によって耐震強度偽装問題に再び世間の視線が向けられるかも知れなかったのに,民主党新党首問題などに向いてしまいそうなのが非常に残念である。

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2006年4月 1日 (土)

「国家の品格」は「負け組」への鎮魂歌か?(その2)

前回の記事は,いつにも増して急いで書いたせいか,言葉がまったく足りず自分で読んでも話の流れがわからないので補足したい。

テレビで聞いた「自由競争を否定するような内容が,『負け組』に受けているのではないか」というような論調は,あるコメンテーターのコメントであるが,その後に「しかし,現実には益々競争社会になって行くので,それに対応しなければならない」といった内容の言葉が続く。

藤原氏は,競争そのものを否定しているのではなく,「品格ある」競争をするべきだと主張していると考える。

コメンテーターの言葉は,「品格のない」競争を肯定しているように聞こえた。自分は,それは藤原氏が「国家の品格」で主張していることと真っ向から相反することであると思った。
現在の社会に「勝ち組」と「負け組」がいるとして(自分はこの考え方は嫌いだが),「勝ち組」が品格のない卑怯な勝ち方をしているというのもこの本の主張のひとつであり,確かに,「負け組」が「品格ある競争をすれば負けはしない」と考える根拠となると言え,その意味では「負け組」が自身を慰める言い訳にできるといえる。

しかし,藤原氏は国民を「真のエリート」と「未成熟な国民」に分けており,この考え方を受け入れることは「負け組」にとっては屈辱的なことではないだろうか。
そのため,「負け組」がこの本を単に自身への慰めとすることはないと考える。

「勝ち組と負け組」という考え方や,件のコメンテーターのコメントは,品格のない弱肉強食化した現在の社会の枠組みを前提としたものであり,藤原氏はこの枠組みを否定しており,それが日本人に染み付いた「品格」をくすぐってこの本が売れているのではと考え,前回の記事を書いたところである。

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2006年3月28日 (火)

「国家の品格」は「負け組」への鎮魂歌か?

藤原正彦氏著「国家の品格」が売れている。

テレビで,「自由競争を否定するような内容が,『負け組』に受けているのではないか」というような論調を聞いた。果たしてそうだろうか?

藤原氏は,「国民は永遠に成熟しない」と述べている。また,それへの対応として「真のエリート」が必要と述べている。
自分は,自発的に「品格」を持つべきは「エリート」であり,その他の国民は導かれて「品格」を持つという「国家」を藤原氏は志向していると考える。
極めて高い能力を持つ少数の「エリート」,「卑怯」な手段を用いれば富も存分に手に入れることのできる者たちが,「品格ある」指導者となることで,安定した,美しい「国家」が実現できるし,かつては日本はそのような「国家」であったと藤原氏は述べていると考える。

この本が売れているのは,日本人の多くが,その心の奥底に染み付いている「品格」に,現在の日本の状況を「恥じる」べき,または「道を誤っている」と思い起こさせられるからではないかと思うのだが,どうだろうか。

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2006年3月25日 (土)

「ホテル・ルワンダ」を見て...愛国心とは?

映画「ホテル・ルワンダ」を見た。

ルワンダという国の「フツ族」と「ツチ族」の争い,彼我の違いはほとんどない。言葉も宗教も同じだそうである。それが歴史の流れの中でいがみ合うようになり,おびただしい血が流されるようになる。理性ある一部の個人たちは互いに愛し合えるのに,民族同士の諍いは収まらない。

自分は,世間では賛否両論だが,日本人はもっと愛国心を持つべきだと思っている。それは,社会に貢献しようとする気持ちを育て,皆がお互いを思いやり,国を安定させ,引いては他国民を理解し,尊重することにつながると思うからである。

しかし,自身の属する組織や集団を愛する気持ちが,自身が最終的に属するものは世界(あるいは宇宙か)であることを見失い,ある段階,国や民族,場合によってはもっと小さい集団で留まって先鋭化してゆけば,極めて危険なものとなり得るということを「ホテル・ルワンダ」でまざまざと見せつけられた。それと同時に,それでも人間はそれを乗り越える力を持ち得るという希望も与えられた。

愛国心や民族愛の先にあるものは,平和な世界か,争いの絶えない世界か,それらを分けるものは何なのだろうか?

[記事作成後にTBさせて頂いたブログ]
小泉内閣の支持率が一桁台になるまで 「愛国心明記の教育基本法の是非
帝國愁報 「第59号 「愛国心」を強要する愚かしさ
華氏451度 『「国家」に恩はない
愚樵空論 「[戯言]天命・宿命・運命の三命から愛国心を考える

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